第4話

 市場で荷車に潜んで一刻ほど、コールド達二人が下ろされたのは人気のない川のほとりだった。荷車は速やかに消え去り、彼らだけが残された。流れる川の右側に小さくなった王宮の尖塔が少し霞んで見える。教えられた通り川下に歩いていくと支流に行きついた。こちらには人の手による護岸工事がなされている。


「初代であるプチュミ二世は王宮の水源をコロアザ河から引くことにした。護岸を整備し山も貫き地下を掘る。それは王宮の建設と変わらぬほどの大事業となったそうだ」


 更に歩くとレンガで補強された隧道が現れた。支流はそこへ流れ込む。隧道の両端には通路が設けられている。二人はそこを歩き奥へと進んだ。


「中には侵入者除けの防護柵があるが、壊すのは最小限にして進んでくれ」アレキシの説明通り目の前に鉄格子が現れた。


「この二本を切れば俺たちでも通り抜けれるだろう」


 ソウリュウの刃に鉄格子が火花を上げ手前へと倒れた。切れた鉄棒を宙でつかみ取りコールドは壁の傍に置いた。


「ここに置いときゃアレキシが修理させるだろ」


 格子の間をゆっくりと擦り抜け先へと進む。入口からの光が届かなくなっても等間隔で天井に燐光が置かれているため歩きやすい。しばらく歩くと低い響きが耳に入り始めた。近づくにつれ音は大きく明確になってきた。手拍子をのように間断のある雨音である。奇妙に思えたがほどなくその謎は解けた。行きついた先では水路一杯に揚水水車が設置されていた。水車はゆったりとしかし、力強く回転し組みつけられた桶に汲まれた水は上方へと昇っていく。水飛沫たっぷりの終点は階段となりその先には扉がついていた。


「水は水車によって王宮内に汲み上げられる。行きつくのは水車小屋だ。扉には当然鍵が掛っていると思うが極力壊さないでほしい。また水車小屋には整備兵が点検のため出向くことがある為注意してほしい」


 コールドは常備している金串で扉を開錠し先に続く階段も登り水車小屋へと進入した。


「水車小屋ねぇ」コールドは思わず笑ってしまった。


 地下で目にした水車だけでも圧倒的だったが、地上に出てみると三連式であることがわかった。水車により汲みだされた水は巨大な樋に導かれ外へ流れていく。それらを囲い込む建物は帝都で目にした倉庫に等しい大きさだ。


「王宮に比べれば小屋さ」


「外は王宮の真っただ中だ、出る時は十分に注意してくれ。ヤスミンがいる塔はそこからすぐに見えると思う。白い石造りの塔だ。屋根は青い。その最上階に彼女はいる。王宮の裏手に当たり、小屋から塔まで大した距離ではないが視界は遮る物は何もない。その点も要注意だ。部外者のお前たちにこんなことを頼むのは心苦しいが、どうかくれぐれも気を付けて行ってくれ」


「気にすることはない。もうとっくに一蓮托生、同じ沼の中さ」


 塔の傍まではベンソンが二人の姿を消し移動した。ただ、地面に映る影までは隠すことができないためゆっくりとはしていられない。速やかに背後の果樹園側に回り込む。当然のごとく最上階へと上がる階段は備え付けられている。だが、途中で会うとしても、ヤスミン王女と共にやって来た侍女や召使いで心配ないだろうとアレキシは言った。しかし、コールドは別の手段を取ることにした。最上階には天窓が付いているという話を聞きそこを進入口に決めた。


 塔のすぐそばに立つと上も見上げるとコールドは笑み浮かべた。石積みの壁に手を掛け、その後は吸盤が付いているかのように貼りつき頂上まで登って行った。青い瓦が貼られた屋根まで上がるとアレキシの言葉通り天窓が見つかった。下に押せば金具がはずれ開くことができる。換気や明かり取りの他、屋根への出入りなどにも使われている窓だ。


 コールドが跪きゆっくりと手で力をかけると天窓は下に開いた。窓の揺れが止まらないうちに足から飛び込む。床に着地し周囲を観察した。大きな両開きの窓に寝台に書き物机、椅子に座ったいた女は立ち上がり、降ってきたコールドを睨みつける。声は出さないが、怯えているわけではない机上に置いてあったペンをつかみ取り鋭い金属製のペン先をコールドに向ける。女の容姿は白っぽい髪に薄紅色の肌、小柄な体格、アレキシから聞いたヤスミンの特徴と一致する。


