第二章 クチナシとアカシヤ Ⅸ
長い夜が明けた。
いつの間に眠ってしまったのか、それすら覚えていなかった。カーテン越しに射しこむ光を感じて目を覚ますと、わたしは、居間のソファに寝そべっていて、しかも、しっかりと毛布にくるまっていた。そうか、お母さんが……。
まだ、ぼんやりとした頭のまま、重く張りついたようなまぶたをこすり、立ちあがる。
わかっているのは、いつもとなにひとつ変わらない朝が、いつもとなにひとつ変わらない平等さで、わたしたちのもとにやってきた、ということ。
残酷な時計は、こうして音もなくまわり続ける。
食堂にいくと、母は、もう朝食の用意をととのえていた。
「お母さん、おはよう……」
「おはよう、じゃないわよ。何時だと思ってんの」
「うん、ごめん……」
まだ寝癖だらけの髪に手をやりながら、わたしは、安堵していた。
きっと、もうだいじょうぶ――ひと晩泣きはらし、はれあがった母の目には、それでも、なにかを決意した人の強い光が宿っていたから。
そして、わたしの中でも、ひとつの想いが、確かなかたちをとろうとしていた。
それは、わたしになにができるかなんて、考えるのはやめよう、ということ。
これから、この家で美鈴さんといっしょにすごす時間を、わたし自身が、精いっぱい生きよう。
美鈴さんは、いつか言った。朝が好きだと。
いろいろなものがきらきら輝いて、自分の中でなにかが少し生まれ変わって、いつだって、なにかがはじまる、そういう光にあふれた朝が好きだと。
だから、わたしも、世界を照らす朝の光に向かって、祈らずにはいられなかった。
たとえ、時計の針がもどらなくても、今この瞬間、この輝く光の中で、新しいかけがえのないなにかが、生まれますように、と。
「あ……それより、お母さん、今日仕事じゃなかった?」
「あたしがこの家にいないとさ。あの子、いつふらっと帰ってくるか、わかんないでしょ。それに、この顔じゃあ、どうしようもないよ。とても人前に出られる顔じゃないもの」
「うん、お化け屋敷の営業でもなきゃ、無理だね」
「あんた……そういうこと言うのは、自分の顔を鏡でちゃんと見てきてからにしなさい」
「うん……そうする」
洗面所にいき、鏡をのぞいたわたしは「うひゃあ」と苦笑いした。
だって……ほんとにひどい。確かにこれじゃあ、お母さんのこと言えないな。それに、腕も手も、なんだかベタベタ。お母さん、なんの遠慮もなく、人の手をタオル代わりにしてくれたもんね……。
「ねえ、お母さん」
洗面所からもどったわたしは、母の背に声をかけた。母が、トーストをテーブルに置く手をとめて振りかえる。
「ん? なに?」
「お母さんって、やっぱり強いね」
「そんなことないわよ」
母が、軽く首を振る。
「でもね、高校のころ、よく美鈴に言われた言葉を思い出したの」
「美鈴さんに?」
「うん。あたし、落ちこむと、よく美鈴に“もうだめ、おわりだ~”なんて、弱音を吐いてた。そんなとき、美鈴は、決まってこう言ってくれたんだ。なに言っとるんじゃ。春花のハは、はじまりのハじゃろ、ってね」
「へえ……」
「だから、決めたのよ。弱音を吐くのは、もうこれでおしまいにするって。だって、これからここで、いろんなことが新しくはじまるんだから」
ああ、やっぱり強い。お母さんも、美鈴さんも……。
「ねえ、美鈴さん、ちゃんと帰ってくるよね」
「だいじょうぶ、ちゃんと帰ってくるよ」一瞬の迷いもなく、母はうなずいた。「だって、ここはもう、あの子の家なんだから」
「うん……」
うなずき返しながら、つい、くすっと笑ってしまうわたし。
「なによ、なにがおかしいの?」
「だって……お母さん、美鈴さんのことをいまだに“あの子”っていうんだなあ、って思って」
「こういうのってさ、一度身についちゃうとなかなか直せないのよ。自分でもおかしいって思うけどね」
でも、わたしは、母が、美鈴さんを“あの子”と呼ぶときの顔がとても好きだ。
「あ、それより、お母さん。会社には、お休みのこと連絡したの?」
