第4話
ローズが魔導書の所在を確かめるためにやって来たのが、旧市街の白華園に隣接する一角にある以前にゴロ・リクオクが住んでいた屋敷だ。彼の蔵書はまだこの屋敷の書庫に収められたままのはずだ。屋敷は幾らか古びていたがローズの記憶通りの場所で見つかった。この建物の中でローズはリクオクから件の魔法の式が収められた魔導書「ウッセイロ」の説明を受けた。あの夜のことは今も鮮明に思い出すことができる。その風貌は近所の商店主と変わらなかったが、眼差しは自信に満ち声は喜びにあふれていた。
「あなた方もここへ辿り行き着きましたか。もう少し早く気づいていてくだされば、わたしが出向くこともなかったのに」
屋敷の門扉の傍でローズは振り返り、背後の塀から垂れ下がる黄色い花を付けた蔓草の辺りに目をやった。
「ディアス様と特化隊のお二人ですね。隠れてないで出て来てください。そこでわたしたちが人様のお屋敷に無断で入るのを黙って見てるなんて、趣味が悪いと思いませんか?」
黄色い花や蔓がいびつに歪み、砂色に変わりその背後からラン・ディアス続いて特化隊士のロバート・トゥルージルとカーク・パメットが姿を現した。顔をしかめ隠れ蓑を乱雑にたたみ物入れに押し込む。
「やはり、あなたをやり過ごすには無理がありましたか」
「えぇ、あなた方がわたしの馬車を見つけたように、こちらもあなた方の姿が目に入ってしまいました。いい年をした殿方が頭から布切れを被って後をついてくるんですから」
「ローズさん、あなたもここに来たとなれば「ウッセイロ」に用があるのですね。フレアさんがこの辺りで大活躍だったのは聞いています」
「活躍などでなく今は火種になってますよ。勝手な思い込みで誤った判断を下した。そのおかげで信用を失う寸前まで追い込まれた」
「こちらも同様で牛の群れに隠れた小鳥をすっかり見失っていた。そのせいで迷走するオ・ウィン殿に助言できずにいた」
「お互いリクオクさんに気を取られて前にある物が見えていなかった」
ローズは軽くため息をついた。
「まぁ、お先にどうぞ。騒ぎの元となった魔導書は複製されることなく存在するのは原本のみ、リクオクさんが住んでいたこのお屋敷に置かれたままになっているはずですよね?」
「そのはずです」
「では、確かめてみましょう」
ローズはディアスに前に出るように手で促した。
門扉は何の障害もなく開いた。続いて、玄関扉へディアスが取っ手に手を掛けひねってみると抵抗なく回った。 僅かに扉を押し開くと濃厚な精霊の気配を感じた。
扉をそのままに保ち、背後の二人に目をやる。空いた手で合図を送る。
ディアスの合図に応じトゥルージル、パメットの手元に武器が現れた。それぞれ金色に輝く両手棍とトンファーである。ディアスが素早く脇に退きトゥルージルが両手棍で扉を素早く開きパメットが邸内へ飛び込んだ。パメットに加護を施したトゥルージルが僅かに遅れて続く。最後にディアスがはいり、フレアも彼らに貼りつくように邸内に侵入した。
玄関広間入ってすぐの廊下に明らかに元は人だった二体の石像が置かれていた。無人であっても監査は行われている。それを考えると彼らが石化したのはつい最近だろう。一体は胸に重厚な魔導書を抱えている。
「逃げる途中に固められたんだろうが、何があった?」とパメット。
「囲まれている。とんでもない数だ」
フレアも周囲で舞う気配の群れを感じ取っていた。おびただしい数の気配がフレアの中に入ってこようとする。加護を持たない者なら、たちまちここに充満する気配にいいように操られてしまうだろう。
「こいつら言うこと聞かない」
「入れない、操れない」
「なら、要らないね」
「使えない」
子供のような甲高声が広間の様々な方向から聞こえてくる。
何かが口々に不満を言い立てている。
「追い出そう」
「そうしよう」
「そうしよう」
「賛成」
