天使の正体
天使の正体 第1話
この夜、帝都中央図書館の大会議室で行われた公開報告会は、最近発見されたメタパルドの遺跡に関連する情報の開示だった。メタパルドは帝国より以前にこの地に支配していたヴァーディゴ王朝に滅ぼされた国家である。遺跡はメタパルドの抵抗組織の拠点であり、遺物の保管集積所でもあった。遺跡はコバヤシの輸送機遭難事件の際に偶然発見された。遺跡に保存されていた文書は帝国黎明期を客観的に捉える記録としても期待されている。
遺跡発見のいきさつを知るアクシール・ローズとしては、その後の進捗状況が気になっていた。その報告会の開催が昼間ではなく夜であることがわかり、今回はフレアを代理に立てることなくローズも直接参加することにした。ローズとしてはフレアの意識を介さず、その場の雰囲気を直に感じることができるよい機会となった。
「案外、メタパルドの人達の生活も今とさほど変わらなかったんでしょうか」フレアは報告会の終了後に一般人代表といった感想を述べた。
「砂漠での暮らしは魔法の発達で幾らか楽になっているでしょうけど、人の営みの基本は変わらないでしょうね」とローズ。
「でも、何か皮肉な気がしますね」
「どういうこと?」
「過去に栄えたヴァーディゴはもう砂の中で、滅ぼされたメタパルドが今になって話題になって……」
「あぁ、それね。ヴァーディゴ、彼らの作り出す物は粗削りでも強力だった。以前、競馬場を占拠した泥人形のようにね。その力を使って支配圏を広めているうちに内乱が起きた。二派に分かれた両者が何を武器に使ったかというと、自分たちが作り出した秘術の数々、やがて制御が付かなくなって自滅となったわ」
「あはは……」フレアは力なく笑った。
「魔法は用法、要領を守って適切にという教訓ね。やろうと思えば街一つ塵に変えることもできるんだから」
「怖いですね……」
「適切」に街を消滅させることができるのは極一部の術者に限られる。大半は途中で力が霧散するか、暴走により自分が巻き込まれそこで終了、あるいは術式自体がまったく発動もしないこともある。
他の来場者と共に大会議室を出て階段を降りる。降りた先の廊下でローズは、出口へと向かう集団に逆行し、奥の図書室へと向かう三人組と出くわした。魔導着を身に着けた若い男女の三人組みである。だが、その装束は魔力は全く帯びていない。単にそれらしき扮装をしているだけだ。
魔導師に扮して図書館に入るのはかまわないが、司書を騙し地下書庫へ侵入しようという企みは頂けない。男の一人に目をやった時、意識の断片が流れ込んできた。悪ふざけではないと主張しても許可のない入庫は禁じられている。一般人が司書を騙すことなどできるはずもない。無理を通そうとすれば警備員を呼ばれ監獄行きとなるだろう。
司書や警備員には面倒を掛けることになるが、ローズは介入せず放置することにした。彼らに任せておけば、自分たちがやろうとしていることが、どのような危険をはらんでいるのか講義の後外へ送り出されるだろう。
何かが意識に引っかかり、ローズは立ち止まりもう一度三人組に目をやった。意識に向かい軽く素性を尋ねてみれば歌劇場の役者のようだ。名前に聞き覚えが薄っすらとある。顔も舞台で何度か目にしたことがあるのだろう、それで引っかかってきたに違いない。更に意識へ深く入り込んだことで、これが思い詰めての行動であることも分かった。一度出されたぐらいではまた戻ってくるかもしれない。
「まったく……」
「ローズ様?」フレアが傍でローズを見上げる。
「フレア、表に出て馬車を捉まえてきなさい」
「えっ……」
「貸馬車を表で捉まえてきなさい。早く」
「はい!」
フレアが入り口に駆け出し、ローズは三人組の元へ向かった。
「お待ちなさい。そこにお三人」
声の無い呼びかけに三人は立ち止まり、周囲を見回した。気が付くと目の前に長身の人影、豪奢な刺繍が施された漆黒の外套を纏い、ゆったりとした頭巾の中の顔は口元以外は黒い仮面で隠れている。彼らは直接面識はなかったものの、その正体は簡単に予想がついた。だが、なぜ目の前にいるのかはわからなかった。
「こんばんは、直接お目にかかるのは初めてですよね。アクシール・ローズです。お見知りおきを」ローズは軽く微笑んだ。
彼らの予想は当たった。
「こんばんは」三人は戸惑いながらも軽く頭を下げた。
