大切な時間
七海と礼司が食べ終わったタイミングで、俺は次の麺を流していく。
それを七海と礼司がすくい上げて食べる。
「七海、結構礼司の方に麺が流れているぞ? しっかり箸で掴んで食べないと」
「むむむ、綺麗に全部とるの難しい」
七海はきちんと素麺を取れてこそいるものの、半分くらいは取りこぼしていた。
後ろには礼司もいるし、別に問題ないのであるがとれるのが全部とってみたいのが遊び心だろう。
「ふっ、これからお子ちゃまは箸の使い方が下手なのだ」
咽から回復したのか定晴が戻ってくるなり、バカにしたように言う。
「むっ! お子ちゃまじゃないもん! 次は全部とってみせるから!」
定晴に煽られてムキになった七海が、こちらを見据えてそう言う。
全部とってみせるから流してくれということだろう。
意図を汲み取った俺は、再び素麺を流してやる。
竹の上をスイーッと流れていく素麺。
定晴は腕を組んで静観すると思いきや、しれっと箸で麺を半分だけせき止め、すぐに離した。
「っ!?」
お陰で一塊になっていた麺はバラバラになり、しかもタイミングがずれたせいか七海は少ししか取ることができなかった。
「もー! 定晴! なんてことするのさ!」
「フハハハ! 誰も邪魔しないとは言っていないだろう!」
どうして、定晴はこうもちょっかいをかけるか不思議だったが、こうも表情豊かな七海が相手だとその気持ちはわからなくもないな。
「あらあら、賑やかな声が聞こえると思ったら流し素麺をしていたのね」
「いいな、流し素麺。暑い日にはぴったりだな」
わいわいと言い合いながら流し素麺をやっていると、畑から母さんと父さんが戻ってきた。
「二人も食べるなら食器とか取ってきてね」
「麺の方は足りているかしら?」
母さんにそう言われて、ボウルを確認すると量が少なくなっていた。
既に一個目のボウルは空になっているので、これがなくなったらお終いだ。
「なんか礼司のつゆ赤っぽくない?」
「ははは、薬味を変えるだけが素麺の楽しみ方じゃねえ。つゆの味を変えるのも手なんだ。これは麺つゆに、ニンニク、ラー油、豆板醤を加えてピリ辛風にしてある!」
「何それ、美味しそう! ズルい! あたしもやる!」
「作ってやるから一緒にきな」
「うん!」
さっきから麺を次々と流しているが、礼司や七海も食べる速度は衰えていない。
というか、今度はつゆを変えて味わいを変えるつもりらしい。
「まだまだ足りないみたいね。父さんもよく食べるし、六束くらい茹でて持ってくるわね」
「うん、お願い」
皆の様子を見て察した母さんが、キッチンへと戻っていく。
それと入れ違いに父さんが、準備万端で出てきた。
「よし、忠宏早く流せ」
あんたには追加で茹でるとかいう気遣いができないのか。
「忠宏、そろそろ交代だ。お前はまだ食べていないだろう」
俺が父さんを見て呆れていると、定晴がそんな優しい言葉をかけてきた。
「自分が流す役割を得て、流し素麺を支配したいとか思っているだろう」
「バレたか」
流し素麺の場を握るのは、脇役にも思える麺を流す人であるからな。
そもそも定晴がこんな気遣いができるはずがない。
とはいえ、俺も食べておらずお腹が空いていたので素直に交代する。
俺が麺つゆの入ったコップを持って位置に着くと、隣にいる父さんがニヤリと笑って。
「忠宏、流し素麺とは戦い。強い者こそ、たくさん食べることができる弱肉強食なのだ!」
……お前もか。
俺が呆れていると、つゆを作り終わった七海や礼司も戻ってきて賑やかな布陣となる。
定晴がいなくなったとはいえ、また同じような奴が参入してきたので厳しい戦いとなるであろう。
「それでは麺を流すぞー!」
定晴が高々と告げると、少しずつ麺が流れていく。
「ふん! はっ!」
間隔が空いて投下された素麺であったが、先頭にいる父さんが瞬く間に二つを確保。しかも、定晴のようにコップに溜めるのでなく、ちゃんとすすって食べてから箸を伸ばして麺を確保している。
なんて意地汚い父親なんだ。
「やるな、繁勝殿」
「ふっ、数々の戦場を渡り歩いてきたんだ。この程度は造作もない」
父さんの実家は五人兄妹とかだったな。
昔の人は兄妹が多かったって聞くし、ご飯を食べるにも奪い合いだったのかもしれないな。
「しかし、全員に麺を食べさせなければ支配者失格! 受けてみよ、この麺を!」
定晴はそう言うと、ボウルから一気に麺を流してきた。
「うわっ! お前、量多過ぎだろう!?」
一束くらいあるのではないだろうか。それくらいの量の麺が勢いよく竹の上を流れてきた。
それを父さんが箸でごっそりと取るが、それでも素麺はなくならない。
俺は目の前にきた素麺に箸をくぐらせて持ち上げる。
水を吸っているせいか素麺とは思えない重みと量だ。それをコップに入れると、それだけでもう満杯だ。
