土に還る心亡者【前編】






橙に染まる夕暮れの廃村、その中で唐笠の男と唐紅の着物を身に纏った童が向き合う。


「なんだ、生きていたか。」


「はい……貴方は、ナニなんですか?

お偉い僧侶様…?」


「は、僧侶は魔を殺さない、祓うだけだ。」


「じゃあ……?」


「僕は探脳士だ。

     人の心を救う志士をそう呼ぶ。」









「『探脳士たんのうし』様…?」


「ふぅぅう…野営の準備を行う、手伝え。」


鉄の柱を背負い直して『探脳士』様は言う。


「えっ」


「夜になれば溜まり場を無くした怨念が何をしでかすかわからん。人が『恨獣こんじゅう』にならなくとも野山の獣が呪いに当てられて正気を失うやもしれない。」


「はい・・・はい。」









『探脳士』様の言う通り、日は暮れ、

夜のとばりは降りた。

とても冷える時期、であった。


倒木に腰掛け、焚き火と『探脳士』様から借りた灰色の毛皮は穏やかなぬくもりを与えてくれる。火にかけた小さな鍋には干飯ほしいいと黄色い粒の奇妙な穀物を塩水で煮られたモノがある。


「食うか?」


「い、いえ結構です…」


その穀物を食べたいとは思えない、ここまで鮮やかな黄色は昆虫にも中々いないだろう。


「ならば乾燥させた柿を食え、喉通りも良く滋養になる。生きているならば死ぬな」


「すみません…」


小さな干し柿を一口含むと仄かに塩味がした後、強烈な甘みが口に爆発した


「あっ…あまい!?」


「そうだろう。」


『探脳士』様から水を貰い、口をゆすぎながら飲む。こんなに甘露なモノを過去に食べた事……?


「あれ……あのっ……すみません、本当に

すみません、たんのうし様。私は、過去の記憶を失っているようです。」


「どこまでの記憶を忘れた?」


「……分かりません、全てがあやふやです。ただ、あの蛇女と過ごした日々だけは…

忘れられない、忘れることは、できないと、思います。」


あの時を思い出すだけで、恐怖に心が凍り、何もかも忘れてしまいたいとすら考えて

しまう。私自身の心の不便さに腹が立つ。


「そうか、ならば帰る故郷も無い、と」


「はい、父も、母も……

どうなったのでしょう、どうなった…?

どうなって…言えない、理解からない?

分からないです」


「ならばまずは街に往く、それから全てを

考えるか。」


「はい」





ただ沈黙だけが続いた。


橙の火が、ぱちぱちと弾ける。


その暖かさは夜の冷気を忘れさせてくれる。





「――――僕も、忘れるんだ。」


「えっ」


「狩った『恨獣』や、その結果生き残った

人の顔を」


「…なんで、ですか」


一瞬恐くなった。私が忘れられる事が

だろうか?


「僕の頭はいるらしい。

一度二度しか会わない人や物事は忘れる。」

「だけど、忘れたくない事、それだけは

忘れないように繰り返し、繰り返し、頭の中で思い出す。」


、何度も、何度も、何度も。何度も、何度も、何度も。何度だって思い出す。」


唐笠に隠れている筈の『探脳士』様が透けて見える様だった。怒りに、歪んだ顔が


「ふぅぅぅう……だから、お前も、

思い出せ。何度も

そうした時に何時イツか、思い出せるだろう。

ナニかを」


「ええ、きっと、いつか…」







そして、夜は明けた。








「たんのうし様、これからどうするのですか?」


野山に緑は付き物である。雑草や木々さえも緑で、空だけは美しい青色を誇らしげに見せつけて来る。

私は黙々と歩く事に耐え切れず、助けてくれた『探脳士』様に語り掛ける。


「歩く、そして街に戻る。」


「街はどこにあるのですか?」


「この道を行けば分かる。」


ただ、このように黒い着物と唐笠の下から

ぶっきらぼうな答えが返って来るばかりですが

――――あの後、私がどんな状況に於かれていたのか、根掘り葉掘り聞いた。

『呪獄』のこと、あの『恨獣』のこと、

そして『探脳士』様のことを

『探脳士』様は私の質問に必ず答えてくれた、暴言を吐いたり殴ったりもしない。

ただ聞いて答えてくれる。

それだけで十分だった。


「あっ!!?

       ブぇ!」


「む」


目を開くと小さな砂利の向こうに小さな森が見えた。つまりつまずいた訳だ。鼻も痛い。

ここは崖と入り組んだ曲がり道、谷があり、裂け目の底は見えない程だ。




「えっ」




そして対岸に、ゆらゆらと揺れる人影ののようなモノが見えた。




「ふぅ……鼻緒が切れている。丁度いい、小休止をするぞ。」




それは、群れで、頭を揺らし、前へ、前へ、進む。狂信者の礼拝の如く前へ、前へ、前へ




「おい」




更に目を凝らす、それらは皆等しく片足を引きずっていた。可笑しな、光景だった。





「ふぅぅぅ……おい…!頭でも打ったか」





「えっ、あっはい」





「そうか、俺が草履を直している間に休め」





あれは、ナニ―――― アレは、ナニかが崩れて、溶けて。わたしは……。















「AArrrrAガlrAAAA」「oRrrraAAAAAA」「Oo?aaaaaaaa」


目を覚ますと、そこはまた、暗闇だった。

目を覚ましたのかすら判らない。カラカラとカラカラと乾いた音だけが響いている。

埃と生々しい、思い出せないモノ。

声を、出すべきではない。

そう直感ちょうかくが告げる。そう直感きゅうかくが告げる。

そうして焦燥を重ねる度に足首が酷く痛む、さっきつまずいた時の痛みが、心臓の鼓動と一緒に脈動する。痛みが、痛みに意識が。




「a」




「痛ッ!」



ぬるり、と冷えたナニかが触れた。



「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!」


「いぃひ!?」


痛みに脈動みゃくどうする足首を掴まれる。凍てつく程の冷えた掌が痛覚を、炎症の熱さで誤魔化ごまかす機会すら奪い、純粋に感覚に――――





「あ˝あ˝あぁぁあぐぅぅうぃぁああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」





「arraaaaaaaa!!!!」「がGgAAaAA!」




一瞬、痛みに思考が、捕られた。地面に叩き付けられた衝撃で、少しだけ、戻った。


何故か足が自由になった今、前に進むしかない、離れる為に前へ!前へ!


理解わからない…!理解わかりたくない…腐臭、肉の弾ける音なんて!!!!


ぎぃい、木の鳴る音が聞こえた。音の方向へ、そして灯る橙色。



「死ねぇ――――僕が、ァ!!!!貴様達をッ!!!!!!!!!」



橙の火がほうき星の様に、宙に光の尾を引きながら飛び立つ。


闇のトバリが開き、橙色の炎が部屋を照らした。


そこには、溶けたモノが居た。

大小、ざりウゴメく肢体達、死の群れ、足のいモノ、肩から汚肉に染まった骨を突き出すモノ、くびが直角に曲がるモノ、皮と肉が剥げて頭蓋と眼球と舌だけが此方こちらを視ているモノ



「『探脳士た˝ん˝の˝う˝し˝』様ぁ!!!」


退けぇぇえ!!!!」






ごぉぐぅがああん!!!!!!!!!!!





一本の鉄柱が、全てを掻き消した。








「ふぅぅぅう………生きているか。」




「は、はい・・・!はぁい!!」




「ならば、良し。」



橙と赤の原色にまみれた部屋に

『探脳士』様は立っている。

その顔は、わらっていた。








<第弐話『土に還る心亡者』つづく>













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