第10話 ベラの渡しもの

 わお!ここが職員寮なのか!建物の中は学園と同じような、ロココの雰囲気のゴージャスな装飾が廊下の壁や柱に施されている。グリーン寮とは雲泥の差だ。感嘆の声を漏らしながら歩いていると、大袈裟よとベラ先生に笑われた。


 先生に続いて階段で2階に上がった。この建物は2階建てだけど、ひとつの階に2部屋しかないらしい。わお!この大きな建物に合計で4部屋しかないなんて、中はきっと広いに違いない!とにかく興奮してしまって想像が止まらない。


 先生が自分の懐中時計を玄関のドア横の認証パッドに当てて認証をした。ピーと言う音と共に扉が開くと、中には想像していた以上に豪華な、ドラマで見かけたホテルのスイートのような広い部屋があった。


「どうぞ。」


 ベラ先生が玄関のドアを片手で支えて、私が通れるようにエスコートしてくれた。


「ありがとうございます。わ、わぁ〜〜〜」


 ゆっくりと中に入るとほのかにいい香りがした。石鹸の柔らかい香り。朝シャンでもしたのかなと、いつも妖美で威厳のあるベラ先生の生活感を感じてくらりと目眩がした。


 もしかしたら私は変態かもしれない。でも私じゃない、過去の私が変態だったのだ!私ではない!


「座ってもいいわよ。」


 先生はリビングにある優しいクリーム色のソファを指さした。私はなんだか緊張してしまって首を振った。


「ありがとうございます!でも大丈夫です!それで、忘れてたと言うのは?」


「ええ、そうなのよ」


 ベラ先生はリビングに面する隣の部屋に入った。チラと扉が開いたときに見えたが、そこは書斎か仕事部屋のようだ。大量の本や資料が見えた。


 リビングにはソファの他に、木製の丸いテーブルとお花の彫刻が施された椅子が2つあった。ほとんど白に近い淡い桃色の壁紙が可愛らしくて意外さを掻き立てる。壁には森の風景画が何枚か飾られていた。クラス交流の時にアートが好きと言ってたことを思い出した。


「あった!これよ。」


 書斎から出てきたベラ先生は、黒い布製の巾着袋から手に収まるくらいのディスプレイの何かを取り出して私に渡してくれた。これはなんだろう?


「これは学校専属の携帯なの。ヒイロには渡してなかったわよね。」


「ああ!確かに!ありがとうございます!」


 彼女から携帯を受け取り、別になくても不便なかったけどと思いながら電源を入れた。


「ログインの仕方はこうよ、魔力認証を行うから自分の手をかざすだけでいいの。やり方教えましょうか?」


「はい、お願いします!」


 ベラ先生は微笑んで私の手を取り、ディスプレイへ近づけてくれた。

 なんだか距離が近くて肩と肩が触れる。認証が通ると私の名前が画面に表示された。


「あ、通ったみたいです。」


 先生の方を振り返ると、意外と彼女の顔が近くにあってちょっと驚いた。


「そのようね。良かった……」


 何故か彼女と目が合ってから視線を離せなくなってしまった。お互い何も言葉を発さず、ただ見つめ合っている。魂を吸われるような深いワインレッドの瞳がこちらをじっと見ている。


 何?これは何の瞬間だろう?


「も、もうそれはあなた専用の携帯よ。」


「あっ、ありがとう…ます」


 緊張で少し言葉が途切れてしまった。


 ポーン


 その時、私の携帯が鳴った。それと同時に固まっていた我々の時間も動き始めた。


 私は頂いたばかりの携帯でメールを確認することにした。おニューの携帯に早速メールが来ててちょっと嬉しい!誰からだろう…え?


 ……え?


 ____________

 やはり結構です。

 休日に、

 生徒であるあなたを

 呼び出して申し訳

 ありませんでした。

 家森

 ____________


 あ。家森先生からのメールだ。改めてメールフォルダを開くと最新の一件だけではなく、ちょっと前に何件か先生からメールを受信していたことが分かった。


 古い方から順々に開くと、


 ____________

 着きました?

 砂利道が見えますか?

 その道沿いに

 歩いてきてください。

 家森

 ____________


 ____________

 ヒイロ?

 返事がありませんが。

 どうかしましたか?

 迷いました?

