第45話 正体と手がかり
重い空気のままマンションへと帰る。今朝、マンションの周りにたくさんいたマスコミは既に帰ったらしく、気兼ねなくエレベータに乗ることができた。そうして自宅前にたどり着いた僕らを待っていたのは、オーバーオールを着た幼女だ。
「あ、月夜君」
「えっと、由香ちゃん」
僕らの存在に気付くと、由香は勝気な太陽のような笑顔を浮かべた。後ろでまとめた栗色の髪が、健康的に日焼けした肌によく似合っている。
慌てて僕は、弱気な幼子の顔を作った。由香は、こちらの偽装に気付いていない様子で、僕の正面に立つ。
「ちょうど良かったぜ。はい、回覧板」
「う、うん、ありがと」
幼児にとっては、かなり大きい回覧板を受け取る。
「帰りが遅いから、待っていたんだぜ」
「そ、そっか。待たせてごめん」
頭を下げる僕の腕に、由香は強引に自分の腕を絡ませる。アクティブというか、完全に男を尻に敷くタイプの子だな。
「おばさん、ちょっと月夜君とお話してもいいですか?」
「……うん、いいよ。おばさんは夕食の準備があるからね。お話するなら、家に入りなよ」
夕奈は一瞬眉を辛そうに寄せたが、すぐに柔和な笑顔を作った。震える手が由香に見えないよう隠しながら、玄関のカギを開ける。緊迫する今の僕らにとって、明るい彼女が来てくれるのは、ありがたいと思ったのかもしれない。今は、長瀬達警察からの報告を待つしかないのだから。
由香は「お邪魔します」と言って軽く頭を下げると、僕の腕を引っ張り、中へと駆け込んだ。この家はもちろん「月夜」のものだが、記憶のない僕にはどうにも慣れない。だが、由香は勝手知る他人の家、とばかりに寝室へと入っていく。
「さ、さすがに寝室はまずいんじゃないかな。リビングでお話しようよ」
「いいや、ここがいい。ここなら二人きりになれるからな」
気弱な演技が悪いのか、由香に押し切られてしまう。しぶしぶ僕は寝室のドアを閉めた。それから、とりあえずベッドの上に回覧板を置く。
普通なら、幼児の話など大したものではない、と僕もタカをくくるところだ。だが、この子の場合は違う。保育園での意味ありげな台詞といい、身に纏う大人の男のような雰囲気といい、一緒にいると底知れない不気味さを感じずにはいられないのだ。
「おいおい、そんなに離れるなよ。取って食いやしないって」
ドアにへばり付くように立つ僕に対し、由香は両手を広げながら寄って来る。
「さあ、男と女の密談だ。わー、やらしい。そう思わねえ?」
「う、ううん。思わない」
「ちぇ、ノリの悪い奴」
僕に「月夜」の記憶がないため、この子が本当に幼馴染の由香なのか分からない。頼みの綱の夕奈は、離れた場所にいる。僕が送る疑惑の視線に気づいたらしく、由香は苦笑した。それから、大きな水晶のごとき瞳で僕を射抜く。
「話っていうのはだな。まあ、回りくどいのも性に合わねえから、直球でいくぜ」
由香はイタズラ小僧のような笑みを浮かべ、言葉を繋ぐ。
「月夜君、前世の記憶を思い出してるだろ?」
文字通り直球の質問に、僕の小さな肩が大きく跳ねる。この子は何者なのだろうか。だが何にせよ、僕の正体を知られるわけにはいかない。
「な、何のこと? 前世ってなに?」
「おいおい、しらばっくれるのは無しにしようぜ。大丈夫だ、オレは君の敵じゃねえよ」
堂々と一人称を「オレ」と言い、由香は僕を正面から抱きしめた。どうにかして逃れようとするボクの耳元で、甘く囁く。
「実はな、オレにも前世の記憶があるんだ」
「え」
「お、食いついたな。やっぱり記憶があるんじゃねえか?」
ケラケラと笑う由香。僕は、腰に回された由香の手を振りほどこうとする。だが、由香に魅入られたように、力が出ない。何だ、この子は。見た目は幼児なのに、まるで歳を取らない吸血鬼のような妖しさを纏っている。
「オレはな、この十四年の間に何回も死を体験した。アフリカの貧しい国の幼児として生まれ、栄養失調で死んだり。スズメ蜂として生まれ、人間に害虫駆除で殺されたりした。そうして、五年前、この『茂木由香』として生まれ変わった。……もっとも、前世の記憶を思い出したのは、ほんの一か月前のことだがな」
