第4話

夜のとばりが降りた頃、旧市街の港第二埠頭に二台の馬車が現れた。降り立ったのはキリゾーとガースそしてキリゾーの店の二階でカードに興じていた四人組だ。足元に置いてあった曲刀を腰の帯に差し込む。全員が準備を整えるとガースが目指す船を指差した。 船腹にプリティメイズと船名が書かれている。それが件の印刷所を備えた工房船らしい。


「まず、ソイッチとの話し合いからだ」ガースが念を押す 。


「わかってる。出入りに来たんじゃない。まず話し合いだ。そうだろ?だが、俺も人をなめた話を飲むわけにはいかん」


 ガースを先頭に印刷所がある工房船の甲板へと上がる。船への昇降階段にいた見張りからの連絡が入っていたのだろう、甲板には曲刀で武装した三人の男たちが待機していた。階段を上がってきたキリゾーたちの姿を見て男の口が動く。ガースが前に出てキリゾーたちの動きを止める。ほどなく、船内から赤いウエストコートを羽織った男が姿を現した。そして、ガースの背後にいるキリゾーたちに訝し気に目をやった。


「こんばんは、スガオさん。何の御用です?昼間は会って相談したいことがあるとしかお聞きすることができませんでしたが」


 再びキリゾーたちに目をやる。


「後ろの方々はいつものお付きじゃないですね」


「俺の客だ。ソイッチ」前に出ようとするキリゾーをガースが押しとどめる。「こいつに売った札にひどい不具合が出たようだ」


 ガースは上着の内側から偽物と書かれた札束を取り出しソイッチに投げ渡した。


「誰だ、俺の札にこんな悪戯書きをいたのは、こんなものまで面倒は見れん。そっちで対処してくれ」


 ソイッチは憤慨し偽札をガースに投げ返した。彼は受け取らず束は甲板に落ちた。


「昨夜まで何もなかった札にこれが浮かんできたんだ。もう使い物にならん。おかげで俺は大損だ」我慢できずキリゾーが前に出てきた。腰の曲刀を引き抜く。


「ふん、そんな馬鹿なことがあるわけないだろう。ふざけるんじゃない」ソイッチがキリゾーを睨みつける。


「馬鹿じゃねぇよ!お前何をした。こんな糞みてぇな紙切れ掴ませやがって!」


 曲刀の切っ先をソイッチに突きつける。しかし、ソイッチも引き下がらない。


「俺じゃない!あの札は俺が心血注いだ芸術にも等しい作品なんだ!それをなぜ汚す。冒涜としか言えん行為だぞ。なぜ俺がやらねばならん⁈」


「はい、そこまで」


 ソイッチが激昂し刃を押しのけ、キリゾーに一歩詰め寄ったところで動きが止まった。両者、怒りに囚われた歪んだ形相のまま固まっている。ガースもキリゾーの配下四人組も、そしてソイッチの用心棒も甲板上で凍りついている。


 上空からローズが舞い降りてきた。少し遅れてフレアが甲板へ駆け込んでくる。


「キリゾーさん、ガースさん、案内ご苦労様。後はわたしに任せてお帰りなさい。残った偽札は警備隊に届けておくと喜ばれると思いますよ」


 ガースとキリゾーたちは頷き、その場を足早に去っていった。


「いいんですか?あっさり返して」


「かまわないわ。まずは偽札を根絶やしにすることが先決よ。外に出た偽札は彼らに任せてわたしたちはこちらを調べましょう」


 ローズは赤いウエストコートの男に近づいた。怒りのために顔をゆがめたままで止まっている。


「彼はソイッチ・ボム、この件の中心人物。ガースは彼を現場監督と思っていたようだけど、まぁ間違いでもない。造幣所印刷局の原版制作にあたっていた元担当者の一人。駆けカードにはまり、それを返済するために自分でお金を刷ろうと考えた」


