12−1 お葬式①
『本日は田島秋幸の葬儀ということで、この放送を聴いてらっしゃる村の方はいらっしゃらないでしょう。新時代の幕開けに、皆さん立ち会っていることと思います。DJ前田です。今日は個人的なお話でもしようかな、と思います』
誰にも届かない言葉を、前田は喋っていた。今日は村の連中のほとんどが、出払っているに違いない。だが、語らずにはいられなかった。自宅の部屋からミニFMを始めてから、どのくらいの時間が経ったろうか。誰にも聴かれなくったって構わなかった。大事なのは、きちんと、口にすること。言葉を生み出すこと。それだけだった。
田島の主人の葬儀は、田島の家の者たちが、棺桶を抱えて村中を練り歩くことから始まる。幸一郎はそんなこと、知らなかった。物心ついたときには、祖父母は亡くなっていたからだ。老人たちとババアが教えてくれた。ババアはてきぱきと準備を指示した。従いながら、幸一郎は改めて不思議に思った。ババアの風貌は、幼い頃から変わっちゃいない。ババア以外がどんどん年をとり、老いていく。祖父の葬儀に参列した? どういうことだ。問おうとすると、なぜか言葉が詰まる。そんな幸一郎をババアはにやりと笑うだけだ。まるで、ブロックされているみたいだ。何者かに。そして、その問いは、すぐに頭からこぼれ落ちていく……。
棺桶は、幸一郎と幸次、幸三が抱えた。夏秋は「肩がやられてるからいやだ」といい、偉そうな足取りでついてくるだけで、なんの手助けもしやしない。
幸一郎の妻、早紀は、饅頭の入った籠を抱えていた。子供たちがやってきたら、与えてやることになっているという。しかし残念なことに、この集落に児童はもういない。
「じゃあ、この辺でいいかねえ」
最後尾にいたババアがいった。
そこはなにもない草原の果て、だった。
「おい、ほんとうにこんなめんどくせえ行進をしてたのかよ」
夏秋はそういってからあくびをした。
「ああ、そうさ。田島の主人はね、神様の代わりなんだ。だから、死んでしまったら、きちんと知らしめなくてはならない。これはしきたりだ」
ババアはいった。
ほーかい、ほーかい、と夏秋は適当な返事をした。
幸一郎は無言だった。
「コウちゃん?」
そばにいた幸三が、声をかけた。
「なんか……あー」
父の肉体がこれから燃やされ、そして骨だけが残り、その骨も墓のなかにしまってしまう。幸一郎はもうどうしたらいいのかわからないくらいに、不安に襲われた。もう、彼は大人であり、この集落を取りまとめる主人とならなくてはならなかった。成人したときも、早紀と結婚したときも、そこには希望のかけらがあった。だが、いま父の死の先には、恐ろしさしか残されていない。父が寝たきりになったときだって、こんな気持ちにはならなかった。父が死んだときは、呆然としていたし、理解が追いつかなかった。
幸一郎は嗚咽した。
「コウちゃん、大丈夫?」
幸三の声が聞こえてくるが、なにも見えない。
「幸一郎」
早紀の声もした。
「ちょっと早くきすぎたねえ、火葬場いきの車がくるまで、もうしばらく辛抱しな」
ババアはいった。寒くもないのに、幸一郎は寒く思った。もうじき夏がくるっていうのに、どうしてこんなに寒いのか。
幸一郎の手がすべり、棺桶がぐらつく。
「なにやってんだお前」
「自分の父ちゃん落とすんじゃねえよ」
幸次と夏秋が同時にいった。
『この村を支配していた田島家の終焉。村の人間が一度は考えたことがある楽園。叶うことのない祈り。日常は永久にぼんやりした地獄のなかで営まれる、はずでした。しかし、あらゆる王国がそうであるように、永遠に続くことはありません。王国もまた、人間が作る物で、人間のつくるものに永遠なことなんてないのです。これからわたしたちは、永遠を長引かせる作業ではなく、永遠でないことを悟ることを学ばなくてはならない。算数が苦手でも、学ばなくてはならない。同じことです』
火葬され、でてきた骨を見て、幸次は不思議に思った。
「綺麗な色だな」
あの男の骨なのに、こんなにいい色をしている。
「どんな人でも、これを隠しているのね」