 家森

 ____________


 ____________

 メールを読み終わり次第、

 返信ください。

 家森

 ____________


 そして今さっき受信をしたあのメールにたどり着く。やはりいいと。


 そうか……家森先生、私が携帯を持っていると思って何度も連絡してたんだ。無視したみたいになっちゃった。どうしよう。しかもちょっと怒ってるっぽい。


 でもベラ先生のせいではない。確かにみんな携帯を持っていたのだからその時点で自分からベラ先生に確認すればよかったのだ。


「家森先生から連絡あった?」


「はい、でももう大丈夫のようです。解決したみたいです。」


「そう……」


 ベラ先生は近くの棚の上に置いてあるアクセサリーケースからパールのピアスを取り出し、耳たぶにつけながら話した。


「もう用事が済んだのならいいけれど、私の部屋を出て向かいにあるのが家森先生の部屋よ。もし気になっていたら……。」


「分かりました。うーん、じゃあ訪ねてみます。」


 私が悩みながら歩き始めると、ピアスをつけ終えた先生は私を玄関まで送ってくれた。


「先生、休日なのにありがとうございました。」


「いいのよ。渡し忘れていたこと、悪かったわ。」


「そんなことないです!」


 私は玄関の外に出る。と、ベラ先生も出てきた。


「ジムに行く途中だったの。家森先生の部屋を一緒に尋ねた後に、校舎まで一緒に行きましょう。」


「あ、ありがとうございます」


 優しすぎる……ああ、彼女が担任の先生で良かった。


 私たちは玄関から出て向かいの家森先生の部屋へと歩き出した。話によるとベラ先生の部屋とは正反対の間取りみたいで、家森先生の部屋の玄関は廊下の向こう側にある。


 二人で廊下を歩いていると、突然階段の方からドンドンドンと誰かが上がってくる足音が聞こえた。


 中央の階段から現れたのは、あれ?この前ラボの戦闘でイエローポールに飲み込まれたレッドクラスのマリーだ。彼女も私を覚えててくれたのかこちらを見て微笑んでくれた。


「あら!ヒイロ、ベラ先生。こんにちは!」


「こんにちは…。」


「こんにちはマリーってあなた、もう少し階段はおとなしく上がったら?」


「ごめんなさい!急いでいたものですから」


 頭を下げて謝るマリーは今日は休みだからかいつものレッドローブじゃなくて私服だ。短いスカートに胸元の開いたVネックのTシャツに可愛い白のウールコートを羽織っている。しかも胸の谷間が見える。マリーの胸の大きさに目を奪われていた自分に気付いて、慌てて自分の視線をマリーの顔に戻した。


「マリーは何しているの?」


 私の質問に、マリーはウキウキした様子で答えた。


「ふふっ!ちょっと用事があって!じゃあね!ヒイロ!さようなら、ベラ先生!」


 すると彼女は小走りで家森先生の部屋のドアへ向かって行ったのだ。


 何とも言えない状況に、隣で立つベラ先生と顔を合わせる。先生はまさかねぇと表情だけで語りかけて来た。と、とにかく行ってみよう。私が歩みを再開すると先生も歩き始めた。


 廊下の向こうで、マリーがインターホンを押した音が聞こえた。


 するとすぐにかちゃとドアが開いたが、マリーの目の前の相手は部屋の中にいるので誰がそこに居るのかはここからは見えない。マリーが相手を見つめてパッと笑顔になっているのは分かる。


 そしてマリーとその誰かがドアの所で数回話をすると、彼女が中に入って扉が閉まろうとした。


 その時、隣のベラ先生が大きな声で叫んだ。


「待って家森くん!ヒイロが来てくれたけれど!」


 すると扉を再度大きく開いて、家森先生がドアからこちらを覗いてきた。何故か私の顔を見ると顔を引きつらせた。私の顔が引きつってたからかもしれない。


 我々も家森先生の所まで行き、私が携帯を持っていなかったこと、裏門で待っている時にベラ先生に会ったこと、さっきベラ先生から携帯もらったこと、経緯を話した。


「そうでしたか………」


 彼は何故か青ざめた顔で地面を見つめてそう呟いた。具合でも悪いのだろうか。それともこの状況が気まずいのだろうか。


「広~い!」


 奥からマリーの声が聞こえて来た。これから二人で何をするのだろう。食事会の時に見かけたブルークラスカップルの二人みたいに激しいことをするのだろうか。さすが家森先生だ、私の部屋でハグしてきたし、食事会で私の手を握ってきただけのことはある………。そう、これが家森先生なんだ。


 タライさんの言ってた通りだったんだ。本当は私を誘った理由もそう言うことだったんだ。ん〜〜だとすれば恐ろしい人だ。生後数日しか経ってない私には少し堪える状況なんですけど!?


