第2話 繊月(2)

連絡先を交換して以来、買い物ついでの会話やたまに送られてくるメッセージを通じて私と彼女は少しずつ友人として関係を進めていった。次第に私は年下の友人ができたことを、嬉しく思うようになっていた。



風が少しずつ冷たく、秋の終わりを迎える頃、漸く溜まった仕事が片付き、久しぶりにいつもの時間に買い出しに向かった。

レジに立つ彼女を見つけて挨拶しようとすると、香田さんの雰囲気が何となく暗くなっている。接客中は普段通りなのに、元気がない。仕事に追われて気にならなかったが、彼女からの連絡もこのところなかった気がする。買い出しを済ませて、彼女と話をする為レジに近づく。


「お疲れ様」


いつも通りに声を掛けると、彼女も微笑んだ。


「お疲れ様です」


近くで見ると、やつれた様子に気付く。化粧で隠れているものの、目の下にうっすら隈が見えるのに気付き、お釣を受け取りながら小声でつい尋ねてしまった。


「香田さん大丈夫?あまり眠れていないんじゃない?」


さりげなく自分の目元を指しながら伝えると、彼女はぎこちない表情で私を見た。何か悩み事があるのだろうか、口に出すのを躊躇う彼女にお節介かなと思いつつ、思い切って話しかけた。


「何か悩み事?」

「あっ…えっと」

「私で良かったらいつでも聞くよ。困ったら連絡してね」


戸惑う彼女に、なるべく明るい調子で声を掛けると、香田さんは少し笑った。その顔にほっとすると、手を振ってレジを抜ける。


「あの」


振り向くと、香田さんはレジカウンターから身を乗り出して呼び掛けた。


「…本当に聞いてもらって良いですか?」


切羽詰まったような香田さんの顔が助けを求めているようで心配になるが、感情を顔に出さないように微笑んで返事をする。


「ええ。待ってるわ」


大した事は出来ないけど、と言いかけるのをぐっと飲み込む。私がしてあげたい事は少しでも不安を取り除く事だ。香田さんを安心させるように再び手を振ると、彼女は安心したように仕事に戻った。


家に帰り、家事を済ませてから、テレビをつける。特に観たい番組もなかったが音量を下げてそのままにしておいた。思い出すのは先程のやり取りだ。

(らしくないな…)


自分から他人と関わろうとする事なんて、今まで殆どなかった。しかも年下で学生の女の子の悩み事なんて、私の過去の学生時代を参考にしてもアドバイスすらならないだろう。咄嗟の事とは言えどうしてあんな行動をとったのか自分でも分からない。ただ、あの時の香田さんの雰囲気が、私の心を不安にさせたのだ。


不意にスマホが震え、メッセージ画面を見ると香田さんから"今大丈夫ですか?"と表示された。私は"大丈夫。どこかで会って話す?"と返信してから、一つ深呼吸をした。

悩みを聞く私が考えてもも仕方がない。せめて話を聞くことで、少しでも彼女が安心してくれるなら喜んで聞いてあげよう。

香田さんの返事を確認してから、予め準備してあったバックを片手にテレビの電源を消した。


にぎわう表通りの中の、スーパー近くの公園は夜でも明るく、公園の中に入るとすぐに香田さんの姿が確認できた。

空気はひんやりとして冷たく、すぐ側の道路を時々走る車のライトが、光線を描く様に消えていく。少しだけ都会の賑わいから離れた場所の、街灯側のベンチに座っている彼女は、私の姿を見つけると立ち上がった。こちらから街灯を背に立つ彼女の表情は見えないが、おそらく申し訳なさそうな表情を浮かべているのだろう。


「わざわざ来てもらってすいません」


謝罪を口にする彼女の隣に座り、安心させるように話しかける。


「気にしないで。電話するよりも話が聞きやすいし、私が久しぶりに会いたかっただけだから。それより、ご飯食べた?」

「いえ、まだです」

「私もまだなの。軽くお弁当を作ってきたのだけど、良かったら一緒に食べない?」

「わあ、ありがとうございます。実はお腹も空いていたので嬉しいです」


彼女は漸く肩の力が抜けた様子になった。傍に置いたバックからまだ温かい炊き込みご飯のおにぎりを二つ取り出し、卵焼きと唐揚げ、きんぴらごぼうが入った小さめのタッパーと箸も渡すと「遠足みたいですね」と喜んだ。


「本当に簡単な物だけど…良かったら食べてね」

「私手作りのご飯って久しぶりです。立木さんは料理上手なんですね」

「独り暮らしが長いからね。香田さんはいつもご飯どうしているの?」


会話の流れで、何となく聞いた事は香田さんには地雷だったらしく、恥ずかしそうに俯いた。


「…私料理苦手なんです。友達に作ってもらったり、適当に食べたりしてます。立木さんのお弁当見てると、作れる人が羨ましいです」

「だ、大丈夫だよ。そんなに落ち込まないで」


しょんぼりした様子に慌ててフォローして曖昧に笑い、食べるように勧めた。途中の自販機で買ったお茶も渡し、二人で「いただきます」と食べ始めた。


「美味しい」


思わず呟いた彼女の一言に安心した。私が視線を向けると照れたように笑ってくれる。無心で食べる仕草が小動物の様で微笑ましかった。


「ご馳走さまでした。美味しかったです」

「いえいえ、大したものじゃなかったけど」


タッパーをしまい、二人でお茶を飲む。公園の周りには建物や街灯があるものの、空には幾つか星が見えた。夜空に浮かぶ月は木の頂上に隠れるように見えている。

(彼女といるときはいつも綺麗に月が見える)


何となくこの間の事を思い出して、月を眺めていると不意に彼女が口を開いた。


「私付き合っている人がいるんです。最近なかなか会えなくて連絡しても忙しいって断られてばかりだったんです。だけど…」


香田さんは震える声を押さえるように息を吸った。相づちをうつよりも彼女の心に溜まっている感情を吐き出させた方が良いような気がして、並んで座るベンチにもたれて、顔だけ彼女に向ける。香田さんは悲しげに前を見ていた。


「この間私の友達と一緒にいる姿を見かけたんです。二人が手を繋いでいて、凄く楽しそうだった。

私、信じられなくて咄嗟にその場から逃げてしまいました」


呟くようにして話をする彼女の顔はひどく寂しそうで、話の内容よりも彼女の表情が私の心をざわつかせた。


「そうだったの」

「…」


彼女にとっては、初めて自分から告白した彼氏で、友人は付き合うまで何かと彼女を支えてくれた存在だったらしい。

重い空気が辺りを包む。

言葉に詰まった様な彼女は、目を潤ませているのを隠すように、うつむいた。顔にかかる髪の間から雫がぽたぽた落ちるのを自分の視界に捉えると、そっとハンカチを差し出した。


「…ごめんなさい」


涙声の香田さんにかける言葉が見つからず、そっと背中を擦ってあげると、静かに彼女は泣き出した。



「立木さん、色々すいません。聞いて貰ってすっきりしました」


暫く泣いてから、落ち着きを取り戻した彼女は、立ち上がると赤い目のまま笑いかけた。


「ごめん、こういう時何て言ったら良いか分からなくて…」

「ううん、私誰にも相談できなくてずっと苦しかったんです。立木さんに聞いて貰って少し落ち着きました。

…一度彼と話してみます」


香田さんの痛々しい笑みを無駄にしたくなくて、私も笑いかける。きっと彼女はこれから色々傷つくのだろう。それでもけじめをつけようとするその気持ちが清々しかった。


「うん」


それだけしか言えなかったが、香田さんは笑ってくれた。

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