浄土救世人心守護の探脳士

論理子

心喰らい、心求める。


人は誰しも悲憤慷慨ひふんこうがいを心に抱え、

過ぎれば心に暗鬼が生じる。

世に生きるというのは悲しみや憎しみを

引きずり悶え、なお、進む事である。







僕は今自らの背丈よりも高い、日中にも

光のない緑の竹藪たけやぶを鉈でかき分けていた。

断つことのできない草木の中には虫やら

こまごまとした獣が隙間を這い回る。

かれこれ1時間ほど無心に藪を進むと、

やけにかびた臭いが鼻を通った。


スッとひらけた場所に足を踏み入れると

腐り果てた柱、羽ばたく鳥様とりように折れた屋根

廃屋の群れが辺りに散らばる草木の緑色、

荒れ地と成った廃村が見えた。


「ふぅ……呪獄じゅごく、じゃあないな」


『呪獄』とは人間の怨念が大地に籠り、

正に地の獄をこの世に再現する厄災である。

僕は呪獄を調伏する為にここに来た

――――らしい。

倒壊した大きな母屋おもやの柱に、

手甲、橙色の金属であつらえたモノで触れる。

この手甲を恨みの沁み込んだ物質に近付けると蒼白に変わる……のだが目立った変化は

見られない。


「い、いらっしゃいまし…旦那様…

かがんでらっしゃらず、どうぞ中へ…」


瞬間手甲が蝋燭の火を塗り付けたような色に変わ――――






「止まれ…うごくなあああああっ!!!」







背後の細い声に脅しかける、子供だろうか。



「殺すぞ、服を脱げ。」


鈍色の鉈を抜き、背後を振り向く。


「だだだ…旦那様!ご冗談を…!

