第二十三話 とある老剣豪の思い出

 師匠が血を吐いて倒れてから少し時間が過ぎた。

 外はまだ雪が降り続けている。


 ベッドで静かに眠っている師匠は……とても小さく見えた。

 ほとんど意識はなく、時折うなされて何かをしゃべっているが聞き取れない。

 あれだけ引き締まっていた身体は、やせ衰えてあばら骨が浮き出てる。

 咳もひどく、血も吐くので血をぬぐい、何度もシーツやシャツを取り換えた。


 師匠がこんなことになってるなんて僕は全く気付いてなかった。

 修行! 修行! と浮かれていた前の自分を殴りたくなる……


 師匠はトゥルクさんの痛み止めと、気分を和らげるお香で今は静かに眠っている。

 後ろで扉が開く音がしたので振り返ると、トゥルクさんが桶を持って入ってきた。

 血だらけの桶を洗って新しい水に入れ替えてくれたようだ。


「ドウダ? トガノ様子ハ」


 トゥルクさんが心配そうな顔で尋ねる。


「今は静かに休んでます」


「ソウカ……」


 桶を置いたトゥルクさんは、近くの椅子に座りながら僕に語り掛けてきた。


「今マデ黙ッテイタコトガアル。 ムミョウニトガノ病気ノ事ヲ言ワナカッタ理由ダ」

「オ前ニハスマナカッタト思ッテイル……」


 思いがけない告白に、僕は思わずトゥルクさんの方を振り返る。


「私ハモウ1年以上前カラ気ヅイテイタ。ダカラアイツニ痛ミヲ和ゲル薬ナドヲ渡シテイタ」

「アイツハ私ニモ隠シ通ソウトシテイタミタイダガナ」


「そう……なんですか……」


 俯いた僕は、一番聞きたかった事を問いただした。


「なぜ……僕には教えてくれなかったんですか?」


 それが知りたかった。

 今まで師匠とは何の嘘も偽りもなく暮らしていたものだと思っていた。

 僕が師匠に隠し事なんてしたことなかったし、師匠が僕に隠し事があるなんて思ったこともなかった。


「トガニ止メラレテイタ……ムミョウニハ伝エルナ……ト。 オ前ノ修行ノ邪魔ニナリタクハナイト言ッテイタ」

「ムミョウ、トガハオ前ノコトヲ気ニ掛ケテイタ。オ前ハ自分ヨリ強クナルト、残サレタ自分ノ時間ヲ全テオ前ヘノ教エニ費ヤシタイトナ」


 そんな……!


 僕は……僕は……師匠に生きていてほしい!


 残された時間なんて言わないでください!


 師匠のいない世界なんて考えられない!


 師匠が死んだら僕は……僕は……どう生きていけばいいんですか?


