第4話

 その日の夜になり、ヴァルヤから塔へ通話が入った。彼女には何かあれば連絡してほしいといっておいた。


「ローズさん、こんばんは、先日はありがとうございました」居間に響くヴァルヤの声音は弾み朗報であることは察しがついた。


「こんばんは、エアリスさん。何かありましたか?」


「正教会の方に連絡していただいてありがとうございます。トニーから聞きました。昨夜は舞台から離れられなくて気が気じゃありませんでした。今日、彼に会ってそれを聞いてうれしくてたまらなくて、まずはお礼をと思いまして連絡しました。あの方たち早速今日の昼に来てくださいました。真っ白な鎖帷子と僧服の方たちが詰めかけたので、いったい何が起こるのかと驚きました」


 訴えは通り早々に特別部が動いているようだ。


「丹念に部屋とマルコの様子を調べて、疑いなく魔法による被害者である。速やかに解呪の手配を執り行う故、落ち着いて待たれよ、と言われました」


「それなら回復のめどは立ちましたね」


「はい、ですが目覚めた後はお医者様の領域となるようです。しばらく寝たきりだと体がうまく動かなくなるようです。なので、まずは運動能力の回復からになるようです」


「人だとそこからですね」


「あのホワイトがしばらく寝込んでいたくらいですから……」フレアが小声でつぶやいた。


「あれはうまく呪いが解けなったせいよ。まぁ、あれでも上出来ではあるんだけど」


「ホワイト?」とヴァルヤ。


「こちらの知合いの話でね。あなたのマルコはもう心配ないですよ。あの方たちの力は一流だし、彼に掛けられた魔法はそれほど厄介でもなく、時間も長くない。安心していいですよ」


「本当ですか?」


「えぇ、わたしが請け合います。あなたは目覚めた彼が心配しないように、芝居に打ち込んでいればよいと思いますよ」


「ありがとうございます」


 それからヴァルヤとは少しの間芝居について語り通話を終えた。


「後は白服に任せるんですか」フレアは操作盤を押し通話機を休止状態にした。


「表側はね。こちらは裏に回ってお手伝いよ。犯人は思いのほか近くにいるかもしれない」


「……まさか、犯人はあの中にいるってことはないですよね?」


「それは無いわね。エアリスは本当にマルコを愛しているし、トニーとトミーの友情も本物だわ。エアリスのことを本当に気の毒に思っている。だから、彼女を放っておけなくて協力している」とローズ。

「彼らにはいわれのない魔法の被害だけで十分に衝撃よ。だから、落ち着かせて芝居に取り組ませる必要がある」 


「大体の予想はついているんですか?」


「前に言った通り特定するのはそれほど難しくないはず、マルコへの脅迫がエイハヴ役に端を発しているとしたら、役の選考結果について知る立場にいる」


「劇団、劇場の関係者……とその周辺」


「その中でも限られた一部になると思う」




 翌夜、ローズがフレアを伴い帝国歌劇場に姿を現した。いつもと変わらず受付で入場証を見せ自分の桟敷席へと向かう。仮面を外し外套を脱ぐ、そこまではいつも通りなのだが、彼女は椅子に腰を下ろすことなく姿を消した。


「いってらっしゃいませ」フレアは何も見えない宙に向かい声を掛けた。


 今夜、ローズは姿を消し役者たちを含め劇場関係者に「話を聞いて」回るとつもりだ。フレアも一人気楽に芝居見物とはいかない。この場の留守を預かり、ローズの急な要請に待機する必要がある。


 一階席へ降り楽団の脇を抜け舞台袖へ、緞帳や天幕を支える綱の傍に潜む。今夜の演目は「舞踏会は大騒ぎ」舞台から伯爵令嬢役のシクトーンの声が響いてくる。目の前には婚約者を演じるエイリッチが服装や髪形の最終点検を受けつつ待機している。シクトーンの一連のセリフが終わり、エイリッチが駆け出して行く。そして、序盤の要となる大喧嘩が始まる。ここがうまくいかないと終盤での説得力が無くなってしまう。


