第3話

 高齢の呪われた者、支配者階級の存在には怠惰や退廃などが付きまとう。 

 自らの力におぼれ、暇を持て余すようになり、自滅の道を辿ることになることが多いためである。

 ローズであって例外ではない。新市街の住民たちも彼女が高齢の吸血鬼であり、強力な魔導師でもあることを知っている。そして、住民達が目にしているローズは昼間はずっと眠り、仕事はメイドのフレアに丸投げ、外出といえば観劇などで遊びに行く時のみ、これが影響してか彼女に脅威が感じる者は少なく、変わってはいるが世話になっているお金持ちというのが、一般人のイメージである。ローズは敢えてこれを正そうとはせず放置している。何十年という時間と多額の金を掛けて、住民たちの心を解きほぐし、彼らから少量ずつではあるが血を分けてもらう環境を作り出したのだ。それをわざわざ、緊張を煽り彼らの気持ちを削ぐ気などない

 もとよりローズにそのような余裕などない。とにかくいそがしいのだ。齢千年を経ても、陽光の力から逃れることはできないため活動時間は限られている。フレアや癖のあるゴロツキ達からの業務報告を受け、献血などで協力関係にある医療関係者からの打ち合わせをし、それらが終われば帝都の研究機関からの古文書の翻訳や、地下で魔法や錬金術の研究をしていることが多い。フレアと二人で勉強会などもよくある。そのため、観劇やベランダやその上空で佇むことができる夜は限られている。


 今夜も来客の対応に一階にある応接室へと降りてきた。ローズも客の来訪を歓迎している。吸血鬼の住処にわざわざやってくる者だ、変わり者が多くその話はおもしろい。

 今夜の来客は魔法遺物研究家であり、有名な探検家でもあるバンス・ニール。彼は帝国博物館に所属しており、持ち帰った古文書などの翻訳をローズに依頼してくることがある。

「こちらが先日の文書とその翻訳です」

 その言葉を合図にフレアが古びた木箱と封筒に入った紙束を、ティーテーブルの向こう側に座るニールの傍に置いた。

 ニールは満面の笑みを浮かべ紙束を取り上げた。

「それでどのような内容の物でしたか?」

「豚を愛してやまない司教様の日記といったところでしょうか」

「豚の解放運動でも主導していた人物ですか?」ニールは訝しげに眉をひそめた。

「いえ、豚料理をこよなく愛していた方です。簡単な日々の記録なのですが、そのほとんどが豚料理についての記述です。豚の丸焼きから始まり、ソーセージ、内臓料理、皮のから揚げ、果ては足や頭まで食べていたようです」

「ふーん、食事の記録ということか」

「レシピも載っています。彼は自ら料理を作り信者たちに振舞っていたようです」

「施しのためにかな……」

「どちらかというともてなしのためですね。食料としての豚を普及させるために」

「面白い」

「他に誰かを揶揄していると思われますが、おしゃべりな豚に対して愚痴をこぼしています。まぁ、こちらのレシピはなく食べてもいないようです」

 ニールは少し間を置いてから口を開いた。

「そういえば、人と豚は似ていると噂で聞いたことがあるが、実際はどうなんだろうか?」

「あら、そうなんですか?」

 二人はほぼ同時にフレアの顔を見つめた。狼人はどちらも食料として食べることがある。

 フレアは少しの間黙りこんでいたが、やがて口を開いた。

「人は人、豚は豚です。全くの別物です」フレアはあきれ顔で言った。

「やはりか……」

「当たり前です」

 ニールは少し残念そうだ。

 笑い声をあげるローズ。

 

 和やかに歓談が続き、しばらくして呼び鈴が鳴った。

「めずらしいわね。お客様が二人もお見えになるなんて」

 ほどなく、フレアと共の現れたのは小柄で白髪の男。フレアはその男の物らしい黒い金属性のカートを曳いている。

「コバヤシ医療機器のゴトウ様です」フレアが男を二人に紹介する。

「いらっしゃいませ、ゴトウ様」

「こんばんは、ローズ様」ゴトウが頭を下げる。顔を上げてすぐ彼はニールに目をやった。驚きで眼が輝いている様子だ。

「ローズ様、そちらの方はバンス・ニール博士ではないですか?」

「ええ、帝国博物館のバンス・ニール博士です。ゴトウ様ご存知でしたか?」

 ニールが軽く会釈をする。

 それに応じてゴトウがまた頭を下げる。

「はい、先日の遺跡派遣団の報告会、同僚数名と共に楽しく参加させていただきました」

「おお、コバヤシの方まで来ていただいたとは、これはうれしい限りですな」ニールはうれしそうに笑い声をあげた。

 コバヤシとは五十年以上前に、空に浮かぶ雲ほど巨大な黒い船と共に、帝国の砂漠地帯に現れた人々のことである。コバヤシという名は、当時帝国と折衝に当たった言語学者を兼ねる一武官の名にすぎないのだが、誤解などもあり種族の名として浸透してしまった。

 容姿などは帝国民とほぼ変わらないが、彼らには魔法に関する素養は全くないがそれを補ってあまりある科学技術を持っていた。その技術で異世界からやってきたそうなのだが、来訪の際に船の機関が不具合を起こし、今も砂漠に留まっている。

 来訪当時は緊張状態を帯びることもあったが、今は帝国も彼らの居留を認め交流も盛んになってきている。生者の血を必要とするローズも安全な献のために彼らの製品がなくてはならない物となっている。

「ありがとうございます。今夜お伺いしたのは先日ローズ様からお借りした本をお返しするためでございます」ゴトウはカートに載せた黒い樹脂製のトランクを指示した。

「夜も遅いというのにありがとうございます」

「明日は病院各所に納品を済ませて、すぐに戻らなければなりません。そのため夜に来させていただきました」

 ゴトウのコバヤシ医療機器は多くの病院にその製品を納めている。そのおかげで帝都の公共衛生は格段に向上した。

「あなた方も魔法の研究を始められたのですか?」

 バンス・ニールは好奇心旺盛な男である。

「いいえ、ごく個人的なものです。元の世界に戻るまでに帝都の歴史を纏めておきたいと思いまして、そのための資料をローズ様からお借りしています。今の様子なら時間はありそうです。気長にやっていくつもりです」

「帰還はまだ先になりそうですか?」

「はい、船の修理は完了しているはずなのですが、どういうわけか動かないのです。この世界では我々の力は通用しない。これがこの五十年で導き出された答えです。ここに来るまでは、我々は万物のすべてを解き明かしたなどと、大きなことをいっていたのですが、実際は何もわかっていなかったのです。まだ、先は長そうです」

「日々探求ということですね。それなら、わたしはまだしばらく怠惰に陥らずに済みそうですね」

「と言いますと……?」ニールが聞いた。

「あなた方といると退屈なく日々新しい知識を得ることができます。たとえ、それが人と豚の違いであっても別世界の事情であってもです」

 変わり者たちの歓談は夜中まで続いた。

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