「じ、じゃあ…ヒイロ行きましょうか。」


 ベラ先生の誘いに私は乗ることにした。


「家森先生……用事を対応出来ずにごめんなさい。も、もう大丈夫ですよね?」


 私が聞くと、家森先生は私を見て黙ったままだった。彼が何か言うのを待ってたが、ベラ先生に腕を引かれたので私は歩き始めた。


 階段に向かっていく途中で少し後ろを振り返って見たら、まだ玄関のところから家森先生がこちらをじっと見ていた。オウ!もう苦しませないでくださいませ!


 本当に自分の代わりにマリーを呼んだのだろうか。もう彼のことは分からない。分からないけど……少し気にはなる。


「全く彼、飽きないわね。」


「え?」


 階段を下りながらベラ先生は首を振って言った。


「就任当初は真面目な印象だったのに……それでも外見の良さで、女子生徒から一気に人気急上昇したけれど。」


「そうだったんですか。」


 ふとある疑問が私の頭を過ぎった。


「先生は、家森先生のこと気にならないんですか?みんな、大体の女の人なら気になっているみたいですし。」


「ん、面白い質問ね。」


 ベラ先生は私を見つめて言った。


「私はきっと男性に心を奪われることはないわ。」


 なるほど、そうだったのか。先生は職員寮の門を開けながら言った。


「このことは他言無用ね。とにかく、彼ももう少し身を固めるべきだわ。」


「うーん…。」


 一応彼も私からしたら先生なのでそうですね、とは言えなかった。


「ベラ先生、今日はありがとうございます。」


「いえ、私も久しぶりにプライベートで人と話せて楽しかったわ」


 綺麗な笑顔で答えてくれた。休日のベラ先生は何だか、少し、柔らかな感じがした。



 *********



 ああ、きっとヒイロに誤解されただろう。僕の過去の行いが悪かった。それに甘んじて受け入れてしまったこの状況も、どう説明すれば正当化出来るか分からない。


「きっと断られると思ったんです。」


 テーブルを見つめたまま考えにふけっていた僕は、声をかけてきたマリーの方に視線を移した。


「でもダメ元で先生にメールしてよかったです!まさかお部屋に行きたいという願いを聞いてもらえるとは思っていなくて。」


 マリーは綺麗な笑顔を見せてくれた。彼女の頬は赤らんでいる。


「何か急ぎの用事があるのだと」


 思いましたと僕が続けようとすると彼女に遮られた。


「昨日、実戦の授業の時に家森先生に初めてお会いしましたよね。その時の話です。」


「はい。」


 彼女の話を聞きながら僕は麦茶を口に含んだ。ゆっくりと喉に流し込む。


 そこでお腹がぐうとなりそうな感覚がした。フラつく視界に空腹で、どうしても職員寮の階段を昇り降り出来る状態ではなかった。そこで、ヒイロに何か買ってきてもらおうと考えていたのだ。


 最低限の身だしなみを整えて、でも彼女はいつまでたっても来なくて。勿論彼女にこんな願いをしていいのか分からなかった。幻滅されるかもしれない。生徒に使いを頼むなんてひどい先生だと思われるかもしれない。


 ベラにはこういった頼みは出来ない。色々思考を巡らせたが、彼女が浮かんで頭から離れなかった。彼女なら頼みを聞いてくれる気がした。昨日は一緒に食事して話せて楽しかったし………楽しかった、か。


「…それで、」


「はい。」


 しまった、マリーの話を聞きそびれた。今からでも内容を把握出来るだろうか。


「先生がその時ヒイロのことをじっと見つめていたんです。」


「え、僕が?いつ?」


 いつの話だろうか、ヒイロを見つめていた?そんな記憶はないと首をかしげる。


「ですから、ラボの倉庫で初めてお会いした時です!結構長い間彼女のことを見つめていたから、ヒイロに対して何か想うものがあるのかと……。」


 ああ、あの時か……。そんなにヒイロを見つめていたという意識は無いが彼女にはそう見えたか。


「いえ、探しているあなた達を見つけて、考え事をした時にたまたま視線がそこに落ち着いたのだと思いますよ。ヒイロは、ただの生徒ですから。」


「生徒でも……先生は生徒と付き合った経験があるんですよね?」


 マリーは真剣な顔で質問をした。

 コンとテーブルにグラスを置いて、僕は鼻から大きく息を漏らした。


「あります。ですが最近は、教師という仕事を真剣にしているつもりですよ。」


 僕の変わらない表情にマリーは一瞬困惑したようだが、彼女がいないと分かったからなのか、上目遣いをして潤んだ瞳で僕のことをじっと見つめてきた。


 しかし僕はどうしたら誤解が解けるだろうと、そればかり考えてしまった。

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