「さっき、電話を入れた。当日休は困る、って言われちゃったけど。珍しいこともあるね、なんて、皮肉っぽいオマケまで言われたわ」
「お母さん、無遅刻無欠勤の人、っていうイメージあるもんね」
「それしかとりえがないみたいで、やな言い方ね」
「そんなこと言ってないじゃない。あ、コーヒー、わたしが運ぶ」
実際、母が、事前に申請した年休以外で仕事を休んだことなんて、ないんじゃないだろうか。それだって、年に一二回、どうしても必要なときだけだ。
「お母さんてさ、学校もずっと皆勤賞だったんじゃない? ね、ね、そうでしょ? あたり?」
母が、うーん、と考えこむ。
「あたらずといえども、ってとこだけど……でもね、高校のとき、美鈴とふたりで午後の授業をさぼって、街に遊びにいったことがあるのよ」
「え? お母さんが?」
「今の子からしたら、なんだ、そんなことで、って笑っちゃう程度のことかもしれないけどね、当時のあたしにとっては、、ほんとにドキドキするような冒険だった」
「先生にしかられなかったの?」
「もちろん、しかられたわよ。これ以上ない、ってくらい、こっぴどくね。でもね、先生に“なにか言い分があるならこの場で言いなさい”って言われて、美鈴ったら“あります!”って答えたのよ。先生の前にすっと出てね、“自分が強引に春花をつれだして、つれまわしました。春花が怒られる理由は、なにひとつありません”って、職員室中に響くような声で言ったの」
「すごい……かっこいいかも」
「あのねえ……その場にいたら、そんなのんきなこと言えないわよ。あたし、ほんとに心臓が飛び出るかと思ったもの。先生も、半分呆れ顔で美鈴をにらんでた。でも、美鈴ひとりが悪いなんてことは、ぜったいなかった。そもそも、シロクマを食べたいね、って言い出したのはあたしだし、途中からは、まちがいなくあたしのほうが美鈴を引っぱって楽しんでたんだもの」
そうか、きっかけは、やっぱりシロクマなのか……と、わたしは変なところに感心していた。
「気がついたら、あたし、“ちがいます。あたしがいきたいからいったんです!”って大きな声を出してた。先生も驚いてたけど、一番びっくりしてあたしを見てたのは、美鈴。ぽかんと口を開けて……おかしかったな、あのときの美鈴の顔」
「へえ……やるなあ、お母さん」
「美鈴が、“ちがわないだろ”とかなんとか、あたしに言いかけたんだけど、先生は、“よし、そこまで”って手をたたいて、それ以上言わせなかった。それから先生は、あたしたちを代わるがわる見ながら“さて、あんたたち、これからつきあいを禁ずる、ってわたしが言ったらどうする?”ってきいたの。あたしたち、声をあわせて“いやです!”って答えたわ。それに続けて、美鈴は“だから、もうこんなことはしません”って宣誓するみたいに言った」
うわあ、その場面を想像するだけで、なんだか楽しくなってくる。
「先生から、念を押すように“誓うね”って言われて、あたしたちは“はい、誓います!”ってもう一度声をあわせたわ。先生が、“よろしい”ってうなずいて、やっとあたしたちは釈放されたの」
母は、今まさにその場から解放されたみたいに、ふう、と息をついた。
「だからね、授業をさぼったのは、ほんとにそのとき、一回だけ。考えてみたら、あたしにとって、高校時代の一番の想い出は、修学旅行でも卒業式でもなくて、そのときの冒険かもしれないな。たった一度きりの小さな武勇伝」
たった一度きりの小さな武勇伝……美鈴さんとつくった、母の大切な思い出。わたしも、十年二十年たって、だれかに笑いながら話せる、こんな思い出をつくれたら素敵だな……。
「そうか。お母さんは、美鈴さんに強くしてもらったんだね」
「あら、あんたも言うようになったわね」
「わたしだって、美鈴さんにずっと鍛えられてきたもんね」
「だとすると、あたしもあんたも、美鈴の弟子ってことになるわけ? じゃあ、今日からいっそ、美鈴のこと、ふたりで“師匠”って呼ぼうか」
「美鈴さんの場合、漫才の師匠とか、そういうイメージしか湧かないけどね」
「いえてる」
