第07話 劣等感と信頼の証
昼休みが終わりかけ、トイレへ向かおうと廊下を出る。すると、クラスメイトの男子数人に前を塞がれた。横をすり抜けようとするが、どうも囲まれてしまったようだ。
「おい、白鷺。ちょっと顔を貸せよ」
声をかけてきたのは、あの坊主頭の男子生徒だ。また、パシリの命令だろうか。
「お前、神楽崎の兄貴なんだってな?」
「それが?」
「今度、俺達に紹介しろよ」
そんなことを言われてもな。妹に男を紹介する、というのは兄としてあまり面白くない。
「同じクラスだろ。自分で話しかけろよ」
素っ気なく真っ当な言葉を返す。これが臆病な僕にとって、精いっぱいの虚勢だ。それが生意気だと感じられたのだろう。坊主頭達のこめかみに青筋が立つのが、はっきりと見えた。
「んだと、コラ。お前、まだ自分の立場ってもんが分かってねえのか」
「調子に乗んなよ、白鷺。長瀬といい、妹といい、女をはべらしてんじゃねえよ」
先ほど弁当を食べているところを、しっかりと見られていたらしい。妹である夕奈の場合は、「仲の良い女子」のうちにカウントしてもいいのだろうか。……そう思いかけ、また鼓動が早まる。いかん、沈まれ。
「お前みたいなやつと神楽崎じゃ、全然釣り合ってねえんだよ」
「隣のクラスに、こいつと同じ中学だったやつがいたから、話を聞いたんだけどよ。中学じゃ、ボッチだったとか」
「何だ、妹の力を借りて高校デビューってか。せこい奴だねえ」
そろって嘲笑する坊主頭達。一方的に突っかかられて、馬鹿にされる。それに対し僕は下を向き、拳を握りしめるしかできない。
「おい、妹をよこせよ。俺が大切にしてやるからさ」
「神楽崎も、俺達と一緒にいた方が幸せだっつーの」
……幸せ、か。言葉が槍のごとく、胸に突き刺さる。
やはり僕なんかが夕奈の傍にいたら、あいつは幸せになれないのだろうか。そうだよな、夕奈は美人で優しい少女だ。それに比べて僕は、地味で卑屈で、そのくせいつも仏頂面で。さらに極めつけとして、今はなぜだか分からないが、あいつのことを女として見ているのだ。こんな男が夕奈の傍にいる資格なんてない。
「お、泣くか? 学校で泣いちゃう?」
「なあ、前々から思ってたんだけどさ。こいつ、顔が猫に似てね?」
「本当だ。貧相な面してるから、よく似てるな」
「『ニャー』って鳴いて、人間様に媚びてみろよ。そしたら、許してやってもいいぞ」
「おいおい、畜生のちっぽけな脳みそじゃ、人間様の言葉を理解できるはずがねえだろ」
何がおかしいのか、坊主頭達は人目も憚らずに爆笑する。廊下を歩く生徒達も、言われっぱなしの僕に冷たい眼差しを送って来た。僕は悔しさよりも、情けなさで胸が一杯になっていく。これでは、まるで人間に首元を掴まれ、ヒゲや耳を悪戯半分で引っ張られているのに、抵抗をしようとすらしない臆病な野良猫と同じだ。惨めだった。
と。
「おやおや。どうも、賑やかだね。どうしたんだい?」
沈み込む僕に手を差し伸べるように、柔らかい少女の声が聞こえて来る。顔を上げるとそこには、先ほど別れたばかりの妹の姿があった。その姿はさながら、先程長瀬が言っていた、野良猫を守るチェシャ猫のようだ。
「できれば、ボクも混ぜてほしいんだけど。一体、何をしているのかな?」
「お、おう」
ずぃっと接近され、坊主頭達は一歩引いてしまう。それでも、ここが話すきっかけになると考えたのか、話を仕切りなおす。
「じゃあ、神楽崎。こんなダメ兄貴よりも、俺達と一緒に遊びに行こうぜ」