となりにいた早紀がつぶやく。
幸一郎はまだぐずぐずと泣いており、幸三が肩を抱いている。まるでこれじゃ……、思ったことを止めたくても、できない。まるでこれじゃ、幸三が幸一郎の嫁みたいじゃないか。
「いま、お義父さんが隠していたものが全部、ばれたのね」
本物の幸一郎の嫁である、早紀がいった。
「違うね」
「なに」
「こんなもの、ただの物体だ」
「物体」
「結局、なにも見つからず、わからないままさ」
幸次は、昨晩幸一郎たちにいったことを思い出し、恥ずかしかった。死人にくちなし。
「きっとなにも、なかったのよ」
早紀は骨を眺めている。その横顔は、いまも美しかった。白い肌、そして、意志の強そうな目をしている。昨日再会したときとは大違いだ。決意のようなものが、身体全体に帯びている気がする。田島の主人の妻であるという責任を受け入れたのかもしれない。幸次はこの女と自分がかつてしたことを思い出し、疼くものがあった。
「なかったの」
前田はいったい誰に向けて話しているのだろうか。多分、自分自身にである。彼はある決心をしていた。それを肯定しようと務めていた。自分を鼓舞しようとしていた。
『新しい世界はいったいどういうものなんでしょうか。その世界に順応してしまうのでしょうか。またただの新しいバリエーションの地獄に暮らすのでしょうか。もしここが新しい地獄であるのなら、それは結局、わたしたちの責任なのだ、と。そして、あの頃の地獄を憎み、変わる事はないと諦め、遠い場所へ旅立った若い人たちは、戻ってくるのでしょうか。甘い期待はやめましょう。新しい時代に、期待は似つかわしくない。美しいものに善悪がないように。未来もまた、善悪からほど遠いのです。ただ、目の前に現れた未来を、わたしたちが生きやすいようにアレンジすること。それだけが、わたしたちの出来る最善なのです』
幸一郎が、落ち着いたので、幸三は端に移動した。
「もっと前にいろよ」
自分の横に立った幸三に、深町はいった。お前は中心にいる資格があるんだから。
「いいんです」
「よかねえだろ」
深町は幸三のことを気に入っていた。深町のバカ話をきちんと聞いてくれるのは、幸三くらいだった。他の連中は自分を軽くあしらう。青年団のメンバーも、カンフーの修行だのソープランド巡りだのと深町が提案すると、ついてはくるが、それは別に深町に人望があるからではない。青年団長である深町にただ、暇だから従っているだけだ。幸三は違う。イベントごとに顔は出さないが、やさしいやつだ。だからジョギングのコースに田島の家を入れた。
「僕は、家族よりも遠くて、血のつながらない人たちよりも、彼方にいなくては」
幸三が物憂げに、わけのわからないことをいった。
「なにそれ。銀色夏生?」
「誰ですか、それ。有名人ですか?」
「知らね。昔よく通ったガールズバーの女が好きだった、詩を書く人」
「へえ」
「俺にだって、そういうあれだ、文学的な一面があったっていいだろ」
「はい」
幸三が小さく、笑った。深町は、自分はいま、すごくいいことをした気になった。
「静かにしな」
そういってババアが深町をはたいた。
「ババアてめ」
「深町さん本当、空気読みなよ」
咲子が軽蔑の眼差しをよこした。
「この村のモットーなんだっつーの、空気は読むもんじゃねえ、吸うもんだ」
「あほくさ」
「お前のこと嫌いになっちゃうぞ!」
「やった!」
咲子が小さくガッツポーズをした。
『時々思うんです。自分にはなにもなくって、外側で起きていることをまるでわかったふうでいることでしか、できないのではないか、って。そうであるならば、この自分のなかにあるもやもやしたものはなんなのかって。この世界ははただの妄想の産物で、本当はそんなものなにひとつなくて、想像妊娠みたいなものなんじゃないかって。では、そんなもやもやとしたものを作っているのはなんなのでしょう。自分なんでしょうか。自分というのは、どこにいるんでしょうね』
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