 ローズはつい口論に聞き入ってしまい、わざわざ舞台袖までやって来た意味を見失いそうになる。とりあえず役者、衣装や小道具係などでマルコに悪意を抱いている者はいない。やはりマルコの人柄ではなく、やはり役の選考に起因するか。


 シクトーンが舞台袖に入り、陰に立っていた舞台監督に目をやる。彼は無言でシクトーンに頷きかけた。一息つくと彼女から伯爵令嬢が出て行った。彼女がマルコに抱いているのは同僚への体の心配しかない。むしろ、最近様子がおかしかったヴァルヤが落ち着きを取り戻したことによる安堵の方が強いようだ。


 楽屋へと下がったシクトーンに代わって俳優ファルコンが現れた。彼の役どころは物語を徹底的に引っ掻き回す侯爵家の嫡男だ。前回は東方の鬼を扱った「デストルチィオーネ」では主人公に再三戦いを挑む鬼の役、そして鬼人の役への挑戦といい、彼はクセの強い役が好みのようだ。


 マルコが復帰できなければ次点のファルコンが件の役を演じることになるだが、それをあまりよく思っていない。もちろん自分に役が回ってくれば最高のエリディプスを演じるよう取り組むつもりだが、それが勝負の結果でなく、人の不幸で転がり込んでくるのは気に入らない。うまくマルコが復帰してくれればという気持ちと、それでは自分が演じることができなくなる思いがせめぎ合っている。根っから勝負好きの気質がそうさせているようだ。


 やがて、ファルコンの出番がやって来た。曲者の嫡男よろしく飄々とした足取りで舞台へと入っていく。一瞬ファルコンの意識に不快感がよぎったが、瞬時に霧散し嫡男が覆いつくす。ローズは演技の邪魔にならぬよう身を引いた。不快感の理由を尋ねることはまた後でもできる。


 ファルコン以外の候補はどうなっているのか。舞台監督は選考に関わったようだが今は舞台で頭が一杯なようだ。他に関係者はいないかと聞くと、観客席の脚本家を紹介してきた。今夜は観客として来場しているようだ。


 前から二列目までにいるだろうから探せとの答えと共に顔を教えられた。銀色の髪で小柄な脚本家はすぐに見つかった。隣が空いているのは連れてくるはずだった友人の都合が悪くなったからだ。馬車で迎えに行くと彼女は腹を壊して寝込んでいた。無理して取った席が無駄になった腹立ちとその体調を心配する思いが相半ばといったところだ。


 ローズは姿を消したまま隣の席に着いた。エイハヴ役の選考について尋ねてみる。迷うことなくマルコ、ファルコンのどちらかまでは満場一致で決まった。まるで役を理解していない者は即落とし、力がありながらも雰囲気が合わない三人は別の役に挑むよう促した。二人のうちどちらも申し分なかった、そのため選考は長時間に渡り、結果マルコが選ばれた。ファルコンを特に強く推した者はおらず、マルコを嫌っていた者もいない。


 長時間に渡る選考により疲労困憊となった記憶が脚本家から湧き出してきた。堂々巡りする議論に冷めた食事の記憶、肩の凝りに頭の痺れ、絡まり合った意識がローズに入り込んできた。聞いてもいない場の混乱と苦悩がローズに押し寄せてくる。これは一度落ち着かせる必要がある。ここで感情が表に出て来ては舞台も何も台無しになる。


「ローズ様、何かありましたか?」フレアの声が頭蓋に響いた。こちらの戸惑いが伝わったか。


「気にしないで、こちらの話だから……」


「はい……」 


 ローズはフレアを引かせ、脚本家を落ち着かせ目の前の舞台に目を向けさせた。芝居は良い薬となり脚本家はまもなく落ち着きを取り戻した。しかし、もう刺激は避けた方がよさそうだ。


 最後のつもりでローズは選考に外部から横やりが入らなかったか聞いてみた。当たりがあった。どこから聞きつけたのか何度かファルコンを推す手紙が舞い込んだことがある。だが、そんな手紙は珍しくもない。年中似たような手紙が来る。だが、そういう声は皇帝陛下直々でもない限り考慮に入れられることはない。


 ファルコンを推す者がいるのか。それならばその前途を阻むマルコは邪魔者ということなる。

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