「申し訳ないけど、お断りさせてもらうよ。ボクは朝斗と一緒にいる方がいいからね」
夕奈は爽やかな笑顔のまま、バッサリと切り捨てた。黒絹の艶髪をかきあげ、僕の手を引いて廊下を歩く。髪飾りの銀猫は、遠ざかっていく坊主頭達に向かって、後ろ足で砂をかける仕草をしている。
「お、おい。いいのか。あんなに邪険にして」
「いいんだよ。彼らは朝斗のことを愚弄したんだ。そんな人達と仲良くする義理はないさ」
夕奈はつい先ほどまでとは打って変わり、その整った細い眉をしかめている。見るからに不機嫌そうだ。そんな表情も、可愛らしくて絵になるのだが。
「まったく。朝斗もガツンとやり返せばいいのに」
僕にそんな期待をするな。愛想もなければ、追い払うだけの迫力もない。てんで、ダメダメだ。すぐに「僕なんて……」といじけてしまう。ぶっきらぼうに振舞っているのも、最低限のプライドが自分の心を守ろうとしているだけだ。
そんなことを考えていると、夕奈は振り返って僕に詰め寄った。そして、いつものように僕を強く抱きしめる。肌と肌がくっつく柔らかな感触。思わず、夕奈の中にある「異性」に溺れそうになった。僕の内心の焦りなど知る由もない夕奈は、僕の耳元にそっと囁く。
「それに、ね。また自分を卑下していたね? ダメだっていつも言っているだろう。後ろ向きな性格のままじゃ、せっかくの高校生活が楽しくならないよ」
そう言うと、夕奈は深いため息をついた。
「まあ、その自分になかなか自信を持てないところも、朝斗らしいといえば、そうかもしれないね。愛想がないところも」
夕奈は「やれやれ」とばかりに細い肩をすくめた。それから夕陽を眺めるかのような笑みを浮かべる。その宝石の塊を思わせる美しさに僕は、心臓を鷲掴みされた。同時に雅美姉さんの顔と、夕奈の顔が重なって見えてしまう。
(信太、大好きだよ)
脳裏で蘇る雅美姉さんの甘い声に、精神の均衡が脆く崩されていく。まずい、このままでは本当に、夕奈を廊下で押し倒してしまいそうだ。
「と、トイレに行って来る!」
僕は夕奈を必死で引き剥がしながら、大声で叫ぶ。そのまま廊下を駆けだした。
「ちょ、ちょっと、朝斗っ。待ちなよ!」
夕奈が何やら呼び止めているようだが、それどころではない。アイススケート選手のように廊下を曲がり、男子トイレに飛び込む。個室に入り、鍵をしっかりかけた。
一分、二分……心臓の鼓動が少しずつ落ち着くのを感じながら、深く息を吐く。
「はぁ……こんなことが、いつまで続くんだ」
もちろん、その問いに答えてくれる者など、こんな狭い個室の中には誰もいなかった。
気付くと、制服のワイシャツが大量の汗で皮膚に貼りついている。自分がどうなってしまうのかという恐怖が原因なのか、それとも性的興奮によるものなのか。自分でも分からなかった。
父さんの妄想によって、僕の現実が浸食されている。前世の記憶、あれが本当にそうなのか? 夕奈を見ただけでこのザマだとすると、『魂の絆』と何か関係があるのだろうか。
まさか、この『糸』が原因なのか?
そう思いかけ、自分の右頬を思い切り殴りつける。馬鹿、何を考えている。これは、僕達双子の信頼の証だ。それを疑うなんて、あいつに対する侮辱だ。恥を知れ。
痺れるように痛む右頬を手で押さえながら、僕は便座に座りこむ。自分がたまらなく不甲斐なくて、このまま消えてしまいたかった。
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