機会や暴動

韮崎旭

機会や暴動

 能動的に、意思の喪失を重ねていくと、日も落ちようかというころ合いのこと、商店街は橙色の西日に包まれ、その日差しはさながら空襲にでもあったかのような陰惨な表情で人々の痕跡がうつむいている事態を私に思い知らせた。ここにいないほど良いことだと知っているので、神経症の尺度に私との会話可能性を用いている。自身の不在の意思をそのままごみ箱に捨てたかったのだろう、ごみ箱には、商工会議所からの但し書きが施されていて、それが余計にわびしい雰囲気を倍加させていた。この場所に来る人間はみな、被害妄想で、関係念慮で、自殺志願者で、それを誰にも打ち明けず、迷惑をかけずに生きるために死のうとしているように見えたが、それこそがまさに私の関係妄想であったのだ。感染する悪意は、船着場からここまで歩いてきた。とても、疲れさせるような道のり。鉄道の、軌道敷内では、蔓延する自己否定が、差し迫った週末の、憂鬱になるような会合を支えている。誰もいなければ、愛などというとんでもない概略を語る必要もなかった。そういった、思ってもいない嘘八百の御託を、小一時間、まるで興味のない観衆に向かい、話し続けないといけない。「慈愛と性愛はこの絵画において……」もうたくさんだ。というか「性」の用い方が崩壊している。名詞を作る語尾ではないのか? 酸性、腐食性、爆発性、爆発物、揮発性、再生不可能性、などなど……の、語尾ではないのか? そうであるとして、「名詞を作るための語尾というあり方を持つ、『愛』と、慈悲に由来する愛が隔てられているのは、隔てたかったからです、教会関係者が。この都市では人口爆発が起きていたので、どうしても人口を抑制するのに、価値観を利用する必要があった。忘れないでください。何を忘れようとも、価値観の美しさは、動機とは何の関係もないことを。価値観はたいていの場合、それ自身の目的ではなく、誰かの、気まぐれな感情やら感傷やら経済的または政治的利益の言い訳にされることを。信じないでください。私の言うことを、あなたの考えを。あらゆるものを疑って、病気になってください。そうして週末には死ぬほどくだらない観光をして荒廃した感情と空虚の念に溺れてください。生きることに価値なんてない。死ぬことに価値がないように、死体が都合のよい感情のはけ口として以上のものとしては扱われえない法律上のごみであるように。」 

 会場は不愉快な怒気と退屈で埋め尽くされていて、ここに幹線道路の廃線問題を投げ入れたら確実に爆発するように思われた。もうバイパスができているので、どうしようもないのだが。そのようは本当のあほみたいな出来事を逐一報告することで、路銀以下の賃金を後日口座に振り込まれる手はずなのだが、いくら頼まれたからといって、会議室の使用実績作り以上のものには明らかになりえないこのような無益な行動を、一人でのこのこと引き受けるなんて完全に間違っていた。帰りに商店街で買ったオレンジに似た柑橘類は、名前がひらがなで書かれていたのに発音できず、「この、西の端から3番目の、オレンジにどことなく似ている風合いの、柑橘類だと思われる物品、2つ、そう、240円(税抜き)というポップの、発音できない、その……発音できなくて、申し訳ありませんが、それです、はい」というとてもみじめな発話をした。「そう」と「その」に、書き起こした際の意味上の必要性があるのかが疑わしいために私ははなはだ悲しくなって死にたいとおもった。消え入りたい。墓穴を掘ったら灯油をかぶって火をつけるとよい蒸し焼きになる。しかし人間なので、身元不明遺体として、市の広報や官報の行旅死亡人扱い。でも蒸し焼きはアツアツのうちに食べないと。だめなのに、それなのに。私を人間に貶めた半神はどこで行旅死亡して、いや客死しているのか。別にそんなものは「メソポタミアの神話」などを暇なときに読めばいいと思うし、当然のこと、私はエンキドゥではないし。だから、傘を置き忘れてきたことにも気が付かないほど熱中していたのに、気が付くと、終了しており、将棋の対戦が放送されていたが、私は将棋に関しては盲目も同然の皆無な知識を持つので、なにも理解することができずに、柑橘類を注文しているときと同様のとてもみじめな気分になったし、イヤフォンは絶対に壊れているし、感覚器官はこの前の冬が越せずに死んだせいで電気屋の安売りで書いたしたら明度が過剰で風景がうっとうしくてかなわないから、油のにおいが吐き気を増悪させたにせよ、冬が思慮深さを奪っていったにせよ、私はただ茫然自失に近い状態で、それなりに交通量の多い商店街で、「人類全滅しろ」といった呪詛を延々と垂れ流しながら、立ち尽くすしかなかったし、それはやむを得ないことだったと思う。


 いまとなっては、人間の識別には白痴ですら容易な方法が導入されているし、そのせいで街が白痴同然か、それよりもひどい痴愚であふれかえり、そうして、もとよりの痴愚であった私はといえば、自己否定を加速させるような大雨にも似た意味内容のない会話もどきの洪水に、溺死しそうになりながら、阿片製剤を買い求める。仕方がない、「溺れる」は、阿片の枕詞なので、こういうことを言わないわけにはいかない。そうはいってもやはり、人間の感情への愛着の度を越している様にはあまりに気味が悪い思いが募り、忌み嫌う感情を、自然と持っていることが最高に体に悪いから、今晩にでも弾倉が実弾でいっぱいの銃でロシアンルーレットを行うべき。自らの愚かさを裁くべき。痴愚は、犯罪。存在も、犯罪。人間は、人間であるという、犯罪。

 

 というわけで書店で新聞を読んでいる老紳士は、明らかな悲しみを覆い隠すだけの品性を持ち合わせているように見えた。ああきっと啓蒙主義のコーヒーハウスから来たのだ。ここの紅茶は異常なほどまずく、どれくらいかというと、薬剤のほうが味がするだけおいしい。薬剤の例として、リスペリドン内服液があげられ、これよりもはるかにこのあたりの紅茶は不味い。干上がった湖の失われた生産性や内水面漁業による雇用だとか、植民地での核実験のような味がするから胸焼けするし、毛皮を着た武器商人だってこんなものに手は出さない。彼は異邦人であったし、それでも、人権にはやはり疎かった。このあたりには、それらしい発語を行う人間はいても、私含めて、法律の条文を解するものが誰もいない。だから、法定速度が守られない。法定速度を1キロメートル毎時でも超過した奴を片っ端から刑務所にぶち込むくらいの気概が司法執行機関にないどころか、用もないのに公用車で速度超過など、司法執行機関の職員がしているから、誰も法定速度を守らないし、シャッターには落書きがされるし、あなたはこれを読んでしまう。読みだされるような意味なんて、ひとかけらも、一ミリグラムも、ないのに。


 だから笑いながら傘をさして高線量被曝を恐れない地元の怪訝な人々を横目に、しめじはもう捨てようと思ったし、私の左手は今、肘から先がない。旋盤に巻き込まれたわけではないし、たぶん、思い付きで切り落としたのでないかと推測する。その日は月がひどい乱視で、17個くらいに見えていたので、明らかになにかにつけて酔っていたことが想像される。そんな人間のすることは、すなわち、信頼のまったくおけない他者に対して「愛」に関する御託を並べるよりもはるかに無益で見るに堪えないのが、常。

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機会や暴動 韮崎旭 @nakaimaizumi

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