「また、大胆なことを……」


「そうね。けど、彼にはそれをやる力があった。実際、現在流通している本物は彼が作ったんだからわけもない。見事な原版を作り上げたのはいいけど、捌く手立てを持ち合わせていない。そこで借金主であるガースを企みに引き込んだ。自分は単なる黒幕からの代理人を装ってね」


「刷った偽札をそのまま渡したほうが早かったような気が……」


「きちんとした機材をそろえる資金がなかったようね。彼としては半端な物は作りたくなかった。そうよね?」


 ソイッチの表情が笑みに変わった。


「こだわりますね。じゃぁ、この船もさっきの白髪頭の持ち物ですか?」


「これは別の貿易商の持ち船ね。まだ資金が足りなくて誘い込んだようね。借金のお仲間。その彼にも自分が首謀者であることは黙っていた」


「必要な物はすべて自分で整えたわけですね」


「ええ、大したものだわ。工房を見てみましょうか」


 甲板の下は手狭ではあるが立派な印刷設備が整えられていた。背の高い重厚な木製フレームを持つ二台の印刷機は最上級で最高位製本所でしか見られない。すべては磨き上げられ備品が納められた棚の整理は行き届き、床にもごみ一つ無い。置かれた機材も職人たちの意識もすべてが素晴らしい。これもソイッチの仕事の対する熱意の賜物なのだろう。だが、残念なのはそれらの結晶として生み出されたのが偽物であることだ。


 奥へと進むと裁断前や出荷前の紙幣が発見された。両方とも足の太い頑丈な作業机に並べられている。フレアが出来上がった何枚かを取り上げる。


「これ幾らか隠しておいてほとぼりが冷めた頃使えませんかね」


「あなたはこれだけできのいい偽札がなぜばれたと思う?最もお札の鑑別に慣れてそうな東の人達の眼をすり抜ける出来栄え、刷ったソイッチ達でさえ目印を付けておかないとわからない」


「それはその目印のせいでは……いや、違う。あんなの事前に教えてもらわないと、偽札だとわかってないと探しようがない」


「そうよね。帝都、造幣局は簡便かつ完璧な鑑別法を本物に仕込んでいるんだと思うわ。紙やインク辺りに秘密があるんでしょうね。特別な眼鏡をかければ見える。光を当てれば浮かぶような印を本物に仕込んである。それがなければ偽物、さすがにソイッチもそこまでは真似ることは出来なかった。今回皮肉なのはソイッチ達が付けた目印が帝都側にも役に立ったことね」


「じゃぁ、使おうすれば今回の繰り返し、簡単にばれて今度はわたしたちが捕まることに」


「その通り、だからもったいないけど手は出さないでおきましょう。ソイッチ本人もそれを心得てるから長い間持つなんて思ってもいない。あと少し刷って本物に両替したらさっさと逃げるつもりだったようだし」


「なんかすごくやり手ですね」


「いつも見るような馬鹿連中とはえらい違いよ。さぁ、次に行きましょう」


「次って?」


「後一人残ってるでしょ」


 ローズは印刷工房の天井を差した。


「あぁ、この船の持ち主、資金提供もしてましたね」


「思い出したようね。行きましょう」




 朝日が差す時間となって旧市街の港湾南署は大騒動に巻き込まれることとなった。始まりは署の車止めに荷車を乗り付けた男たち訪問、いや出頭である。何千枚もの皇帝の肖像画が描かれた紙幣を持ちこみ、全部自分たちが扱っていた偽札だと当直の警備隊士に告げた。


 親分格は二人いた。一人は偽札の購入費用を回収するまもなく使い物にならなくなり大損したことに怒りをぶちまけ、悲しみに暮れている。もう一人は当初、自分が南署まで来て何をやったのか気付くと黙り込んでいた。しかし、証言内容によっては情状酌量の余地があることと告げると協力的になった。他四人は力仕事担当で深くは関わってはいないようだ。


