第4話

 二階から降り向かった先の台所でもフレアには驚きが待っていた。きれいに清められ今すぐにでも使えそうな食器、調理器具は変わらない。最大の変化は扉が一つ増えていたことである。何もなかったはずの壁に扉が出現したのだ。

「ここも消されていたのね。ディアス様、この先に何があるかご存じですか?」

「普通の地下室です。小麦粉や調味料、日持ちする食品の貯蔵庫として使われていました」

「まだ、見ていないのはこの下だけですよね。とりあえず、降りてみましょうか」

 光球を先頭に地下へと向かう。短い階段を降りるとディアスの言葉通り貯蔵庫となっていた。中央に通路がありその先に扉がある。それを挟むように左右に棚が配置されている。そこには小麦粉、砂糖、塩、風味や香り付けのための酒類、香料、ナッツにドライフルーツの箱などが並べられられている。

「ここが材料の貯蔵庫として使われているのは確かなようですね」

 ローズは光球に照らされた酒のラベルや木箱の銘を確かめた。どれも最高級といかなくともそれに準ずる品質が確保されたものばかりである。ローズたちに味の判定はできないが、人にそれらを振る舞うことがあるため必要な知識は得るようにしている。

「職人さんたちはどこにいるんでしょうか」とフレア。

「どこかに隠れてる。それとも人と同じようにここに出勤してお菓子作りする」

「菓子作りの度に召喚していたらとんでもなく手間がかかりそうだ」ディアスが呟く。

「わたしなら願い下げだわ」ローズは呆れたとばかりに頭を振った。

 ただの貯蔵庫に見るものがあるわけもなく、あっという間に終わった。

「もう、これで見る物はありませんね。あの扉の先は通路になってます」ディアスが奥に見える扉に指を指す。

「ヘイゼルミア侯爵様のお家のような……その先はどうなっているんですか?」

「そこまでは聞いていないね。行ってみますか」

「ええ、どこに繋がっているか楽しみだわ」

 扉の古びた焼成煉瓦で覆われた隧道となっていた。ヘイゼルミア侯爵家のそれと同時代の施設らしく雰囲気はよく似ている。

「こういう施設ってまだ他にも残っているんでしょうか」

「わたしが来る前にはいろいろともめた時期があったようだし、侯爵夫人も備えが必要な時代があったのかもといってらしたわね」

「それなら、ここの出口も近くの公園とかでしょうか」

「そうかもしれないわね」

 代り映えの無い闇の中を歩きながらローズはあの時のことを思い出した。あの時はかび臭い中に侯爵夫人の香が漂っていた。薄っすらとした花の香だった。その香りが今この隧道に漂っていることにローズは気が付いた。南方の原産の花から作られた精油、一抱えの壺に入る精油を作り出すのに広々とした花畑が必要となる。そのため香水瓶に入る精油は僅か数滴、後はアルコールと他の混ぜ物である。

 しかし、その香りがなぜこの場で漂うのか。

「フレア、変なにおいがしない?」

「あぁ、確かにかび臭さはありますが、特に害はないと思います」

「やっぱり、そうなのね」 

 ローズが指を鳴らすと三人は地下の貯蔵庫にいた。通路の中央辺りで三人で寄り添っている。焼成煉瓦の隧道などはなく、あるのは備蓄された酒瓶とお菓子の材料である。

「ローズ様、こんな時に冗談はやめてください」

「こっちが本物よ。呑気にお酒の棚を眺めているうちに術中にはめられたようね。油断も隙もないわ」

 ローズが奥の扉を見据える中、フレアは身構え、ディアスは足元や床を見渡す。

「あの向こうに通路なんてない。最初に操られたディアス様の言葉に誘われて、わたしたち自身でお互いの言葉で幻影を補強していた」

「面目ない」ディアスはため息をつきうなだれた。

「お気になさらずに、わたしも気を締めてと偉そうな事を言いましたが、しっかり術中にはまりマーガレット様のことを思い出さなかったら、いつまでもありもしない通路を歩いていたでしょう。後は夢うつつのうちに歩かされて近くの公園に放り出されていたに違いありません」

「では、改めて聞きます。あの扉の向こう、ご記憶では何がありましたかディアス様」

「ここよりは大きかったとは思いますが、空き部屋です。あの時は使われてはいなかった」

「今はどうなっているか。確かめてみましょう」

 扉の向こう側は厨房となっていた。甘い香りが漂い一階とは違い現在使用されていることがわかる。壁や天井のランプにローズが火種を放つとその灯によって室内が光で満たされた。今は火が落とされているが壁際に大きな釜があり、煙突は天井へとつながっている。調理台はきれいに磨き上げられ、壁に掛け垂れた器具の輝きも申し分ない。

「ここが本当の調理場でしょう」とローズ。

「ここにこれだけの設備を持ち込むとは、これは本物の光景ですよね」

「間違いないわ」

 ローズは頷き一歩前に出る。

「あなた方の力はわかりました。あなた方は何者なんですか。なぜこのお屋敷にいるんですか。お聞かせ願いませんか」正面の空間に視線を据え両手で大仰な手振りを加え語り掛ける。

「わたしたちはあなた達を払いに来たわけではありません。相談を寄せたインフレイムスの店長マンセル様もあなた達との契約を切るおつもりもないでしょう。上階で目にしたことに戸惑っているだけです。わたしのような者に相談を寄こしたのその証拠です」

