ReAct Ego/from Solid Hearts

澄渡みみ

第1話「再演・序」

 

プロローグ


 張り詰める空気、肌を切りつけるような冷気。そして、目の前には蠢く肉塊。

そのおぞましい『死』を前にして俺は、ただ立ち尽くしていた。


「っ! 来たわ! 早く逃げなさい!」


 声が聞こえる。逃げなくては。――――だが体は動かない。目の焦点が合わない。足が竦む。手は。…………手は?


 ――――ツルギ。汝ノ心ハ剣ナリ。ソノ手ヲ構エヨ。従エバ、道ハ開カレン――――。


 声が。いや、心が聞こえる。俺は――――――


 伸ばすより他はない。やるかやられるか――それのみがそこにはあった。それのみがその領域を支配していた。

 ならば、どうする? 愚問だ。答えは明白だ。


 俺は、その手を――




【ReAct Ego】




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 師走の商店街を歩く。道を行き交う人々はまるで川を登る魚のようだ、などと、俺は達観した感情を抱きながら……やはり同じように往来という名の激流をかき分け進んでいた。

 ……喧騒、雑談、雑踏。様々な音が聞こえる。俺はその只中で唯一人、誰にもわからぬ感傷に浸っている。ただのそれだけ。そう、ただのそれだけなのだ。


「…………」


 ――人々を見ていると、いつぞやの戦いを思い出す。平穏な日常の中でさえ、人々の心の中には武器がある。誰もがそれぞれの手札を持っている。それがあの世界の理。抗えないルールだった。……そう。『だった』。あの理はもうない。……けれど、けれど。


「――けれど、人の心にはまだ――」


 つい、口から言葉が漏れた。抑えていた気持ちが堰を切ったように流れだそうとしていた。

 ――そんな時。俺の目の前に『彼女』が現れた。


「……やぁ、久しぶり」

 俺は、手を振りながら彼女――明美あけみに声をかけた。







◆/


 ――暗闇の地下室で、鎖を引きちぎる音がした。俺はソレを、視界を共有するという奇妙な形で見ている。


――ああ、これは夢なのだ。明晰夢へと変化した視界共有を、俺は無心で受け入れた。

鎖をちぎったのは視界の主。俺にこの光景を見せている何者か。

鎖が繋いでいたのは視界の主。俺に、この光景から何かを伝えたい誰か。


けれど、俺にはわからない。この光景も、鎖で繋がれていた人物も。そのどちらにも、俺には心当たりなどなかった。


強いて言えば、鎖が砕けるまで心に刻まれていた閉塞感――それだけは、なぜだか馴染みがあった。




【Solid Hearts】


1/


 もう一年が終わろうとしている。年始の準備という高難度ミッション、その慌ただしさはようやくおさまってきた――が、冬の寒さは一向におさまらない。きっと三月ごろまでずっとこの調子なのだろう。


 俺の住んでいる星摘ほしつみ町は、日本の中央付近に属しているため気候は穏やかであるが、それでも冬はとても寒い。できることなら、家でこたつに入ってごろごろしていたいものだ。だが、そうは言っていられない。今日はどうしても外出しなければならない。


 なぜなら、今日は俺が料理を作らなければならないからである。明日は月曜日だというのに、どうして親父は今日飲み会なんかに行くのだろう。二日酔いになったらどうするのだろうか。

 ……それよりも、この仕打ちが納得いかない。せめて、食料品ぐらいは買っておいて欲しかった。こんな丸投げあんまりである。


 ――親父というのは、俺こと月峰つきみねカイの父、月峰礼二れいじのことである。親父は、ただの一度も〝お父さん〟とは呼ばせてくれない。わけを聞いても、


『だって俺ぁ、父ちゃんなんて柄じゃねえもん。つまりな、お父さんなんて呼ばれるほど立派じゃねえんだよ、分かったな?』


……の、一点張りである。まあ俺は俺で意地を張っていたので、


『じゃあ、親父ならどうだ? ちょっとフランクになったからコレでいいだろ』


なんてことを言って無理やり了承させたのだが。


 ――それにしても、先ほどの夢は一体なんだったのだろう。俺の知っているリアルではないように思われる。なにせ俺にはあんな光景、覚えがない…………はずだ。

 思い返してみても、あの腕は俺の腕より細かった。俺があれほどの細腕だった頃――幼少期を思い出してみても、やはり俺でないという実感が強まるのみ。……そもそも、夢で共有した視界、その主は幼子ではなかった。視界に映る範囲での推測だが、あれは恐らく俺と同年代の――


