淫吟舞霊

冠梨惟人

慇懃無礼な男

 小説を書くのは初めてだ、だからどうやって書けばいいのかわからない。本は読んだ、小説の書き方が書いてあると題名に書かれた本は何冊か。それで書けたら苦労は無い。


 なんか朝は気持ちがいいな、昨日の夜の雨が穢れを洗い流し、朝の冷たい大気、昇る太陽が浄化して穢れた街が蘇る。


 俺の穢れた心も浄化されていくようだ。


 眠りを知らないこの街の朝は早い、俺は何時からか、朝の街に立つようになった。それは一人の少女との出会いから、彼女は俯いて上目遣いに通り過ぎる電車を見ていた。


 俺には見えていた、踏み切りに立つもう一人の女が少女の後ろに動くのが、姿が消え、少女が顔を上げた。


 彼女は出会ってしまった、因果の縁に。

 そして俺もまた、出会ってしまった、目覚めの業に。


 俺は携帯電話のメモ機能を使って文章を綴る。

 何時もの時間、彼女は駆けて来た。

 どうやらまだ無事のようだ。


 「おはよう」


 奈菜は飛びつくように抱きついて言った。


 「おはようは良いが、毎度大通りで制服のまま抱きつくな、警察に捕まる」


 「だって、いつまでも押し倒してくれないからだよ、はじめては惟人に捧げるって決めてるのに」


 「俺みたいな生業の男は、中学生女子の手を握ってる所を見られただけで警察署に連行されて事情聴取される。せめて学生服を卒業する歳まではお預けだと言ってるだろう、酒が飲める歳になったら成人の祝いにお前の初めてを貰ってやる。それまで清い身体でいろ」


 「ほんとに、ほんとだよ」


 「俺は仕事以外で嘘はつかない。それより早く出しな」


 俺は渡していた名刺を出すように指示した。


 「はい」


 奈菜は制服の胸ポケットから金色に輝く名刺入れを出し、開いた。


 「ね、なんで毎日名刺を交換してるの」


 俺は名刺を抜き取ると新しい名刺に変え、開かれた奈菜の掌に名刺入れを乗せた。


 「俺の名刺には魔除けの力がある。だが力は永久ではない。だから力が切れる前に名刺を交換してるんだ」


 美人として生まれた為に妬まれ、疎まれ、一時は死を望んだゆえに鬼に憑かれ、走る電車に踏み切りから飛び込もうとした少女は、命の力に満ちた眼差しで、俺の醒めた瞳を見つめ返す。


