第5話★君はやっぱりヒーローでした


お昼休み、屋上でお弁当を食べていると隣にいるひぃくんが口を開いた。


「昨日は楽しかったねー。また一緒にスパ行こうね、花音」


ニコニコと笑顔で話すひぃくん。


そ、それは今言って欲しくなかった……。


昨日私は、彩奈と二人で映画に行くと嘘を付いて家を出たのだ。

チラリとお兄ちゃんの様子を伺った私は、握っていたお箸をポロリと落とす。


私の目の前には、お兄ちゃんではなく鬼がいた。


「花音……昨日スパに行ったのか?」


固まったまま何も答えない私を見ていたお兄ちゃんは、私の隣にいるひぃくんへと視線を移す。

すると、その視線に気付いたひぃくんが話し出した。


「……そうだよ。花音たら裸で歩いてたから……ビックリしちゃったよ」


ーーー?!


ひぃくんの言葉に、ビシッと固まる私とお兄ちゃん。


ひぃくん……ビックリなのは私だよ。

私はちゃんと水着を着ていた。

裸でなんて歩いていないよ。


「はだ……か……?」


目を見開いたお兄ちゃんが、ゆっくりと頭を動かすと驚きに見開かれた瞳で私を捉えた。


「ちっ……違うよっ、お兄ちゃん!私ちゃんと水着着てたよ?!」

「じゃあ……スパには行ったんだな?」


あぁ、何て事だ……。

私はスパに行った事を認めてしまった。


せっかく色々考えて上手く嘘が付けたと思っていたのに。

全部ひぃくんのせい。

何でよりにもよってお兄ちゃんの前で言うのよ!


私がキッとひぃくんを睨みつけると、私の視線に気付いたひぃくんは「また行こうねー」なんてニコニコしている。


なんて呑気な人なんだろう……。

今の状況わかってる?

私今、お兄ちゃんに追い詰められてるんだよ?


相変わらずニコニコしているひぃくんを見て、諦めた私はお兄ちゃんの顔を見ると口を開いた。


「嘘付いてごめんなさい……」


今にも消えてしまいそうな程に小さな声で謝る。

だってお兄ちゃん怖いんだもん。


味方につければこれ以上にないくらい心強い。

だけど、敵ともなれば話は別。

とんでもなく恐ろしい鬼だ。美しい鬼。


お願い……鬼にならないで。


顔を俯かせてビクビクとしていると、大きく溜息を吐いたお兄ちゃんが口を開く。


「響が一緒だったんならまぁ、いいよ。もう嘘は付くなよ?」


……え?いいの?

だってひぃくんだよ?

私は全然よくないよ?


何だかんだお兄ちゃんはひぃくんを信頼しているらしい。昔からそう。

最終的には、ひぃくんが一緒ならいいと言ってくれる。


何で?

……何でかはわからないけど、とりあえずこの場は助かった。


ひぃくん、たまには役に立つね。

チラリとひぃくんを見る。


「わかったの?花音」

「はっ……はい!わかりました」


ひぃくんを見ていた私は、お兄ちゃんの声に驚いてピシッと背筋を伸ばすとそう答えた。

私の返事にニコリと微笑むお兄ちゃん。


良かった……。

安心した私は、再びお弁当を食べようと視線を下げる。


あっ、お箸落としたんだった……。

どうしよう、食べれない。


地面に転がるお箸を見つめていると、私のすぐ横からお箸の握られた腕が伸びてきた。


横を向くと、ひぃくんがニッコリ笑って口を開く。


「食べ終わったから、使っていいよ」

「……ありがとう」


私は素直にひぃくんからお箸を受け取ると、食べかけだったお弁当を食べ始めた。

すると、やけに隣から視線を感じる。


何だろう?

