第20話 真っ直ぐな想い
案内された夕奈の部屋は、落ち着いた雰囲気に包まれていた。その代わりに年頃の女の子らしさがほとんどない。カーテンやタンスなど、家具はどれもシンプルな作りの代物ばかりだ。
目立つものといえば、ただ一つ。学習机の上に置かれた、一枚の写真立てだった。
「これは」
僕の部屋の机上にも飾ってある、あの写真だ。夕奈と母さんが家を出て行った、あの日に撮ったやつ。頬にキスをされて目を丸くする当時の僕が、何とも間抜けに写っている。
僕の視線の先に気付いた夕奈が、写真立てを大事そうにそっと手に取った。
「ふふ、この写真はボクにとって特別なものだよ」
「恥ずかしいから、アルバムに入れて、押し入れの中に封印しとけ」
「それは丁重にお断りさせてもらうよ」
そう言うと思ったよ。
「ベッドの上に座るといい」
その言葉に甘え、清潔そうな白いベッドの上に腰掛ける。夕奈は床に置かれた座布団の上に、腰を下ろした。個室に二人きりというのは、今の僕にとってかなり重い試練だ。
「それで、話って何だ」
「そうだね。少々長くなるけど、いいかな?」
そう言い置き、夕奈は顔つきで僕を見据える。正面から彼女を見つめるのが怖くて、思わず僕は視線を逸らせた。
「昨日からずっと、いろいろと考えたんだ。朝斗が話してくれた、前世のことをね。前世でボクらが姉弟で、恋人同士だった。驚いたよ。そのせいで朝斗が苦しんでいることも」
夕奈は膝の上に置いた拳を、強く握りしめた。
「どうして……どうして、お父さんの実験に付き合っていたことを、話してくれなかったんだい」
「僕が勝手にやっていただけだ。お前には関係ない」
「関係なくないよ。朝斗のことだから、ボクとお母さんに迷惑をかけたくないとか、そんなことを考えていたんだろう。朝斗は大馬鹿だよ。お父さんとお母さんが離婚しても、離れて暮らしていても、ボク達は家族だろう? 家族に遠慮なんてしないでよ」
夕奈の真っ直ぐな瞳に、僕の心の柱が揺れる。しかし、歯を食いしばって耐えた。今の僕がしなければいけないのは、これ以上被害を広げないことだ。
僕は血を吐露するように言葉を紡ぐ。
「明日にでも、警察に自首するつもりだ。信じろと言う方がおかしいような話もたくさんあるが、それでも全てを話す。父さんの逮捕についても直訴する」
僕は、前世から父さんと因縁があった。それは、罪の積み重ねでもある。
前世の僕が、雅美姉さんに告白したこと。
父さんに脅され、実験に参加し続けたこと。
雅美姉さんを守り切れなかったこと。
残された家族がどうなるのかも考えず、二人で自殺したこと。
白鷺朝斗に生まれ変わっても、父さんの実験を嫌だと断らなかったこと。
自分の家族の安全だけを考えて、多くの犠牲者を出したこと。
……全部、僕の罪だ。魂の一片まで、粘つく汚泥で覆い尽くされている。僕には楽に死ぬ権利などない。
「朝斗は、裁かれたいのかい?」
一切の表情を消した美貌が、真っ直ぐに僕を凝視した。
「そう、なんだろうな。だが、もちろん、楽になりたいからじゃない。それだけは誓える」
「だとしても朝斗の罪は、ボクとお母さんに助けを呼ばなかったことと、結果として犠牲者を出したことだ。前世は関係ないよ、そっちは忘れていいんだ」
「僕は自分がしでかした過ちを、しっかりと覚えている。それを忘れたら、前世の僕のせいで不幸になった人達が、あまりに報われないだろうが!」
「そうじゃない、そうじゃないんだよ、朝斗。今の君は前世の記憶に囚われすぎている。人が背負えるのは、自分の人生だけだ。会ったこともない前世の自分の罪まで、無理に背負おうとするのは贖罪じゃない。ただの傲慢だよ」
