第2話 運命を変えた饅頭
祖父との賭けを初めて一年が経過した。琳明14歳になり金子も当然増え、すでに経費として初期投資した分の回収は終わり金10両返すことができるほど儲けた。
(再来年私が16歳になって賭けを終える頃には金10両の元手はどれくらい増えているのだろう)
自分の店先で始まった琳明の饅頭屋の繁盛ぶりは祖父の目に嫌でも毎日目にはいった。ただ饅頭屋をしているだけではなく、目についただろう症状が重い客に声をかけしっかりと後ろの薬屋『葛の葉』へと琳明が送り込んでくるが、症状の軽い客は一つも薬屋に琳明は送ってこないということはきちんと饅頭の中に上手くまぜ薬師として軽度の患者に対応している、客の顔色が良くなっていくものだから琳明の饅頭が薬師として上手く言っているのは明白でだからこそ祖父は琳明に難癖をどうつけようかと頭を抱えるのだった。
今は饅頭を買うだけの客だが琳明が『葛の葉』の店頭に立てばなぜ饅頭を食べるだけで自身の不調がよくなったのかの理由を頭のいい客からすぐに理解していくだろう。
まんまとしてやられたと悔しそうにする祖父をにんまりと見つめて、琳明は今日も小さな饅頭を作る。
祖父と賭けを初めて2度目の春、国試を受けるためにやってきたカモを去年と同じように狙いうろうろとしていた時だった。
ボロ屋の宿の馬小屋にいる優男に琳明は目をつけた。
いつも通り琳明は饅頭の余りを差し出した。
男はひどく感謝して何度も頭を下げた。
「私は
「李 琳明よ、葛の葉という薬屋の前でこの饅頭を売っているの。感謝しているのだったらもし受かったらまたひいきにして頂戴」
きちんと、店を宣伝することも忘れない。
その日珍しく琳明はいつもは饅頭を上げ店の宣伝をしたら去るというのに、向俊と話をした。歳は琳明の2つ上、16歳で武官の試験を受けにこの街から徒歩でひと月もかかるようなところから歩いてきたそうだ。
茶色の髪に瞳、身長は武官を目指すだけあって高く体格に恵まれているが琳明がこんな夜に話しかけても怖いと思わないのは彼の目が垂れ目で優しそうに笑うから、人懐っこい大型の犬のように見えたからかもしれない。
潰れた豆が何度も治った後の残る大きな手で持ち上げる琳明が作った小さな饅頭の小さく見えることったらない。8個あった饅頭はあっという間に大きな手により口に運ばれ消えていった。
饅頭をべながら向俊は金の残りが少なくなり不安に思って食事を我慢していたこと。
路銀を街の皆が工面してくれたから大事にしてきたが、身体が資本なのにこのままでは駄目だったなとわかったなど照れくさそうに話してきた。
そして試験の前にきちんと食べられたことへの感謝を何度も言われた。
「試験に受からずとも、必ず今度は金をためて饅頭を買いに行こう」
そういって向俊は頭を下げた。
落ちても買いに来るだなんて律儀なことを言われたのは初めてで琳明はクスっと笑った。
「次に会う日を楽しみにしております」
◆◇◆◇
そんなやり取りをすっかり忘れた頃だった。
国試に受かった若者が仕事になれポツポツと店に姿を現しだした時だった。向俊が店に現れたのだ。
以前とは違い、定期的に風呂にも入れるようになったのだろう。茶色の髪には艶ができ、少し薄汚れていた肌も栄養状態が悪く少しこけていた頬も改善し全体的にきれいになりこざっぱりとしていた。
やけに緊張した面持ちをしているからどうしたのかと思えば、武官になれたこと、そして、あろうことか琳明に求婚したのだ。
あの日たまたま饅頭をあげただけの女にである。
何の冗談をとごまかしてみる、だって琳明が饅頭を上げたのは今後の投資のためであって本当にこの男のために優しさでやったことではないのだ。
琳明の良心がさすがに痛む、善良な若者を騙してしまっていると。向俊はその後も足しげく店に通う。