 厨房内のランプの火が僅かに揺れた後、三人の目前に黒い塊が四つ現れた。それが揺れながら人の姿に変わった。それは四人のお仕着せを着た女性でフレアと変わらない程度の若い見た目である。

「お話してもいいですが、あなたのようなに力がおありの方がなぜ市井の者の使い走りなどをするのです?」

 目の前に並ぶ中の一人が肉声で語り掛けてきた。黒い髪を後頭部で丸くまとめ簪で止めている。

「それは興味です。わたしは興味によって動くのです。そのおかげで今回は僅かな時間であっても、わたしの全知覚を乗っ取るほどの存在が旧市街にいることを知ることができました。あなた方が代表ですね。個にして全、そして全にして個、全員が連携し世界を作り上げる」

「よくおわかりのようで、面白い方ですね」黒髪の少女が笑い声をあげる。

 他の三人が笑い声をあげる。髪の色は茶、金、赤と違いはあるが髪型が同じなため顔まで似通って見える。

「上の部屋にへどうぞ。おもてなしの用意はできていませんが、お話はいたします」

 三人が通されたのはこの邸宅の応接室。昼間もさっきもローズたちが目を通した広間である。やはり配置された家具調度品は放置されているわけではない。幻影でごまかしているのではなく、本当にこまめに埃が払われ掃除がなされている。

「いいお部屋ですね。お掃除はあなた方が担当しているのですか?」

 ローズ達は勧められたソファーに腰を下ろした。微笑みを浮かべ周囲を見回す。

「ありがとうございます。そのためにわたしたちはサーヤ・ツゥルネ様の召喚によりこの地にやってきました。わたしたちはツゥルネ様の命によりあの方のお帰りまで留守番としてこの屋敷を以前のまま保つ所存でおります」

 黒髪の少女がローズの問いに答えた。彼女が四人を代表しているらしく、他の三人は一歩後ろで微笑みを浮かべ立っている。

「ツゥルネ様とはどういうお方だったのですか?」

 ローズの言葉に反応し、彼女たちが座る向かい側のソファーに黒い魔導着姿の老婆が姿を現した。これがツゥルネ様なのだろうとローズは悟った。彼女が纏っている装束は見るからに高級品であり、それは彼女が裕福でありかつ相当の魔法の使い手であることを示している。

「わたしたちにこの姿をくださった方です。そして、この世での過ごし方を教えてくださいました」

「あなた達が留守番の指示を受けたのはいつのことですか?」

「この地に肉体を残し、転生の輪なる場所へ旅立たれた時です。わたしたちはツゥルネ様より後を頼みますとの指示を頂きました。わたしたちはそれに従いツゥルネ様がかの地よりこちらにお戻りになるまでお待ちする所存です」

 ローズはこれでなぜ彼女たちがこの屋敷に居座っているかを理解した。ディアスに目をやると同様の知見を得ているようだった。

「それならあなた方であっても待ち時間は相当長くなりますよ。十二衆の賢者様でさえ戻られたのはまだお一人なのですから」フレアが会話に割って入る。

「はい、その覚悟はできております。賢者様についてはツゥルネ様から聞いております」

 この件については両者話が合うようだ。

「あなた方がここに留まる理由はわかりましたが、お菓子作りはなぜ始めたのですか」

「お金のためです」

「お金?」

「はい、ここを維持するとしても掃除などはともかく家屋の修繕などはわたしたちではできません。力を使って外見をごまかすことはできますが、それではツゥルネ様が戻った時には廃屋となってしまっているでしょう。そこで専門の方にお願いするための対価を稼ぐために始めました」

「しっかりしてるわね。わかったわ。そういうことなら続けなさい。だけど、インフレイムスと取引を続けるつもりなら、正体まで見せることはないにしても、マンセル様に事実を話しなさい。自分たちが何者か。何が目的なのか。そして、悪意は微塵もないことも告げておきなさい。それから協力を求めなさい。わたしたちも手伝ってもいいわ。可能な限り人の姿をして過ごしなさい。姿を消したり、黒い靄のままでいるのはやめなさい。幻影も極力使わないように気を付けた方がいいわ」

「そうはいってもここは存命の親族に相続されているんですよ。彼女たちの勝手にはできませんよ」ディアスが割って入った。

「あれはあなた達でしょ」

 少女たちは無言で微笑んだ。

「彼女たちがディアス様たちの考えを読んで、一計を案じ作り上げた架空の親族でしょう。誰か引き取り手が現れないと屋敷は国に取られてすべては離散してしまいます」

「君たちローズ殿の言う通りなのか?」

 四人とも静かにうなずいた。

「とりあえず彼女たちは管理は任せたらどうですか。下手に人に任せるより誠実で確実です」

「それを言われる頭が痛い。いいでしょう。当面の管理は任せてその間に対策を立てることにしましょう」

 四人は恭しく頭を下げた。

「その代わりローズさん、この件にかかわった以上あなたにも手伝ってもらいますよ。これからの仕事、エールだけじゃとてもじゃないが割に合わない」

「それはお任せください。こんなおもしろそうな娘たちを会えたんですから」

 ローズは大仰に笑い声をあげた。

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