結局、笑いあってしまうわたしと母。そう、美鈴さんの話をしていると、いつだって最後は、こんなふうに笑い話になってしまうんだ。
そして、わたしは、その人の不肖の教え子。なにしろ、じきじきに後継指名されたんだから。
これからは、あんたが春花のそばにいて、春花の力になってほしい、って。
わたしは、あらためて、その言葉の意味をかみしめた。
わかってるよ、美鈴さん。ちゃんとがんばる。
でも、お願い。まだまだ未熟なわたしを、もっともっと鍛えてね……。
荷物をかかえた美鈴さんが、帰ってきたのは、その日の午後。
「うつけ者ですが、よろしくお願いします」
美鈴さんが、ペコリと頭をさげ、わたしと母は「なに、それ」「それを言うなら“ふつつか者”でしょ」と噴きだしたあとで「こちらこそ、お願いします」と頭をさげた。
顔をあげた美鈴さんが、「これからは、一心同体、小所帯(しょうじょたい)じゃね」と言ったのが、母に大受けだった。例によって、ふたりの世代にしか通じないジョークだったらしい。
このときから、わたしと母と美鈴さん、三人での生活がはじまった。
時間にしてしまえば、半年足らずのその日々を、楽しいことばかりだった、なんて言えば、だれもがそれを嘘というだろう。
病気の進行、さらには治療の副作用が、少しずつ、目に見えるかたちで美鈴さんの身体に顕(あらわ)れていった。そのつらい現実は、ときにわたしたちの心を打ち砕きそうになった。
それでも、母とわたしは、そのすべてから目をそらさず向きあうことを誓った。
そして、そのすべてを――美鈴さんといっしょに生きた日々のすべてを、わたしたちは、かけがえのない大切なものにした。
美鈴さんのちょっとした体調の変化に、一喜一憂する日々。ハラハラしたり、ほっとしたり。弱音をはく美鈴さんにハッパをかけたり、逆に、母とわたしのほうが尻をたたかれたり……。
気がつけば、わたしたちは、当たり前のように自然な笑顔を向けあっていた。
逃避といわれても、卑怯といわれてもいい。だけど、無理をして笑ってたわけじゃない。あの日々を降りかえったとき、よみがえってくるのは、ほんとうに楽しい思い出ばかりなのだ。
クリスマス、美鈴さんは、どこからかサンタクロースの衣装――しかも、なぜかミニスカートだった――を調達してきて「は~い、お待たせ~。セクシー・サンタだよ~」と、ノリノリではしゃいだ。
ケーキ用のパンナイフを持ち、「泣ぐ子はいね~が~」と悪乗りのギアをあげる美鈴サンタに、「子どもを脅すサンタがどこにいるの!」と、母がツッコんだことは、言うまでもない。
そして、お正月――二年参りにいこう、と言いだしたのも、美鈴さんだ。
年越しを、テレビの「ゆく年くる年」の鐘の音とセットで迎えることが習慣になっている出不精の女ふたりは、初詣なんて松の内にすませればいいよ、のんびり紅白見てくつろごうよ、と一応抵抗してみたけれど、あくまでも、してみただけだ。
美鈴さんが一度言いだしたら、なにがあろうと引きさがらない、人の言うことなんかぜったいきかない人だということは、わかっていたから。
おそばをいただき、着替えを終えたわたしたちが向かったのは、町内にある八幡様。ここでも美鈴さんは、初詣は地元の氏神様にご挨拶するものなんだ、と力説した。大晦日に交通機関を使って遠出するつもりなどさらさらない母とわたしは、当然この主張に心から賛同した。
夜の冷気は、冴えざえと澄んで、気持ちがよかった。びっくりするくらい、星がきれいだった。
「思っていたより、寒くないね」
そう言うわたしを見て、美鈴さんは「そりゃ、それだけ重装備してりゃな」と、あきれたように言った。母まで「なんか、ミシュランのタイヤ人形みたいよね」と、ものすごく失礼なたとえをした。
ニットのキャップ、マフラー、厚手のセーターとダウンジャケットでばっちり身をかためたわたしは、「だって、受験生は、ぜったい風邪なんかひけないんだから、これくらい当然じゃない」と、ひるまずに主張した。