 彼らのもたらした証言により帝都の警備隊挙げての大捕物となった。帝都に散在する偽札の流通元に最寄りの所轄署の隊士達が押し寄せた。製造元の工房船で捕らえられた男は現場ではあっさりと投降したが、取調べ時に汚された偽札を見せると激昂した。捜査には協力的だが、自分の自信作を台無しにした大悪党の逮捕も懇願し続けている。


 


 工房船プリティメイズ号の船主バタ・シンタはソイッチ・ボムより朝早く自宅に連絡を受けた。彼の家では使用人がまず受け取り次ぐ形になるため、自宅へ連絡は避けるように言ってあったのだが、完璧に無視をされた。シンタが聞いた時には、対応に出た家政婦のエレンに「緊急に話し合いたいことがある。船まで来てくれ」と伝言だけが残されていた。嫌な予感がするためシンタは武器を持っていくことにした。二連装の拳銃と短剣を腰の鞘に納め丈の長い上着で隠す。これらの武器には幾度も助けられた。


 貸馬車を捕まえ第二埠頭へ向かう。人波と他の馬車を避け埠頭に入る。プリティメイズ号に近づくと四台の蒼い動馬車が横付けされているのが見て取れた。危険を感じたが馬車を止めるための言葉が出てこない。


「あの船の横に止めてくれ」口が思いとは別の言葉を吐き出し、右腕が勝手に動き船を指差す。


 運賃と五割分の心づけを受け取り貸馬車は上機嫌で去っていた。すべてシンタの意に添わぬ行為だ。だが、抗うことができない。今は甲板への昇降階段へ真っすぐ向かって歩いている。足を止めることができない。階段下で警備隊士が門番をしている。真っすぐ向かってくるシンタに気付き警戒態勢を取る。警備隊士まであと五歩ほどの距離でようやく足が止まった。その安堵もつかの間右腕が腰の鞘に伸びた。そちらに収めているのは二連装の拳銃である。


「やめろ!」シンタの心は叫ぶが口元は歪んだ笑みを浮かべている。


 銃を取り出し目の前に掲げ、暴発予防の安全装置を外す。


「やめてくれ」警備隊相手に銃などもってのほかだ。


 引き金に指が掛り、埠頭に轟音が鳴り響いた。



「……もう少しで居合わせた隊士が斬り殺してしまうところでした」ハウチと名乗った警備隊士は 隣にいるエブリに語った。


 バタ・シンタは今、拘束衣を着せられ病室で眠っている。彼は警備隊士の目の前で拳銃を取り出し銃口を隊士に向けた。誰も命を落とすことはなかったのは、発砲寸前にシンタが銃口を空に向けたからだ。そしてその場に倒れた。隊士に向かい発砲したなら彼の命はなかっただろう。


「体は動かず眠っているように見えて、なぜか意思の疎通は可能です。問いかければ答えが返ってきます。それで素性が判明しそちらに連絡を入れました」


「ありがとうございます」


 エブリーは眠っているシンタを見下ろす。南方貿易で財を成した男だが、ソイッチ同様賭けカードにはまり彼の企みに取り込まれることとなった。これで首謀者は全員捕らえられたことになる。


「拘束衣と足の鎖は彼を含めて皆の安全のためです」


「あの船の前に止めてくれ」シンタが呟き身をよじる。


「やめろ!やめてくれ!」


 二、三回身をよじると彼は体の力を抜き、また静かに眠り始めた。


「悪い夢でも見ているんでしょう。目覚めることなくこの繰り返しです。早くこちらに引き取りたいのですが。この状態ではめども立ちません」


「こちらでよい魔法医を紹介しましょうか?」 とエブリー。


「それはありがたい」


 しかし、それには及ばなかった。翌日にはシンタは無事目覚めた。だが、埋め込まれた悪夢はしばらく消えることはなく彼を悩ませた。

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