 「やあ、月峰。こんなところで会うなんて珍しいじゃないか。なんだい? 彼女欲しさにナンパでもしようとしていたのかい?」


そんなことを考えながら駅前のアーケード街を歩いていると、気の置けない友人の一人である崎下さきしたとおるにそんな愉快な挨拶をされた。


「別にナンパしにきたわけじゃない。それに、そういうお前だってひとりじゃないか。お前の方こそナンパが目的なんじゃないのか?」


 こちらも愉快に返すことにした。少しばかり悔しかったからだ。


「フッ。馬鹿なことをいうなよ、月峰。僕はね、何もしなくても女の子の方から寄ってきてくれるんだよ。今日だってデートの待ち合わせでここにいるんだ。君とは違うのさ、がはは」


 ……腹立つ。心の底から腹が立つ。だから自然と口調がけんか腰になっていく。


「中々愉快なことを言うじゃねえか、徹。俺はモテたいと思ったことはあっても、お前みたいな女たらしになりたいと思った事なんて一度も――」


 俺の悔し紛れの反論は、一人の少女が視界に入った瞬間、途切れた。


「――? どうしたんだい? 誰か見つけたのかい、月峰。…………おや、あれは誰だろう。なんだか具合が悪そうだね」

「ああ。すごく苦しそうだ。ちょっと行ってくる」

「ああ。行ってきなよ。そして、カッコいいとこ見せちゃいなよ」

「アホか。……………………でもまあ、その線も考えておく」

 結局、徹の言った通りになってないか、これ……。




 俺の視界に入った少女。歳は恐らく同年代。その黒絹を思わせる黒く艶やかな長髪、血色の良いきれいな肌、美しいスタイル、ダボダボのパーカー。その全てが一瞬にして俺の目を奪った。なんなら外見だけでなく性格もきっと女神のようであると確信してしまった。その少女はまさしく美少女としか言いようのない女の子なのであった。


 ……つまりはひとめぼれというやつである。確認のためもう一度いわせてもらうと、月峰介は眼の前の少女に一目惚れしてしまったのである。そんな彼女がつらそうに歩いているのを見て、この俺がそれを放っておけるだろうか、いや放ってはおけない。ゆえに、俺は悪友の崎下徹との喧嘩をほっぽって駈け出したのだ。