いつもは人気(ひとけ)がまったくなくて、わたしが「町内一のひっそりスポット」と呼んでいる八幡様も、このときばかりは、たくさんの人たちでにぎわっていた。若い人も多い。縁起物売り場や温かい食べ物を売る夜店も、ちゃんと出ている。
美鈴さんは、お社(やしろ)に向かうゆっくりとした人の流れをながめながら、「こんだけ善男善女が集うと壮観だね。世の中には、信心深いというか、物好きな人が多いんだな」と、自分のことを棚に置いて感心した。
ようやく本殿にたどりつき、いつもよりお賽銭を奮発して――
「な、な、アリ子、なにをお願いしたんだ?」
参道をもどりながら、美鈴さんが、わたしの肩に手をまわした。
「そんなの決まってるじゃない。わたし、受験生なんだよ」
そう答えたけれど、一番にもっと大切なお願いをしたことはないしょにした。
ちらっと母を見たら、わたしを見る目が笑っていた。それで、母も、わたしと同じお願いをしたのだということがわかった。
神様――美鈴さんをつれていかないで。
このまま、ずっといっしょにいさせて、と。
それから、美鈴さんの「そうだ、忘れずにおみくじ買おうぜ」の一言で、わたしたちは、それぞれにおみくじを引いた。
わたしのおみくじは――「吉」だった。美鈴さんが、すばやくそれをのぞきこむ。
「なになに、[交際]=良き友の縁あり。己から率先して心を開くべし、か。ううん……アリ子には、一番難しい注文だな」
「ああ! 人のおみくじ勝手に横から読まないでよ!」
「いいじゃんか、読まれたらご利益が減るおみくじなんて、聞いたことないし」
「そういう美鈴さんは、どうなのよ」
「ふふん、あたいはこれだよ。じゃじゃあん」
美鈴さんが、喜色満面で見せてくれたおみくじは、「大吉」だった。
う……負けた。
「いいもん、別におみくじで勝負してるわけじゃないんだから」
しょせんは負けおしみ、と思いつつそう言うと、母も「そうよ、わたしたちみたいな平々凡々な人間には、小さな幸せがちょうどいいのよ」と同調した。
かく言う母のおみくじは、「小吉」だった。わたしたち母子は、万事にわたってこんなふうにスカッとしないところが、やっぱり似てしまうのだ。
「ま、とりあえず、お母さんよりは上ってことね」
わたしの言葉に、間(かん)髪(はつ)をいれず母が反論した。
「は? あんた、なに言ってんの。『小吉』は、『吉』より上でしょう?」
「え~、そんなことないよ。なんで小さい吉が『吉』より上なわけ?」
「そうじゃなくて、『吉』は、何の役職もないヒラなの。だから、『小吉』より下なのよ」
「じゃあ、『末吉』は、どうなるの?」
「そんなの、そのままに決まってるじゃない。一番すえ、『吉』の下よ」
「うう……なに、それ。納得いかないよ、その説明」
美鈴さんだけは、勝者?の余裕で、すました顔をしている。
「ま、割とどうでもいい、こまか議論じゃのう」
「どうでもよくない」
母とわたしが声をあわせると、美鈴さんは「だったら、自分のおみくじが一番、そう思ってればいいだけのことだろ?」と、人さし指を立てて言った。
「そうか、そうだね」
三人は、交互に顔を見て笑いあった。初詣にきて「吉」と「小吉」の上下で争う母子って、冷静になってみると相当に恥ずかしい。
「ね、美鈴さん。いいおみくじは、持ち帰ってもいいんだよね」
「おうよ」と美鈴さんがうなずく。「しっかり身につけて、ご加護をいただいたあと、お礼をこめて神様にお返しするんじゃ」
そんなわけで、そのおみくじは、今もわたしのパスケースの中にちゃんと納められている。
一月××日、ついに受験本番。
わたしの県の高校受験は、前期と後期に分かれていて、面接中心の前期試験で合格すれば、学力検査中心の後期試験を受けなくてもいい。
試験当日――自分でも不思議なくらい緊張はなかった。わたしは、最初から県立一本。ここまでくれば、今さらジタバタしてもしかたない、という心境だった。
受験で覚えた四字熟語でいうと、明鏡止水、だろうか(ちょっと、かっこよすぎかもしれない)。いざとなると、わたしは、けっこう肝が据わってしまうのだ。そう、ヨウム室を初めて訪ねたときのように。
