作家と編集


 インターホンを覗くと、そこにはスーツを身にまとった女性が映り込んでいた。

 茶色の髪を綺麗に整えており、肩に大きめのカバンをかけている。

 ここが都会であれば、その女性の姿はあり触れたものであるが、パリッとしたスーツに田舎の風景はどうもミスマッチのように思えた。


 年齢は俺と同じぐらい。スーツを着ていることから訪問販売の類だろうか?

 でも、ここに来る訪問販売なんて今まで見たことがないような。 

 定晴のように俺が帰ってきたと知って尋ねてきた同級生だろうか? とはいえ、このような綺麗な女性がいたような記憶はないのだが。

 でも、女性は化粧ですごく綺麗になるみたいだし、もしかしたら知り合いかもしれない。

 居留守を使いたくなるほど怪しい人物でもなさそうだし、会話してみるか。


「はい、どちら様です?」

「あ、はじめまして、海藤といいますけど、こちらにダークネスカイザー先生はいらっしゃいますでしょうか?」

「は? ダークネスカイザー先生?」


 海藤と名乗る女性は、いきなり意味の分からない名前を挙げた。

 何だ、その定晴が好んで使いそうな中二ワードは?


「あ、すいません、失礼しました! えーっと確か本名は――ちょっと待ってください」


 思わず戸惑いの声を上げると、海藤と名乗る女性は顔を赤くして慌ててカバンの中を漁り出す。

 うちを訪ねてきたのに、俺の名前を知らないのか?

