季節

韮崎旭

季節

 春は仏事が趣が深い。年度末、年度初めのストレスから自殺者数が増えることが知られており、多くの死者が街にあふれるのは何ともしみじみとした感じがして、心を動かされることだ。夕方のぼんやりとした街が、病んだ肺のように濁った空気を蓄えているのも、自殺者数の増加に拍車をかけている。列車の警笛が、弔歌のように聞こえてならない。誰だって、春のだんだん暖かくなってゆくうららかな日には我知らず気が緩んでいるから、注意していないと自身の欲望に忠実に自殺してしまっても、何の不思議もないのだなあ。道端の芽吹きなども、嫉妬と怨嗟を賦活して、非常に自殺可能性が高まる。特にフキノトウなどがおいしそうに加工されて店先で売られているのを都市部で見ると、どうせこれを買うような客は、山奥の、フキノトウの生産しかすることがないが今はフキノトウも売れなくなってきたうえに、教員になる者もおらず、学校は閉校し(よりにもよって、教員不足で!)最寄りの産科まで自動車で5時間もかかるような生活の実態など、ロマンチックな物語の中で知っていればまだいいほうで、ダムサイト観光に出かけたついでにフキノトウの実物を見てもそれと分からないものが大半なのだと思うと、この上なく腹が立つ。食中毒に、なるといい。でも最近では、そもそも寺との関係自体がうっとうしく、檀家をやめてしまったから、仏事との縁もない。信仰心がないのだ。それは、初めからだった。


 夏は夜(が、趣が深い)。それ以外は暑いし暑いし暑いので、趣が深いどころのはなしではない。夏の衣服を、山の斜面や、戸外で干しているのが、風になびくさまなども、近年の絶望的なフェーン現象やヒートアイランド現象などによる熱中症死の増加で、あまり見られなくなって久しいが、たまに避暑地などに行くと、気温の日隔差の激しさに、驚くことがある。昼日中でも木陰が、寒気がするほど涼しいので感動していると、夜間には、エアコンを28℃暖房で稼働させないとならない事態になっていて、「もう、夏なのに……」と非常に面食らうことのなんと、多いことか。日本海側の近畿では、特にそうである。海に行くと魚よりもごみが目に付く。近くでは、ビニール袋と間違えてクラゲを食べたウミガメの踊り食いが催されていて、にぎわっているが、夏の海にはまったく関心がないし、あのようなミーハーなものに安直に感動している人々は、感動を底値で買いたたいている感じがして、好きになれない。基本的には、気温の日隔差のとんでもない高地で、夜、毛布を抱えて震えているべきなのだ。夏は。


 秋は、夜が趣が深い。といいたいところだが、秋は何も趣が深くない。といいたいところだが、秋は精神科の待合室がまだすいているような気がしたから、予約をとるなら秋である。冬は、これでもかと混雑するので、精神科の待合室ではなく、早稲田大学文学部の入学試験第会場に向かう列車といった場所にきてしまったような気に、なる。実際、大学入学者における精神科疾患の有病率は、人口全体と比較して有意に高いことが知られており、そうであるのならば、大学入学者予備軍の巣窟であるところの入学試験会場が精神科の待合室と似ていても、何の不思議もない。とにかく、寒さと日照の少なさから心身を本格的に失調して、精神科の予約をとることもできなくなる前に、良さそうな精神科の目星を付けるためのリサーチを、怠らないべきだ。秋の夜は、鈴虫やマツムシ、コオロギなどの鳴き声が、いくら耳をふさいでいても、明かり障子や指の隙間から脳に入り込んできて、本当にうるさくて、気が滅入る。あれを、趣があるなどとはやし立てる向きがあることを私は知っているが、それはこのような腐った文章を真に受けるような頭の足りない連中のすることだし、頭が足りていたら、虫の音は生活上必要ではない。頭が足りないから、騒音で埋めようとするのだ。ああ、うるさい、気が滅入る。


 冬は、夜が趣が深い。長いし、虫があらかた死んでいるので、静かである。ただ、暖房の稼働音が、気に障る。あと比較的自殺する。なぜなら無力感にさいなまれるのだから、当然である。

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季節 韮崎旭 @nakaimaizumi

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