試験を終え、学校を出たわたしは、“やることはやった”という充実感につつまれていた。家の近くまでもどると、母と美鈴さんが、玄関の前で待っていてくれた。わたしは、にっこり笑ってふたりにVサインを送った。
そして、合格発表――
「受かったよ」と電話で告げると、母と美鈴さんは、交互に「おめでとう」と言ってくれた。美鈴さんは、そのあとに「ま、あたいは、ぜんぜん心配してなかったけどな」と、さりげなくつけ加えた。その言葉に「ほんと~?」と笑ったあとで、ようやく「そうか、わたし、合格したんだ」という安堵が、ゆっくりと心に満ちていくのがわかった。
二月――イベントといえば、バレンタイン・デイ。これまでも、三人でお遊び半分のチョコレート交換をしてきたけど、やっぱり今年は特別だった。
なにしろこれまで本多家には、美鈴さんの「チョコはおやつだから」という主張により、「バレンタインのチョコは、三百円まで」という、よくわからないルールが存在していた。ところが今年は、美鈴さんが「アリ子の高校合格を記念して、抑圧的な上限枠を撤廃する」という「チョコレート解放令」を、高らかに宣言したのだ。
わたしと母は、ここぞとばかりに張りきって、それぞれに有名専門店の期間限定チョコを用意した。それに対し、美鈴さんが用意したチョコはというと……
テーブルの上にドカン、と置かれたのは、大きな箱いっぱいに詰まったハートチョコだった。しかも、わたしと母の分をまとめて、ということらしい。
わたしは、「昔話の“大きなつづら”、かな」と力なく笑い、母は「究極の義理チョコ、メガ盛り丼、って感じね」と、冷ややかに論評した。
対する美鈴さんは、残念感に打ちひしがれ、チョコの山を見つめるわたしたちなど、まったく気にする様子もなく、「博愛の天使、美鈴さんが贈る、あふれるハートの詰めあわせじゃ!」と、にこやかに両手でピースサインをつくったのだった。
そして、三月。
三月二日、この日が、美鈴さんの記念すべき四十歳の誕生日。
「別に、なにもしなくていいよ。今さら四十の誕生祝いなんて、ただの嫌がらせだぞ」と美鈴さんは言ったけれど、もちろん、そんなわけにはいかなかった。
ただ、「やるなら、三日にしとくれよ」と、美鈴さんが注文をつけた。
美鈴さんは、三月三日の「女の子の日」に生まれそこなったことが、ずっと悔しくてしかたなかったらしい(「それで、こんなひねくれた、ずんだれ女になったんだよ」と、美鈴さんは言ったけれど、たぶん、それはちがうと思う)。
このオーダーにお応えして、三月三日、美鈴さんの誕生祝いとひな祭りをかねた「女の子パーティー」を、開催することになった。
わたしの任務は、会場設営&美術。保育園のお誕生会を思い出しながら、お花紙でこしらえた色とりどりの花や折り紙細工、色紙の鎖を、半日がかりで食堂いっぱいに飾りつけた。われながら、みごとな出来映えだったと思う。
食堂をのぞくなり、美鈴さんは、「ははは」と笑い、後ろ足で退散しかけた。しかし、母とわたしでがっちり両腕をとり、テーブルにしつらえたお誕生席に座ってもらった。
美鈴さんは、「ああ、やっぱ、こそばゆいんだよな。こういうの、柄(がら)じゃないんだよ」と、しきりに頭をかいていたけれど、母とわたしが「誕生日、おめでとう」と言うと、「ありがと、春花、アリ子」と、笑ってくれた。
お菓子なんてつくったことのない母とわたしが、レシピ本を代わるがわるにらんでこしらえたバースデイケーキ。正直、ケーキづくりが、こんなに大変なものだとは思っていなかった。
クリームを泡立てるだけでも、ものすごい重労働。オーブンも、ふだんあまり使っていないせいで、イマイチ温度の加減がわからない。きれいな黄金色(こがねいろ)のスポンジが焼きあがったときは、母とふたり、「やったね!」とハイタッチしてしまった。
とにもかくにも、一応ケーキっぽいものが完成し、テーブルの上で、満を持してお披露目すると、美鈴さんの開口一番は「よかったよ。ろうそくが、四十本立ってなくて」だった。母が、すました顔で「じゃあ、今から立てるけど、いい?」と、ほんとに四十本のろうそくを取りだしたのにはびっくりした。恐るべし、悪友コンビ……。