そんなに見られると食べにくい。


「美味しそうだねー」


隣から聞こえる声に、小さく溜息を吐く。


もう……。

まだ食べ足りないからって、そんなに見つめないでよ。

言ってくれれば分けてあげるのに。


「食べる?」

「えっ! いいの?!」


嬉しそうにキラキラと瞳を輝かせるひぃくん。

子供みたいなその姿に、思わずクスリと笑みがこぼれる。


「いいよ」


私は笑顔でそう答えると、ひぃくんが好きな目玉焼きをお箸で掴んだ。

そしてそのお箸をひぃくんの方へと差し出す。


「いただきまーす」


そう言ってゆっくりと近付いてくるひぃくんの顔。


「えっ……」

「響っ!」


焦るお兄ちゃんの声。

ポトリと地面へ落ちる目玉焼き。


ひぃくんは……

私の頬をパクリと食べた。


呆然と固まる私は、ひぃくんを引き剥がしたお兄ちゃんにゴシゴシと頬をこすられる。


お兄ちゃん……。

ひぃくんこんなだよ?

本当にひぃくんでいいの……?

……何で?


そんな事を思いながら、こすられ過ぎてヒリヒリと赤くなった頬をそっと手で抑えたーー。




※※※




「ねぇ、花音ちゃん」


目の前にフッと影が差し、帰り支度をしていた私は手元から視線を上げると声の主を見た。


私の目の前でニコリと微笑むクラスメイトの志帆ちゃん。


「今日これから暇?」

「うん、どうしたの?」

「今日ね、これから合コンがあるんだけど……花音ちゃん一緒に行かない?前に彼氏欲しいって言ってたよね?」


私の様子を伺うように、小首を傾げて訊ねる志帆ちゃん。


「行きたいっ! 彼氏欲しい!」


勢いよく立ち上がった私に、クスクスと笑う志帆ちゃん。


「良かった。南高の人なんだけどね、可愛い子呼べってうるさくて」

「えっ……わ、私で大丈夫なのかなぁ……?」


行きたい。けど……

可愛い子しかダメなら、私なんてお呼びではないんじゃ……。


「大歓迎だよ!花音ちゃんが一番可愛いもん!」


そうお世辞を言ってくれる志帆ちゃん。

なんて優しいんだろう。


「駅前のカラオケで集合だから、一緒に行こう?」

「うんっ!」


合コンなんて初めてな私は、ワクワクした気持ちで笑顔で答えた。


問題なのはひぃくんとお兄ちゃん。

もうそろそろ教室に迎えにくるはず。

何て言い訳をしよう……。


素直に言ったところで、絶対に許してくれるはずはない。

かと言って、嘘も付けない。

ついこの間お兄ちゃんに約束してしまったから……。


残る手段は一つ。


「彩奈!先に帰ったってお兄ちゃんに言っておいて!志帆ちゃん、ダッシュで行こう」


近くにいた彩奈にそう告げると、私は志帆ちゃんの手を取り急いで教室を出る。


後ろから「えっ?!ちょっと花音!」と言っている彩奈の声が聞こえる。


ごめんね、彩奈!

後はまかせた。


心の中で謝罪した私は、そのまま志帆ちゃんを連れて教室を後にしたーー。




※※※




「何この子?!めちゃくちゃ可愛いじゃん!」

「でしょー?」


目を見開く男の子の前で、得意げな表情をさせる志帆ちゃん。


私は今、合コン会場である駅前のカラオケ店に来ている。


目を見開いて私を見ているのは、少しチャラそうなイケメンさん。

その横には、何だか男性とは思えないほどの色気を放つイケメンさんがいる。


私……どうすればいいんだろう。


深く考えずに来てしまった私は、よくよく考えてみたら合コンとは何をするのか……

全くわからなかった。


とりあえず……座ってもいいのかな?

チラリとソファを見る。


「こっちにおいで」


声のする方を見ると、色気の凄いイケメンさんが、自分の座っている隣をポンポンと叩いていた。


隣に座れって事……だよね。

……いいのかな?


「うわぁー先越された。蓮が相手じゃ敵わねーよ」


ガックリと肩を落としたチャラそうなイケメンさんは、そう言うと「はい、こっちに座ってねー」と私をソファへ座らせる。


チラリと自分の横を見ると、色気の凄いイケメンさんがニッコリと微笑んだ。


「お名前は?」

「あ……花音です」

「俺は蓮。よろしくね、花音ちゃん」

「あ、はい。……よろしくお願いします」


こんな感じでいいのだろうか……?