「髪を下ろしたほうが可愛いと思う」
「饅頭を作るのに邪魔なの、本当はある程度伸ばしたら切るつもりだったのに珍しい髪の色だからと周りが切らせてくれないのよ」
売ればかなりの値になるはずなのにということを考えると、切りたい髪を周りのせいで伸ばして手入れをして結いあげないといけないことを繰り返している毎日にうんざりとして答えた。
向俊は律儀な男だった。話かけてくるがそれはたいてい饅頭を買いに来た時に一つ程度質問をするくらいだ。
「どうして琳明の作る饅頭は小さいんだ?」
「私の手が小さいからです」
そんな風に来るたびに繰り返される一つの短いやり取り。
そんなこんなであまりにも足しげく通ってきて短い会話をして饅頭を買っていくものだから……。
「饅頭だけではさすがに栄養が偏るわよ。武官は身体が資本なのでしょう」
とうとう薬師として警告してしまった。そうすると彼は困った顔になる。
「饅頭を買わないと琳明に会えない」
「馬鹿ねぇ……」
饅頭をかわず、琳明と話をしてあわよくばどこかで二人で食事でもと誘う輩も多い中、律儀に饅頭を買わねば琳明に会えないと言われてとうとう琳明は絆されてしまったのだ。
もともと、琳明だって向俊にそういう気がなければとっくにきっぱりと幻滅してしまうだろう毒舌でおっぱらっただろう。
祖父も琳明の気持ちをわかってかニヤニヤしていた。彼には苗字がない。1年ここにとどまった後はきっと地方へと飛ばされることだろう。彼に嫁ぎ地方に行くとなれば賭けに勝った琳明であっても当然店は継げない。祖父の筋書きとはちょっと変わってしまったけれど相手は官であり最低限の生活は保障されるし琳明自らが諦めてくれることが一番いいのだ。
そしてはれて葛の葉の跡取りは琳明の弟となる。
賭けには勝ったとしても、夫についていき街を離れるということになればさすがに薬屋を継げないからだ。
琳明は考えていた。秋になれば私も16になるし祖父との賭けも私の勝ちで念願の薬屋の跡取りが私で決まる。念願の跡取りこれで嫁にだされることなく、婿を取り女主人として店を切り盛りできる。
しかし、向俊は夏の武を競う大会が終われば、成績が特別優れでもしないかぎり地方行きが決まるだろう。
そうすれば、街で店をして留まる琳明と街を離れる向俊はもう会うことは叶わず彼との縁は切れてしまう。
大会を応援に来てほしいと琳明は向俊に何度も言われた。
私に向俊についていく決心がつかないだけだと言うのも見抜かれていた。だからこそ試合を見に来て成績をみて安心して嫁いでほしいと言われた。
でも、ついていくと決めたわけでもないのに変に期待させることはしたくなくてずっとずっと悩み。
とうとう琳明は向俊の応援に行くことができなかった。
試合が終わった後も、向俊は相変わらず琳明の店に通ってきた。琳明はどうしたらいいのかいまだに結論を出しかねていた。
琳明が16になる前日の夕方のことだった。とうとう観念した祖父が今後の店の切り盛りや琳明の扱いについて話をしよう饅頭屋に足を運んで着ていたときだった。
「李 琳明はいるか?」
上等な布を使ったゆったりとした官服。
官位など琳明にはわからないが、衣服からかなり上の身分だとすぐにわかった。
「私にございます」
すぐに琳明はその場で祖父と共に膝をついた。何事かと琳明の後ろの店にいた父も店から出てきて衣をみて男の身分を見抜くとすぐにその場で膝をついた。
「えー、読み上げる」
男はそう言うと大事そうに懐から文を取り出し読み上げた。
なんていってるかわかっているのに頭に全然入っていかない。
最後に男がこうしめた。
「李 琳明を明日付で後宮に召し上げる」
私の頭は真っ白になった。