「それより、このクリームね、わたしが生クリームから泡立てたんだよ」
わたしは、ケーキを切り分けながら、ここぞとばかりに美鈴さんにアピールした。
「きれいにできてるじゃんか。電動の泡立て器なしじゃ大変だっただろ?」
「うん。レシピには“ピンと角(つの)が立つまで”なんて簡単そうに書いてあるんだけど、ぜんぜんそうなってくれなくて……ボウルに氷を張ったり、ちゃんと手を抜かずにやったんだよ」
美鈴さんは、「へえ、がんばったんだな」と目を細めた。
「生クリームをきれいに泡立てるには、いろいろコツがあるんだけどさ、どうしてもうまくいかないときは、ちょっぴりレモン果汁を入れるんだ」
「え? そうなの?」
「奥の手、というより邪道だけどな。ほんのちょっとでいいんだ。入れすぎるとゴワゴワにかたまっちまうし、レモン味のクリームになっちまうからね」
「へえ……美鈴さん、すごいね。なんで、そんなこと知ってるの?」
わたしが感心の声をあげると、美鈴さんは、小皿の上のケーキからクリームを指ですくい、わたしの鼻先にちょこんとつけて、ニカッと笑った。
「前に言ったろ? あたいは神戸のパティシエだったって」
さて、ケーキ以上に美鈴さんが目を輝かせたのは、母がこの日のために、手間ひまかけて準備した料理の数々だ。
「お、キビナゴの刺身じゃん。わお! つけ揚げだ! で、こっちは、とんこつか!」
ちなみに「つけ揚げ」というのは、さつま揚げのことで、「とんこつ」というのは、豚の角煮のこと、なのだそうだ。
「うまっ! これだよ、これ。こっちで食う角煮はさ、なんていうか、やっぱ別物なんだよな。しっかし、鹿児島の料理なんて、ガキのころは、うまいなんて思ったこともなかったのになあ」
美鈴さんが口をつけた食べ物の量は、けっして多くなかったけれど、それでも、料理を口に運ぶ美鈴さんも、それを見つめる母も、すごく幸せそうだった。きっとわたしも、ふたりに負けないくらい、幸せな顔をしてたんじゃなかと思う。
おいしいものは、人を幸せにする。いつか、美鈴さんが言ってたっけ。
でも、このとき、わたしたちを幸せにしてたものは、たぶんそれだけじゃない。
もっと別の大切ななにか――それがなんなのかは、まだ、うまく言えないけれど……。
そうそう、プレゼントの話を忘れてた。母とわたしで選んだプレゼントは、桜色のカーディガン。色は「絶対、美鈴さんに似あうよ」と、わたしが決めた。
包みからカーディガンを取りだした美鈴さんは、すごくうれしそうに「お、春の色だね」と言ってくれた。
「でしょでしょ? これからの季節にぴったりだと思ったの。ね、ね。着てみてよ」
わたしにせかされ、美鈴さんは、「はいはい」と笑いながら、そのカーディガンを肩に羽織った。
「どうだい? バッチグーかい?」
「うん! ばっちり! めっちゃ似あってる! ね、お母さんもそう思うでしょ?」
わたしの力説がよほどおかしかったのか、母は、「そうね」と答えながらも、しきりに笑いをこらえているようだった。
わたしは、少しむっとしたけれど、美鈴さんが「ありがと、大切にするよ」と言ってくれたので、ぜんぶオッケー、ということにした。
パーティーのフィナーレは、予期せぬ「園田美鈴、今宵限りの特別リサイタル」だった。
美鈴さんがこの家で暮らしはじめてから、お酒はお正月などの特別な日だけ、適度な量を守って、と母が決めた。もちろん、この日は、その「特別な日」だ。
といっても、ひな祭りの「女の子パーティー」にふさわしく、母が用意したのは、白酒だった。美鈴さんは、「やっぱ芋焼酎がいいなあ」とちょっとだけ残念そうにつぶやいてから小さな盃の白酒を飲みほし、「ああ、でも、これも最高のだれやめじゃね」と目を細めた。
ちなみに、わたし用には、白酒ならぬ甘酒が用意されていた。万が一にも、手抜かりなどないわが母なのだ。