「あはは、取り放題だ!」
「さすがに全部拾い切れねえ」
流れていったものを無邪気に笑いながら取る七海と礼司。
四人がかりで取ってみたが、いくつかは下のザルへと流れてしまった。
でも、想像していたよりも下に落ちなかったな。
そんなことを思いながら俺はつゆにつけた素麺をすする。
冷たい水で冷やされて麺がズルズルッと口の中に入る。口の中で感じる冷たさと、一気に麺をすする爽快感が心地よい。
「うん、美味いな」
やっぱり夏といえば素麺だな。
相変わらず外は暑いが、そんなことを忘れさせてくれる美味しさだ。
濃厚なつゆと絡んだ麺の味がたまらない。薬味として入れているネギが、いい食感と風味を加えている。
「ピリ辛のつゆも美味しい!」
「だろう? このつゆの美味しさをわかるとは七海ちゃんもやるなぁ」
ほお、さっき調合していたニンニクにラー油や豆板醤を加えていたつゆか。
俺はつゆを変えたりしないのだが、それ程までに美味しいのか。
「忠宏兄ちゃんも食べてみて!」
ちょっと興味を閉めていると、七海がそう言って麺をすくった箸を差し出してきた。
これはあーんしてやるから食べろということか。
小さな子供である従妹にしてもらうのは気恥ずかしいものがあったが、七海はそんなことを全く気にしていない模様だった。
子供が相手なんだから恥ずかしがる方が変だよな。
俺は少しの気恥ずかしさを押し殺し、口を開けて素麺を食べさせてもらう。
「おっ、美味い!」
「でしょ!」
思わず驚きの声を漏らすと、七海が嬉しそうに笑った。
ニンニクの香ばしい味と、ラー油と豆板醤によるパンチのある辛さ。それは甘さも兼ね備えるつゆと見事にかみ合っている。
「他にも豆乳つゆ、納豆卵つゆ、トマトツナつゆとか色々あるんだぜ」
「へー、そんなにもあるのか……」
せいぜい薬味を変えてみたり、パスタ風にするくらいでそこまでつゆを変えるという発想がなかった。
このように味が変貌するのであれば、礼司のように色々と工夫してみるべきだろうな。
感心しながら細々と流れてくる素麺を食べる俺達。
すると、程なくして急に素麺が流れるのが遅くなった。
「どした定晴? もっと素麺流してくれよ」
「……それは無理だ。何故ならば麺がもうないからだ」
思わず礼司が問いかけると、定晴は空になったボウルを見せながら言った。
さっき、一束まるごと一気に流してしまったせいだろうな。細かく流していけば、まだ保ったかもしれないがいずれなくなるのはわかっていたのでしょうがない。
「今、母さんが追加で茹でてくれているから、それまでは礼司が持ってきてくれたおかずでも食べようか」
こんな時のための礼司のおかずだ。
俺達はつゆに入れる薬味を変えたり、補充しながら、更に盛り付けられたナスと牛肉の炒め物を食べる。
素麺もいいが、ずっと同じものばかりを食べていると飽きるからな。こういうちょっとしたおかずが一品あると、非常にありがたい。
そんな風に縁側で休憩していると、母さんがトレーの上にボウルを二つ持ってやってきた。
「追加の素麺茹で上がったわよー」
「うわーい! 早く流そう!」
「よし、この僕が流してやろう!」
「いいけど、また一束とか流すんじゃねえぞ?」
これには皆大喜びで、つゆの入ったコップと箸を持って流し台に行く。
それを見て母さんが、にっこりと笑う。
「こうして忠宏や礼司君、定晴君と流し素麺をやるのなんて何十年ぶりかしら?」
「俺達が小学生、中学生の頃だからね。十四、五年くらいは前だと思うよ」
このように大勢で集まってやったのは、それくらい振りだ。
「忠宏が帰ってきて、七海ちゃんがやってきて……二人を中心に礼司君や定晴君も集まってきて随分賑やかになったわ」
「そうだね」
流し素麺をしている七海や、定晴、礼司達をどこか嬉しそうに見ている母さんに、俺は微笑みながらも相槌を打った。
俺もこのように大勢で遊ぶのは久し振りだった。
都会で集まる時は、大概が面倒な接待や会社での飲み会などで……。
こんな風に気を遣わず、自然に振舞える場所はなかった。
そう思えば、平然と過ごしている今が、どれだけ素晴らしい時間かわかる。
「忠宏兄ちゃん、おばさんも早く!」
ぼんやりとそんな事を考えていると、流し台の傍にいる七海が呼んだ。
他の面子もこちらを見ていて、どうやら俺達を待っているらしい。
「こりゃ、早く行かないとな」
「ええ、私達も素麺を食べるわよ」
七海に呼ばれて、俺と母さんも流し素麺の輪に加わる。
「よし、では素麺を流すぞ!」
人間が生きていられる時間は限られる。働いてお金を稼ぐ事も勿論生きていく上では大事だが、このように楽しめる時間を過ごすのも、また大事なのだろうな。
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