第4話 離婚問題と祖母ちゃん問題
「んじゃ、今のうちに行くわ」
不機嫌にリートが吐き捨てる。
ピピが寝ているうちにと、彼は素早く荷づくりをしていた。彼女が起きたらまた、仲良し夫婦でいて下さいって泣きわめくだろう。だから、今のうちに出て行くつもりのようだ。
こちらも止める気はさらさらないので、勝手にすればと眺めていた。
黙々とリートは自分の服をリュックに詰めてゆく。ここに来た時より、色々と荷物が増えているわけだけど、入りきらずに置いていくようだったら全部捨ててしまおう。リートのお金で買った家具とか、鍋とか、食器とか、そういうのも全部。
リートはパンパンになったリュックを背負って立ち上がった。
「……これくらいか。後のものは、お前にくれてやる」
「明日、ゴミに出しとくわ」
ギッと睨んでくるリートなんかに、私は負けない。何がくれてやるだ。ここは私と祖母ちゃんの家だ、出て行けクソ野郎。
ものだけじゃない。ヤツの痕跡も跡形なく消してやるんだから。大掃除して全部捨ててやる。思い出なんか、何もいらない。
とその時、奥の部屋の扉がギギギと嫌な音を立てて開いた。思わず、しまったまずいと、頬が引きつる。
「おやおやおや、リート君や、どうしたね? おっきな荷物だねえ」
タイミングの悪いことに、祖母ちゃんが起きてしまった。あともう数分でいいから寝ててくれれば良かったのに。
ピピも起きたらややこしいが、祖母ちゃんもややこしいぞと頭を抱えそうになる。適当な言い訳しとこうか、本当の事を言おうか悩んでしまう。
祖母ちゃん対策を何も考えてなかった。
――どうしよう。本当のことっていっても、前世がどうのとか言っても祖母ちゃんにはわかんないだろうし……。かといって離婚するんだって言ったら、ショック受けるだろうし……心臓発作でもおこされたら大変だし……ああ、なんて言
「祖母ちゃん、ごめんな。俺、ニアた……ニアと別れて王都に行くことにしたんだ。もう出て行くよ」
「ちょっとぉぉっ!」
リートの奴、私がどう言うべきか悩んでいるスキにど直球で言った。さらりと言いやがった。
ニッコリ笑って口調を優しくしたって、爆弾発言には違いはない。勝手なことしないでよ。
――それから、今ニアたんって言いかけたな。キモいわぁ! 金輪際二度と言うんじゃない!
「あ、待って。あのね、祖母ちゃん……」
「はいはいはい。リート君とニアたんは王都に行くんだね。いつも一緒で仲がいいねえ。で、いつ帰るって? お土産は王都せんべいかい?」
――祖母ちゃん、せんべい買いに行くんじゃないんだ……。別れて、が抜けてるよ。でも、どうしよう。祖母ちゃんを驚かせないように、別れるって伝
「じゃなくてさ、わ・か・れ・るんだよ。俺は出て行く。今まで世話になってありがとうな」
「だからぁぁぁ!!」
黙ってろとリートの肩をドンと押すと、生意気にも押し返してきた。ほお、死にたいようだな。
「ん?
「あん? いや、離婚するってことで」
「リ、コン……?」
「もう! 直球は止めてって!」
この頃の祖母ちゃんは、少し耳が遠い。自分に都合の悪いことは聞こえないお茶目さんなのだ。内容も強引に捻じまげて頭に届くという、特別仕様なのだ。ボケのはじまりだろうか。
で、今の場合、祖母ちゃんにとって都合が悪いというのは、私とリートが離婚するってことなわけで。
祖母ちゃんはリートをとても気に入っていて、孫みたいに思ってて、私たちに子どもができることを切望していた。
結婚したての頃、ニアはいい人を見つけたね。いっぱい幸せにおなり、といつも言ってくれた。私たちが仲良くしているのを見るのが、祖母ちゃんにとっても幸せなんだと言って、いつもニコニコと見守ってくれたのだ。
近所の人が、いつもベタベタして見苦しいとか言ってきても、幸せなんだからそれでいいんだよと笑っていた。
そんな優しい私の祖母ちゃんに、このクソ男はずばりと言いやがった。離婚するなんて言ったらショックを受けるに違いないのに。元々心臓が悪いから、発作起こすかもしれないのに。人の祖母ちゃんだと思って、無責任にもほどがある。
「そう、離婚する」
――少しはオブラートに包めよ! この人でなし!
祖母ちゃんの顔色が、すっと白くなったような気がする。ワナワナと震え出した。
「…………リコ、ン」
思わずリートの腹に正拳突きをくらわしていた。
ヤツはゲフっとせき込んで腹を丸めたけど、私の拳がぶち当たる寸前に半身を引かれてしまったので、さほど効いてないだろう。ちきしょう、村の自警団第三班、元班長である私の渾身の突きをかわすとは!
間髪入れずに蹴りを放ったのだが、ヤツの腕がビュンと飛び出してきて足首を掴まれてしまった。離せ、こんちきしょう!
鬼畜な現班長は、掴んだ私の足をぐいぐいと引っ張りあげ、極悪な顔でフンと嗤いやがった。スカートがめくれて、パンツが丸見えじゃないの、止めて! そんなに見たいか、この脚フェチドスケベが!
