第3話 誇るべき我が家

 ──自分が生まれる前から、この街は、すでに朽ちかけていた。




 風化し、崩壊した建築物は、かつての住人たちが築いたものの、なれの果て。そのまま捨て置かれ、草木に埋もれて、今は虫や鳥たちの住処となっている。


 だから、いずれは何もかもが土に還ってしまうのだろう──そう、ユウリは思っている。


 だが、人が人として生きている限りは、その法則に抗わなければならない。


 人は火と水とをともに欲し、草木や大地を小なりとも削らねば生きていけない生き物だから。


 欲するもの、削るものは、かなうならば、最小限でなければならない。



 もう、「祝祭の季節」……あらゆるものを使い果たしてしまった時代に戻ってはならないのだから。


 そして、いまは「復活の季節」。一旦は滅びかけた人の時代が、いま再び始まりを迎えつつあるというが。



(そんなものだろうか)



 川べりの小径を歩きながら、ユウリは自問自答していた。


 歩くときのリズムに身を委ねると、様々な記憶がとりとめもなく湧きおこる。



 今日は、いつか聞いた昔話を思い出してしまった。



 祝祭の季節か……と、ユウリは反復する。


 世界から得られる全てのものを、欲望のままに使い果たしてしまった時代。


 人の世はひとたび滅び、風化し、砂漠と化した。


 だが、いまの大地には、わずかながらも森や草地が生じており、人はそれに寄り添うように生きている。



 かつての荒廃のなごりを残しているところは、『脊柱』とその周辺、つまり『機械』たちの領域だ。


 そこに足を踏み入れるべきではない。人は、人とだけ寄り添って生きればいい。



 傍らの川辺の水面は、太陽の光に満たされて、きらきらと輝いていた。




 + + +




 街のはずれには、古い礼拝堂があった。


 かつて、そこで信仰をささげられていた宗教が何であったのかは、今はもう分からない。



 だが、じょうぶな石造りの建屋は、あたらしい街区にあるコンクリート製の建物に比べて傷みも少なく、かんたんな補強をほどこすことで、今日も使われていた。



 いまの主は、「進化教会」と呼ばれる一団だ。



 入り口に着いたユウリは、錆びた鉄扉を押し開けて、ひっそりと静まった中庭を抜ける。ひび割れた石畳の隙間からは、たくましい雑草が顔を覗かせていた。


 礼拝堂の正面。大きな木製の扉も、頭上の鮮やかなステンドグラスも、新たに造り直されたものだ。ここにはじめてステンドグラスが嵌め込まれた時のことを、ユウリは今でもはっきりと思い出すことができた。



 子供のころの話だ。工房の職人たちが、組み上げたステンドグラスを荷車で慎重に運び込んだ。近くに住む大人たちが協力して、それをロープで吊り上げて、壁面に組み付けたのだ。幼かったユウリは、建物の内側からそれを見上げていた。


 取り付けるときの、ごとり、という重たい音は、礼拝堂のなかにはっきりと響いた。


 ガラスの図柄には、花畑で戯れる女性の姿があしらわれていた。素朴な絵柄ではあったが、ユウリは一目で気に入った。


 そして、外の男達が作業を終え、鮮やかに彩られたきらめく陽光が、床に鮮やかな写し絵を描いたとき。気づけばユウリは、描かれた世界のただなかにいた。



(ほんとうに、綺麗だった)



 光の花園が生まれた日。ユウリはここが、心から好きになった。


 誇るべき我が家だ。孤児であったユウリの、故郷。ここが家だ。



「……ただいま」


 礼拝堂の重い扉を押し開く。


 中には、簡素な長衣を身にまとった女性が、ひとり。


「おかえりなさい、ユウリ」


 そう言いながら、彼女は頭巾を下ろして、それで額の汗を拭った。


 こぼれ出た金髪が、ステンドグラスの光を受けて鮮やかに輝く。


 口元には、心安らぐ微笑み。この女性の名は、トウカという。


 ユウリは手荷物を降ろすと、信徒のための座席に腰掛け、トウカに訊いた。


「彼は、目を覚ました?」


 機械たちの領域を離れたときのことだ。ユウリはここに「彼」を預けることにした。ユウリが勤めている警衛隊の詰所にも、それなりの医療設備はあったが、機械たちと取引をした人間を預けるには、すこし空気が殺伐としすぎているからだ。無論、ユウリの心の内にも、まだわだかまりは残っている。



(機械たちは、敵だ)



 敵に通じて利益を得る者は……やはり敵であるのだろうか。そう見なせたなら、どんなに楽なことだろう。何もかもを単純に色分けできたなら、世界はもっと分かりやすく、生きやすい。



 目覚めたか、というユウリの問いには、トウカは、まだよ、とだけ答えた。


「容態は?」


「大丈夫。もう、落ち着いているわ。身体が崩れた箇所も、徐々に戻ってきているし、もう血や膿も出なくなった。……あれが、普通の怪我だったら、きっと助からなかったでしょう」


「…………」


「あんなふうに治る傷は、見間違いようがないわ」


「うん。『機械』につけられた傷だ」



 ここに「彼」を預けたのは、二週間ほど前のことだ。そのときから、ユウリとトウカは彼の看病に努めてきた。


 ここに彼を運び込んだ時の事だ。彼の傷は、組織の崩壊により、体内の組織が露出していた。まるで鋭利な刃物でさっくりと切り開かれたような傷を子細に見たとき、トウカはごく小さな声で、助からないわ、と言った。


 医術の心得がないユウリにも、それが致命傷であることはよく分かった。



 癒せぬ傷は、膿み、腐る。そこに生じた毒は全身を巡り、やがて人を死に至らしめる。



 だが、ユウリは、あの少女の力に賭けた。


 スーラと名乗った、あの少女に。



(ナイマに『精神』を奪われたことで生じた傷を、スーラは与えることで癒せるのだろうか)


 精神が、彼女らのいうとおり、通貨のようにやりとりできるものだとしたら、の話だ。


 そのあたりの構造については、ユウリにとっては、まったく理解の及ばぬところだった。



 だが、結果として、賭けには勝ったのだ。


 縫い合わせることもできないほどに大きかった彼の傷口は、まるで薄皮が生じるように、真新しい皮膚に包まれ、常識では考えられないほどの速さで、癒えていった。



 ……いや、その形容では不完全だ。


 そう。「失われた箇所が、その空間に存在するかのように」皮膚が生じたのだ。まるで、あるべき姿を思い出したかのように、唐突に。傷口にへばりつく薄膜のようではなく、中空に天幕を張ったかのように、だ。



(……スーラの力、だろうな)



 スーラとナイマとのやりとりは、すでにトウカには伝えてある。ユウリにはそれを完璧に伝え切れたという自信はなかったが、事実は事実だ。あるがままに対応するより他にない。



「それじゃ、奥に行きましょう」



 そう言って、トウカはユウリの荷物を持ち、促した

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