 「お前が思っているよりずっとこの世は危険で溢れてる。お前は危険を魅きつける縁と業を身に宿し生まれた、だから俺と出会ったんだ、わかったなら名刺を肌身から離すな」


 「ね、いつものやって」


 子供がおもちゃをねだるように甘えた声で右手を差し出した。


 「仕方ないな、俺は今仕事してるんだぞ、これでも営業中なのに」


 俺は愚痴りながら奈菜の手を軽く握り、手の甲に口づけた。


 「ありがとう。これで成人するまで我慢する」


 手の甲を自分の唇に押し付け、奈菜は笑顔を見せた。


 「あぁ、楽しみは後に取っておかないとスカスカの気持ちでこの世からおさらばすることになる」


 背伸びするように爪先立ちで微笑む奈菜にいつものように言った。


 「学生の本分は勉学だ、俺みたいな危ない男に転ばないようにしっかり勉強してこい」


 弾かれたように駆け出す奈菜の後ろ姿を見送っていると背後から声がした。


 「あの子、あなたしか見えてないみたいだけど、可哀想にまさか自分の好きな男が無類の女嫌いだと知ったら」


 声で美香だとわかった。


 美香は俺が所属する瑠璃宮の常連客で、美香とはこの女が所属する店での源氏名。


 俺はこの女の源氏名以外の名を知らない。

 奈菜を憐れむ、落ち着いた美香の科白を聞いていると、音がした、心を押し潰すような、重く低い音。


 落ちた、いつかはわからないが、再び女は繰り返した。飛び降りを再現し。


 「どうしたの、気に障った」


 「いや、違う。考え事をしていたのさ、どうやって、天国に逝かせるかってさ」


 「泥々に酔って乱れ、誘っても抱こうとしなかった男が何を語ってるんだか」


 「触れずに逝かせる位は出来るようにならないと、この街で生きる、したたかな女相手に自分を売ってはいけないさ」


 美香と話しながら、落ちた女が蠢いているのを見つめた。


 普通の人には音も聞こえないし、姿も見えない。だから誰も苦しそうに地面を這いずる女に気づかない。


 だが、死を認められない女の意思はあの世とこの世を繋いでいる。未だ鬼にならないこの世に魅かれた魂は鬼として云える相手を、相手との縁を、因果を求めている。


 目の前にこの世とあの世を繋ぐ扉が開いているのに、異変に気づかずあの世の扉に向かって歩いていく女が、気づかずにこの世から立ち去ろうとするかのように、地面を這う女の背を踏みつけた。


 踏みつけられた女が、歩き去ろうとした女の足を掴んで這い上がるように立ち上がる。


 足を掴まれた女は身体を震わせ倒れ込んだ。

 近くにいた初老の男が、何事かと声をかける。

 女は微笑を浮かべ、愛想を振りまいた。

 俺には二つの重なる女の身体が見えている。

 憑かれた女の顔に重なるように別の顔が見えたが、立ち上がり歩きだした頃には憑いた女の姿は見えなくなった。


 足を掴まれ憑かれた女は意識を乗っ取られ、自分の意思とは異なる言動、行動を起こし出す。


 死人の魂である鬼に憑かれ、恨みを、怨みを云われた女は、死の間際を再び現そうとして、落ちる場所を求めて彷徨う。


 俺は傍若無人な鬼に魅かれた、名も知らぬ女の後を追う。


 ここからが、瑠璃宮で唯一俺だけが可能な、特殊な営業の始まりだ。



 女は文字通り憑かれたように歩いた。予想した通り地下鉄の入り口に向かって行く。


 この時間は通勤する者共で地下鉄は身動きも出来ない有様になる。地下に降りられたら飛び込みを阻止する事は出来ない。この女が落ちたら困る者共が五万と出る。仕事をしくじると俺も瑠璃に折檻されるし、明日の寝覚めも悪い。