「い、一か月前?」
僕と同じような体験を語る由香。まさか、そんなことがあり得るものか。信じがたい話に、思わず声が上ずった。それを受けた由香は、小悪魔的な笑みを深める。
「そうだ。だがその代償として、それまであったらしい、『茂木由香』の人格と記憶が消えた。前世のオレは二十歳の男でね、まさか女の子に生まれ変わるとは思っていなかった。まあ、慣れればこれも悪くないがな。いきなり子どもになったから、当時は焦ったよ。『茂木由香』がどんな性格の子だったのか分からなくて、周りの人間と接するとき、誤魔化すのに苦労したんだぜ。もちろん、その中には君も入っている。まあ、当時の君は『由香ちゃん、前より元気になったね』って、素直に喜んでくれていたがね」
嘘だ、この子は嘘を言っているに違いない。どうせテレビで得た知識をもとに、デタラメを並べているのだ。そう一蹴したかったが、僕はすっかり由香に飲まれてしまった。
由香の顔が、僕のすぐ眼前に寄って来る。二人の距離はほんの数センチ。かつて男を経験した記憶を持つという女の子。それが嘘であれ本当であれ、目の前の彼女が異質であることに変わりはない。蠱惑的で不思議な色香に包まれた少女に対して、僕は思わず顔を赤らめる。
「前世のオレは、大学生だった。ある日、通っていた大学の教授が――これがまた、偏屈で陰気なオッサンだったんだがね――その教授が大々的な実験をすると言いだした。前世の記憶を思い出す実験をな。怪しい実験だが、話のタネにするために妹を誘って参加した。ところが、その実験はガチで、本当に前世の記憶が蘇ったんだ。そこまでは良かったんだが、前世の記憶とオレの人格が混ざりあい、オレは頭がイカレてしまった。とうとう耐え切れず、実験から数日後に自殺した」
辛い思い出のはずなのに、由香はどこか懐かしむように独白する。……って、ちょっと待て。今の話、どこかで聞いた覚えがあるぞ。確か前世で、いや最近も耳にした情報のはずだ。そう、あれは。
「長瀬……」
「おや、オレの名字を知っているのか? まあ、あの実験はニュースで大々的に報道していたからな。おそらく、オレの自殺も報道していただろうし」
そうか、この人は長瀬のお兄さんだ。十四年前、父さんの実験に参加し、発狂して自殺したという、あの人。一度だけ会ったことがあった。バイクで学校に長瀬を迎えに来ていた、あの顔を思い出す。そうだ、この荒々しい笑顔は彼なのだ。
衝撃を受ける僕に気付いているのか、由香は自嘲するように笑う。
「死んでしまえば楽になる。そう思って自殺したのに、死んだらすぐに次の生が始まる。地獄のような循環の中から抜け出せない。次第に自分の命が、まるで塵屑のように軽く感じられていったよ。そうして何もかもに疲れ果てたころ、この『茂木由香』に生まれ変わったんだ。また死ぬのか、と諦めかけていたがある日、オレをこんな目に会わせた人間の情報を掴んだ。だが、オレ一人じゃ何もできない。歯がゆい日々を送っていたところへ、今日の君だ。今日の保育園での君には、幼児とは思えない不思議な雰囲気があった。保育園でも言ったように、今日の君の言動はぎこちなくて、無理して子どものフリをしてるような、違和感がバリバリだ。保育園の保育士の連中も、同じ臭いを感じたみたいだがね。さすがに、前世の記憶があるとは想像外だったみたいだな」
確かに保育士の人達も、かなり怪しんでいたからな。なるほど。僕は結局のところ、大根役者だったというわけか。
「まあ、本当に君が前世の記憶を取り戻しているかどうかは、確たる証拠もないから、分の悪い賭けだけどな。いや、それどころか一パーセントもあればマシなほどの、すっげー低い確率だ。だが、たとえ蜘蛛の糸よりも細くても、オレにとっては希望なんだよ。まあ、君がもしも前世の記憶を取り戻していなかったのなら、適当に謝って誤魔化しておくつもりだったよ。何しろ、最後に会った一昨日までの君は、それはもう大人しくて純粋無垢だったからな。オレが謝れば、すぐに許してくれそうだった」
丸く輝く目を怪しく細め、ようやく由香は僕から顔を離した。