 ――――で、声をかけたわけなのだが。


「よ、よう。なんだかとても具合が悪そうだけど大丈夫でしょうか?」

「…………」

「…………」


 何をやっているんだ、俺。違う、そうじゃない。もっとこう、フランクにいくべきだろう俺。なんで『よう』で始めたのに最終的に敬語になっているんだ、俺。

 ……いや、それも違うぞ、俺。彼女は今すごくつらそうに見える。だからもっと優しくしなくちゃいけないというかなんというか。そんな感じなんだ。だからつまり――――。


「……用があるのなら早く言ってくれないかしら。……えっと、月峰くん」

「――――え。……あ、ああ。すまん。その、えっとさ、キミ、なんかつらそうだったからさ、大丈夫かなって思って声をかけたんだよ。……家まで送って行こうか?」

 ……驚いた。俺の名前、呼ばれるとは思っていなかった。もしかして知り合いなのだろうか? 残念ながら俺には心当たりがなかった。


「いえ、お構いなく。一人で帰れるから」

 ……軽くあしらわれた。少しなれなれしかったか。……だけど、一人で帰れるとは思えない。この女の子、顔が真っ青じゃないか。やはり心配だ。送っていかなくては。


「……家はどこにあるんだ?」

「ずいぶんと不躾なことを聞くのね」

「そりゃ聞くだろ。喋っていて気付いたけど、全然余裕無さそうだぞ、キミ。ここから遠いのならやっぱり心配だ」

「……お構いなくって言っているでしょう。こうやってあなたと話しているだけでもつらいのよ」

「ここから遠いのかどうか。それだけ教えてくれ」


 俺は少女の目をじっと見つめる。彼女がつらいのは分かっている。それでも、このまま彼女を一人で帰らせる方がきっと危ない。そんな直感が俺にはあった。

 ……しばらくすると彼女が諦めたように軽く息を吐いた。――どうやら根負けしてくれたようだ。


「……あそこに見える建物よ。マンション。知ってるでしょ」

 そう言って彼女が指差したマンションは、ここからだと屋上しか見えない。……というか。


「えっ、アレ!? 歩きだとここから三十分はかかるじゃないか!」

 体調不良であそこまで歩いていくのは中々ハードだと思う。……やっぱり送ってやらないと。


「……だから言ったじゃない。あんまりのんびりしている余裕なんて――――って、なにするのよ!?」

 俺は彼女を手早く抱きかかえて、マンションの方へ歩を進めた。――最早恥ずかしさなど消え失せていた。


「下ろしてよ! お構いなくって言ったでしょう!?」

「いいからしばらく寝てなって。それとも俺んちに行こうか? すぐそこだぞ」

「――――!! …………それはやめておくわ。それなら家まで送って行ってもらった方がいいわ」

 今一瞬すごくビクッとしたぞ、この娘。そんなに我が家は嫌なのか。少しショックである。


「……まあとにかく、最初からそう言ってくれたらよかったんだ。その方が俺も気分が楽だ」

「……私は全然すっきりしてないわよ」

「うっ、それを言われると反論できない」

「…………まあいいわ。不本意だけど、一応お礼は言っておくわ。……ありがと」

 それだけ言うと、彼女は寝息を立て始めた。相当無理をしていたのだろう。


 ……それにしても、今のはなんなのか。テンプレか。テンプレなのか。あんなお礼のされ方は現実では初めてだ。……でもまあ、破壊力は非常にあった。一目惚れの相手に言われたので尚更である。彼女と親密な関係だったならば、さらにすごかったのだと思う。もっと前から会えていたら良かったのに。



 マンションに着いてからは、特筆すべきことは無かった。彼女――表札には『桐生きりゅう』と書かれていたので、たぶん桐生さん――から淡々としたお礼があっただけであった。……そうだ、お菓子をもらったのだった。……お菓子をもらえただけでも十分である。そんなことは分かっている。分かってはいるがやはりなんていうかその、笑顔が見たかったな、と、そう思ったのであった。




「――――忘れてた」

 やってしまった。晩御飯の材料を買い忘れていた。駅に行ってやったことといえば、崎下と話して桐生さんを送っていったことぐらいだ。まあ元は取れているのだが(主に桐生さん的な意味で)。


 ――いやダメだろう。どう考えてもダメだろう。晩御飯はやはり必要だ。人間、食べられる時に食べておかないと駄目である。でないと大変である。


「しゃあない。なんか食いにいくか……」

 俺は持っていた荷物を机に置こうとして。

「あ。桐生さんから貰ったお菓子があるじゃないか」

 我ながらナイスアイデアだと思った。やはり、いいことはしておくものだな、おかげで商店街まで戻らなくてよくなった。


「……いや待て。流石にクッキー五枚じゃ腹は膨れない」

 駅前の商店街までは徒歩で十五分かかるが、まあ、致し方ない。何かしら買いに行こう。

 さっきは人助けして気分が良くなったのだからそれで上々だろう。ありがとう、桐生さん。俺は心底ウキウキだった。……この時までは。




 平穏が崩れるのは一瞬だった。




 夜道を歩く。少し暗い。いつも思うのだが、この道は街灯が少ないと思う。もう少し明るくすべきだ。


 ……そう。もう少し明るければ良かったのだ。もう少し明るかったならば、地面に落ちていた空き缶で躓くことも無かっただろう。――そして。もう少し明るかったならば、躓いた拍子に、視界に入った中では唯一街灯に照らされていた民家を見ることも無かっただろう。


