第三話 漆黒の呪い

 花園での件を誰にも打ち明けられぬまま、三日が過ぎた。あの不可思議な娘についてそれとなく使用人や母に尋ねてみても、手掛かりは得られなかった。銀髪の娘との邂逅が何かの凶兆のような気がして、ミレイユは胸の内の不安を兄のベルナート王子にだけは伝えようと思っていた。しかし、その機会は永久に失われることとなった。


 ベルナートが、城のすぐ近くの森で黒い鎧の下敷きとなり潰死しているのが発見されたのである。知らせを聞いた王妃エレオノーラは失神し、国王は即座に近衛兵を伴い森に向かった。ミレイユもまた凶報に衝撃を受けたが、母を心配してその側に残った。


 国王アンドラージュは暗い鬱蒼とした森の中を駆け抜け、黒々とした澱みをたたえる小さな沼の畔に辿り着いた。王もよく狩りを行うが、その沼はひどい腐臭を漂わせているため近づくことは稀であった。すでに供の者たちが王子の遺体を鎧から引き剥がし、仰向けに横たえていた。彼らは乗馬の最中にはぐれたとのことで、なぜこのような事態に至ったのか理解しかねているようだった。


 話によるとベルナートは俯せの状態で、黒い鎧がその上から覆い被さり若く細い体を圧し潰していたという。まるで背後から追いかけてきた鎧が、逃げ惑う王子をついに捕まえて羽交い絞めにしたまま倒れこんだかのように。ベルナートは肋骨は殆どが折られ、吐血し、絶望的な表情で両目を見開いたのだと。王が話を聞く間にも、死臭に引き寄せられた蠅が何匹も周囲を飛び回り、自らの胤を植え付けんと隙を窺っていた。


 王はじれったそうに、これは誰の鎧かと尋ねた。誰かが王子を殺害し、そしてこの黒鎧を残したのに違いないのだ。


「紋章から察するにオルヴァーン卿の鎧でございます」


 胸板の刻印を確かめた近衛兵の一人が声を上げた。


「オルヴァーン卿だと…………」


 オルヴァーン卿はかつて、国王が若かりし四十年ほど前に王座をかけて争い、自刃した男である。謀略の渦巻く国政にあって、このような出来事は珍しくもない。しかしなぜ今、オルヴァーン卿の鎧がここにあるのか。遺族か家臣の復讐とも考えられるが、なぜ寄りにも寄ってこの時機なのか。


 国王はおのが息子の死を嘆くどころか不機嫌さを隠そうともせず、護衛としての役目を全うできなかった侍従四名の首を撥ね、さらに黒鎧を沼に沈めて遺体を馬車で運ばせた。


 王子の遺体は直ちに城の納骨堂に急ぎ納められ、王妃エレオノーラや王女ミレイユにもこれに近づくことを禁じた。まるで疫病に冒された遺体を隔離すかのように、あるいは忌まわしき呪物を封印せんとするかのように。これに異議を唱える臣下もあったが、王はこれを国家存亡の機に葬儀などしている余裕はない、いずれ頃合いを見て国葬に付すとして退けた。

 



 アンドラージュ王はその後自室に籠り、落ち着かぬ様子で部屋の中を右往左往していた。その胸中に去来するものは何であったのか。ふと、王は足を止めた。部屋の中の一点を見つめ、やがて青ざめた顔で震え始めた。視線の先には、いつ現れたか、黒いローブを身に纏った女の姿があった。その全身から黒い冷気が溢れ出すかのように、周囲の空気が黒く、重く澱み始めた。


「フフフフ……いよいよ滅びの時ぞ…………アンドルの息子、アンドラージュよ」


 冷酷にして禍々しい憎悪に満ちる声。フードの下から妖しく輝く瞳を、王は睨み返す。


「黙れ!! 消え失せよ忌まわしき魔女めが!!」


 王は大剣を抜き放ち、女めがけて振り下ろしたが、刃は虚しく宙を切るのみであった。顔を紅潮させた国王の額から、大量の汗が流れ落ちていく。  


「この時が来るのをどれだけ待ちわびたことか…………ぬしの世継ぎは既に亡く、あの愚鈍な娘もいずれ後を追うであろう…………」


 喜悦の入り混じる嘲りを含んだ声。振り向きざまにその方向に大剣を薙ぎ払う。しかし、またしても刃は空を切った。よろめきながらも王は宙に向かって叫ぶ。


「たわけ!! かようなことを儂が許すと思うてか!!」


「二百余年栄えしこの王国も、ぬしが血族も、何一つ守ることあたわぬ。例え我が呪いを解いたところで、異教徒どもが我が望みを叶えようぞ…………」


 流れるがごとくおのれの周囲をめぐる女を目で追いながら、王は声の限りに叫ぶ。そのしわがれた声には追い詰められし者に特有の悲壮な響きがこもっていた。


「うぬの思い通りになどならん!! 神かけて誓おう……我が国に仇なすもの全てを、このつるぎにかけてうち滅ぼしてくれようぞ!!」


 返ってくるのは嘲りの声。それは四方から幾重もの残響を伴い、王の耳朶を震わせる。


「さすれば王よ、大地を一分の隙もなく血でくれないに染め上げてみせよ。敵味方の差別なく、この山城全てをつわものどもの屍で埋め尽くすがよい」


「黙れ!!」


 声が背後に近づいた瞬間を狙い、振り返ると同時に大剣を突き刺す。肉を貫く感触と共に、赤い体液が白刃を伝い絨毯に滴っていく。魔女は胸を貫かれながらも、侮蔑と殺意をその瞳に漲らせて王を睨み据えた。その口元から赤黒い液体がごぼりと零れ、やがて力なく体が沈み始めてから、ようやく彼は剣を引き抜いた。




 近衛兵が駆け込んだのは、魔女が倒れ伏すと同時であった。


「これは…………一体…………」


 絶句する近衛兵に王は告げる。


「こやつは我が一族を呪いし魔女じゃ!! 今ようやく儂がこの手で討ち取った!!

 この骸を焼き払い、谷底に投げ捨てよ!!」


 しかし近衛兵は凍り付いたまま動こうとない。苛立った王が何度かけしかけると、ようやく近衛隊長が震える声で言った。


「我が王よ……この方は……ここに倒れておられるのは……王妃殿下でありますぞ!!」


「な…………お、おお……!!」


 王は目を見張った。そこに横たわるのは紛れもなく彼の愛する妻、エレオノーラであった。王妃の胸元からは明らかに致死量の鮮血が流れ出し、薄緑色の絨毯を赤く染め上げていた。余りの事態に崩れ落ち膝をつく王。とどめとばかりに、魔女の哄笑が高らかに響き渡った。


「わらわもまた、我が崇めし魔神に祈ろうぞ。例えそなたの一族が滅ぶとも、その苦しみがこの世の果てまで永劫に続かんことを!!」


 呆然とする王に残した魔女の最後の言葉が、禍々しく尾を引いた。

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