 俺は掌に念を込めると刀印に結び、女の首に呪を叩き込んだ。


 「お姉さん、天気も良いし会社を休んで、俺と逢引しなよ」


 叩き込んだ呪により、鬼の死を魅く力が切れ、女が自我を取り戻し振り返る。


 事態が飲み込めない女は俺の顔を見つめた。

 俺は目に、念を集め魅了を放つ。

 女の自我と、鬼の意識の重なる境目に、儚く薄い膜を貼り、鬼の力を確かに切り離す。女の無意識と俺の認識を繋ぎ、女の意識を俺の管理下においた。


 「あなたはどなたですか」


 俺は問いかけに答えることもなく、自分の要件を伝えた。


 「名前を教えてくれるかい」


 女は、静かに従って答えた。


 「早絵です」


 「さえ。か、漢字で書くのそれとも平仮名かな」


 「漢字で書きます」


 「教えてくれるかい、どんな漢字」


 「遅い、早いの早いに、絵と書いて早絵」


 「教えてくれてありがとう」


 俺は意識に早絵と刻んで、女の無意識を開く鍵に変えた。問に応えることは意識の扉を開けることになる。


 相手に名前を答えさせる行為は相手の意識を開く扉の位置を教えさせる行為となる。簡単に言えば、早絵は俺に心の在り処を教えてしまったということ。


 「早絵さん、あなたは死ぬにはまだ、早すぎる。何が起こったか、何が起こっているのか、何を起こそうとしたのか、わかるかい」


 訊ねながら早絵の無意識の扉を少しだけ開け、情報が意識に集まるように仕組んだ。


 「何となくは、微かに覚えているような」


 「あなたがする事は、先ずは病気で休むと電話すること。それから少し俺に付き合って、笑顔を取り戻すこと」


 魅了を使って俺は微笑む。


 女嫌いの俺の顔や姿は、女から好かれるように出来ていて、意識しなくても女から寄って来る。冷たくあしらうと余計に寄って来るから、表情だけは優しそうに微笑む癖をつけた。


 早絵は言われた通りに連絡を済ませると次の命令を待っていた。


 魅了を使って無意識を操られると、自分の意思で決断したとしか感じることは出来ないから、早絵は自分で俺に関心以上の感情を起こしたと感じている。


 「自己紹介してなかったね、俺はこんな者だから」


 コートのポケットから名刺を出し、早絵に名刺を握らせる。名刺を手にした時点で早絵の身体には俺の念を込めた呪の結界が張られた。


 「瑠璃宮に所属する、惟人さんと言われるのですか」


 早絵は白い名刺を見つめ、印字された文字を小さく声にした。


 「はい。惟人は源氏名です。瑠璃宮とは社交場です。早絵さんのように、恋に疲れた女性の為の特別な社交場」


 営業用の柔らかな印象を与える声が出ていた。


 「少し歩こうか、歩きながら君に起きていること、これから君に起こすことを話す」


 早絵の手を掴むと、俺は人混みと反対に歩きだした。


 ゆるやかに手を引くと、早絵はついて来た。

 少し肌寒かった温度が上がっている。

 日光がかなり上に昇っている。


 「早絵さん、少し傍に近づいて貰えるかな、部外者には聞かしたくない話だから」


 俺はそう言って早絵に腕組みを示唆した。


 早絵は足を速めて腕を絡め、顔を肩に乗せた。


 「早絵さんがしようとしていたのは飛び込みだよ、プラットホームから走る電車の前に飛び込んでいたら、こうやって会話することも出来なかった」


 早絵の顔が青ざめていく。


 「大丈夫。俺がついてる限り、守れるから」


 俺は不安げに俯いた頬を手のひらで撫ぜ上げる。

 肌に触れた瞬間、魅了の力を閉じた。魅了は迷子の為の道標みたいなもので自発的に心が動かなければ束の間、内側からしか開かない心の中心の扉は引けない。


 「早絵、わかるかい」


 早絵は何を、という顔で俺の顔を見つめる。


 「なぜ、早絵は憑かれた」


 「それは、わからない」


 「疲れたからさ」


 「憑かれたから」


 「生きることに、疲れている」


 早絵の瞳が動きを止めた。


 「早絵に憑いた女性は生きることに疲れ、疲れ果て、生きることを止めた」


 早絵は俺の言葉を聞きながら、考えていた。


 「早絵はあの時、疲れて生きることを止めようと何処かで思った、ほんの僅かな束の間だとしても、それは本心からの叫びとして放たれた。時が場を重ね、思いが重なった」


 早絵は何かを掴むように握り締めた手で口元を隠した。


 「早絵に憑いている女性は終りに辿り着けず何度も同じことを繰り返し、再び、生の間際の思いを放つ。二人の思いは重なった時間と空間の真ん中で水面に出来る波紋のように円を重ね描き、縁は歪に結ばれた。早絵の身体を使い何度でも、歪に生の終わりを再現しようとする」


