第六話 流転

 灼熱の嵐が街の全てを薙ぎ払っていく。


 熱風が路地の間を凄まじい勢いで走り抜け、無数の火の粉をまき散らしていった。舞い上げられた枯葉が燃え上がり、蝶さながらにひらひらと夜空を彩っていく。塔の鐘は既に沈黙していて、あちこちの広場から、退路を確認しあう人々の叫び声が響き渡る。


 町で一番高い教会までもが噴出する炎に飲み込まれ、空中に数千、数万の火の鱗粉を吐き出していた。助けが来ないと悟った者たちは、焼死する前に自ら飛び降りて命を絶った。竜の炎は容赦なく、逃げ惑う者たちに滝のように襲い掛かった。火炎の海で死の舞踏が繰り広げられ、黒炭と化した者たちはさらに赤く熔け崩れていく。


 逃げ場を閉ざされたクリスティナは、振り返って眼前の竜を真っ直ぐに見上げた。紅蓮の輝きがクリスティナを包み込んだ。



§



「ラメルダ、とてもよく似合っているぞ。戴冠式が楽しみだな」


 顎髭を撫でながら、ガウセル伯爵が満足気に頷く。一月後に迫った神聖ガロリヤ帝国新皇帝の即位式。その衣装合わせに、丸一日を費やしていた。


「式の際にはそのペンダントは外しなさい。金剛石ダイアモンド首飾ネックレスを用意させているのだから。いいですね」


 義母のガウセル伯爵夫人が穏やかな、しかし逆らい難い命令口調で告げた。



 やがて部屋に一人残されたラメルダは、溜息交じりに胸の紅玉ルビーを握りしめた。見事な装飾の腰掛に座り、窓外の夜景を眺める。眼下の城下町はなお明かりを灯し、疲労したまどろみの中に身を投じる人々で賑わっていた。


 しかしラメルダの思念は、闇に浮かぶ幾多もの灯火の向こう側にあった。彼女はここ八年より以前の記憶を喪失していた。養父母のシュペー侯爵夫妻によれば、遠縁から引き取られた際、戦火に巻き込まれたのだという。


 だが侯爵夫妻のみならず、誰に尋ねても、己の両親は誰か、己はどこで戦火に巻き込まれたのか、答えてくれる者はいなかった。神聖ガロリヤ帝国貴族の養女から、伯爵家長男の妻という立場を得ても、出自不明という事実が常に彼女を不安にさせている。



 大陸の大半を巻き込んだ大戦が終結したのが八年前。終盤には赤炎の竜までもが覚醒し、多くの町々を焼き尽くした。ほどなくドルーセン王国は瓦解し、帝国に併合された。竜はいずこへともなく姿を消したとされるが、いつ再び現れるのかと誰もが戦々恐々としている。


 併合の後、帝国は旧ドルーセンの民を帝国内の随所に分散移住させ、舗道や河岸の整備、築城などに従事させている。要するに奴隷である。過酷な労働の果てに体を壊した者は、町に放り出され物乞いとなる他なかった。


 ドルーセンのみならず、帝国と交戦した国の多くが併合され、民の多くがドルーセンと同じ末路を辿っている。


 いつか、帝国への鬱積した怒りが爆発するのではないか。そうした不安を抱く者もないではなかったが、圧倒的な兵力を誇る帝国に仇なす術など、もはやどの周辺国にも残ってはいなかった。

 



 だが、ラメルダの抱える不安は己の記憶や世情のみではない。近頃、彼女は悪夢にうなされる日々が続いていた。


 白い石柱が立ち並ぶ玉座の間で、見事なまでの黄金の髪の令嬢がラメルダに囁くのだ。


『殺セ 殺セ 殺セ 殺セ 殺セ 殺セ────』


血の色に輝くその瞳が、己の心を掻き乱していく。


「誰を……誰を殺せと言うの?」


そして、記憶の淵から朧げな人影が浮かび上がってきたところで、身も震えんばかりの恐怖に襲われ、叫びながら目を覚ますのだ。そうして息を荒げ汗に濡れた夜着を握りしめたまま、夜明けを迎えるのである。



 かぶりを振って、ラメルダは葡萄酒をあおった。明日は夫と五歳になる息子と三人で、貴族同士の茶会に行くことになっている。今夜ばかりは早く眠らなければ。


 養父シュペー侯爵の知己、ガウセル伯爵の長子アメデールとの結婚は半ば強引に進められた。


 少尉でありながら緩い雰囲気のこの男を、特に好きになった訳ではない。戦時においては僻地の警備を担当し、前線に出たことは一度もないらしい。茶色の巻き毛も落ち着きのない目の動きも、彼の気忙しい気性を物語っているようで不快ですらあった。知能も人並み以下で、体も弱い。伯爵家の跡取りでありながら結婚相手がそれまで見つからなかったのも頷ける。それでも、恩義のある侯爵の望みとあっては断ることもできなかった。


 結婚は女の幸福しあわせだと人は言う。本当にそうなのだろうか。己には分からない。夫とは既に寝室すら別にしているくらいなのだ。ただ無事に生まれてきた長男のフィリップだけには、愛情をもって接することができている。何もかも恵まれているようで、その実ただ一つと言ってもよい己の生き甲斐。



 ラメルダは胸のブローチを外し、月光に透かした。血の色に染まる月は、悪夢に現れる令嬢の瞳にも似ていた。

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