 というか感じからして俺に用があるわけでもなさそうだな。


「あ、あれ? スマホどこに入れたっけ?」


 探し物が中々見つからない様子なので、俺は焦れてインターホンを切って玄関に向かう。

 なんかよくわからないので、直接会って話した方が早そうだ。


「あ、あった! そうそう、こんな名前だった!」


 俺が玄関の扉を開けると、ちょうど海藤さんはスマホを見つけたようだ。

 そして、玄関にいる俺が視界に入ったのか、こちらへと小走りでやってくる。


「えーと、時田定晴さんがこちらにいらっしゃいますでしょうか?」


 スマホの画面を読み上げながら尋ねてくる海藤さん。


「……その前に定晴の友人ですか?」


 いるにはいるけど、よくわからない人を定晴に会わせるのは気が引ける。

 定晴の名前だって、スマホのデータを確認しながら読み上げているみたいだしちょっと怪しいな。

 田舎だからと気を緩めていたが、これは新手の詐欺とかかもしれない。


「いえ、友人というより仕事仲間なのですが……」


 試しに俺が尋ねると、海藤と名乗る女性は途端に後ろめたそうにする。

 怪しい、非常に怪しい。


「仕事仲間? あり得ないでしょう。だって、あいつの仕事場は自宅ですし」


 定晴の仕事といえば、家でひたすら小説を書いているくらいだろう。そこに仕事仲間などいるはずもない。精々両親がいるくらいだ。


「ダークネスカイザー先生のことを知ってるんですね!? 知ってて私をからかっているんですね!?」


 俺が毅然として言い放つと、海藤さんは何故か憤慨した様子で詰め寄ってきた。

 どうして、ここでこの女性が怒るのか全く理解ができない。


「ええ? からかうって何ですか? それにダークネスカイザー先生って誰です?」

「そうやって、また私をからかって!」


 純粋な疑問をぶつけてみたのだが、火に油だったようで増々海藤さんが怒り出す。

 もう意味が分からない。定晴を訪ねてきたのは察することができるが怪しすぎる。綺麗だけど家には上げたくないな。


「おい、忠宏。いつまでコーラの準備に手間取っているのだ。僕は喉が渇いているんだぞ」


 玄関先で俺が困っていると、二階から降りてきたのか定晴がやってくる。


「あ、ダークネス――」

「忠宏、それは近頃ここらを荒らしまわっている、押し売り販売者だ! 早く扉を閉めろ!」

「え、マジかよ」


 そんな噂は流れてきた覚えはないのだが、定晴がそういうのならばそうかもしれない。

 さっきもスマホ見ながら名前を読み上げていたことから、きっと顧客情報とか何かだ。定晴の言う通り後ろめたい押し売り業者に違いない。

 綺麗な見た目に惑わされるところであった。

 俺が即座に扉を閉めようとすると、海藤さんが素早く足を踏み入れてきた。


「くっ、さすがは押し売り業者。入ってきた所で俺たちは何も買わないぞ!」

「ち、違います! 押し売り業者なんかじゃありません! 私はそこにいるダークネスカイザー先生の担当編集なんです!」

「……担当編集? それって定晴の小説の?」

「は、はい! だから、扉を開けてください!」


 編集といえば、小説家の仕事仲間。定晴の仕事仲間と言われても違和感はないな。


「惑わされるな、忠宏! 僕はそんな編集者など知らん!」

「ちょっとふざけないで下さいよ、ダークネスカイザー先生! 本当にそろそろ原稿を書いて頂けないと困るんです!」

「忠宏、足を折っても構わん。早く扉を閉めろ!」

「ううう! お願いします! 扉を開けてください!」


 こちらを見ながら助けを求める海藤さん。彼女の表情と声音には鬼気迫るものが感じられた。それは自分の会社で何度も見てきた、本当に追い詰められた人の叫び。

 後方で不敵に笑う定晴と、目の前で苦しむ海藤さん。どちらに肩入れするかは明白だった。


「どうぞ、上がってください」

「なっ! 血迷ったか忠宏!?」

「あ、ありがとうございます!」

「ええい、愚か者め!」


 俺が扉を開けると、定晴が二階へと逃げて、海藤さんが靴を脱いでそれを追いかけていった。





 定晴が逃げ出したもののその先は二階。狭いうちの部屋で逃げることは敵わず、定晴が海藤さんに捕まり、改めて自己紹介となった。


「先程はありがとうございました。改めまして、ドライブ文庫編集者の海藤凛と申します」


 名刺を渡しながら挨拶をしてくる海藤さん。


「丁寧にどうも。定晴の友人の安国忠宏と従妹の七海です」

「よろしく!」


 改めて俺と七海も海藤さんに自己紹介。元気に手を挙げて挨拶する七海を、海藤さんは微笑ましそうに見ている。


「にしても、本当に編集者だったのですね。最初からそう言ってくれれば疑うことなく通したのですけど……」

「申し訳ありません。作家さんの中には、本を書いていることを隠していらっしゃる方もいるので、プライバシーを尊重していたのです」


 なるほど、それであのような曖昧な言い方をしていたのか。お陰でこちらは海藤さんを変質者か、押し売り販売者だと疑ってしまった。


「忠宏さんは時田さんが小説を書いていらっしゃることはご存知だったのですよね?」

「ええ。ですが、どのようなペンネームでどのようなものを書いているかまでは。ダークネスカイザーというのが定晴のペンネームというやつなのですか?」

「はい、そうなります」


 また妙な名前を付けたというか。

 俺が呆れていると七海が思ったことそのままを口にした。


「変な名前」

「何を言うか! とてもカッコいいではないか!」


 俺も男子なので、その中二的なワードのカッコよさを理解できなくはないが、それをつける勇気までは持ち合わせていないな。


「えー? 普通に定晴でいいじゃん」

「そのようなモブっぽい名前を誰が使うか」


 おいおい、それは名前をつけてくれたご両親が悲しむぞ。


「あはは、何だか本名で呼ばれているダークネスカイザー先生は新鮮ですね。いつもペンネームで呼ばれていますから」

「ええ? 本名で呼ばないんですか?」

「はい、業界の中では本名で呼ぶのはタブーですから」

「ええ? ということは、毎回定晴のことをダークネスカイザー先生と呼ぶのですか?」

「はい、そうなります。お陰でさっきは咄嗟に本名が出てきませんでした」


 おそるおそる尋ねると、海藤さんが苦笑いしながら答えた。

 何というか、出版業界というのは妙な風習があるのだな。相手を本名で呼ばないってすごく変だ。

 というか真面目にダークネスカイザー先生とか連呼するの恥ずかしくないのだろうか。いや、恥ずかしいだろうな。インターホンでも海藤さんはペンネームを呼ぼうとした時顔を赤くしていたから。


「ねえねえ、編集者って何をする人なの?」


 俺が受け取った名刺を眺めて、七海が興味津々に尋ねる。

 本を作るのに関わっているというイメージはあるが、具体的なことはよくわからないな。俺も少し興味がある。


「簡単に言うと作家と一緒に本を作る人ですね。そこには作家さんの原稿管理だったりというものも含まれます」


 海藤さんがツイっと視線を向けると、隣にいる定晴がスッと視線を逸らした。


「なるほど、海藤さんは定晴が原稿を提出しないものだから回収しにやって来たという訳ですね」

「そうなります。ダークネスカイザー先生の自宅を伺ったら、こちらだと聞いたもので」


 それで海藤さんが確信を持って、定晴のことを訪ねてきたというわけか。


「定晴、ダメだろー? ちゃんと原稿を出さないと」

「そうですよ。もう刊行を三か月も遅らせているのですよ? 待っている読者や、編集長からせっつかれる私のことを考えてあげてください!」


 七海がどこか説教染みた様子で言うと、海藤さんも便乗。

 前半の言葉よりも、後半の言葉の方がどこか重みがあった。

 中間管理職の人が下からせっつかれ、上からせっつかれて板挟みにあっているような感じだ。働いていた時の、苦しそうな光景を思い出すな。


「うるさい。僕は書きたい時に書くんだ。書きたくない時は書かない」


 海藤さんが必死に訴えるも、定晴は腕を組んで毅然とした態度を崩さない。

 どうやら定晴は、その時の気分で書くクリエイター気質らしい。


「ダメです。今からでも書いて頂きます。これ以上刊行はずらせませんから」


 海藤さんの表情には有無を言わせないものがあった。

 ふと、名刺を見れば、出版社は東京の千代田区にあると書いてある。

 わざわざ定晴の原稿を回収するためだけに、ここまで遥々やってきたのか。それはもう覚悟が違うな。きっと何がなんでも取ってこいと言われているのだろうな。


「そんなことを言っても原稿はない!」

「ここにノートパソコンがあります! ここで完成するまで書いてください!」

「そのような迷惑を忠宏に負わせる訳にはな……?」


 海藤さんの迫力に押されてか、定晴が助けを求めるような視線を向けてくる。

 しかし、それ以上に海藤さんの血走った眼が怖かった。あれは何が何でも回収するという社畜の目だ。

 それに取引先の遅れによって、自らの仕事が遅れてせっつかれる海藤さんの気持ちが、元社畜の俺には痛いほどわかる。


「いや、気にすることはないぞ。俺と七海は下にいるからいくらでも部屋を使ってくれ」


 俺はそう言って、七海の手をとって部屋を出る。


「忠宏、貴様裏切ったな!?」

「ありがとうございます! 忠宏さん! さあ、ダークネスカイザー先生、ここで缶詰です! 原稿ができるまで私は帰りませんよ!」


 部屋に中では、定晴が逃げ回っているような足音と悲鳴。そして海藤さんの怪しげな笑い声が響いている。


「作家と編集者って変だね」

「……本当にな」

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