 早絵は声を殺して泣いた。


 「今憑いている女性を早絵の縁から離したとしても、離れた女性はまた誰かに憑く。早絵の思いが生を拒絶する限り、また生きることを止めた誰かに憑かれる」


 俺は泣き揺れる肩をそっと抱いて、言った。


 「どうして生きるという務めを放棄したいなんて、本気で考えたんだい、話してごらん」


 「わたし、客を取らされてるの。夜になると知らない男に抱かれ、毎日が辛くて」


 「なぜ、そんなことになった」


 「女友達に誘われて、バーで酒を飲んで、それから面白い所があるとホストクラブに連れて行かれて、沢山飲まされ、前後不覚にされて、気がついたらたくさんの男の人から犯されていて、正気に戻るとその時の様子をビデオで撮られていて、脅されて、それから呼び出されるようになって、数日前から客を取らされて」


 「友達はどうした」


 「彼女は仕事を辞め何処かに行きました。お酒強くないのに誘われて飲みに行ったのも送別会のつもりだった」


 「その女に嵌められたんだな、おそらくその女も誰かに嵌められ、同じことを強要されていたんだろう」


 俺は早絵の顔を見つめて強い口調で言った。


 「その女を恨んではいけない。恨めば早絵も底に落ちる。縁と業は自身の結果でしかない。悪縁に果てを結んだのは自分がした決断、意思でしかない」


 早絵の表情は、掴め切れない理解の輪郭を必死で掴もうとしているように見えた。


 「わかりました」


 早絵は呟くように、言葉にした。


 「良し。これで儀式の準備は出来た。今晩に、早絵の悪縁を断ち切る儀式を執り行う」


 俺は携帯を手にすると、瑠璃に儀式の要請を入れた。


 早絵の気脈は過度の快感を受けた影響でおかしくなっていた。


 媚薬などの強い薬物を投与され、過度の快楽に溺れさせられているのだろう。


 仕組んだ男達に依存し、快楽を与える者へ服従する気持ちも癖にさせられているだろう。


 それは愛でも恋でもない、情念に過ぎないものでしかないが、快楽と恋愛感情を結んで、自我の崩壊を食い止めている。


 それが壊れ、崩れたら、第二の犠牲を食い止める手段はなくなる。


 俺は自我に異なる選択をさせる手段に出る、早絵が本気で俺に惚れれば、鬼と化した女性との立場も変わり心の座標も変わる。

 俺は本心から、早絵を誘った。


 「夜までには、まだ時間がある。早絵、デートしよう。行きたい所はないか」


 年相応の笑みを浮かべ、早絵は嬉しそうに考えを巡らせた。



 俺が普段行く所に行きたいと早絵は言った。だから俺はいつも入り浸っているインターネットカフェに連れて行くことにした。


 魅了の力は閉じたのに、早絵は俺に興味を持っているらしく、腕組みをしたままで、偶に熱い眼差しを向けて来る。


 「惟人さんはどんな女性が好みなんですか」


 「早絵だよ」


 そう、耳元で甘く囁けば、俺への好奇心は、好きな思いに変わり、きつく抱きしめて、唇に口づければ好きな思いは恋として、落ちる。


 でもそれは、営業用で仕事としてしていること。だから本心を答えた。


 「正直で素直な女性であれば、あとは問わない」


 「惟人さんに、訊きたいことがありすぎて、ありすぎるのに、また溢れてくる」


 「何でも訊いて良いよ。答えられることには答えるし、答えられないことには答えないから」


 俺がそう言うと、早絵は質問することを頭で考えながら取捨選択しているようだった。


 いつもは一人で来るネカフェに女を連れて入って来たので、バイトの青年が驚いた顔をした。個人的な空間に俺は仕事の客を寄せ付けない。


 「カップルシート、用意してくれ」


 顔をまじまじと見つめてバイトは言った。


 「カップルシートですね」


 早絵は顔を赤くして俯いている。



 壁で仕切られ個室になっている暗闇に俺たちは二人で並んで座っている。


 何度も来ているのにカップルシートに座ったのは初めてだ。カップルがこのシートに座ったら何かが起きてもおかしくない。何かは間違いかもしれないし、正解かもしれない。そんなことを思っていると声がした。


