第3話

 ツゥルネ先生ことサーヤ・ツゥルネがこの世に現れたのは百七十年ほど前、帝国が落ち着きを取り戻し少しした頃のことである。一般家庭の生まれではあるが、生まれ持った魔法の才により若くして魔法院で頭角を現す。

「サーヤ・ツゥルネ、懐かしい名前だ」ラン・ディアスは今夜二杯目のエールを飲みほした。「あの人は魔法院過渡期を支えた一人です。それもまだ三十にもなってなかった頃のことです」

 魔導士の業界は狭く、力のある者となればさらに少なく集まる場所も限られている。ツゥルネという名と姿が僅かに覚えがあり、その力から以前の居場所には大体の予想はついた。そこで声をかけたのが帝国魔法院に席を置くラン・ディアスである。

 彼は好奇心とエールに引かれ塔へやって来た。

「もっともその頃の姿を見たことがあるのは、ローズ殿も会われたことがある四代ヒュース侯爵の ロベルト・エンゲリン殿ぐらいです。他はわたしも含め皆、老成した彼女の姿しか知りません。皆の厳しくも頼りになるおばあさん的な存在でした。平民の出だったため高位の役職に就くことはありませんでしたが、影の実力者でした。わたしも彼女に取り立ててもらった一人なのでどうにも頭はあがりませんでした」

「やはり、あの方でしたか」

「お知り合いでしたか?」

「いいえ、ここの監査の折に何度かお見かけした程度です。若い方たちの中に小柄で高齢のご婦人が混じって指導されていた。その方をツゥルネさんと呼びかけておられた。それを覚えておりました」

「そうでしたか」

「今はどうされてますか?」

「亡くなって一年いやもうすぐ二年になりますか」

「本当にですか」

「もちろんです。我々の中の何人かが最後を看取り、多くが葬儀に参列しました。ローズさん、なぜそのようなことを聞くんですか。何があったんです。こちらとしては妙なことに関心を持つよりは芝居見物に興じられている方が助かります」

 これはすべての帝都関係者の願いでもある。

「それはわかっているんですが、親しい方からの相談事をお断りするのは忍びないもので、つい……」

 ローズは先日から一連の出来事をかいつまんでディアスに話した。

「確かに面妖な話ですね。インフレイムスの事情もわからないでもない。しかし、聞いたからにはお菓子についてはこちらでも調べざるを得ない、しかし慎重に。あそこに下手な事をするとオ・ウィン殿を始めとして街の人達がこちらに怒鳴り込みかねない。あなたも慎重にお願いします」

「それはわかっております。相手はゴロツキではなく、善良なお菓子屋さんです。それにわたしの大事な協力者でもあります」

「そうでしたね。そのお菓子にツゥルネさんの名が使われているのは本当ですか」

「はい、ツゥルネ先生のお気に入りという名で発売されています」とフレア。

「昼間のうちに一つ買ってこさせました。この娘がみたところでは変な混ぜ物はなさそうです。味についてはわたしたちには判断できませんが」

「それはご苦労様です。まぁ、お話から察するにあの人を知るものが関わっているのは間違いなさそうですね」

「ツゥルネ様はどのような方だったんですか?」

「慕う者は多かったのですが、人との付き合いはあまり好まれてはいなかった。呪いのため自分は一人この世に取り残されたとこぼしてよくおられた。そのためか、新しい交友関係を持つことをためらわれていたようです。しかし、かなり代を隔ててはいますが身寄りもあり、交流も持たれていたようです。 なぜかそれは一言も口にされなかった。

 十年ほど前に引退されたからは白華園の屋敷で隠居生活をしていました。人は雇わず、家事はすべて呼び出した使い魔にやらせていいました。料理などもかなり仕込んでいたようです」

「詳しいですね」

「さっき言ったように慕う者は多くいました、わたしも含めて。身寄りがいないというのを聞いていたで、我々がおせっかいを焼きにしばしば訪れていました。そして、ツゥルネさんはぶつぶつ言いながらも手間のかかる菓子や料理を訪れた者に出すというのがいつものやり取りでした」

「その使い魔たちは今どうしていると思いますか?」

「当然、今は元の世界へ戻っているでしょう。連中は特別な指示でもない限り、召喚主がいなくなれば帰るはずです。ローズ殿、それはあなたも知っているでしょう。実際、遺品に整理のために訪れた時は姿はありませんでした」

「そうですか……」

「まさか、ローズ殿はツゥルネさんがまだこの世にいるとお思いですか?」

「最初は面白い思いつき程度でしたが、そう思わないと腑に落ちないことが多すぎます」

「今もあの人がこの世に留まり、空き家となった邸宅で使い魔たちにお菓子を作らせているとでも」

「言葉にされると自分の正気を疑いますが、あの屋敷に何かがいて、インフレイムスに毎日多くのお菓子が納品されるのは間違いなく事実なんです」

 ローズはため息をつきソファーにもたれ掛かった。黒髪に指を入れかき乱す。

「ツゥルネ様が亡くなられたのはお屋敷ですか?」

「確かにあの屋敷ですが、あそこに密かに居座るなど考えられません」ディアスは眼を閉じ声を震わせる。「旅立つ直前、ツゥルネさんは駆け付けたわたし達と使い魔たちに微笑みを浮かべ声をかけ、それから静かに息を引き取りました。あれこそ天寿の全うです」