頭を抱えて座り込んだ僕の肩を、トゥルクさんは優しく叩いてくれた。


「人モ、ゴブリンモ、動物モ、モンスターモ、皆イズレハ死ヌ。コレハ抗イヨウノナイ現実ダ。ダカラコソトガハオ前ニ何カヲ残ソウト必死ダッタノダ」

「トガノ覚悟ヲ無駄ニスルナ」


トゥルクさんはそう言って部屋を出て行った。


眠る師匠を見ながら、僕は今までの事を思い出す。

森で倒れた僕を拾ってくれた師匠。

初めての型の練習をみっちり教えてくれた師匠。

動物を狩るたびに毎回自信満々な顔をしてくる師匠。

オーク達を造作もなく斬り捨てていく師匠。


出会ってからたったの3年だけど……僕にとっては掛け替えのない、辛くも楽しい3年だった。


「行かないでください……師匠」


骨ばった師匠の手を僕の両手で包みながら、そっと呟いた。


「わしは……そんなお前に請われるほど良い人間ではないぞ……」


不意に聞こえた師匠の声に僕はハッとした。


見れば師匠が僕をいつもの優しい目で見つめていた。


「少し……お前に昔話をしてやろう……」


師匠は天井を見つめる。


「ムミョウよ、わしの名前のトガの意味が分かるか?」


「いえ……」


「これは師匠のイットウからつけられた名前でな?」


師匠はそこで一呼吸置き、決心したように話す。


「師匠の故郷ヤポン大陸での言葉で、意味はのう……罪、罰なんじゃ……」


思いもしなかった師匠の名前の意味に僕は呆然とする。


「師匠が……わしに犯した罪を忘れるなと言うてつけてくれたんじゃ……」


そして師匠の独白が始まった。


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わしは生まれた時のことをよく覚えとらん。

名前すらなく、気付いたら孤児院に入れられておったわ。

孤児院も貧乏でその日食う飯にも困っておったからな、すばしっこい連中や力のある連中でかっぱらいや強盗なんかもやっておった。

だがその内に、わしは孤児院を出て1人で街で生きるようになった。


足の速さなどには自信があったから人の懐から財布を抜き取るスリや置き引きなどでその日その日を生きていたわい。


そしてある時、盗んだ鞄の中に古臭い短剣が1本入っていた。

特に飾り等もないいたって普通の短剣じゃったがな。

だが……それを持って構えるだけで、まるで無敵の戦士になれたような気分を味わえた。

その内それを人間に使ってみたいと思うようになってのう。


初めて殺した人間は行商人じゃった。

夜中に酒に酔った行商人を、わしが足音を殺して近づいて一突きじゃった。

そいつの懐をあされば金貨が2枚出てきおった。

そこからもうわしは人を殺すのに躊躇せんようになった。


1、2、3、4、5人とどんどん増えていき、お主の歳くらいにはすでに10人以上は殺していた。


そして、今度は1人の男に目を付けた。ボロっちい服に編み笠を被って見た目は金を持っていなさそうじゃったがな、腰に差している剣が珍しくてのう。あれを売れば金になると思い、その男が人気のない路地に入った所で一気に襲い掛かった。


だが、今まで気づかれたことのなかったわしの背後からの奇襲をあの男は……師匠は軽く躱しおった。

そのまま手を掴まれて捻り上げられてしまい、短剣も落としてしまってな。

もうだめだと思い、ヤケクソで「さあ、殺せ!」と言ってみたんじゃ。


するとどうじゃ? 師匠はいきなり「今まで何人も殺して来たようじゃが……才はありそうだな? どうだ? わしの弟子になってみんか」と笑いながら言いおった。

そしてこうも言ったわ。「この刀がほしければわしについてこい、わしを殺せればその刀を持っていけるぞ?」とな。


それからはもう必死じゃったわ。

隙あらば師匠を殺そうと何度も狙ったが、結局殺すどころか傷すらつけれんかった。

そして毎回笑いながらなぜ殺せんかったかの説明をされたわ。1つも意味が分からんかったがな。

だがのう、師匠の朝の型などの鍛錬を見ているうちに剣とやらに興味が出てきてのう。短剣を使って見様見真似でやっているうちに師匠が木刀を削ってわしに渡してくれたんじゃ。


それからはもう剣にのめりこんでいったわ。

わしが鍛錬に励む度、師匠はニッコリ笑っておった。

そうやって大陸を何十年も旅をしてな?

師匠が病で倒れ、死の間際に渡されたのが今のわしの刀なんじゃ……


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長い独白を終えると、師匠はベッドの横に立てかけてある刀を見つめた。


「なぁ、ムミョウよ」


師匠の呼びかけに僕は涙を拭きながら答える。


「はい……師匠」


「わしはお主が弟子で本当によかったと思っている。 だからこそ、お主にはわしの全てを受け継いでほしい。 わしの全ては師匠であるイットウの全てなんじゃ。わしが受け継いだものをお前に託したいんじゃ」


師匠は自分の願いに僕がどう答えるか待っている。でもこれを答えてしまったらもう終わってしまう気がして僕は答えれずに俯いてしまった。


少しの時間沈黙が流れる。


しかし、その静寂を破るかの如く突然部屋の扉が開かれた。

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