鉄橋下までの競争


「お? あれ、定晴じゃねえ?」


 家を出て汽水域になる鉄橋を目指して歩いていると、礼司が前を指さした。

 そちらに視線をやると、自転車に乗った定晴が艶やかな黒髪をなびかせながらこちらに向かっていた。


「本当だ。定晴だね」

「俺の家に遊びにくるつもりだったのだろうか?」


 そんな事を思いながら歩いていると、定晴は傍までやってくると自転車を停止させた。


「おお、定晴。原稿はもう終わったのか?」

「……何が原稿は終わっただ、この裏切り者! お前のせいで僕がどんな目に遭ったと思っているのだ!」


 俺がそう尋ねると、定晴はカツカツと歩いてきて詰め寄ってきた。

 あの後、定晴は礼司の家を経由したり、ご近所さんの家に入ったりと転々と逃走を繰り返した。

 田舎ネットワークを駆使して逃げる定晴を、海藤さんが捕まえることができる訳もなく、助けを求められたので俺は協力して定晴をハメたのだ。

 そして、海藤さんが力づくで定晴の家に連れて帰ったのだが、そのことを酷く怒っているようだ。


「どうなったんだ?」

「あの女編集め、僕の母親と結託して、缶詰を強要してきたのだ! 許可なく出ようとすれば問答無用でねじ伏せ、ずっと原稿を書かせてくるんだ。僕がトイレに行くと付いてくるし、窓から逃げようとしたら厚い板で塞がれていた! 僕は自由を奪われていたんだぞ!?」


 髪の毛を振り乱しながらそう力説する定晴。

 何度も逃げるからそうなるんだよな。だけど、そんなことを言えば、定晴はさらに怒り狂うだけだし言わないでおく。

 というか、あんな綺麗な人とずっと同じ部屋で生活とか羨まし過ぎないか?


「ちょっと待て。女編集って言ったか? そんな人が来たって聞いてねえけど?」


 俺が口をつぐんでいると、礼司がから疑問の声が。

 どうやら特に理由を説明することなく、定晴は礼司の家に上がり込んでいたらしい。


「定晴が原稿を書かないから、東京から出版社の人が来たんだよ」

「海藤さん、綺麗だったねー」

「東京の美人編集者!? おい、忠宏、写真とかないのか!?」


 七海の何気ない言葉が心に突き刺さったのか、礼司がくわっと目を見開いて詰め寄ってくる。

 記念写真を撮ったりしたので、あるにはあるのだが誤魔化したい。

 だけど、そんな事をしたら普通に七海が写真を撮ったと指摘しそうだ。

 礼司は美人に目がないので、ここで言葉を濁すと後々面倒臭くなる。

 興奮した様子の礼司を見て、仕方なく俺はスマホを操作して写真を見せる。


「うおお! すげえ、めちゃくちゃ綺麗な人じゃねえか! 都会のキャリアウーマンって感じ!? おい、定晴。今度紹介してくれよ!」

「いいぞ」


 礼司のそんな頼みに、あろうことか定晴は首を縦に振った。


「マジか!?」

「だが、その前に商業に出せるレベルの物語を見せてからにしろ。僕がいいと判断した小説なら、あいつに渡してやらんこともない」


 おい、ちょっと待て。紹介できるなら、礼司よりも俺を紹介しろ――と思ったが、定晴の言っている言葉はどこか意味が違うような?

