第6話 終幕
「ご主人様。中へ」
二階にある例の部屋のドア前で、楓は立ち止まり、私が来るのを待っていた。
「私が?」
階段を上がって息切れしていた私は楓をまじまじと見つめた。
「私の思考回路にもう謎はありません」
『何故、分かったのですか?』
そう訊ねたいのをグッと堪えて、私は言われるままドアを開けた。
窓がないためか、室内は深淵に呑まれたような闇しか存在していなかった。
私はドアの近くにあるであろう蛍光灯のスイッチを探ると、私から見て左側の位置に備え付けられていたのでオンにした。
パッと蛍光灯に光が灯り、部屋から闇が去って行った。
中に踏み込んだだけで言いようのない重圧感がのしかかってくる。
むき出しのコンクリートの広い部屋は、あの映像との間違いを探すのが困難であった。十年の歳月がこの部屋だけには流れておらず、今も織畑教志郎がいると錯覚しそうだ。
当然の事だが、凡人中の凡人の私には分かるはずもなく、室内を彷徨う事しかできなかった。
「降参です! 紅雀さん! この部屋に何があるのですか!」
「痴れ者ですね、ご主人様は」
楓は私の前まで歩いてきて、満面の笑みを浮かべて、そう罵った。
「分かる訳がない」
「本当にご主人様は愚か者ですね。建築家として織畑教志郎は一流であった。それだけの話です」
楓はやれやれと言いたげに肩をすくめた。
「建築家? 誰がそんな事を?」
「ご主人様、頭は大丈夫でしょうか? ここに来る際に『建築業界にいて数多の家の設計などをしているうちに』と説明したのはご主人様です。私はこの屋敷の外観を見ただけで、全てを悟りました。この屋敷は織畑教志郎が手がけたトリックハウスの最高傑作なのではないかと」
私に嘲笑を投げかけた後、楓は背中を向けて、部屋の出入り口へと戻って行く。
「トリックハウスにおいては常識は疑うべきなのです」
楓は壁に備え付けられている蛍光灯のスイッチに指を伸ばした。
「このスイッチに仕掛けが施されているかどうか調査したか怪しいものです」
スイッチのオン部分を長押し始めると、天井に設置されていた蛍光灯が小さな機械音を奏でながら下へと降りてきた。
「そ、そんな仕掛けが!」
楓はいつからこの仕掛けを見抜く事ができたのだろうか。
「この部屋には蛍光灯しかありませんでした。あって当然のものである以上、盲点と言えるのです」
蛍光灯を吊しているかのような、橋などに使われていそうな丈夫そうなワイヤーが上から降りてきた。
「蛍光灯の裏か何かに床を動かすためのスイッチがあるはずです」
「床を動かすって、この床を?!」
私は今自分が立っているコンクリートの床に視線を落とした。この床が動くはずなどない。そんな事があるはずがない。
「設計者は常識の盲点を突くのがお好きなようでして。先ほど動いていたではありませんか。ご主人様も体感したはずです」
「え?!」
「本当に鈍いですね、ご主人様は。上映終了後、館が揺れたではありませんか。最初の揺れはこの床が元に戻り始めた時の揺れ。そして、ギギギという音は床が横にスライドしているときの音で、最後の揺れは床が完全に元に戻った時の振動です。もし、最初に二階の現場を訪れていたとしたら、私達の目の前で装置を発動させて、投身自殺したのではないでしょうか?」
「それであの揺れが起こったのか」
「織畑教志郎は超能力者というよりも、エンターテイナーなのです。衆目監視の下、瞬間移動を試みようとしてみたりと、彼は超能力者ではなく、芸能人であったというべきでしょうか」
「十年前もこの装置を使ったんですね」
「頭が悪いですね、ご主人様は。織畑教志郎が悲鳴を上げて転落していたであろう前後、館全体が揺れるほどの振動や、床が動いているような機械音はしていましたか?」
「あっ!」
私が体感した大きな振動も私が実際に耳にした音も収録はされてはいなかった。
もし、そんな振動や音があの現場でしていたとしたら、取材陣は当然騒然としていたはずなのに、騒ぎ立てもせず織畑教志郎の瞬間移動が成功するかどうかを固唾を呑んで見守っていた。
「あのトリックを使うことによって、織畑教志郎があのトリックを使っていなかった事を証明したのです、その命をもってして」
「あの人は父親が本物の超能力者であったと証明するために死んだ……と?」
「事故当日、織畑教志郎はあのトリックを使っていませんでした。その事を証明したかったのではないでしょうか?」
「何の為に?」
「想像の域を出ませんが、狂ってしまった運命を修正したかったのではないでしょうか? 私という存在に活路を見いだそうとしたのかもしれません。不慮の事故によってペテン師とさえ呼ばれるようになった父を持った子供達の名誉挽回でしょうか」
「何故分かるんですか?」
「栖衣お嬢様が初対面のはずの私の名前と顔を知っていたためです。不思議ではありませんでしたか? ご主人様から名前は聞いていたかもしれません。ですが、顔まで知っているのはおかしいではないですか」
「確かに。言われてみれば……」
「私に託してみようと思ったのでしょう。故に私は死者への手向けとしてその役割を全うしようかと思いました」
「何をするというのですか、紅雀さん」
「ご主人様、危険ですので、一階でお待ちください。私は大広間まで瞬間移動いたしますので」
「なら、私も一緒に……」
「お断りします」
清涼感のある笑みで私を拒絶した紅雀さんはやはり性格が悪い。
わずかな抵抗も許さないといった態度に降参して、私は二階の部屋を後にして、一階の大広間の扉前で待つ事にした。
待っている間、館がまずは一回揺れると、例の金属音がしばらくの間、館内に響き、その音が止むと館が再び揺れた。
その数分後、瞬間移動してきましたとばかりに一階の大広間から紅雀が平然とした様子で出てきた。
扉を開けた時、吊り下げてあったはずのシャンデリアが床まで降りてきていた上、一階と二階との境にあるはずの天井がなくなっているのが紅雀の背後に見えていた……。
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