愛が言えない太刀

刀英光

第1話 箱庭は今日も快晴也 先攻

 顕現した瞬間から俺の側には光忠しかいなかった。


 戦場で立ち尽くす俺を拾って、本丸という場所をくれたのは部隊長だった燭台切光忠。数百年振りの再開を楽しむ間も無く帰城を余儀なくされ、部屋が足りないとの理由で狭苦しい場所に押し込められた。偶然か必然か、側には常に光忠が俺の両脇を固めていて気がつけばその二人に挟まれたまま俺は本丸に迎え入れられた。

 俺の部屋は複数の光忠達と相室だった。受取箱と呼ばれる小さな部屋にいた時から側にいた光忠だ。耐久性や利便性の都合で現代風に改造された部屋は複数人で過ごしても別段狭苦しさを感じる事も無いため大人しく受け入れることにした。といっても側にいるのは大抵一、二人なのだが。


 ふと目が覚める。隣で眠っていた奴は既に部屋を出ていたが寝間着が綺麗に畳まれている事から大方食事でも準備しているのだろう。急ぐほどの用事も思い当たらないので少しだけ、惰眠を貪ろうか……。何も考えずに瞼を落とせば意識を手放すまでそう時間はかからなかった。


 側に気配を感じて緩く目を開ける。視界いっぱいに広がる優しげな表情を浮かべる男。いつの間にか布団越しに抱きしめられていたらしい。働かない頭でボンヤリしていると唇にそっと口付けられる。

「いい加減その起こし方をやめろ。」

「だから現世では普通の事だって再三言っているだろう? それにちゃんと起きられるんだからいいじゃないか。」

「……まあ、悪くはないが、」

「それでいいんだよ。……おはよう倶利伽羅。朝餉の用意は出来てるよ。」

 もはや毎朝の恒例となっているやりとりを終えた後もぞもぞと布団から這い出す。 途端に身体が冷気に触れ思わず身震いするのと同じ頃合いで光忠が後ろから抱きしめてくる。

「……なんだ。」

「いや?倶利伽羅が寒そうにしてたから温めてあげようと思っただけ。」

「余計なお世話だ。」

 相変わらず至極どうでもいい理由だったため無理やり引き剥がしつつ服を脱がせ易いよう万歳の体勢をとる。当然のように光忠が手際よく寝間着に手をかけてくる光景も最初こそ戸惑ったものの、この本丸では同室の者の着替えを最大限手伝うという規則があるらしい。とはいえ光忠は隣にあるらしい彼らの部屋で済ませているらしいので、俺ばかりが子ども扱いされているようで腑に落ちないのだが。君が来るまでの間に随分と慣習も変わったものだよね、僕も未だに慣れないやだとか肩を竦めながら言うのを聞き流しつつ机に置かれた朝食に意識を向ける。味噌の香りが鼻腔をくすぐり、思わず唾を飲むと喉奥でくつくつと笑いながらもテキパキと俺に服を着せていく光忠。

「これで着替えはおしまい。今日も格好良く決まってるよ、倶利伽羅。」

「あんたが満足ならそれでいい。」

「君は相変わらず素直じゃないね……さあ、朝餉にしようか。」


 鮭の塩焼き、ほっこりとした煮物に白米。日によって和洋折衷様々な料理が出てくるが大体朝は和食と決まっているらしい。……元々光忠の手料理はどれも美味いから特に文句もないが。人の身を持つようになってからは食事時と惰眠を貪るのが至福の時間となりつつある。俺もすっかり俗世に染まってきたなどと思いつつ整然と並べられた食事に手をつけると口の中に広がる薄い塩味。今日の鮭も一段と美味だ。お浸しもきっと収穫したてのものを使っているのだろう。植物一つひとつに対して誠意を持って接する畑当番をしている時の光忠の顔が思い浮かぶ。

「美味しい?」

「まあそれなりに。」

「……あんまり素直じゃない子にはもう作らないけど?」

「悪かった。世界一美味い。」

「褒めても何も出ないよ。」

「どうしろというんだ。」

 そんなくだらない会話をしつつ出陣予定を聞く。今日は内番がない上午前中は特に予定は無く、午後から何度か桶狭間へ向かう程度。午前と言っても思う存分寝ていた所為で殆ど残っていない。せいぜい食後の休憩程度だろう。


 食事を済ませると食器を返しに光忠は部屋の外へ。慣れるまでは手伝うと何度か声をかけたが、出陣以外で部屋の外へ出るな、と凍てつくような声色で強く言われてしまえば逆らう術など持ち合わせていなかった。一人の時間を満喫する余裕もなく見計らったかのように別の光忠が部屋に飛び込んでくる。

「くーりーから!」

「……なんだ。」

「なんだ、じゃないよ。僕は倶利伽羅に会えなくて寂しかったんだから。」

「知らんな。」

 後ろからベタベタと引っ付いてくる男を適当にあしらう。他人と必要以上に馴れ合うのは良しとしないが本当に俺が嫌がるところは見極めているようで、適度に引き際を弁えている。……だが、彼等にはどうにも違和感を持たざるを得ない。今まで何十振りも燭台切光忠という男を見ているがどれも皆全く同じ性格で、同じ距離感を保って接しているのだ。まるで何ヶ月も共に過ごしていたかのように。

元の刀が同じとはいえここまで没個性になるものだろうか……?