気持ちよさそうにほんのりと頬を染めた美鈴さんは、「よおし、春花とアリ子のリクエストに応えて、一曲ずつ歌を歌っちゃうぞ! とっておきの歌をリクエストしな!」と宣言した。
いわば、究極のリクエストだ。いざ考えだすと、あれもこれも、と曲名が浮かんできて、きりがない。アニメソングはどうかな? 美鈴さんの「ムーンライト伝説」とか、聴いてみたいかも。懐かしのアイドルソングもいいよね……。
結局、わたしがリクエストしたのは、「牛若丸の歌 英語バージョン」と「茶碗蒸しの歌」の二曲。美鈴さんは「さっき、一人一曲って言わなかったっけか?」と文句をつけたけど、わたしは、「だって、決められないんだもん。たまのわがままなんだから、聞いてくれてもいいでしょ?」と、強引におねだりを通した。
ほんとのことを言えば、わたしは、このとき、無理をしてでも美鈴さんにわがままを言いたかったのだ。遠慮してばかりのいい子じゃない、わがままいっぱいの女の子になりたかった。
久々に聴いた「牛若丸の歌 英語バージョン」は、やっぱり楽しくて、なぜかやっぱり感動してしまった。ずっと聴きたかった「茶碗蒸しの歌」は、なんだか怪しい呪文の歌みたいでおもしろかった。目を閉じると、父と美鈴さんが肩を組んでこの歌を歌っているところが、はっきり目に浮かんでくる。いつの間にか、わたしは、父と美鈴さん、ふたりに向かって拍手していた。
母のリクエストは、筋肉少女帯の「香菜、頭をよくしてあげよう」という歌だった。
わたしもかなりびっくりしたけど、美鈴さんも「おいおい、この場面で、とっておきのリクエストが、なんで筋少なんじゃ」と、あきれ顔になった。
母は「いいじゃない。歌ってほしいんだから。あたしのわがままだって、たまには聞いてもらっていいと思うんだけど」と言ってゆずらなかった。
美鈴さんは、「ほんと、しょうがないな、この母子は。てんでに好き勝手言って」と、うれしそうに笑った。
美鈴さんが歌ってくれたその歌は、おもしろくて、不思議で、とても優しい歌だった。
――抱きしめてあげる以外には何か きみを愛す術(すべ)はないものか?
その言葉に引き寄せられるようにして、わたしと母は、美鈴さんに左右から身を寄せた。
美鈴さんは、わたしたちの肩を抱き、「アリ子、きみの頭、僕がよくしてあげよう」「春花、きみの頭、僕がよくしてあげよう」と歌いながら、ふたりの頭を代わるがわるになでた。
美鈴さんがもどってきたあの日、同じようにわたしたちを受けとめてくれたふたつの手。あのころよりも細くなってしまったその手は、あのころと少しも変わらない強さで、わたしたちを抱きしめ続けてくれた。
三月のなかば、美鈴さんが、病院に入る日がやってきた。
桜色のカーディガンに身を包んだ美鈴さんは、迎えのタクシーを待ちながら「あ~あ、今年の花見は病院でするのか」とボヤいた。
母は、美鈴さんの髪に櫛をあてる手をとめ、「それも乙じゃない。めったにできないわよ、そんなお花見」と笑った。
母は続けて、「最近の病院食っておいしいんでしょ? だからって、あんまり食べすぎちゃだめよ」と、小さな子どもを諭(さと)すみたいに言った。
美鈴さんは、「そうなんだよなあ」と腕を組み、「ダイエット、考えとかなきゃな」と真顔でうなずいた。
「え? 美鈴さん、これ以上やせたら、メリー・ポピンズみたいに風で飛んでっちゃ うよ」
わたしがそう言うと、美鈴さんは、愉快そうに笑った。
「おお、そうか。そしたら、空を飛ぶ夢がついにかなっちゃうな」
「そんな夢、かなえないでよろしい。あんたは、もともと糸の切れたタコなんだから」
母にそう釘を刺された美鈴さんは、「そのときは、いよいよ春花に、しっかり糸の先を握っといてもらうから、だいじょうぶ」と、母の手をとって片目をつぶった。
その日、わたしたちの家から美鈴さんの笑い声が消えた。
美鈴さんがいなくなったわが家は、前よりも、もっとずっと寂しくなった。
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