私は店番でして、そういった、ことは。」


背後に居たのは立ち膝の僕と同じ目線の赤の着物。動揺した顔ではあるが薄く細く、暗い生気のない目をしていた。

青がかった黒い髪がすだれの如く揺れる。


「黙れ、俺に口答えをして、

そんなに肉を抉られたいか。」


「人の肉を切るのは容易い…だがな、

のはどうだ

断ち所が悪ければ苦しみと死だけだ。」


「想像してみろよ、肉が裂ける音を、

傷から覗く血と血にまみれた白い骨と腱を、

最初は痛くない、だが熱く熱く傷が

燃えた後……その後は筆舌に尽くしがたい」


「――――服を脱ぐか、死ぬかを決めろ。」







ぎぃ、と床のきしむ音が聞こえた。







子供は汚れた指先で、豪奢ごうしゃな唐紅の着物に

手をかける。鴉の濡れ羽色が左右に乱れ

するすると布の川が流れていく

それが廊下でくしゃりと潰れると――――


赤く 一筋 二筋 十字に

蒼白い皮をなめした如くの腹と胸に

真っ直ぐ走る赤い赤い赤い傷と

皮膚を繋ぎ止める稲妻の様な金糸が

身体に縫い付けられていた。

浅黒い打撲痕。そして、彼は男児だった。


「ふぅぅぅう……恨獣こんじゅう、でもないか。」


『恨獣』は怨念をその身に余る程溜め込んだヒトである。

恨獣に変化したモノは恨みを吸い育む臓腑を創り、それは突起として外皮に現れる

――――だそうだ。


「――――旦那様。私を抱くのでしたら、

奥のしとねにて。」


ふと、男児の表情が変わった。先程の驚愕は失せ、死んだ。

生きるのを諦めた顔に成ったのだ。


「ああ、そうしよう。」

「だが、その前に」


裸のままの童を抱き寄せそっと問いかける。


”己を縛る化け物から解放されたいか”と。


立ち上がり、少し童より距離を取る。


「藪を払って来たがあったなあ

楽しむとしようか、可愛らしい君よ。」






ぎしぃ と屋根のきしむ音がした。










緑の廃村は消え失せた。

触る事すら躊躇われる程にささくれ捻じれた真紅の柱、艶もなく孔の暗さの様な漆黒の床、無限にひしめく蟲に似た影を映す灯篭。

真っ直ぐただ真っ直ぐに赤と黒と白が続く

細長い廊下……目の前の童とたいした時、『呪獄』に引き込まれたか。


。『恨獣』を殺す為には『呪獄』に潜り込まなければならない。


「無作法はいけませんぇ…旦那はん。」


廊下の奥、白粉おしろいの顔から家紋付の黒い羽織の袖、袴を身に着け、着物を着崩した

奇妙な女が、闇からぬるりと現れる。


「クク…すまない長旅で疲れているんだよ。

銭は弾む、この子を俺の寝室に連れて行っても良いかね。」


「よござんす、ささ、奥の間へ…」


女が羽織を翻し、廊下を踏み出したその時、



ギィと床が鳴った。



掌を腕に張り付く程曲げ、手甲と袖の間、

仕込みに刺した棒手裏剣を引き抜き、投擲。

それはずるり、頭部にのみ込まれ、無骨な

鈍色のかんざしを増やす。

利手に握った鉈を打ち付けようとした瞬間

やっと女、『恨獣こんじゅう』はこちらを見た。


「嗤わせるなよ化物ばいた。花魁を気取るなら、もっとマシな着物を身に付けろ。」


鉈は止められた。腕に白い斑点のちりばめられた舌が巻き付く、臭い、舌苔の生々しい臭気が鼻に付く。振り向いた女の顔面は緑の細い鱗で覆われており。裂けた口に微笑みを浮かべ、綺麗に光る泡、唾液を流す。

そして帯の緩んだ羽織がはだけ、落ちて『恨獣こんじゅう』の背中から生える二股の白い瘤を露わにした。



「過、カ、狂ル阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿亜ああ亜あああああ!!!!!!!」




絶叫と共に肩関節の重めかしい音、鎌の様に曲がった爪が僕の眼球を狙う

突き刺さる棒手裏剣に、革細工の腰巻きから引き抜き、手に握ったもう一本の鉄の杭を

そっと添えた。

ぱぁん、と爆ぜる音、電雷針は脳髄こころの回路を焼き切る。


「殺盧ォ…?コ虚コ……」


鉄杭を突き刺し、長い舌をはぎ取る。堅牢な樹木で覆われた鉈の柄で頭部を潰す、潰す、何度も、脳髄こころを守る分厚い殻に罅が入ると後は液体を叩く軽さだけが残った。血よりも

土気色の汁が混ざり、嫌な音が耳に這入はいってくる。

脳を破壊すると、『恨獣』は己に沁み込んだ呪いを制御できなくなる――――瞬間。


「ごぉおぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ!!!!!!!」


ヘドロやドブようの深緑の吐しゃ物を恨獣は裂けた口から排出、沁み込んだ呪いは腐った人体の液と混ざりあい、吐き出される。

人間を喰らった恨獣が手遅れな理由は消化器を失ったにも関わらず、人を喰らい、自らの肉すらも腐食させることにあった。


「死ね、恨獣よ、死ね。貴様はこの世に

留まるべきではないッ!」


鉈をしまい、背に負った得物を引き抜く

人が持つ事の限界を優に超える鉄の塊

それは4節に分かれていて、2節目と3節目の合間に掌へと吸い付く凹凸があり



がぃぃぃいん!がぃぃぃいん!