「ただいま……ってまたくっついてる。」

いつの間にか先ほどの光忠が呆れた面持ちで帰ってきていた。俺の前に座り込み自身の太腿をポンポンと叩く。慣れた催促に未だ引っ付いている光忠を連れモゾモゾと近づくと腰を掴まれ足の上に乗せられた。

「そろそろ出陣だよ。」

耳元で囁かれ思わず身体が跳ねる。二人の光忠にクスクスと笑われ小さく光忠の胸元を叩くが、逆にその手を取り口づけられる。こういったすきんしっぷ、というやつには未だに慣れずいつも光忠の方が一枚も二枚も上手だ。悔しさと恥ずかしさで下唇を噛みしめていると光忠に顎を捉えられて優しい口吸いをされた。舌先で唇をつつかれ無意識に隙間をつくるものの、すぐに口を離され。疑問に思い癖で閉じてしまっていた目を開けると、整った笑顔で「折角の可愛い唇に傷つけちゃダメだよ?」などと抜かすから仕返しに俺から口づけをする。驚いたように目を見開いたかと思えば直ぐにすぅっと細くなり満足げな表情をする光忠が余りにも格好良くて、羞恥に耐え切れず目を逸らす頃には隣に俺の戦闘服が置かれていた。

 先程まで側にいた筈の光忠は別の部屋に隔離されている俺の本体を取りに行っていたらしい。戻ってきてもなんら変わっていない状況にため息をつきながらも光忠の横にそれを置くと遅れないようにね、とだけ告げて出て行ってしまった。


 いつも通り手際よく服を着せられ、光忠が作ってくれた刀装を着けて小さな門へ向かう。今日も声ひとつ聞こえない静かな本丸だ。これだけ広いのだから他の刀もいるのか聞いてみたこともあるが「君は知らなくていい」の一点張りで未だに教えてもらってない。光忠さえいれば俺は別に構わないのだが。


 何戦か重ねるものの二対六ではやはり分が悪い。初めの頃は難なく撃退することができたものの合戦場が変わる度に敵も力をつけ、最近では途中での帰城を余儀なくされる。隣の男が相手だけ六振りなんて狡いよね、だの抜かすがもし此方側も六振りで出陣できるとしたら見知らぬ刀達と出る事になるのだろうか。そんな気の置けない奴らが加勢するくらいなら二人で十分だ、と小さくつぶやく。

「なら、仮にあと四振りと共に戦えるとしたら全部燭台切光忠の方がいいってことかい?」

「それ以外は認めない。」

 そう答えつつ横目で光忠を見ると、すっと細くなる瞳に薄く弧を描く唇。四六時中側にいるこの男の一等好みの表情に思わず吐息を零すと、蜂蜜を溶かし込んだような甘い黄金色が近づく。反射的に目を閉じると触れるだけの口付け。まだ戦場だ、と零すが気づけば腰を引き寄せられたまま本丸へ帰る。いつも通りの光景だった。


 「ねぇ、もしも僕以外の刀に会わせてあげるって言ったらどうする?」

月が昇り始めた頃、薄く明かりを灯した部屋の中一組だけ敷いた布団の上でくつろいでいる時に俺を抱き枕代わりにしている光忠からの突拍子も無い質問。

「断る。今更他の奴らと慣れ合う気はない。」

「だよね……じゃあ僕がいなくなるとしたら?」

「もうその質問も聞き飽きた。……あんたのいない世界に生きるつもりはない。そんな事を言う暇があるならさっさと寝ろ。」

「そうだよ、君は僕のいない世界では生きていけないんだ。僕だけが、君の世界を彩ることができるんだよ。」

細められた瞳に見入る暇も無く口付けが降ってくる。幾度も角度を変え心地良さに浸っていると体勢も相まって徐々に睡魔が訪れる。

俺の意識が混濁し始めると必ず紡がれる言葉。甘く骨まで響くような声で囁かれるそれを少しずつ染み込ませるように、半ば夢の世界に片足を踏み入れた頭で一つひとつ反芻する。光忠がいなければ俺は俺でいられなくなる、光忠以外の存在に興味を持つことがあってはならない、光忠が俺の全て、みつただ、が……。


 おやすみなさい、倶利伽羅。ふわふわとした癖っ毛を愛おしそうに撫でながらそう告げる光忠が恍惚とした表情を浮かべている事を、彼はまだ知らない。

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