次は何を話せばいいの?


そんな事を思っていると、蓮さんが話を振ってくれた。


「花音ちゃんは一年生?」

「はい、そうです」

「可愛いね。俺は三年」

「……」


な、なんて返せばいいのかわからない。

どうしよう……。


チラリと志帆ちゃんを見ると、すっかり馴染んで会話が弾んでいる。

一度しか会った事がない人だと言っていたのに、志帆ちゃんてコミュ力高いんだなぁ……。


志帆ちゃんに関心していると、またもや蓮さんが話を振ってくれた。


「合コン初めて?」

「はい……」

「そっか。それじゃあ緊張しちゃうね」


はい、そうなんです。

今とても緊張しています。

どうしたらいいのかわかりません。


ヘタレな私は心の中で溜息を吐いた。


ダメだ……

私合コン無理かも……。


カラオケ店に入って十分弱。

来るんじゃなかったと後悔をした。


その後も話を振ってくれる蓮さん。

私はというと、ただ黙って話を聞いているか、時折「はい」とか「そうなんですね」と返事をするだけだった。


ダメだ……会話が続けられない。


「あ、あの……トイレに行ってきます」


そう伝えると、私はトイレへ逃げ込んだ。


どうしよう……。

もう帰りたいとは流石に言えない。

カラオケがあるなら大丈夫かな?なんて思っていたけど。

さっきから誰も歌など歌っていない。


合コンてそういうものなの?

これでは場がもたない。


私は小さく溜息を吐くと、目の前にある鏡を見た。


「もう戻らないとね……」


情けない顔をする自分に向けて小さく呟く。


いつまでもトイレにいるわけにもいかず、私はすっかり気落ちしてしまった心のまま部屋の扉を開いた。


「え……?」


部屋へ入ってみると、さっきまでいた志帆ちゃんの姿が見当たらない。

室内を見渡してみると、あのチャラそうなイケメンさんの姿もない。

それどころか、志帆ちゃんの荷物までないのだ。


「あの、志帆ちゃん達は……?」

「あの二人なら先に帰ったよ」

「えっ……?!」


さ、先に帰った?!

志帆ちゃん、私を置いて先に帰っちゃったの……?


呆然と扉の前で固まる私。


「ここからは二人で楽しもうね」


立ち尽くしていた私の腕を掴んだ蓮さんは、そう言うと私をソファへと座らせる。

私の肩にまわされた蓮さんの腕に、ガッチリと掴まれ身動きが取れない。


あ、あれ?

何か……怖い……かも。


「あの……私も……か、帰ります」


小さな声で縮こまってそう伝える。


「なんで?」


そう言ってニッコリと微笑む蓮さん。


微笑んではいるけど……私の肩を掴む蓮さんの力が強くて何だかとても怖い。


どうしよう……。

帰りたい。


「わ、私……あの……」


ーーー?!


蓮さんの手が突然私の太腿に触れ、驚いた私はビクリと肩を揺らす。


な、何?!やだ……!


太腿に触れる蓮さんの手を掴むと、その手を退けようと力を込める。


両手で掴んでいるというのに、蓮さんの手はビクともしない。

スカートの中に少しだけ入ったその手に、恐怖で気付けば涙が出ていた。


「やめっ……やめ、てくださ……っ」


ガタガタと震える身体で、涙を流しながら小さな声で懇願する。


辞めてくれると思っていた。

初対面でよくわからない人とはいえ、私は泣いているのだ。


「ごめんね」と言って手を離してくれる。

そう期待していた私は、頭上から聞こえてきた声に思考が追いつかなかった。


「大丈夫だよ、大人しくしててね」


そう言って私をソファへ押し倒した蓮さんは、私に跨ると片手で私の口を塞いだ。


ーーー!!?


突然の出来事に、状況が理解できない。


何、これ……?何……?!

いや……怖い……っ!


ガタガタと震えながら、次々と流れてくる涙。


怖いよ……怖い!