「――――え」


 俺は、見てしまった。空気の抜けた風船のようにしわくちゃに萎んだ人間、いや、ニンゲンだったモノを。


 何だアレは。どうやったら人間があのような状態になるというのか。思考が追いつかない。俺は人間をあんな風にする方法なんて知らない。常識的に考えてありえない。そう、同じ人間の感覚ではありえない。あれはまるで。


「――――吸血鬼」

 そんな言葉を、俺は呟いていた。


「察しがいいのね。月峰君」

 そんな、あり得ない声が背後から聞こえてきた。

「――――――!?」

 瞬時に振り返る。そこには。

「……桐生さん?」

 やはりあり得ない存在がいた。




「何で、キミがここにいるんだ」

 当然の疑問を口にする。だがそれを。


「何でって、そんなの、吸血鬼を追いかけてきたからに決まっているじゃない」


 なんて、とんでもないことばで返してきた。まさかこの少女が電波ガールだったなんて思いもしなかった。


「……気分が悪すぎておかしくなったのか? なんなら、もう一回送って行ってもいいぞ」

「馬鹿言わないで、月峰君。そこの死体を見たうえで、まだ現実から目を逸らすっていうの?」

「……いや、それは……」


 何とも言えない。確かに殺害方法が常軌を逸している。吸血鬼の仕業と言われた方が、まだ納得できる。しかし、だからといってそんなことを信じられるかといえばそんなことはない。


「ほ、ほら。今の時代、でっかい輸血タンクとかあるだろ、たぶん。それみたいな感じのポンプとかあるんじゃないかな」

「まだ信じないのね。なら、首元を見てみなさい」

「え、あ、ああ」

 俺は言われた通りに遺体の首元を見た。


「――――」

 そこには、ぽっかりと空いた二つの小さな穴があった。それはまさしく吸血鬼の牙の痕のようであった。


「うそ、だろ」

「本当よ」

「いや、でも」

「これで分かったでしょう。……逃げ出すなら今のうちよ。もうすぐ、動き出すから」

「――――は?」

「だから、アイツね、今はただの死体だから何しても動かないけど、そろそろ動き出すわよ。……月峰君だって知ってるでしょう? ゾンビくらい」


 ゾンビ? そんなものが実際に存在するというのか。……いや、とてもじゃないが信じられない。そんなもの、存在するわけが――――。

 腐臭と共に骨のきしむ音が聞こえたのは、その思考が終わるかどうかという瞬間であった。


「っ! 来たわ! 早く逃げなさい!」


 桐生さんの声が聞こえる。それと同時に何かが来る。迫りくる。爛れた肉の、明らかに現実離れした男……だったモノが。


「――――」

――思考が追いつかない。体が動かない。目の焦点が合わない。足が竦む。手は。…………手は? 


 ――――ツルギ。汝ノ心ハ剣ナリ。ソノ手ヲ構エヨ。従エバ、道ハ開カレン――――。


 声が。いや、心が聞こえる。

張り詰める空気、肌を切りつけるような冷気。そして、目の前には蠢く肉塊。

そのおぞましい『死』を前にして俺は、ただ立ち尽くしていた。


 伸ばすより他はない。やるかやられるか――それのみがそこにはあった。それのみがその領域を支配していた。

 ならば、どうする? 愚問だ。答えは明白だ。




 そして、前方から爛れた肉塊が突っ込んでくる。そんな中、俺は。




「――理解した」

 右腕を、ゾンビめがけて突き出していた。




 声が聞こえた。いや、己が心のあり方が見えた。迫りくる死を目前にして、どうすればいいのか。それが理解できたのだ。


 俺は。

 当然のように右手から剣を数発ほど射出した。

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