「ヤスミン王女様ですね。俺はアレキシ陛下の使いでやって来た軽業師ニック・コールドと申します」コールドは柄にもなく胸に手を当てお辞儀をした。


「アレキシの使い?軽業師のあなたが何のようなのです」アレキシの名に一瞬笑顔を見せたが厳しい視線が戻ってきた。ヤスミンは警戒を解かない。


 コールドは懐に手を入れ、アレキシからの預かり物を取り出した。手のひらを広げ中身を見せる。そしてヤスミンに投げ渡した。ヤスミンはそれを片手で受け取った。


「説明する必要はないと思いますが、それは陛下のカフスボタンです」


 ヤスミンは手の中を見つめ頷いた。


「陛下は御無事です。陛下はあなたに愛していると伝えてくれと、そして必ず迎えに行く。それまで静かに待っていてくれ。ボタンは会った時に返してくれとのことです」


「お待ちしていますと伝えてください」ヤスミンは両手で胸を押えた。


 階下で物音がし女性の悲鳴と怒声が聞こえた。


「そろそろお暇した方がいいようですね」


 粗い足取りで外の階段を上る音が聞こえる。扉が兵服姿の集団が踏み込んできた。大柄で赤い髪の男女とその背後に部下らしい数名が狭い室内に展開する。


「部屋に入る時はまずノックするもんだ。まぁ、俺も人のことは言えんが」


 無言のまま士官服の女が手のひらを伏せ床に命令を下す。コールドの足元に魔法陣が現れ這い出した鉤爪が彼を拘束する。女が口元に笑みを浮かべるのもつかの間、コールドの姿は消え失せ窓辺に姿を現した。


「くそ、残像か」


「当たり、忙しんだ帰らせてもらうよ」


 コールドは窓を体当たりで押し開け、外へと飛び出す。兵たちが勢いよく駆け出すが一人が魔法陣へ飛び込んでしまい悲鳴を上げる。


「馬鹿者!」


 女が罵倒の叫びを上げる。更にもつれて部屋の中央は大混乱となった。


 背中から塔の外へ落ちていったコールドは巨大な猛禽に攫われ、街の方角へと飛んでいった。 




 婚礼という晴の日のために、新たに立案された突入作戦は、正装し大通りを行き王宮正面から挙式会場である王宮大聖堂に進入するという案だった。正真正銘のこれ以上ないほどの正面突破である。あまりにも大胆なため反対の声を上げる者もいたがアレキシの鶴の一声でこの案に決定された。


 ガンジロウ一座の道具を失い、水路も多人数での進入路として不向きであることがわかり、他の進入方法を模索しているうちに、挙式への乱入が目的化していることに気付いた者がいた。挙式への乱入はアレキシの帰還を知らしめる手段だったのだ。本来は道中での暗殺の危険を回避するためのやむない処置だった。しかし、伯爵に自分の帰還がとうに知れている今となっては隠すことの意義は失われている。そこで真の目的に立ち返るため、全員があえて姿を晒し街を行くこととなった。


 挙式の朝、市場の倉庫で再び一堂に会したアレキシとその支持者一党は、礼装に身を包み出発は間近となっていた。青地に黄色の襟と袖、背には冠を被ったコカトリスの紋章が描かれた礼服をアレキシは身に着けている。彼としてはこのような場所で身に着けるとは思ってみなかったが、道化師の衣装よりははるかに良い。コールド達も同行するが目立たぬように努めるつもりだ。


 突然の物音、倉庫の表搬入口に設けられた通用口の扉が乱暴に蹴り開けられ、兵装の男が入ってきた。士官の外套を羽織った男である。


「陛下、お命頂戴します」

 

 男は腰の刀を引き抜き、刀身を大きく振り上げ一直線にアレキシに向かってい行ったが、傍に控えていたジェイソン、シモトに一刀の元切り伏せられた。


「何をするかと思えば……」低い男の声と共に搬入口の大扉が開く。「陛下を手に掛けるより討たれることを選んだか。ネルズ」


 扉の向こう側から現れたのは大柄で赤毛の男女。彼らも士官向けの外套を羽織っている。 コールドはヤスミンへの伝言の折に目をした二人組であることを思い出した。


「マザキ・クォ・ファミア」男が名乗る。


「マザト・クォ・ファミア」女が名乗る。


「陛下の首もらい受けに来た。ついでにそこに二人もな」マザキがコールド達に目をやった。


「俺たちはついでか」とコールド。


「陛下が優先に決まってるだろ」ベンソンの手元に銃が現れる。


 乾いた発砲音が三回響いたが誰も倒れることはない。マザキの手元に現れた大太刀が低いうなりを上げている。ベンソンの傍にはマザキが打ち払った弾丸がひしゃげて浮かんでいる。


「その芸当ができる奴はコールド以外じゃ初めて見たよ」 とベンソン。


 浮かんでいた弾丸が土の床に落ちる。


「アレキシ、裏口だ。先に行け。ここは俺たちが引き受けた」


「ベンソン……」とアレキシ。


「こいつらは俺たちと同類だ任せろ」


 マザトがアレキシに向けかざした手のひらに火球が浮かんだ。その手にコールドが背のイデトで斬りこむ。マザトはそれを紙一重で交わし火球は消え失せた。


「俺が相手してやるよ」


 コールドはマザトに笑いかけた。


「アレキシ、とっとと行け。遅刻すんなよ。俺たちは後から追いかける」


「嘘は許さんぞ」


 アレキシは全員に指示を出し裏口へと走り出した。

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