第2話

 ――12月24日。

 魔都ニューヨークにも聖なる夜はやって来る。

 無邪気なる子供の魔女やお化けがお菓子を求めて彷徨い歩き、大人たちはそれに恐れ戦きお菓子を与える。

 そんな一刻が過ぎ去り、そしてすぐさまやって来る。

 煌びやかに彩られた街はおおよそ”魔都”とはほど遠い、その日は皆が祝い楽しむ日。例えそれが、結社たちの掌の上であったとしても。


 ”ウォーロック”、裏切りの魔法使い。

 彼の者の名は”ジュピウス”。

 そんな彼も今日ばかりは羽を伸ばしたいと思うもの。

 日頃家事など彼の同伴である少女”ユノ”に丸投げで、洗濯掃除料理などしていないジュピウスであったが、今彼はキッチンに立ちエプロンを着けてクッキーを焼いている真っ最中。


「ふん、甘い辛いしょっぱいすっぱい……はてさて、サンタはどれから食べる?」


 彼が住まうは魔都ニューヨークの片隅の古いアパートメント。カチカチと音を立て、摘まみが回るオーブントースターから上がる煙などつゆ知らず、新たなクッキーを幾つも型で抜き取り並べて行く。

 真ん丸、四角、ハートに星。ご機嫌な鼻歌が手狭な部屋へと流れて行き、灰色の髪が踊る。

 少し煙いと感じた彼はぴっと粉にまみれた指先を夜のニューヨークを映し出す窓へと向けた。


 ばたんと窓が上がり、充満した煙は外へ。これで少しは良くなった。ジュピウスは鼻歌を再開する。

 直前にチンッとオーブントースターが焼き上がりを知らせる軽快な音を奏でた。

 型から抜かれた色んなたちのクッキーになる生地たちがトレイに並ぶ中、ジュピウスはお待ちかね、オーブントースターを開ける。

 もくもく吐き出される煙を払い、中から取り出したトレイに並んだ真っ黒な何か。


「ふむ……まあきっと、サンタは全部食べる。次、行ってみよう」


 真っ黒が並ぶトレイを、生成色をした生地たちの隣へと置く。

 次は君たちだと、処刑の番が遂に回る。

 ジュピウスはまだ生地でいたいクッキーの乗ったトレイを手に、それを大口を開けるオーブントースターへと運んで行く。


 キィと、立て付けの悪いぼろの扉が開け放たれる音がする。

 ジュピウスの耳はそれを広い、処刑場へクッキーたちを導く手を、歩みを止めた。


「……戻りました。マスター・ジュピウス」


 玄関からトイレとクローゼットに挟まれた短い廊下を抜けて、現れたのはジュピウスと同じ灰色と赤色の混じり合った長い髪をした紅い瞳の幼い少女。


「おお、ユノ。その身を案じていたぞ。よく無事で帰った。ほれ、褒美をやろう」


 その身に余る大きな紙袋を抱えたその少女こそユノ。”マデウス・コア”、”マギア・ユノ”。

 換気こそすれどまだまだ煙い部屋の中、粉で真っ白になったエプロン姿のジュピウスは彼女に歩み寄りその紙袋を取り上げる。

 マギアである彼女は人形が如し、その顔にも表情は無い。だが、すぐ眼前の主人たるジュピウスを見上げる瞳は少しばかり事情が違う。

 愛情? 友愛? 親愛? 敬愛?


 ジュピウスはそれを纏めて”愛”と言い、ユノは自らを愛していると譲らないし、彼もまたユノを愛していた。

 人形を愛した愚かなジュピウス。人を愛して壊れたユノ。反逆者にして逃亡者。二人を結社は嘲笑う。


 けれどジュピウスは気にしないし、ユノもまた気にしない。

 人には人形が、人形には人が居るからだ。

 ジュピウスはただ一人にのみその多大なる愛を注ぐ者であり、その愛情をユノならば満たせるし、ユノはそれで己の存在価値を見出せる。

 二人には、二人で居ることさえ出来ればそれで良かった。

 ジュピウスはその指先に摘まんだ真っ黒い”クッキー”と彼が呼ぶ塊をユノの口元へと差し出す。

 そしてそれをユノは何の躊躇いも無く口にする。

 がりごりと音を立て、そしていつも通り無表情のユノの喉が小さく動いた。


「美味しいか?」

「はい、美味しいです」

「嘘は良くない」

「はい、美味しくないです」

「よろしい。サンタは喜んでくれるだろうか?」

「――はい、きっと」


 よろしい。

 やんわりと口角を上げたジュピウスは表情を変えないユノの頭、そこにあるさらさらの髪の毛を撫でると踵を返した。

 彼の腕の中にあるのはユノが25日を迎える前に街を駆けずり回って買い集めてきたジュピウス指定のワインやお菓子、食材たちだ。

 ユノは間違いなく全て買ってきていた。


 愛しいユノを喧騒の中にある魔都へと一人走らせたのにはもちろん理由がある。

 少しばかり一人になる時間がジュピウスには必要だったのだ。

 クッキー作りもその一環。そしてユノが無事に帰ってきたことにより、遂に全てが完遂された。

 ジュピウスは知っている。ユノがクリスマスに向けて飾り付けられ輝く街を目にするその姿を。

 そして嫉妬した。ユノの視線は全て自分一人のものであると。

 故に、ジュピウスは準備した。


「サンタは世界のためにある。だが、しかし。ユノ、君のサンタはこのジュピウスただ一人。故に、故にこのジュピウスサンタから愛しきユノにプレゼントをば。いざ尋常に――ライトアップ」


 直後、アパートメントを含む魔都ニューヨーク中の明かりが消えた。

 夜遅くではあったが人々が眠りにつき尽くす時間にしては早過ぎる。

 得意に謳い指を鳴らしたジュピウスであったが、その言葉とは裏腹に部屋は真っ暗闇に陥った。


「一体、何事だ」


 きりりと真剣の刃先が如く鋭く研ぎ澄まされる両目。

 彼の疑問を解決しようと、部屋の窓という窓全てが彼の意思に呼応して開け放たれた。

 そんな中、ただ一人動揺もしなければ声一つ上げないユノは闇に浮かび上がる紅い瞳で彼方を見詰めた。そして――


「――マスター・ジュピウス」

「うん、分かった。……この怒り、ぶつけるにはちょうど良い」


 地響き、振動。獣が如き咆哮が闇に落ちたニューヨークを魔都たらしめる。これでこそ、これでこそ魔都ニューヨークなり。

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