地獄直行

水無月暦

地獄直行

「悪い事をしたら、死後地獄へ行く。」


あらゆる宗教で、昔から良く聞くフレーズである。

しかし、悪い事をしていなくても地獄に堕ちる事もある。

これはそんな理不尽な目に遭ってしまった私の不幸な物語だ。

いつもと同じ平凡な一日を過ごした夕方、不意に背後から私を強い衝撃が襲った。

周囲にこだまする悲鳴と怒号、そして少し遅れて聞こえ始めた救急車のサイレン。

薄れゆく意識の中で、私は自分が交通事故に遭ったのだと確信した。


意識が戻るとそこは病院のベッドではなく、見たこともない川原だった。

冷静に先ほどの事故と、今の現状を照らし合わせて考える。


「ここって、三途の川かな?」


どうやら私は死んだようだ。

泣き叫ぶひと、怒り叫ぶひと、徘徊するひとひとひと。

川原の周辺には、鬼哭啾啾として不気味な雰囲気を漂わせるひとが沢山佇んでいた。

私は近くにいた船頭のような人に声をかけた。


「あの、ここって三途の川ですか?」


「いや、天国逝き3番船乗り場だよ」


良く見ると、川には周囲の雰囲気とは不釣合いな近代的なボートが浮かんでいる。


「これって六文銭で乗れるんでしたっけ?」


「この平成の時代に文とか何に使うんだ、今だと片道1980円でいけるぞ」


どうやら、私の知っているあの世とはちょっと違う感じらしい。

さらに周囲を見回すと、遠くからガシャガシャと何かが迫ってきていた。

先入観で判断するのは申し訳ないが、あの骸骨頭はどこからどう見ても死神だろう。


「あちゃ~まじで死んでるよ!」


それが死神の第一声だった。


「交通事故だよね?なになに、どこで死んだわけ?」


死神は死んだばかりの私に、デリカシーのない直球な質問をぶつける。


「中学校の近くの交差点です、あの角に本屋のあるところ」


「まじかぁ~、あと5メートルずれてれば俺の管轄外かよ」


どうやら私の死は死神には都合が悪いらしい。

死神はため息をつきながら、たばこのようなものに火をつけた。


「ふぅ~、あっ俺は君の死んだ近辺を管轄する死神です。」


胡坐をかきながら、思い出したように雑な自己紹介をする。


「あの、私死んじゃったんですか?」


「うん、死んでほしくなかったけどね」


死神は不機嫌そうに、どこからともなくノートパソコンを取り出した。


「死神がパソコンとか、あの世もIT化が進んでるんですね。」


「スマホでもいいんだけど、あれ俺の指だと反応しないんだよな。」


振り向きもせずに、熱心にパソコンを操作する骸骨の絵はすごくシュールである。


「か~ぁ、またあんた徳が高けぇなおいっ!」


突然大声を上げる死神にびくりとする。


「これ、君で間違いない?」


パソコンの画面に表示されていたのは、私の個人情報だった。


【氏名】**********


【性別】女


【生年月日】**年2月21日


【職業】学生


【徳】12003


【備考】.........


「はい、間違いないです」


死神は頭を抱えて悩んでいる。


「ポイ捨てや信号無視の軽微な悪事もないどころか、週末は教会でボランティアってどんな偽善者だよ」


どうやら死神は、私の生前の善行がお気に召さないようだ。


「今ね、天国は満員なんだよね」


突然、死神がぶっきらぼうに語り始めた。


「かなり前から天国を広げる工事はしてるんだけど、最近人間が死ぬのが多くて全然間に合わないのよ。」


「それで、天国がもう少し広くなるのにあと50年はかかるわけ……。」


「で、上から出来るだけ天国に逝かせないでくださいって命令がきてるんだよね。」


そして死神は、腕を組んで急に威圧的に話し出した。


「だいたい君さぁ、まだ逝くには若すぎなんだよね!」


「まだ全然生きられるのに死んだとか、90とか100歳で天寿をまっとうした人達に申し訳ないとか思わない?」


とても棘があり、自己中心的で理不尽な物言いだ。

私も事故に遭いたくて遭った訳ではないし、死にたかったわけでもない。

だが、死神の不快感はとてもよく伝わってくる。

どうやら意地でも私を天国に逝かせたくないようだ。


「どうするのがご希望なんですか?」


私の質問に、表情のわからないはずの骸骨が微笑んだような気がした。


「あっ何、簡単な話なんだけど、ちょっと地獄でがんばってほしいだけ」


死神のその言葉に、さっと血の気が引く。


「やっ嫌ですよ、地獄なんて!」


「まあまあ、そういわずに。」


思わずでた大声にも死神は動じず、カタカタとパソコンを操作し始めた。

そしてくるりとパソコンの画面をこちらに向けると、カーソルを下へ移動させた。

カーソルはずんずんと下へ進み、私の個人情報の備考欄の更に下へ移動する。

そして画面に表示され始めたのは、私の過去の赤裸々な秘密のエピソードだった。


「私は小六までおねしょをしていました~!」


「私は高校生になってもいまだにぬいぐるみを抱かないと眠れませ~ん!」


「実はボーイズラブが大好きで~す!!」


私の過去の赤っ恥エピソードを大声で音読する死神、そしてざわつく周辺。

自分の顔に血液が集まり、瞬時に真っ赤になったのがわかる。


「ちょっだまれこの馬鹿死神っ!!!」


その言葉に、表情がわからないはずの骸骨がニヤリと笑った気がした。

突然、ものすごい速さのタイピングでパソコンに打ち込みをはじめる死神。


【報告書】


本日××中学校近くの交差点において交通事故死した少女の処遇ですが、担当死神の天国誘導に強く拒否を示し、また担当死神に暴言を吐くなどとても天国に誘導できる状態ではなかった為、地獄にてもう少しの更生が必要なものと判断し地獄行きの処理をいたしました。


「ちょっと、なんですかこれ!」


後ろから覗き込んだ私に、死神は手を振りながら答えた。


「まだ若いんだし、あと60年くらい地獄でがんばってね」


目が覚めると私は病院のベッドの上だった。

両親は泣いて喜び、医師達は奇跡だと歓喜の声を上げた。


(なるほど、現世=地獄ってやつか)


私はこの時知った。

この世にある数多の奇跡の原因は、ぼんくら死神の怠慢であると。

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