助けて……!助けて、ひぃくん……っ!


何故か私の頭に浮かんできたのは、笑顔のひぃくんだった。


ごめんなさい。

黙って合コンになんて来るんじゃなかった。

もうしない。絶対にしないから。

だからお願い……ひぃくん助けて!!


ギュッと硬く目を閉じた瞬間、部屋の扉が乱暴に開かれた。


ーーーバンッ


その音に反応して、閉じられていた私の目はパッと開く。


目の前に見えるのは私の上に跨っている蓮さん。

その蓮さんがグンッと一瞬上へ持ち上がると、そのまま横へ吹き飛んだ。


「花音っ!」


来てくれた……

助けに来てくれた……!


視界に入ってきたひぃくんの姿を見て、私は安堵からボロボロと涙を流した。


「ひぃ……ぐっん……っ」

「大丈夫、大丈夫だよ、花音。怖かったね、もう大丈夫だから」


私を抱き起こしてくれたひぃくんは、そのまま私を抱きしめると優しく頭を撫でてくれる。


何度も何度も「大丈夫だよ」と言ってくれるひぃくんのその声は、とても優しく私の耳に響いて……

何だかとても安心した。



その後、ひぃくんの連絡で駆け付けてくれたお兄ちゃん。


ーー凄く怒られる。

そう覚悟していたのに……

私を見たお兄ちゃんは、今にも泣き出しそうな顔をして優しく抱きしめてくれた。


そんなお兄ちゃんを見た私は、鼻水を垂らしながら「ごめんなさい」と謝り続けた。


彩奈から事情を聞いた二人は、ずっと手分けして駅前のカラオケ店を探し回ってくれていたらしい。

そんな二人に、私はなんて馬鹿なんだろうと心から反省した。


私をおぶって帰るひぃくんの横顔を見つめ、私は小さく「ありがとう」と呟く。

そんな私を横目に確認したひぃくんは、フワリと優しく微笑んでくれた。


昔から、いつだって私を助けてくれたひぃくん。

男の子に意地悪された時も、痴漢に遭った時も、しつこいナンパに遭った時も……

いつもひぃくんが助けてくれた。


何でそんな事も忘れてしまっていたのだろう。

昔からーー

ひぃくんは私のヒーローだったのに。


目の前のひぃくんにキュッと抱きつくと、私はその優しい温もりに涙を流した。


ひぃくん……ごめんね。

……いつもありがとう。


心地よく揺れる背中の上で、私はそっと目を閉じると黙って自宅へと帰って行ったーー。




※※※




その日の夜、中々寝付けないでいた私は少し震える自分の手をキュッと握った。


今日あった出来事が頭の中で何度も再生され、その度に恐怖が蘇ってくる。


あの時ひぃくんが来てくれなかったら、今頃私はどうなっていたのだろう……?

そう考えると、とても恐ろしかった。


考えちゃダメ。そう思うのに、今日の出来事を思い出してしまう。


眠れないよ……。

そう思いながら、ギュッと瞼を硬く閉じた。


ーーその時

フワッと風が入ってきたかと思うと、カチャリと鍵を閉める音がする。

その数秒後、ギシっとベッドを軋ませたひぃくんが、フワリと優しく私を抱きしめた。


「……花音」


私の耳元で優しく囁くひぃくん。


いつもは私の寝ている間に、いつの間にか忍び込んで来るひぃくん。

まだ午後十時だというのに、今日は私が起きている時間にやって来た。


クルリと後ろに向きを変えると、優しく微笑むひぃくんと目が合う。


「ずっと花音のこと守ってあげるからね」


私を見つめるひぃくんの瞳は、とても優しかった。

私はひぃくんにギュッとしがみつくと、その胸元に顔をうずめた。


そんな私の頭を優しく撫でてくれたひぃくんは、そっと私の髪にキスをすると「おやすみ、花音」と優しく囁いた。


今日だけはひぃくんに甘えさせて貰おう。

今日だけ……。

今だけだから……。


そう心の中で思った私は、ひぃくんの温もりの心地良さにゆっくりと意識を手放していったーー。





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