「さあ、今度は君が白状する番だ。君は前世の記憶を取り戻しているのか、いないのか。はっきりと答えてもらおうか」
これはもう、腹を決めるしかない。罪を白状する。
「僕は、あんたが死ぬ原因を作った人間だ」
「は?」
由香はさすがに意表を突かれたようで、目を何度も瞬かせる。
僕はこれまでの経験を、掻い摘んで説明した。父さんの実験に長年付き合っていたこと。その結果、実験に成功し、僕が前世の記憶を思い出したこと。実験の暴走で、死んだこと。何十回もの生と死を体験し、「神楽崎月夜」として生まれ変わったこと。
由香は口を挟まず、最後まで聞いてくれた。そうして僕が全て話し終えると、忌々しげに口元を歪める。
「つまり、だ。オレや妹、そして今の世間を騒がしている原因の一端は、君だってことか」
「ああ」
僕は気弱な演技をやめ、断罪を待つ被告人のように深く頷く。由香はその様子を見て、「ほう」と眉をひねりあげた。
「はっきり言うとだな。オレは、君が憎い。殺したいほどにな」
「……」
「だが、そんなことをしても、オレに益がない。さっきも言ったように、君はようやく探し当てた、希望なんだ」
由香は、僕の腰に回した手に、さらなる力を込める。
「いいか、月夜君。朝斗君というべきか、いや、やっぱり月夜君と呼ぼう。オレはな、前世の君の父親である白鷺幸太郎が憎い。オレが妹を誘って実験に参加したのも悪いが、それでもオレと妹の心を滅茶苦茶にした、あの男が憎くて仕方がないんだ。あの男が今ものうのうと研究を続けているのが、腹立たしい。一刻も早く捕まえたい。そこで、オレと同じく前世の記憶を持つ、君の力がほしいんだ」
「何か手があるのか?」
「一つだけある。今のオレ、『茂木由香』の両親は、白鷺幸太郎を匿っているとされる、新興宗教の一員だ。それも、なかなかに重要な役職らしくてね。家でその話をしているのを、最近こっそり盗み聞きさせてもらったのさ。あの二人を捕まえて、新興宗教のアジトを吐かせれば、白鷺幸太郎も捕まえることができる、ってわけだ。問題は、こんな情報を持っていたところで、信じてくれる人間がオレの周りにいないってところだな。昨日、警察に話をしたばかりなんだが、ガキの戯言だと見なされて門前払いを食らったよ。だから、唯一腹を割って話せる君だけが頼みの綱なんだ。他人頼みで悪いが、何か手はないか?」
なるほど。『螺旋の会』の隠れ信者は、全国に散らばっているという。それが、こんな近くにいるとは。今朝、公園で発見された遺体や、隣家で暮らす母さんを拉致した件にも、一枚噛んでいるのかもしれない。だが、立て続けに二件も、この近所で事件を起こしたのだ。由香の両親だって、自分達が疑われる危険を分からないはずがない。そうなると、逃亡先のアテがあるのか?
「証拠になりそうなものはあるのか?」
「ああ、一応な。だが何しろ、あの二人が信者であることを知ったのも、ほんのつい最近なんでね。残念ながら、出せる証拠は少ねえよ。今日の昼間、ようやく手に入れたばかりなんだ。それに、こいつを見せたところで、警察が信用してくれるかどうかは、保証できねえな」
それでも、ゼロよりはずっとマシである。あとは、「幼児でも相手をしてくれる警察官」に、それを渡せばいいわけだ。わずかながら、光明が見えてきたじゃないか。
「だが、いいのか? 今のあんたにとっては血の繋がった家族だろう」
「いいんだよ。あいつの悪行の片棒を担いでいるのが、絶対に許せねえ」
僕は腰に回された由香の手を、やんわりと握った。我ながら大胆だと思う。
「それなら、警察に連絡しよう」
「おいおい。さっきも言っただろう。警察がオレの話を信用するかよ。今のオレ達は、ただのガキなんだぜ?」
「信用してくれる警察の人間を、一人だけ知っている。あんたの妹だ」
「へ? オレの妹が?」
僕の言葉に、目を丸くする由香。まあ、当然の反応か。
よし、そうと決まれば、さっそく長瀬に連絡を取ろう。誘拐された母さんを救い出すためにも、一刻も早く『螺旋の会』を止めなければいけない。
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