 「惟人さんは普段どんなことをしているんですか」


 「それは仕事のこと、それともそれ以外のことかな」


 「仕事以外のことが知りたいかな」


 早絵はおそらく俺より歳が上だろうが、歳下と会話していると錯覚するくらいに可愛い声を出そうとしている。


 「仕事以外だとネカフェで本を読んだり、ネットで調べ物したり、美術館に行ったり、図書館に行ったりフィットネスクラブに行ったりかな」


 「そうなんですか。惟人さんはホストクラブに所属するホストなんですよね」


 訊かれて瞬間に、心に思った。決して瑠璃宮はただのホストクラブではないし、俺もただのホストではない。続く思いが声として出ていた。


 「俺はホストという名称は嫌いなの。俺がしていることは接客だよ、俺というモノに価値を付ける女性に自分の存在を売っている」


 早絵は暗闇で俺の目を見つめている。


 「瑠璃宮は箱に過ぎない。けど俺は瑠璃宮以外では接客の仕事をしない。俺にはアフターはない。俺の価値に金を払う客を瑠璃宮の外で接客することはない。だから、これはデート。俺が早絵と一緒に居たいと思ったからデートを申し込んだ。こんなことは滅多に起きることではない」


 闇に目が慣れると、情景が輪郭を得て描かれる。

 早絵の瞳に欲情が濡れているのが見える。

 快楽に溺れてきた身体が緩み、簡単に男を受け入れさせようと行動を歪ませていく。


 「惟人さん、好きです」


 「俺も好きだよ、だから劣情も欲情も早絵に向けたくない」


 悲しみを含ませた声色に、重ねようとした唇の動きが止まった。


 「早絵は誤解している。好きなのと、抱かれたいのは違う。抱かれたいのは快感を欲するからで、快感は心ではなく、快感を覚えた肉体が欲するもの」


 俺は顔の前で動きを止めた早絵の唇に、指先を軽く押し当てシートから浮き上がった身体を元の位置に戻した。


 「俺は女の肉体を、快楽を欲する時に、愛しているとか、好きだとか、囁かない。抱きたいと囁く。早絵は好きだよ、だから俺は肉体ではなく、早絵の心を抱きしめたい」


 自分のした、欲情から起こした行動に恥ずかしくなったのか、早絵は顔を手で覆い隠すようにして泣き出した。


 「大丈夫だよ、早絵は素敵な女性だ、無理やり歪ませられた縁を必ず元の縁に戻す。儀式にはとても体力がいるから少し眠ると良いよ。鬼に憑かれると異常に体力を消耗し、疲れる。疲れさせ、考えることを出来なくさせ、心を病ませて、過ちを再び現し、何度も繰り返し、鬼は魔に変わる。人の魂ではなくなり、霊ではなくなった輩は浄霊ではなく退魔するしかない。まだ早絵に憑いている女性は死人として逝かせることが出来る」


