第29話 訂正と謎解き

 薬師と言った途端、王の傍にいる官がざわついた。それもそのはず、その理由をすでに琳明はしっている。だって、玲真が琳明に教えてくれたのだ。

 後宮に入るためには多くの条件があるがそのすべてが一般に公開されているわけではない。公開されていない条件の一つに『薬の知識がある者は後宮へ入ることができない』というのがあると。後宮は王が通われ、子をなすために無防備になる場だ。そして次を担う王が産まれ育てられる場所だからだ。

 一般には公にされていない条件ではあるが、王の側近は当然それを知らぬはずはない。

「薬師だとありえない。そんな女は後宮へは入れない」

 王の横にいた官がそう呟いた。

「どのような手違いがあったのかは存じ上げませんが。私の身分に不審あれば、薬屋『葛の葉』やその周辺の者にお聞きになればすぐにわかると思います。李 琳明は饅頭屋の娘ではなく薬屋の娘でございます」

「饅頭は? お前は道端で饅頭を売っていたのだろう? 官が何人もそう証言していた」

 官が琳明に確認をするかのようにそう問いただす。

「確かに饅頭を売っておりましたが。あれはあくまで私が祖父と行った薬屋の跡取りとしての商才をみるための副業とでももうしましょうか。子供で女の薬師は腕がいいとは言っても、信用はそう簡単についてきませんから。ですから、女である私が売っていても買っていただける饅頭で勝負に出ただけです。官からは私が売る饅頭が評判だったと王から伺いましたが。私は薬師です、顔をみれば不調かどうかすぐわかります。だから、そういった人を選び薬師として饅頭をつかい上手く勝負をしていただけなのです。私も、よもや16の年で後宮へのお声がかかるなど思ってもみませんでした」

「この者の身辺をもう一度改めよ」

 王の指示に官が頭を下げる。

「かしこまりまして」



 宴の会場は問い詰められる琳明を見守る者、吐いてぐったりとした下女を取り囲み見守る者。会場から出せと騒ぐものととても宴会らしい雰囲気ではない。

 そんな中、すらりと長身の玲真が琳明と仮の王の下へと歩み寄ってきた、その手には会場に有る見事な銀杯が握られていた。

「琳明、これはお前の席にあった酒だ。お前の銀杯を黒く染めた酒はこれで間違いないか?」

「私の席から持ってきたのであれば間違いございません」

「これは、どうみても銀杯で間違いない」

 玲真は琳明の席からもってきた銀杯をあらゆる方向からみて、間違いなく銀と断定する。

 なぜ琳明の張りぼての銀杯に毒は反応して、見事な銀細工の銀杯には反応しなかったかだ。琳明もそこが疑問だったのだ。品物は今玲真が手にしている物のほうが上等なものだ。

 考えろよく考えろ。反応したこともそうだが、現に下女は具合が悪くなり自ら吐いたのだから毒が混入していたことは間違いがないのだから。


「お前のもってる銀杯を出せ」

 玲真にそういわれると差し出さぬわけにはいかず、桜の花びらのあるところだけ黒ずんでしまった銀杯を差し出した。

 玲真は迷うことなく、琳明の座席においてあった銀杯から琳明が手に持っている祖父からもらった銀杯へと酒を移し替える。時間を置くと当然、琳明のもってきていた銀メッキの銀杯は黒ずんだ。

 その様子を見てあたりがざわつく。

「信じられない玲真様がもっている銀杯は後宮の物だぞ」

「饅頭姫が言うことが確かなら後宮の銀杯は毒が見抜けない物になってしまうぞ」

 官は口々に後宮に置いてある銀杯がどうなっているんだと声に出し始める。それほど、毒を見抜けぬ銀杯だったという衝撃は計り知れない。これまで毒か試すためにやっていた時間置いていたのが無意味な器でやっていたことになってしまうのだから。

「そんな馬鹿なことがあるものか、この小娘が何か細工を下に違いない」

 一人の官がそういって琳明を指差した。

「そうかもしれない。あの下女も仲間で王の目に止まろうと一芝居打ったのかもしれない」

 銀杯は酒が入っている王と妃の物だけで16は必要になる。それとは別に料理がのる皿やこの宴に同席した高官の物をいれるとどれほどの数になるかわからない。

 それほどの数の銀杯がもし、銀杯ではないものにすり変わっているとすれば大問題だし、すべてを入れ替えるにしても、銀杯を始め器にはすべて見事なそれぞれ違う細工がされている。

 銀杯と銀ではない器を入れ替えるだけならともかく、細工も似たような物をだなんてできるはずもない。

 ここは、町のちょっとした家ではなく、後宮。いつ手に入れた物かは琳明にはわからないが、細工は思わず琳明が目を止めるほどの歴代の名工の作で真似など簡単にできようがない。

 だからこそ、大それた入れ物が偽物に入れ替えられた可能性よりも、目の前の小娘である琳明が下女と二人で一芝居打ったほうが話としては納得がいってしまう。

 官の手が琳明を拘束しようと伸びる。妃に王以外の男が公衆の面前で触れるなど本来あってはならないことだが、この宴会で王までも殺そうと下となれば別だ。

 琳明は救世主から一転、この毒殺事件の犯人としてつかまろうとしていたのだ。

(このままではまずい。今捕まれば弁明などする暇もなく殺されてしまうかもしれない)

 だって、この場には確実に、この大それた事件を起こすべく毒を持ちこんだ人物がいるはずなのだ。そいつにすれば、琳明は格好の罪をなすりつける人材となる。ここで切り抜けられねば琳明どころか、町にいる家族もろとも首がはねられてもおかしくない。


 官が二人がかりで琳明の腕を一つずつ拘束すると逃げられまいと上から力をかけられ琳明は地面にあっという間にねじ伏せられてしまったのだ。琳明の手から祖父からもらった銀杯が落ちた。

「おい」

 玲真が軽く制止の意味を込めた声をかけるが、この疑心暗鬼の中ではそれだけでは官はとまらず、琳明が声をあげても届かない。玲真はおそらくすべての人間に身分を明らかにしているわけではないだろうし。王だと明かせない以上玲真の正体をしっている高官もきっと動けないのだ。このままでは……。


 その時だった濃い見事な赤色に染められた上等な布が這いつくばる琳明の視界に入った。

「無礼者、王の妃に公の場で男が触れるとは何事です」

 紅麗華だった。麗華のところには表向きは何度かお茶をしにいった。本当の目的は玲真に促され後宮の情報を探るためだったが。まさか紅家の直姫がここで仲裁に入ってくるとは思わなかった。

「麗華様」

 麗華様と名を呼んでしまった。

 官が動揺し拘束の手が緩んだのでほんの少しだけ琳明の身体が起き上がった。その先に落ちていたのは、玲真が琳明の席からもってきた毒の入っていた銀杯と、捕まった時に落としてしまった琳明の祖父からもらった銀杯だった。


 目の前に空になって落ちた2つの銀杯。2つの銀杯が並んだことで琳明は気がついた。なぜ後宮にあった二つとない細工のされた銀杯が毒に反応しなかったのか、そのからくりに。

 すべてのことは勉強だ、知っておくことはいつか役に立つかもしれない。関係ない分野を学ぶことも無駄ではないのだと祖父が言っていた言葉を思い出した。

(ありがとう、お祖父様……)

「わかった!」

 琳明は声をあげた。

「言ってみろ」

 玲真がそう言う。



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