第一章 ガール・ミーツ・ガール Ⅰ

 ノブをまわす手に、わたしはそのまま体重をあずけた。

 ぎい、という鈍い音とともに、ドアがゆっくりと内側に開いていく。広がっていく隙間が、そのまま部屋の中からの明かりで隈どられる。

 その隙間に顔を近づけ、恐るおそる中をのぞいた。

 最初にわたしを迎えたのは、ふわりと甘い匂い。部屋の中央には、木製の大きなテーブル。そのまわりに、古そうな椅子が何脚か見える。

 わたしは、あ、と声をあげてノブを押す手をとめた。

 その椅子のひとつに小さな女の子が座っていて、テーブルに肘をつき、こちらを見ていたのだ。

 テーブルの上には、開かれた本とティーカップ。

 女の子の鳶色(とびいろ)の瞳が、一瞬大きく見開かれ、それからまた興味を失ったように、開いた本の上へともどされた。

 最初は、中学生かと思った。そのくらい幼い印象のかわいい女の子。

 透きとおるみたいに白い肌。細くてきれいな黒髪は、少し前あがりにした、首筋までのふんわりショートボブ。髪の間から少しだけのぞいている両耳が、すごくキュートだ。

 一瞬、「うわぁ、お人形さんみたい」と思ってしまった。

 お人形さんみたい、ってありふれたたとえだけど、だれかを見てほんとにそう思ったのは、たぶんこれが初めてだ。

 でも、彼女が着ているのは、鉄紺に青ライン一本のセーラー服。まちがいなくこの学校の制服だった。そして、胸もとできゅっと結ばれたスカーフの色はエンジ――わたしと同じ、一年生のしるしだ。

 だけど――今年の一年生にこんな子がいただろうか。

 あわてて記憶をたどったけれど、どうしても思いだせない。

 一年生全員の顔をしっかり覚えているかといわれれば、さすがに自信はない。でも、たった二クラス、八十人にも満たない生徒の中にこんな子がいれば、必ず印象に残っているはずだ。

 それよりも不思議なのは、彼女がこの部屋の空気に、なんの違和感もなくなじんでいること。まるで、ずっと昔からここに住んでいる主(あるじ)みたいだった。

 立ち入り不可になっていたはずの旧校舎。その一室で、主のようにくつろいでいる一年生。これって、つまり、どういうこと?

 扉の前でかたまったまま、わたしの思考は、壊れた洗濯機みたいにぐるんぐるんまわり続けた。

 なにか言わなきゃ。でも、なにを言えば――

 答えにたどりつけないまま、わたしは間抜けな声を絞り出していた。

「あ、あの――」

 顔をあげた女の子は、じろりとわたしをにらんだ。王国への陳入者を威圧する女王様の目だ。

 思わずビクッとしてたじろぐと、女の子は、やれやれ、という感じでつぶやいた。

「きみは、郵便ポストか?」

 は? 意味がわからず、わたしは、さらにかたまった。そのくせ、頭の片隅では「わお! お人形さんがしゃべったよ! すごくきれいな声だよ!」なんてことを思っていた。

「あの、わたし、ポストじゃないよ」

 ああ、われながら、なんておバカな答え。

 きょとんとした彼女の顔が、次の瞬間、ふっ、とやわらいだ。

「なんだ……残念だな。しゃべる郵便ポストというのも、それなりに斬新だと思ったけど。考えてみたら、ポストが勝手にドアを開けたりはしないね」

 女の子は、ほんとうにがっかりしているみたいだった。なんだか、思いきり「残念な子」と言われたような気がした。ごめん、ポストじゃなくて……と言いそうになったけど、さらにおバカで残念な子を印象づけるだけのような気がして、出かかった言葉をごくんと飲みこんだ。

「ポストじゃないなら、ドアを開けたまま、そんなところにいられると、ちょっと困るね」

「あ! ご、ごめん!」

 わたしは、大あわてで部屋の中に飛びこみ、後ろ手で扉を閉めた。

「ぼくは、部屋に入れ、とまでは言わなかったんだけど」

 自分を「ぼく」と呼んだ女の子は、ふたたび、あの女王様の目でわたしをにらんだ。

 うぐ……だからって、ここで「失礼しましたあ!」なんて頭をかきながら出ていくわけにもいかない。ええい、こうなったら、どうにでもなれ。

「だけど、入るな、とも言われなかったよ」

 おおっと、挑戦的に切りかえしてるぞ、わたし。

「なるほど……でも、ポストでもないきみに、ぼくは特段用がない」

 ええ? またポストの話にもどるの?

「あ、でも、ポストだってこんなところに立ってたら困るよね」

 ……いったい、なんの会話なんだか、言っているわたしにもさっぱりわからない。

「ポストはときどき役に立つけど、きみがそこに立っていても、ぜんぜん役に立たない」

 ひどい言われように、さすがのわたしも少し(いや、かなり)むっとした。

「まだあなたは、わたしのこと、なんにも知らないでしょ? 役に立つとか立たないとか、そんな一方的な価値基準で、わたしのこと勝手に決めつけないでほしい」

 わたしを見る女の子の目が、また少し大きく見開かれた。「ふうん」と小さくつぶやいたあと、女の子は、くすりと笑った。

「そうだな。きみはおもしろい。それは認めるよ」

 わたし、別におもしろくないよ……と言いかけたけれど、かろうじてそれを押しとどめた。かわりに出てきたのは、「ありがとう」という、間抜けなうえにも間抜けな言葉だった。

「特段、感謝されるようなことは言ってないけど」

 わかってますよ、そんなこと。

「でも、いい答えだ」

 え? もしかしてわたし、ほめられた?