辺りを包む轟音を響かせる。




一つの柱が、成った。





「おぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ」


恨獣の吐しゃ物は形を変え、黒い廊下を蛇行する蛇龍と化した。よほど喰らったのであろう、通路を埋め尽くさんばかりだ。


「なんでぼぼぼなんでなぼでぼぼぼぼんぼなんでなんでぼなぼんでぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ」


意味の分からない叫びと共に壁に身を叩きつけ、瓦礫を飛ばす、柱を喰らい、漆黒の床は砕け、木片を散らす。

変化に於いても龍は特殊な意味合いを持つが、しかし、この恨獣は蛇に近い性質のモノであろう。


「――――知った事か。殺し、

            絶やすだけだ。」


鉄柱は片腕で持てぬ程の弩級、である。

が、しかし、必ず持ち上げ、怨敵を殺すと

誓えば必然的に持てる、持てるのだ。




「おぉボどうしボボ…!私だボけがッ!わだボボおぼボボッ!!がしあわせになれないいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!」




「そうだな、お前だけは幸せにしない。」




蛇龍は大口を開き、開き、胴が裂けても開き、僕を呑まんとする。

鉄柱をただ一突き、ピッ…!と弾ける音だけが蛇龍の頭部を弾け飛ばした残滓であった。


「おオオオオオオおおぉおおおおお!!!!!!!!死ねッ!死ねッ!

死ねァ!死ねぁッ!!!」





払い、突き、払い、突き、払い、突き。

蛇龍は削れ、呪獄は白い光にその輪郭を溶かしていく。







「あ…あぁ…崩れていく…私の…!」








誰かの声が聞こえた後、全て白に包まれた。















「おねいさんきれい!」


目の前の唐紅の着物の眩しさに、

私は魅了された。

着飾った栗毛の馬に乗る、キラキラと光った女性。そのかおは本当に幸福しあわせそうで――――心から憧れた。


禿はげ、手前ェ!もうちっと覚えよくやれぁッ!!!!!!!」


村から売りに出され、慣れない街での

暮らしも、耐えられた。

あの煌びやかな光芒きぼうを思い出すだけで

理不尽に抗う力が沸いた。

心が、心が躍った。


「儂が可愛がってやる…すぐに花街ここの一番にしてやれるぞ?」


客に、仲間に、愛を貰った。金、友情、

快楽、全ては売女ばいたの一抹の光芒きぼうだとしても、それは私にとってのだった。

田舎娘だった私の全てに成った。


ザマ見ろや白胡蝶しろこちょうァ!お前が!お前のせいで!!!!!」


私は裂かれた、どこかの傾奇者ちんぴらかは判らない。手足の腱を、背の骨を砕かれた、しこたま殴られ、目が潰れ、かおを失った。

一命を取り留める為に名医が私を治した。

金を失った。

美しさのない売女に誰もがそっぽを向いた。客を失った。

やけっぱちになった私は薬を頼り、堕落し、仲間も失った。


田舎に帰った私には、快楽だけが残った。


否、憎しみが、憎い、私に貧乏を与えた、苦境を与えた親が憎い。私を嘲笑った仲間が憎い。わたしを見限った客がにくい!み憎いわたしに生を与えた医者がにくい!!!!!!わたしのじゆうを奪ったこきょうの人びとがにくいいいいいいい!!!!!!!!!


わたしは、こんな、み憎い、わたしが

よわいあたしが、にくい。



綺麗に、生きたかった。













緑の廃村は、暮れた橙色に包まれていた。

そして廃屋に腐った汁に塗れた女が、いた。


「死ね。」


懐から竹の水筒を取り出しそのまま

投げつけ、指を鳴らしている。

青白い炎が女を包んだ、冷ややかな香りだけが辺りに充満した。


「…あ、あの」


眼前の唐笠を被った男は、私を救ってくれた、恐ろしい化け物をから解放してくれた。


「なんだ、生きていたか。」


「はい……貴方は、ナニなんですか?

お偉い僧侶様…?」


「は、僧侶は魔を殺さない、祓うだけだ。」


「じゃあ……?」


「僕は探脳士だ。

     人の心を救う志士をそう呼ぶ。」


夕焼けに照らされ、その顔が見える。

彼は何も見ていない、ナニもない虚に臨んだような、そんな瞳だった。








<第壱話『心喰らい、心求める。』終わり>













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