 号泣する早絵の意識を、無意識に沈ませ、自然に眠らせた。


 早絵は怖い夢でも見ている少女のように、涙を零しながら寝息を立てる。


 悪夢を今夜で終わらせる。

 らしくもなく、熱い気持ちが込み上げていた。



 俺たちは瑠璃宮の最も奥にある扉の前まで来た。


 不安を隠しきれず、微かに震える早絵を抱きしめて言った。


 「早絵、この扉の向こうは束の間と呼ばれる浄霊をする為の部屋だ、束の間に入る前に、約束すべきことがある」


 早絵は真剣な眼差しで俺の醒めた目を見つめ返した。


 「一つは束の間で起こったことは決して口にしないこと。もう一つは部屋に入ったら声を出さないこと。この二つは何があっても守って欲しい。約束出来るかい」


 早絵は意思を固くして、頷いた。

 俺は早絵の頬に口づけた。


 扉を開け、中に入る。

 瑠璃は椅子に座っている。

 椅子に座った少女を見て早絵は驚いていた。

 瑠璃が座っている椅子の横にベッドがある。

 部屋の中は白しかない。

 一面が白い、瑠璃の服も白いワンピースで、瑠璃は人形のように椅子に座ったまま動かない。


 俺は浄霊の儀式を始める為に、早絵の唇に唇を軽く重ねる。


 早絵は微かに震えていた。


 「出ておいで」


 言葉をかけ、早絵の身体に張った結界を解く。

 早絵の口から早絵と異なる、甘く喘ぐ声がした、俺は喘ぐ声を塞ぐように唇を強く吸う。

 早絵の肉体は唇を開き、濡れる舌を絡ませてくる。俺は絡ませる舌に応えるように甘く舌を噛んだ。

 肉体は完全に憑いた女に操られ、早絵はなされるままに、肉体が起こす反応の感覚を感じている。


「君の名は」


 女は戸惑い、口を閉ざそうとした。

 俺はシャツの釦を外して胸を握った。


 「名前を教えてくれないとこれ以上は出来ないよ」


 ブラのホックを外し、直に肌に触れる。

 導引術で陽気を起こし、指先から放って微かな振動を与える。


 女は耐えられなくなり、喘ぎながら言った。


 「さな」


 「さなとは、どんな字を書く。早絵の中で会話を聞いただろう、俺が知りたいことはわかってるはずだ」


 「いや、いやだ、操られたくない。教えたくない」


 「そうか、さな。わかったよ。強要はしない」


 俺は早絵の肉体を離し、瑠璃に近づいた。


 人形のように座っている瑠璃の手を持ち上げ手の甲に唇をつける。


 噛むように唇を這わせ、腕を舐め上げながら唇をずらし、肩から鎖骨、顎と優しい接吻を繰り返す。

 瑠璃は快感を押し殺し、唇を噛んでいる。

 瑠璃は導引術を使い自身の感度を極限まで高めている。その快感は押し殺しても水が漏れるように、肉体に現れていた。


 早絵に憑いていた、さなが、肉欲に耐えられなくなり早絵の肉体から這い出し、瑠璃に近づいていく、早絵の肉体から出ても、さなと早絵の感覚は繋がっている。さな、が瑠璃の肉体に取り憑くと瑠璃の肉体が感じる感覚を早絵も感じることになる、導引術で極限まで高められた感度の肉体に陽気を放ち細かく振動を与えることの出来る俺の手が愛撫する。注がれる快感は快楽を振り切り、苦痛を超え白く、ただ白く、何も考えることは出来ず本能のまま、動き、情念を起こし、肉欲を求め、落ちる。


 瑠璃の足を掴み、さなが這い上がる。

 さなの霊が瑠璃の肉体に重なり、完全に取り憑いた。

 これで、さなは瑠璃の肉体から出られない。


 「さな、どうしたい」


 「抱いて、何もかも忘れるくらい、壊れるくらいに抱いて欲しい」


 「わかった、逝かせてやる、さなが魂に刻んだ恨みも、怨みも、憾みも心が感じなくなるまで、心が真っ白い珠に戻るまで、逝かせてやる」


 俺は房中術を駆使して自分の心を冷たい霊に象り、湧き立つ熱い想いを陽気に変え、丹田に滾らせた。


 早絵は身体に流れる、感じたことのない衝撃に立っていることが出来なくなり座り込んだ。


 小刻みに身体を震わせながら、湧き上がりそうになる喘ぎを堪えて両手で口を押さえている。


 見開いた瞳からは筋のように涙が流れ、座り込んだ床は身体から流れたあらゆる液体が混ざって水溜りを作った。


 俺が瑠璃の肉体に突き入れる度に、早絵は身体を跳ね上げ続け、崩れるように跪き、口を押さえていた手で倒れこんだ身体を支え、微睡んでいるかのような顔を、水溜りのように溜まった液体につけないように手の上にのせて、呼吸する度に微かな喘ぎを漏らした。


