ライカンスロープ フレア

ライカンスロープ フレア 第1話

暗闇の中に差し込む刃のような光、照らし出されるのは床に転がる死体。頭を砕かれたそれはうつ伏せに床に転がっている。


「カッピネンさん、終わったわ。お掃除屋さんを寄こしてちょうだい」フレアは借り物のイヤリングに告げた。


 掃除屋、カッピネンの業界では殺し屋を指す場合もあるが、この場合は現場処理の要員である。殺害現場などに赴き残された血液や吐しゃ物、排泄物を拭い取り死体を回収し隠ぺいを図る。


「ありがとうございます。すぐ向かわせます」とカッピネンの声。


 スラビア系組織の顔役の一人であるパーシー・カッピネンは目つきが鋭く、熊のような体格の大男である。熊と同様に彼に張り倒されて起き上がれるものは僅かだろう。


「その人たちに銀器を持たせてほしいの。串、ナイフ、フォーク尖っていればなんでもいいわ」


「銀器ですか……」


「ええ、残念だけどあなた達の予想が当たったわ」


「……そうですか」


 現場に現れた集団は転がる死体や漂う異臭は気にも留めなかったが、フレアの姿には緊張を隠せなかった。一人が彼女に指示されるままに銀の食事用ナイフと作業用革手袋を手渡した。ランタンの光の下彼らは次の指示を待ち待機する。フレアは転がる死体の襟元を捲りあげた。そこには犬の頭を図案化した文様の刺青が施されていた。それを目にしたフレアは眉をひそめた。


「生き残りがいたのね」


 フレアは手袋越しに掴んだナイフを刺青に強く押し付ける。皮膚は見る間に黒ずみ刺青を塗りつぶした。 更に体内へと深く銀のナイフを突きこむと死体は音を立てて縮み、やがて木炭で作られたかのような黒々とした人型の塊となった。生きている狼人は優れた回復力を持っているためこれほどの激しい反応は起こさない。だが、人が焼けた鉄に触れる以上の傷を与えることは間違いない。


 フレアは無表情のまま眉一つ動かさす真っ黒になった死体を踏みつぶした。




 今回の事の発端はカッピネンの傍で起こった複数の失踪である。最初は傘下組織の使い走りが不意に行方をくらまし、それっきり顔を出さなくなったことだ。たまにそういう奴はいる。雑用係が嫌になるのだ。大概は夜逃げという形になるのだが、今回は違った。ささやかな家財道具はそのままに行方不明となっていた。次は行きつけの料理屋の調理師だ。その男も同様の形で姿を消した。そしてまた、配下の用品店の手伝いが姿を消した。


 街に人さらいでもいるのか。誰かが冗談のように言った。では、その目的は何か。旧市街でうまくやればいい金になるだろう。だがこちらは新市街、彼らの持ち物と言えばささやかな家財道具とその身体のみ。


 カッピネンはこれらの失踪が気になり、子飼いの探偵に調べさせるとまだ例があった。宿の泊り客が何人か持ち物もそのままに消え失せていた。嫌な胸騒ぎを感じたカッピネンはフレアが集金のため現れた折にこの件を話題に出した。万が一のために調査を始めたフレアは最悪の結果を突き止めることとなった。


「正教会にはわたしから連絡しておくから、もしこちらにあそこに人達が顔を見せたときは知っていることをすべて話しておいてほしいの」


 外の始末は速やかに終わり、今はカッピネンの応接室にいる。彼は現場となっていた空き店舗から帰ってきたフレアの報告を受けている。


「はい」


「来るのは白服だけど、あの人たちが興味があるのは自分たちの仕事だけ、今回の場合は狼人判定になるわ。拒まずみんなに受けさせて、それはみんなのために必要なことよ。奴ら、まだ潜んでいるかもしれないから」