声を荒げる僕に対し、夕奈は凛とした声で言い切る。僕は反論しようとするが、上手く言葉が出てこない。
「君は、生まれ変わったときに、どうして前世の記憶を忘れるのか、分かるかい?」
「え……」
夕奈は手を伸ばし、正面に座る僕の手を握る。強く、あたたかい。前世の記憶の中に残る雅美姉さんではなく、今を生きる神楽崎夕奈の温もりだった。
「今の現実を生きるため。ボクはそう考えている。いつまでも前世の柵に囚われていたら、現世を生きるどころではなくなる。今の君のようにね。だから神様は、前世の記憶を封じてくれるんだと思う。前世は前世、死んだときに全て断ち切るべきなんだ。新しい人生は、新しい心で生きるためにあるんだよ」
「新しい心……」
そんな考え方なんて、今までに一度もしたことがなかった。
「そう。しっかりするんだ、朝斗は前世の記憶じゃなくて、現実を生きているんだからね」
少しずつ、夕奈が僕の方へ寄って来た。その皮肉げに釣り上がった目の奥で輝く、黒曜石の瞳に吸い込まれそうになる。心臓が早鐘を打ち、痛いくらいだ。
「と、まあ、ここまでが、先ほどの朝斗の話に対するボクなりの答えさ。でも、今日君を探していたのは、別の理由があったからなんだ。今の話を踏まえた上で、聞いてほしい」
「え」
「朝斗。朝斗はボクのことを、どう思っているんだい?」
……へ? いきなりの直球に、僕は思わず間抜け面を浮かべてしまう。
「どうって」
「妹かい? それとも、幼馴染のような関係かい?」
夕奈の声が切なげに震える。触れるとヒビが入ってしまいそうなほどの、慎重な口調だ。
「確かにボクは長瀬さんと違って、奥ゆかしさとは無縁だし。胸も豊かとはお世辞にも言えないけど。でも女としての魅力は、ほんの少ぉしだけ自信があるんだよ? それとも、こんな女は朝斗の好みじゃないのかな?」
いやいや、そういう問題ではないだろう。いきなり、そんなことを言われても困る。夕奈は、母さんのお腹の中からずっと一緒にいた存在で。離れ離れだと、不安になる。磁石のS極とN極のように、くっつき合う運命にある関係というか。
だが、それはここ最近、悩んでいた問題そのものだ。夕奈は僕にとって女なのか、それとも妹なのか。まさか、この場で突きつけられるとは、全くもって予想をしていなかった。
「い、いつもの大げさな口調はどうした」
「あれは、本当のボクじゃない。あの写真を見てごらん?」
写真。夕奈と別々の家で暮らすことになった、あの日。夕奈にキスをされた、あの日の思い出だ。
「ボクは、あのとき自分に誓ったんだ。『これからは朝斗が傍にいてくれなくなる。だから、ボクも自分の足で前へ進む。そうして、いつか再び朝斗と同じ道を歩むことができたら。そのとき、今度はボクが朝斗の支えになろう』ってね。この大げさな言動は、そのための仮面なのさ。今朝の一件で、まだ昔と同じく弱いままなんだって思い知らされたけれどね」
夕奈に言われ、当時の記憶が脳裏を過ぎる。あのキスの後、夕奈は僕に言った。「ボクも、もっと強くなる」……と。夕奈なりの「強い自分」というのが、あの芝居がかった姿なのか。その精一杯の張りぼては、今朝のように悪意をぶつけられたら、すぐに壊れてしまうほどの脆いものだった。
「今はあえて、その仮面を外す。本当のボクで、朝斗と向き合いたい」
本当の自分。確かに、今の夕奈は三年前と重なって見える。いつも僕の後ろにいて、僕に手を引かれていたころと。
当時の夕奈は、いつも目に涙を溜めながら、こうして甘えてきたものだ。自信なんて、欠片も持てないようだった。僕は何だかんだ言いつつ背中を貸し、夕奈が泣き止むのを待っていた。