「その際、身寄りの方はおられなかったのですか」

「その時点では、ツゥルネさんにまだ存命の身内がいるということを知らなくて、遺品整理の折に手紙を見つけようやく連絡を付けた次第です。短い礼とこちらにそのうち出向くと書かれた手紙は来たのですが、それきりでもう二年になりますね」

「どこの方ですか」

「海の向こうのエリソラです」

「船に乗って異国へとなると大変なのはわかりますが……どうなんでしょうね。少なくともその方は除外ですね。では、誰がツゥルネ様を騙っているのでしょう。彼女のことをよく知り悪意ではなく、好意を持っていそうです」

「わかりません。想像もつきませんね」


 その日の夜更け前に錬鉄の門扉の前に現れた三つの人影。それらは薄闇の中にあるかつてサーヤ・ツゥルネの住まいであったの邸宅の中にゆるりと入っていった。

 邸内へと入ったローズは玄関口で外套のフードを外し、仮面を取りフレアに渡した。

 さっそく何かの気配が三人の周りを取り囲んだ。

「確かに何かいるようですね」気配を察したディアスが呟く。

「ディアス様は無理についてこられなくても結構なのですよ」とローズ。

「あなた達が塔でおとなしくしていてくれたら、わたしもおとなしく帰れるんです」

「すっかり騒ぎに巻き込んでしまったようですね」

「もうかまいませんよ。わたしもどうなっているのか気になってしかたない」

 埒も明かぬ考察より実際の見聞へと話が進むのにさほど時間はかからなかった。ディアスはローズの意識は読めないまでも行動は簡単に予測できた。そこでディアス監視の元での旧ツゥルネ邸の訪問を提案した。

「では、まいりましょうか」ローズは軽く頭を下げた。そして、少し芝居がかった手つきで両手を上げた。

「わたしはアクシール・ローズ。見ての通り吸血鬼です。この娘はメイドのフレア・ランドール、こちらはラン・ディアス様。夜分遅くの訪問お許しください」

 ローズは周りを漂う気配に挨拶の言葉を告げ奥へと進んだ。それにフレア、ディアスが続く。ディアスには光源のための光球が付きまとう。

 廊下を奥へまずは応接間に向かう。闇に沈む広間に置かれた家具の間を光球が飛ぶ。家具が光を受け闇の中に浮かぶ。

「変わらないな、変わらなすぎる」

 ディアスは傍に置かれたソファーの背もたれに指を滑らせた。指先に埃はつくことはなくきれいなままだ。

「明らかに誰かが今も以前の状態を保つための努力を続けているようです」

「前回ここに入ったのはいつ頃ですか」とローズ。

「遺品整理の時ですね」

「鍵はどこに置いていますか」

「うちの部署で管理しています。あぁ……うちの者なら入れるわけか」

 ディアスは光球に照らし出される応接間を見渡し、そして何かを堪えるように天井を仰ぎ見た。

「いったい、わたしたちは何を探しているのか」ローズが呟く。「ディアス様、二階はどうなっているのですか」

「ツゥルネさんの私的空間です。寝室、書斎、書庫、物置、あの人の許可がない限り上がることのできない聖域です」

「ええぇ!客用の寝室でしたよ」フレアは驚きディアスに詰め寄った。「わたし二階で見ましたよ。寝台だけが置いてある部屋が並んでいるのを、片付けてない寝具を」

「いや、そんなはずはない。最後に駆け付けた時や葬儀の前に応援に来た者はこのソファーで寝ていたんだ。それは間違いない」

「落ち着きなさい」ローズはフレアの肩を軽く叩いた。「すぐそばなんだから確かめにいけばいいでしょ」

「はい」

「そうですね。何者かがツゥルネさんの私物に手を出しているのかもしれない」

 部屋を一番に出たフレアでその後にローズとディアスが続く。フレアは階段を駆け上がり一番近くの部屋を開ける。

「見てください。やっぱり寝台しかない、空っぽのお部屋ですよ」

 その言葉にディアスは息をのむ。

「フレア、一度目を閉じなさい」

 フレアはローズの言葉に従い目を閉じた。そして、ローズは彼女の後頭部を軽く撫でた。

「目を開けて、今何が見えているか言ってみて」

「はい……」フレアはそれだけ言葉を発すると息を詰まらせ黙り込んだ。珍しく顔に戸惑いの色がはっきりと見て取れる。「物置です。火鉢や桶、予備の食器、燭台とかが棚に置いてあります」

「他も見てみるといいわ」

 その声に従い次の扉を開ける。そこは書斎だった。窓からの陽が背中から当たるように書き物机が壁に向かい置かれている。対面の壁には小ぶりの書棚が配置されている。

「何が起こっているんです?」とディアス。

「記憶操作を仕掛けられていたようですね。それもご丁寧にその場に戻ればそれが再現される。この娘はここに来れば寝台だけの部屋を見るよう仕込まれていたんです。それを三百過ぎの狼人相手にやってのけるなんて大胆でとんでもない力の持ち主ですね」

 ローズは満面の笑みを浮かべ、声を出し笑い始めた。

「ローズ殿!」ディアスがたしなめるように語気を強める。

「すみません。お菓子屋さんの相談でこのような相手に会えたものでうれしくなって……」笑みが収まらないながらも軽く頭を下げ、フレアを見やる。「あなたも気を抜いた隙を付け込まれてようね」

 フレアは衝撃が大きかったのかまだ少しうなだれている。

「一階での拘束を振り切って、出し抜いたつもりが術中にはまっていたわけですね」

「それがわかればいいわ。後はお互いに気を締めていきましょう」

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