見る間に気配が実体化し、玄関広間は床から天井まで子猫ほどの大きさの蜂で埋め尽くされた。鋭い牙に細い足先には鉤爪、尻先では大人の指ほどの針が脈動している。
「やるしかないか」
「やむをえん」
フレアも男たちと同様腹を決めた。幾らか数を減らせれば勝機も出てくるだろう。男達三人も腕は立つ足手まといにはならないはずだ。蜂たちが一斉に動き出した。
「はい、そこまで!」玄関広間にローズの声が響いた。「まったく、血の気の多い人ばかり話し合おうという気はないんですか?」
フレアは向かってくる蜂に対して足を蹴り上げたが着撃寸前で止まった。体の自由は奪われ動かない。蜂たちも止まったまま動かない。力づくで押さえられているわけではない。自分の意志が体に伝わらない。完全に体の自由を奪われている。視界に入るすべてが止まっていた。
「冷静になりなさい。これだけの精霊を招集し統御する式なのですよ。リクオクさんのいない世となったのです。これを破壊すれば二度と作り直すことなどできませんよ」
すさまじいのはローズの力である。この数の手練れと精霊を同時に拘束しているにも関わらず、彼女は普段と変わらぬ様子で蜂と人の間をすり抜け石像となった男の元へ向かった。
魔導書を抱えた男の腕に手を当てる。
「騒ぎの中心人物はこの二人のようですね。胸に抱いているのは魔導書「ウッセイロ」わたしたちがリクオクさんの死を新聞記事で知ったように彼らもそれを知った。調べてみると思いのほか大物で住まいも傍にある。魔法鍵を解ける知り合いもいた。そして空き巣狙いで不用意に書庫に入り込み呪われた。でも……」間を置き蜂に目をやる。「彼らじゃない」
「こいつらを石にしたのは中にいた別の奴だよ」
蜂の一匹が動き出した。宙で漂うように揺れている。
「彼らは二人利用して外に出ようとしたけど、他の精霊に止められた」
「まさか、騒ぎを起こしたのは替わりの乗り物を呼びよせるためじゃないだろうね?」
身体が自由になったディアスは強張りをほぐすように肩を何度か回した。止まっていた時が再び流れ出したように、全員が動き出す。
「勘がいいな」
「その通り」
「当たり」
甲高い笑い声で広間が満たされる。
「笑い事じゃないんだぞ、お前たちの起こした騒ぎのせいでどれだけの人に迷惑がかかっているかわかっているのか」
パメットがトンファーを構え蜂の精霊を睨みつける。笑い声が止みまたも不穏な空気が流れる。
「お止めなさい」全員に軽い麻痺が走る。「次は手加減はしませんよ。精霊さんたちもここから出て行くといっても当てはないんでしょう」
「そういえば、ないね」
「どこ行こうか」
「わからない」
「いい所ないかな」
「彼の書庫はどうです。広々として居心地のよい場所ですよ。扱いも最上級です」ローズはディアスを手で示した。
「ローズさん……」
「どの道、このまま書を棚に戻して戸を閉めて帰るというわけにはいかないんでしょう?」
「それはそうですが……」とディアス。彼はため息をついた。
「……君たちならこちらに迎えても問題ないだろう。国家の役に立ってもらえそうだ。ただし、その前に君たちが連れて来た鳥たちを一羽残らず返してくれ。話はそれからだ」
「かまわないよ」
「わかったよ」
「何か偉そうだな」
「まぁ、いいか」
群れ飛ぶ黒ツグミは次の朝のうちに帝都から姿を消した。そして大掃除が終わった帝都にゴロ・リクオクは帰還した。しめやかな儀式と共に一族の墓に収まり、盛大な別れの集いでその功績を称えられた。魔導書「ウッセイロ」はディアスの言葉通り魔法院の書庫に収められた。
空き巣狙いの二人組もほどなく呪いを解かれ人に戻ることができた。しかし、しでかした罪が解かれることはなく即勾留されることとなった。彼らが自由の身となるのは当分先になるだろう。
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