 言葉の違和感に気付いたのか、礼司が訝しんだ表情をする。


「……ちょい待て。それは仕事の話だろ?」

「当たり前だ。紹介してくれと言ったのはお前ではないか? 小説を書きたくなったのだろう?」

「いやいや、書きたくなってねえし、そういう意味で言ったんじゃねえよ! 俺と海藤さんを引き会わせるセッティングをだな」

「フン、下らん。どうして、この僕がそのような無駄なことをせねばならんのだ」

「なんだとぉ!」


 礼司が慌てて正しい意図を説明するも、定晴はバッサリとそれを斬り捨てた。

 その後も礼司が果敢に会わせろと言うが、定晴は聞く耳を持たずに無視。それどころか、こちらに向き直って話しかけてきた。


「それより、これから忠宏の家に向かおうとしていたのだが、どこかに出かけるのか?」

「ああ、これから三人で手長エビを釣ろうと思ってな」

「いいでしょー!」


 七海がにんまりと自慢するように言うと、定晴は冷静にこちらの荷物を視線で確認する。


「……このクソ暑い中、外で遊ぶなどお前達はバカなのか?」


 信じられないとばかりの表情で言い放つ定晴。


「バカじゃないもん!」

「そうだぞ。そう言いながら、定晴も自転車で外に出ているじゃないか」


 俺と定晴の家はそう近い訳ではない。少なくても自転車を使わないと面倒な距離だ。

 それなのにわざわざこっちに遊びにくるとは、おかしなことだ。


「散々、自分の部屋に閉じ込められたから、部屋にいたくなかっただけだ」


 そうなると日々、俺の家に遊びにきていたのはどうなるのだろう。そう突っ込みたかったが、俺が海藤さんと結託してハメたことを掘り返されると面倒なので黙っておく。

 定晴も礼司と同じようなものだな。仕事が終わって解放されたから、とにかく遊びたくなったのだろう。


「それならたまには外で遊んでもいいじゃないか」

「ちなみに場所は鉄橋の下だから日陰だし、風も入ってくるからそこまで暑くねえぞ?」

「ふっ、まあいい。たまにはお前達の遊びに付き合ってあげよう。僕も釣竿を取ってくる」


 俺達の言葉を言い訳にした定晴は、颯爽と自転車に跨って去っていく。


「……定晴、えらそう」


 それを見送った七海はポツリと漏らした。そのわかりやすい言葉に俺と礼司は噴いてしまう。


「ははは、そう言ってやるな。定晴が偉そうで素直じゃないのはいつもの事だからな」

「そうそう。それがわかっていれば可愛く見えるもんだぜ?」


 定晴は口では偉そうに言うが、しっかりと様子や行動を見ているとわかりやすく本音が出ている。今回だってああは言っていたものの、ただ俺達と遊びたかっただけなのだ。

 それは日頃から、俺の家に通っていることから理解できる。


「えー、定晴は可愛くないよ」


 定晴とそこまで付き合いの長くない七海には少し難しかったのか、嫌そうな表情で呻く。

 それを聞いた俺と礼司は笑った。

 それもそうだな。







「あっ! 鉄橋ってあそこ?」


 家の近所にある川沿いを下ること十五分。

 遠くで現れた物体を見つけて、七海が嬉しそうに指をさした。

 そこには山と山の間を横たわるように鉄橋がある。


「ああ、あそこだ。あの下の川に手長エビがいっぱいいるぜ」

「本当!? 早く行こう! 競争だよ!」


 礼司の言葉を聞いて我慢できなくなったのか、七海がそう言って走り出す。

 会社の業績以外で、競争という言葉を久し振りに聞いた気がする。

 あんな風にどこかを目指して、競争なんて何年ぶりだろう。

 昔に皆で遊んだ記憶がフラッシュバックした。


「礼司、走るぞ」

「マジか!?」


 子供である七海と、大人である俺達はエネルギーが違う。

 だけど、楽しそうに走り出す七海を見ていると、昔の自分を思い出して走りたくなった。

 釣りセットを持ちながら走り出すと、礼司が驚きながらも一緒に走る。

 走り出した七海に追いつけるように足を動かす。

 とはいえ、水やポカリの入ったクーラーボックス、釣り竿などが予想以上に重くてそれ程の速度は出なかった。

 それでも子供である七海に追いつけるだろうと思っていたが、七海の足はかなり速くて、微妙に追いつけない。

 触れそうで触れられない距離で七海の、帽子から出ているポニーテールがゆらゆらと揺れている。


「はぁ、はぁ、忠宏。俺もう無理……」


 後方では礼司がダウンしたのか、足音が聞こえなくなった。

 俺も息が荒れてきたが、それに負けずに鉄橋の下へ至る階段を駆け下りていく。

 疲労した足のせいか何度もこんがらがりそうになったが、何とか下までたどり着けた。

 

 後は日陰まで真っすぐ進むだけ。


 そこを目指して走り出そうと顔を上げると、そこには既に七海が立っていた。

 負けたとわかっていても、ここで諦めるのはカッコ悪く思えたので最後まで走り切る。

 鉄橋の下にたどり着くと、俺は荷物を下ろして崩れ落ちた。


「えっへへー、あたしが一番!」


 鉄橋の下は日陰であるはずなのに、こちらを覗き込んで笑う七海が眩しく見えた。

 若いって違うなぁ。

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