「はい」


「あの人たちはあなた達の仕事なんて気にしてないから落ち着いてね」


「粗相が無いよう通達を出しておきます。安心して街を歩けないのは仕事に差し障りますから」


「面倒掛けるけど、他の人達にも連絡しておいて」


「はい、ですがお嬢さん……」


「何?」


「今回の件は……ご迷惑になってませんか」


「もしかして、わたしが同族を手に掛けたことを負担にならないかと思ってる?」


「はい」


「まったくならないわ。あんな連中仲間だと思ったこと一度もないから、奴らはわたしから人としての生活を奪い取った憎い存在よ。わたしも数えきれないほどの人を手に掛けてるけど、それ以上の数の人と暮らしてきた。仲間と言えば人の方でしょうね」


「それで安心しましたよ」


「ありがとう。……何か変なところを見せてしまったみたいね。久しぶりに自分以外の狼人を見ていろいろと思い出したから」


「三百年ですね。俺たちじゃ想像もつかねぇ」


「まぁ、山奥で生まれた小娘にしてはうまくやった方かな。ここでこうしているんだから」


「山奥……ここの人じゃなかったんですね」


「こっちの人が言う北方の生まれよ。そういえばだれにも話したことはないわね。ローズ様は知ってるかもしれないけど、言葉で伝えたことはないし……」




 フレアが生まれたのは大モラヴィア王国―位置としては帝国と北西で接する大トリキア公国の更に北である―の中央部の都市プリエビトから二日ほど歩いた山の中の村だった。

 その時の名はミア、それを覚えているのは親が付けた名前だからだ。以後は様々な名を名乗り、フレアの名は四、五回目だが家名はその都度変えている。


 村に産業と言えるほどのものはなかったが、山から得られる獣の肉や果実、家畜や農産物で食べていくことは出来た。しかし、金銭は必要である。そこで残った皮や骨を加工し雑貨や服飾品を作り出し付近の町や村に売り出していた。フレアも小さなころからそれを手伝わされ嫌なこともあったが、後に狼人として人の中に入ることになってからは大いに役に立つことになった。


 街であるような強盗や殺人などの犯罪は稀であるが、熊や狼の脅威やその他イタチなどによる家畜などへの害には常にさらされていた。しかし、それ等の備えは出来ており、教えられたとおりに行動していれば問題ないとフレアは聞かされていた。そのためミノ爺さんを襲った凄惨な事件は村中を震撼させた。


 フレアが事件を知ったのはお母さんと共に熊の爪などをあしらった首飾りなどを自宅の工房で作っている時だった。仕留めた獣たちの体は何らかの使い道がありそのまま捨てられることは少なかった。この時もフレアはきれいに磨き上げられた熊の爪を別の骨に膠で止付けていた。首にかける革紐も合わせてすべて仕留めた獣の加工品だ。


 村の人達と大勢でプリエビトまで行商に同行していたお父さんが帰ってきた。猟師でもあるお父さんは用心棒代わりに同行することが多かった。普段ならお父さんの仕事はここで終わりなのだがこの時は違った。


「ミノさんが襲われた」村外れに住んでいる老人でその息子はお父さんの友人でもある。


「怪我の具合は……」


 お父さんは黙ったままただ首だけを振った。お母さんは手で口元を押えた。このやり取りでフレアはおじいさんがもうこの世にいないことを理解した。狩りが危険なのはフレアも知っていた。怪我は絶えず、死もありうる。実際にフレアの知る範囲でも何人かが怪我を負い、亡くなっている。わからないのは狩りから引退し、家にこもりがちだったミノさんがなぜ襲われることになったかだった。


 ミノさんは家にいるところを襲われていた。侵入した何者かに食い尽くされたようで残っていたのおびただしい量の血と右手の一部。手の甲の傷と小指の状態からミノさんと断定された。


「人が暮らす住処に痕跡を残さず侵入する獣がいる。それは村にとって忌々しき事態だったわ。安らげる場所がなくなってしまうの。 村では通常の狩猟を取りやめ、その器用な人食いの獣を探すために山狩りを始めたわ」


「何か手掛かりは見つかったんですか?」


「いいえ、無関係な熊や狼が狩られただけ、お父さんも何日も山狩りに参加したけど目立った成果は得られなかった。当然よね。人食いは森じゃなく村にいた。お父さんたちと一緒に山狩りに出てたのよ。見つかるわけがない」

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