 俺は冷たく醒めた眼差しで早絵を見つめながら瑠璃の肉体を抱き寄せ、首筋を舐めながら、さなに言葉をかけた。


 さなは、早絵と同じ快感に意識が朦朧としていた、何かを呟きながら涙を流す目は、遠い記憶を見ていた。


 微かに呟いているのが男の名前だとわかった時、さなは快楽中枢を白く焼かれながらその名前に謝り始めた。


 瑠璃の唇を甘く噛んで、さなに舌を出させた時には早絵は失神して動かなくなっていた。


 瑠璃は導引を駆使して感度を極限まで高めた性交を俺と何度となく繰り返している。

 これくらいで意識を途切らすことはない。


 陽気を満たしていた瑠璃が、気を反転させ陰の気に変えた。

 高ぶっていた神経が鎮静化して瑠璃の身体が冷たくなっていく。


 俺は陽気を閉じて陰の気に変え、動きを止める。


 「真っ暗だよ、寒い、寒いよ、熱が欲しい」


 さながつぶやいた。


 「さな、真上を見てごらん、白い光が見える」

 「あ、ぁ、見える」

 「光に手を伸ばすんだ。暖かくなるから」

 「手を伸ばしたよ、光に身体が、身体が浮く、

 身体が軽い、浮いてます」


 「さな、さあ、御帰り」


 声がした。


 「霊でしかない鬼でこれでは、退魔はおぼつかないな。いずれ成人すればあの子は、魔を齎す鬼門を開くのだぞ」


 瑠璃の叱責に一言もない気持ちだった。


 過去を思い出してまだ数ヶ月、瑠璃に修行をつけられているといってもこの肉体では過去のようには自在に真陽の気を操るというわけにはいかない。いまだ陽気を発生させることでも、瑠璃の力を借りないといけない。


 しかし、今は陽気を使い果たし、ただ眠かった。


 俺は瑠璃に抱かれたまま、切れるように意識を失った。




 目を覚ますと、真っ白いベッドに横たわっていた。

 隣には寄り添うように寝息を立てる早絵が。瑠璃が着替えさせたのか、早絵は白い衣装を着て寝ている。


 どれ程の時間が過ぎたのか、この部屋には時がわかるものが何もない。窓さえない束の間には日の光も月の明かりも射し込まない。


 ベッドから起き上がり、壁に埋め込まれた照明のスイッチを押す。

 強い白光に目が眩む。

 早絵が寝返りを打ち、服が乱れて白い肌が、胸が露わになった。


 不意に、鼓動が跳ね上がった。

 気持ちを沈める為に、心に氷の塊を象り、冷たいと音のない念を響かせる。思念に引き吊られるように感情が冷えていった。


 浄霊や退魔の技術は心を用いることで起こる。心で繋がる鬼や魔には嘘は通じない。いつ如何なる時、如何なる事、如何なる者であろうと特別に扱うことは技術の失敗を意味する。あらゆる技術の根本原理に均等がある。人格や容姿などで対応を異ならせるなら、終には誤ることになり、破滅する。

 俺達が相手にするのは死の向こうから訪れる、化した者達。圧倒的に不利な戦いの中で命を賭して編み出した技術。それを伝承された俺は、本気で誰かを好きになることは出来ない。もしも心が好きだと認めてしまったら均衡は永遠に失われる。

 それでも、俺は早絵の寝顔を見つめてしまった。


 早絵が目を覚ました。

 微睡んだ顔で、俺を見て微笑む。

 彼女の微笑む顔を見て、終わったと感じた。

 俺は早絵に対して、最後の仕事をする。


 「早絵さん、もし仕事に疲れるようなことがあれば、瑠璃宮においで。果汁百パーセントのソフトドリンクで酔わせてあげるから」


 彼女は、俺を見つめた。

 少しだけ悲しそうに頷いて、微笑んだ。

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