「やっぱり、きみはおもしろい」

 ああ、落ちつき先はそこなのか……でも、今度は悪い気はしなかった。役立たずと言われるより、ずっといい。

「でも、他人様(ひとさま)の部屋のドアを、ノックもなしにいきなり開けるのは感心しないね」

「あ……ごめん」

 そりゃあ、わたしだって、ここが他人様の住む部屋だってわかっていれば、ノックもしないで開けるほど、常識知らずの人間じゃないつもりだけど……ていうか、やっぱりここって、この子の住む部屋なの?

 わたしは、あらためて女の子をまじまじと見つめた。うーん、やっぱりかわいい。ぶっきらぼうな上から目線の口調にはたじろいだけれど、慣れると、それもまたかわいい。

 ……いやいや、問題はそこじゃないだろう。

「なんだい? 不思議の国でドードーに出くわしたか、地底でアルザル人にでも会ったような顔をしてるね。それとも、ぼくが座敷童子にでも見えるかい?」

 ドードー……アルザル人……それってなに?と思ったけれど、座敷童子という言葉は、いきなりわたしのツボに、どんぴしゃりでハマってしまった。

 それは、彼女を一目見たときからわたしがひそかに抱いていたイメージを、もののみごとに言い当ててくれていたのだ。

――そうそう! 座敷童子よ、この子は!

「なにがそんなにうれしいんだ。きみが喜ぶほどおもしろいことなんて、一言も言ってないと思うけど」

 いけない、いけない。わたしとしたことが、内心のはしゃぎっぷりを、思いきり表情に出してしまったらしい。気を引きしめよう。

「座敷童子じゃないなら、あなたはだれなの? どうしてこんなところにいるの?」

「結局、そこにいかざるを得ないのか……」

 女の子は、頬杖をついて、はあ、とため息をついた。

「旧棟の幽霊――」

「ええ!?」

「といっても、信じてはくれないだろうね」

「もう~、そんなの決まってるでしょう!」

 いや……ほんとは一瞬信じかけたけど。

「まあ、幽霊みたいなものにはちがいないけどね」

「ねえ、じらさないでよ。つまり、結局のところ、あなたは何者なの?」

「ぼくとしては、同じ質問をきみに返したいところなんだけど」

「あ……」

 彼女の指摘は、もっともだった。呼ばれてもいないのに、ノックもなく部屋に踏みこみ、「おまえはだれだ」はないだろう。失礼にもほどがある。確かに「おまえこそ、だれだよ」だ。

「あの……わたし、この学校の一年生の……あっ、それはわかるよね。名前は、本多小羽子……本多は本が多い、小羽子は、小さい羽の子って書くの」

 生まれてから今日までを振りかえっても、たぶん、こんなに一生懸命自己紹介をしたことは一度もなかっただろう。

「旧棟には立ち入らないように、って先生には言われてたんだけど、今日は急にこの場所が気になって……その理由は、自分にもわからなくて、でも足はとまってくれなくて……それで、近くまできたら、明かりがついているのがわかったの。いったい、どういうことなんだろう、って思ったら、どうしても建物の中を確かめてみたくなって……そうしたら、あなたがいて……」

 わたしは、自分の言葉にうそがないか、ひとつひとつ確かめるように話した。彼女には、絶対うそをつきたくない――そう思ったからだ。

「ふうん、なるほど」と、女の子はうなずいた。

「二、三年生はともかく、こういう一年生が今までいなかったことのほうが、不思議といえば不思議かもしれないな。まあ、この学校らしいけど。……つまり、きみがこの部屋のお客様第一号だよ。おめでとう」

「え!? お客って認めてくれるの?」

「積極的に歓待したいわけじゃないけど……いたしかたないからね、ことここに至ったら」

 イタシカタナイカラネ、コトココニイタッタラ――なんだかいちいち言葉の響きがかっこいい。

 それよりなにより、認めてもらったことがうれしい。彼女に飛びつきたい気持ちを必死でおさえながら、わたしはテーブルに近寄った。

「ねえ、今度はあなたの番だよ。あなたはだれで、どうして用務室なんかにいるの?」

「ああ、うん」

 彼女は、いかにも“しょうがないなあ”という顔をした。

「とりあえず、もう一度、きみが見たドアの上のプレートを確かめてもらえるかな」

「え? プレート?」

 意味がわからないまま、わたしはテーブルを離れて出入り口に駆け寄った。さっき閉じたばかりの扉を手前に引き、扉が半分ほど開いたところで、頭だけを外に出す。

 扉の上のプレートを見あげて、書かれた文字を確かめる。うん、まちがいなく「用務室」と書かれて――あれ? ちがう。「用務室」じゃない……。

え――用無室!?

 ゆっくりと扉を閉じて、わたしは振りむいた。

 たぶん、わたしの顔には、狐につままれたような表情が張りついていただろう。狐につままれる、ってどういうことか、ほんとうはよくわからないけれど……。

 その顔を見た女の子が、ふふん、と笑った。

「ここは、だれにも用のない部屋、県立美咲ノ杜(みさきのもり)高校・ヨウム室。そして、ぼくは、その管理人・天坂(てんさか)深雪(みゆき)だ」

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