父さんと母さんの離婚で、夕奈と別々に暮らすようになってから三年が経ち。いつの頃からか僕達の立場が逆転した。僕が夕奈の背中に隠れ、それに対して夕奈が苦笑しながら注意するようになった。
だが、本当は夕奈に余裕なんて全くなかったのだろう。仮面を被り、なけなしの勇気を振り絞って、演技をしていたに過ぎなくて。
本当の夕奈は、内気で、泣き虫で。僕はそのことを忘れかけ、夕奈の頑張りに甘えていた。兄として失格、としか言いようがない。
「すー……はぁぁぁ」
今、目の前にいる夕奈は、祈るように銀猫の髪飾りに指を触れると、何やら決心したらしい。深呼吸をし、もう一度こちらを見つめてくる。
「長年この胸に秘めていた想いを、吐き出させてもらうよ。ボクは、朝斗のことが好きだ。妹として、だけじゃない。一人の女として、白鷺朝斗のことを愛している」
夕奈の目はどこまでも切なく、不安げだった。その熱を帯びた視線を、僕は上手く受け止めることができない。その潤んだ目を見ているだけで、僕は息が荒くなる。まずい、このままでは、また夕奈を襲ってしまいそうだ。その感情は、現実なのか? それとも前世の記憶なのか?
「……僕は、お前にそんなことを言ってもらう資格なんてない。愛想がなくて、地味で、すぐに下を向いて、マイナス思考の男だ。くだらない、カスみたいな男なんだ」
「そんなことはない。ボクは、朝斗の良いところだって、たくさん知っているよ。普段はぶっきらぼうで愛想がないけど、本当は不器用で優しいところとか。特にボクは幼いころから、朝斗の思いやりに誰よりも救われてきたんだ。ボクにとって朝斗は、世界で一番格好いい、唯一無二のお兄ちゃんなんだよ」
僕は、そんな凄い人間ではない。一人では周りの者に立ち向かえないような、ちっぽけで弱い男なんだよ。弱音を吐きだそうとしたが、唇に夕奈の人差し指を押し当てられた。
「それにね。前世の記憶のことでボクを壊してしまいそうだから、ってボクを避けるのも、言い換えれば君なりの優しさなんだと思う。でも一方で君は繊細で、見ているこっちが放っておけないほどのナイーブな一面がある」
夕奈が、おもむろに僕の腰に腕を回す。いつもよりも、さらに熱い抱擁。夕奈は、僕の胸に顔を埋めた。彼女が持つ、清楚な匂いが鼻孔をくすぐる。そうだ、僕は幼いころから、この香りが大好きだった。
「ボクは、そんな朝斗が大好きだ。どうしようもないエゴだとは自覚している。けれど、前世と同じ過ちだとしても、この内から溢れる想いは止まらないんだ」
そう言うと夕奈は抱きついたまま、僕をベッドの上に押し倒した。そして、その小さく端整な顔を、僕の顔に近づけて来る。その距離、約十センチ。これ以上はまずい。倫理の壁を越えてしまいそうだ。
「いつだったか、君に言ったよね。『もしも結婚できるなら。そのときは、ボクからプロポーズするつもりでいる』って。プロポーズの言葉を、改めて言わせてもらうよ」
「夕奈」
「あなたの子どもを産ませて下さい」
桜色の艶唇が、僕の唇と触れあった。たどたどしく、長いキス。三年前よりも、少しだけ大人の口づけだった。
しばらくして、夕奈の方から顔を離す。気持ちが高ぶっているのか、ミルク色の頬は色っぽく紅潮していた。身体は僕の上に跨ったままだ。
「ふふ。やっと告白した。この想い、誰にも疑わせないよ。たとえ、相手が前世のボクであってもね」
まるで、耳の底で囁かれているかのような、柔らかい声だった。
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