彼らもローズが歌劇場の上客であることは知っているが、なぜ彼女に声を掛けられたかはわからない。残念ながら実績というほどのものもない。
「今夜は大人しく家へお帰りなさい」 柔らかな声が意識に語り掛ける。
男二人からは戸惑い、女からは強い拒絶が感じられる。相手がローズでも引く気はないようだ。真っすぐな赤茶色の髪が肩まで伸びている女性だ。
「お帰りなさい。虚偽の申告による侵入は刑事罰を伴います。あなた達の今後に障ることになりますよ」
女にはその覚悟はできているようだ。そして、その先にあるものに希望を抱いている。
「もし、入ることができたとしても、あなた達が求めるものは残念ながらそこにはないでしょう。魔導書というのは魔法の指南書ではないのです。あれらは魔法については何も教えてはくれません。こちらが学び力を示し接するのみ、間違えば災厄を受けることになります。おやめなさい」
心の揺らぎは感じられるが、芯は崩れてはいない。
「わたしにはどうしても救いたい人がいるんです」
女の言葉に男二人が頷く。戸惑いが収まらないながらも初心の決意は貫くようだ。
「あなた方に何かあったら元も子もないでしょう」
「ではどうすれば……」
「わたしでよければ相談に乗りましょう。魔法に関してはそれなりの自負はあります。まぁ、できないことも多くありますが、その場合でもいろいろな伝手は紹介できると思います」
この夜、ローズの元に招かれたのはエアリス・ヴィルヤとトミー・カッコ、トニー・ポルティーの三人である。彼らの中で一番思いが強いのはヴァルヤで、カッコとポルティーはマルコなる人物への友情と、ヴァルヤの身を案じて付き添っているようだった。
ローズはヴィルヤの相談に乗る前に地下書庫がどのような場所か見せることにした。彼女はまだ魔法に対する希望を捨てきれずにいる。ローズが諭したぐらいではまた何をやるかわからない。
厳めしい帝国魔法院からの警告文が貼られた重厚な扉の前で、三人の反応は不安と好奇心が相半ばといったところだ。フレアを最初に案内のため連れて来た時の反応と同様だ。フレアはそれ以後ここへ近づくのを嫌っている。今回もここまで三人を招いたことをよく思っていないようだ。
扉が静かに開くと書庫内から漏れ出してきた気に当てられ、早くも三人の意識が乱れ始めた。ローズに促され緊張気味のフレアを先頭に三人が続く。最後尾でローズが見守る形で奥へと進む。魔導書が収められた棚の間の通路を歩くうちにカッコの足取りが危なくなってきた。ヴァルヤが手を震わせる。本棚を二つばかり越えた時点でのことだ。そこで全員踵を返し外へと出た。
フレアが彼らを先に上階に案内し、ローズが扉に施錠する。彼女が応接間に上がると三人は長椅子に座りぐったりとしていた。
「どうですか具合は?」ローズは尋ねた。
「もう落ち着きましたが、疲れました」とカッコ。「中に入った途端にわけのわからない声なのか何なのかが頭に溢れてまともに歩けなくなりました」
「近くで見つめられてるような、触られたような気がしてすごく怖かった」ヴァルヤが右腕をさする。
「俺も同じです……」ポルティーが額をさする。
「一度見てもらうといっても無茶が過ぎますよ、ローズ様。あそこは魔法院の方でも防護服を着て入る所なんですよ」
フレアが呆れ気味に言い放つ。演技ではない。本当に呆れている。
「わかってるわ。だから後ろから見守っていたの。あなた達もわかりましたね。万が一、中に入ることができても、とても探し物なんてできない。最も探し物なんてすると事じゃない。何か問えば答えてくるでしょうけど、それは憑りつく隙を狙っているだけの事。あそこにあるのはただ豪華な装丁の本じゃありません。一冊、一冊が魔物と思っていいでしょう」
「そのようですね。図書館も似たような場所ですか?」カッコが頭を上げる。
「えぇ、わたしも蔵書には自信はあるのですが、それはあくまでも個人の規模です。あちらは国家が運営管理しています。桁が違います。危険度についてはもう想像はつきますね」
「わたしたちは無知からとんでもない事を企んでいたようですね」
ヴァルヤは大きくため息をついた。この言葉に嘘偽りはないようだ。
「わかってもらえて何よりです。では、何があったか話してもらえますか」
これでようやく物語を始めることができる。
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