そりゃ庶民の女だもの、一度くらいは後宮に召し上げられて、上等な布の服、美しい簪、婚姻の時ですら庶民には飲むことの叶わない茶を毎日飲む生活に憧れたことがないと言ったらウソになる。
祖父は私が後宮に入ればと絵空事を何度も言ってきたが、街娘の中では少しばかり可愛いほう程度の私が条件をすべて満たしているからと貴妃の試験を受けたところで受かるはずもないとずっとずっと思っていた。
16歳から17歳になるまでの1年間でたった1度でも王のお手つきになれば貴妃として後宮にとりあえず21までは残れるし、21までに子をなすか、子をなせなくても王のほうから寵愛の打診を頂ければ本格的に貴妃として後宮に残れる。
お手つきにならなければ明日で16になる琳明は1年贅沢な暮しをさせてもらって10年は質素に暮らせるほどの金をもらって街へと帰される。
庶民の出で後宮の美女の中では劣るに違いない琳明が1年いたところで手をつけられる可能性などほぼないだろう。
現に私が知っているこの街で美人と評判だった人ですら13で召し上げられて17の時までに手を一度も手をつけられず街へと戻ってきた。
断れるはずもない、行くことは確定だ。
祖父はまさか本当に召し上げられるとはと手を叩いて喜んだ。
私にとっても贅沢な暮しを1年させてもらって金まで頂き。まだ、行き遅れなどと言われる前に街に戻されるし、いいことだらけだ。
ただ一つ、召し上げられるのは他の召し上げられる妃との明日だ。
辞令がおり来月末には地方へといくであろう向俊には私の口から話すことも叶わない。
17になり街へと戻ってきたときに彼が地方に行っていたとしても私を迎えに……いや文の一つでもくれれば。
でも彼は官だしとてもいい人だ。
私のいない間にきっといい人が出来てしまうに違いない。
こんなことなら、悩まずに自分の気持ちに素直になって彼についていく決断をすればよかったと思っても遅い。
こんな薬師の看板娘程度が召し上げられるのだ、家族も近所の人も皆喜んでくれ夜には沢山のごちそうが並んだ。
王は厳選された美女からお生まれになった血筋だけあって見目麗しいお方だぞと皆口々にいった。
それでも、一度もあったことのない見目麗しい王よりも、私に何度も会いに来て求婚した少し不器用でまっすぐな向俊のことを思いただ一人夜にこっそり泣いた。
今日だけ泣いて、泣いて明日からは頑張るのだ。
そして、向俊のことを何もせずに諦めるなど私らしくない。
私のことをアレだけ娶りたいと言ったのだ、本当にその気持ちが本物ならたった1年どうか他の人を見ずに待っていてほしい。
私は文を書いた、欲をかいたこと、いつの間にか同じ気持ちだったこと、地方に行くのではと悩んだこと。召し上げられること。
覚悟が決まったからどうか1年待って私を迎えに来てほしいと。
次の日のことだった、手紙を家族に託し、琳明は王から賜った美しい白い衣服を身にまとい。
街の小さな薬屋から後宮へと入ったのだった。
琳明が召し上げられたことはすぐに若い官の間で噂になった。
国試を受ける連中に的を絞った商売をしていた。愛想のいい琳明に惚れていた男は他にもいたし、客と範囲を広げれば胃痛持ちで饅頭を買う文官や簡単な傷薬を琳明から買う武官などごひいきが何人もいたのだ。
そんな官ばかりが何人も足しげく通った店が突如、少女が後宮に入ったから店をやめることになったと言われたのだ。
向俊は自慢の足で走った。
小さい饅頭を売っていた琳明は店先に本当にいなかった。
茫然とする向俊に一通の手紙が渡された。
手紙を渡され向俊はほんの少し泣いた。
どうか王に手を出されませぬよう。気にいられませんように。
他の男のところに下賜されませんよう。
文を懐にいれると向俊は踵を返した。
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