「あ、あ、あなた、たちーー! いひぃぃーー!」
祖母ちゃんの悲鳴で、私たちはぴたりと動きを止めた。
格闘している場合ではなかった。祖母ちゃんは白目を剥いてフラフラしている。プルプルと細かく身体が震えて、いや引きつけているみたいで、ヤバい。なんか泡ふいてないか。
「ば、祖母ちゃん!」
「……り、り、り、離婚……喧嘩……あひぃぃぃ……」
祖母ちゃんが、ふーっと後ろに倒れていく。
リートは私の足をブン投げ、祖母ちゃんに向かって走った。こっちは容赦なくすっ転ばされたのだが、お尻の痛さよりも祖母ちゃんが心配で、速攻で跳ね起き駆け寄るのだった。
頭を床にぶつける寸前で、間一髪リートが祖母ちゃんを抱きかかえた。そのリートをトゥッと蹴り飛ばして、私は祖母ちゃんを奪い返す。そして、めちゃくちゃ頬ずりするのだった。
「祖母ちゃん! しっかりして、死んじゃやだっ!」
「おい、祖母ちゃん! 目ぇ開けろ!」
クソ男は私の顔をぐいーっと押しのけて、祖母ちゃんを覗き込んで頬をペシペシした。祖母ちゃんは目を瞑って、ううううと唸っているばかりだ。
「あんたのせいよ! びっくりさせるから!」
「嘘ついたって、どうせすぐバレるだろ!」
「言い方ってもんがあるでしょ」
「うるせぇわ!」
「や、止めてくだしゃいぃーー!」
ピピの叫び声が部屋に響いた。
やっぱり起きてしまった。まあ、これだけ騒げば起きるよね。
「これ以上喧嘩しないで下しゃい。それにお客様もきてるでしゅ……」
振り返った私の心臓がドクンと跳ねあがった。
ピピの後ろで親友のエマが、仮面をつけたような無表情で立っていた。いつも私たちをバカ夫婦だの、おめでたいだとの冷やかしているめっちゃ美人の友人だ。こんな田舎村にいるのが不思議なくらいの、とびきりの美貌の主だ。
なんか、ものすごくまずい所を見られたような気がする。一体、どの辺から聞いていたんだろうか。
エマはじーっと私たちを見つめて、ポツリと言った。
「……あんたたち、お祖母ちゃん殺すなんてサイテー」
「いや! 違うからぁ!」
*
すったもんだの大騒ぎだった。
祖母ちゃんはまだ引きつけてるし、ピピは仲良くしてくださいと泣きながら叫ぶし、エマはお前ら何やってんだと圧を放ってくるし。
とはいえ、優先すべきは祖母ちゃんだった。
ひっくり返ってしまった祖母ちゃんを急いでベッドに運び、私たちは懸命に宥めたのだった。
「冗談よ、ヤダなぁ本気にしないでよ、祖母ちゃん。別れるわけないし、本気で殴り合うわけないじゃない。えっと、練習してただけよ、あは……」
「そ、そそ。別れない別れない。今度自警団の宴会で、ドッキリ作戦するんだけど、その練習ってわけで、ハッハッハ……。みんなも驚くぞぉ……」
「んねー♡」
「ねー♡」
「…………」
白々しい笑みを張り付けていたら、頬がけいれんしてしまった。
不本意なことに、口裏を合わせなくても私たちは阿吽の呼吸で適当な話をでっちあげることができてしまった。見つめ合って、んねー、と手を握り合うなんてクソ寒い芝居までも。バカップル時代に身に付けた習慣の、なんという恐ろしさよ。
エマの冷たい視線が痛い。
多大な精神的苦痛を堪えて、とにかく祖母ちゃんが天に召されないように、私たちはその場を取り繕ったのだった。
「本当の本当に冗談なんだね?」
「もっちろーん」
「ただのドッキリなんだね?」
「当たり前さあ」
「お前たちが離婚するだなんて……考えただけで、わたしゃ……いひぃぃぃ……」
「ば、祖母ちゃん!!」
祖母ちゃんは、突然クワッと白目剥いてガクッと首をうなだれた。ベッドに運んでから三回目の発作だけど、こっちの心臓まで止まりそうになる。
私とリートが引きつりながら頑張っている後ろで、エマが「いつものように、もっと引っ付いてベタベタしないと、祖母ちゃんが安心できないでしょ」なんて言って小突いてくる。勘弁してよ。
祖母ちゃんは一応、芝居を信じてくれたようで、落ち着きを取り戻してきた。
でも祖母ちゃんが倒れたのは、全部リートのせい。勝手に離婚のこと話すから、こうなったんだ。もしも祖母ちゃんが死んじゃってたら、ただではおかないところだ。首の骨へし折ってたと思う。
それにヤツが先走ったせいで、返って別れるのが難しくなってきてしまったじゃないか。最悪だ。
「おばあちゃま、大丈夫でしゅよ……」
ピピは、ベッドに横になった祖母ちゃんの手を握って励ましていた。彼女は落ち着きさえすれば、ちゃんと空気の読める子みたいで、余計な事は言わずに祖母ちゃんの看病を手伝ってくれていたのだ。
離婚の話がショック過ぎたのか、頭の中で何か謎の変換が行われたのか、祖母ちゃんはまだ紹介すらしていないピピの存在を、当たり前のように受け入れてしまっていて、二人をよろしくねなんて言いはじめた。
ピピは天使の微笑みを浮かべて頷く。マジものだから効果が高いのか、祖母ちゃんもうんうんと頷いて穏やかな顔になり、そして安らかな眠りについたのだった。死んだわけじゃない。
ホッと息をついた。
が、またもや同時にリートも息を吐いていた。ムカつく。
「じゃあ、ちょっと向こうで、話を聞かせてもらいましょうか? お二人さん」
エマはニコリと笑顔をみせたが、目は全然笑ってなくて、なんか怖かった。美人の笑ってない笑顔って、迫力あって本当に恐ろしいものなのだと初めて知った。
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