5.使命を果たす時

 最初に思ったのは、そこが真っ白な空間だったという事。

 けれどもそれを認識した途端、その場所は眩い太陽の光が降り注ぐ森の中に変わっていた。

 私はきらきらと光を反射する泉の前に立っており、隣にはウォルグさんも並んでいる。

 

「こ、これは一体……」

「私達、先程まで神殿の前に居たはずでは……?」

『突然の事で戸惑っているでしょうが、ひとまずゆっくりお話をしませんか?』

「誰だ!!」

「ど、どこから声が……!?」


 どこからともなく頭に響いてくる、穏やかな女性の声。

 すると、警戒し槍を構えたウォルグさんを嗜めるように、その声の主が淡い光と共に私達の前に姿を現したのだ。


 星の光をそのまま閉じ込めたような、煌めく黄金の長髪。

 澄み渡った青空の色を宿した瞳、ゆったりとした純白の衣。

 そして彼女が放つ膨大な魔力が、私の全神経を大きく震わせる。

 恐ろしい訳ではない。……ただ、その力の偉大さに圧倒されるのだ。

 全てを丸ごと包み込むかのような、雄大な海の如き優しさを感じさせる……暖かな魔力の波動。

 それがどこか懐かしさを感じさせて、訳も分からず泣き出したくなるような気持ちにさせられてしまう。


 と同時に、私は何か……とても大切な事を忘れているような気がしていた。


「お前は何者だ……!」


 突然現れた女性に、鋭い目を向けるウォルグさん。

 彼が警戒するのも当然の事。

 何故ならその女性は、私達の目の前の──泉の上に浮遊しているからである。

 並みの魔術師では浮遊の魔法など簡単には扱えない。

 それ即ち、彼女が並み以上の実力を持つ者である証左なのだ。

 ウォルグさんは未だに槍の矛先を金髪の女性に向けたまま、唸るように問い掛ける。


「神殿の前に居た俺達の意識を奪い、ここへ連れて来た犯人はお前なのか……? もしもそうだと言うのなら……女相手であろうと、容赦はしない!」

『ハーフエルフは血気盛んだと言いますが、愛する女性を護る為ならば、そこに種族の違いなどありはしませんね』

「……貴女は何を仰りたいのです? ちっとも話が見えて来ませんわ」


 話が微妙に噛み合わない謎の女性は、未だ警戒を解かないウォルグさんから私へと視線を移す。

 彼女は困ったように眉を下げて微笑みながら、ふわりと髪を揺らしてこう告げた。


『わたくしはこの孤島の神殿にて祀られている女神……シャルヴレアと申します』

「女神シャルヴレア……あ、貴女が……!?」

『はい。今より一千年の時を遡りし時、巫女エルーレに信託を授けた女神……それがわたくしです』

「……それが事実だと言うのなら、俺達に何の用があって顔を出した?」


 女神シャルヴレアと名乗った女性は、ふと両の掌を上に向けた。

 すると、その手の上に白い魔力の光で出来た球体が形成されていく。


『それを理解して頂くには、この方がスムーズに事が進むと思います。痛みなどは特にありませんから、どうかそのままお二人共……じっとしていて下さいね?』

「お前、何をする気だ……!?」


 彼女から嫌な気配は感じない。

 むしろ、とても友好的な印象を受ける。

 だから私はそのまま、その場から動かずに彼女の行動を見届けた。

 シャルヴレアの手から放たれた二つの光弾は、私とウォルグさん目掛けて飛んでいく。

 それが胸元に着弾したその瞬間──


 ──私は、全てを思い出したのだ。




 ……孤島の巫女、エルーレ。

 彼女は勇者と共に魔王に立ち向かい、自らの命を犠牲にして魔族の国と魔王を封印した。


 何度も夢に見たエルーレの過去。

 そして、私がタルカーラ大森林でルークさんを治療した謎の光。

 どうしてそんな不思議な体験を繰り返していたのか、その理由がようやく理解する事が出来た。


『……思い出してくれましたか? 今世の巫女──エルーレの魂を持つ転生者、レティシアよ』

「私は……彼女の生まれ変わり、だったのですね。だから私は、女神である貴女に導かれ……勇者シーグの転生者、ウォルグさんと出会った」

「俺が……勇者シーグの……」


 シャルヴレアの光は私にエルーレの記憶を、ウォルグさんには勇者シーグの記憶を呼び起こさせたのだ。

 巫女の魂を持つ者──だからこそ私は、ルークさんを救ったあの術を無意識の内に発動出来てしまったのだろう。


 そして、もう一つ。


 私は巫女エルーレの転生者である前に、レティシアとしての一度目の人生を終えている。


 ルディエル国立魔法学院を卒業し、セグの第一の花乙女として正妃発表を迎えたあの日……私は、暴走した馬車に轢かれて死んだはずだったのだ。

 それなのに、気が付けば幼い頃の姿でアルドゴール家の屋敷に戻っていて、セグからの花乙女への誘いを断って……。

 そうして今日まで生きてきた。


「時間を遡り、私にもう一度レティシアとしての人生を歩ませたのは……貴女の力によるものですわね? 女神シャルヴレア──この世界に残った唯一神である、貴女の権能によって……!」


 私の問いに、シャルヴレアは静かに頷いた。


『貴女をあのまま死なせてしまえば、次の転生を待つよりも早く、エルーレの封印に限界が訪れてしまうのは明白でした。無理矢理にでも貴女を過去の時間へと送り込み、一度目とは別の未来を切り拓かせるしかなかったのです』


 シャルヴレアの期待通り、私の二度目の人生は全く別のものへと変わっていった。

 セグの花乙女にならずセイガフに入学し、勇者の生まれ変わりであるウォルグさんと巡り会えた。

 どこまでが女神様のシナリオ通りだったのかは分からないけれど……それでも私達は、この場所に戻って来られたのだ。


 巫女と勇者が出会い、そして魔王を討ち果たすべく旅立った始まりの島。

 この泉の事だって、今の私なら思い出せる。

 毎日神殿から通って、エルーレが何度も何度も祈りを捧げていた女神の泉。

 とびきりマナの濃いこの場所だからこそ、こうしてシャルヴレアが私達と直接話をする事を可能にしているのだろう。


『……前世の記憶を取り戻した貴女達であれば、この世界が今危機的状況に置かれている事は分かるはずです』


 彼女の言葉に、私とウォルグさんは揃って頷く。

 先代の巫女エルーレによる封印は、もう間も無く崩壊してしまう。

 その前に、私達が為すべき事は──


『エルーレとシーグは、わたくしが授けた神器をもって魔王に挑み……辛うじて魔族の国ごと、彼らを封印してこの世を去りました。ですが、千年の時を経て復讐に燃える魔王の力は、当時よりも確実に強大なものになっているのです』

「今度こそ魔王を倒すには、巫女の杖と勇者の槍……それ以外の五つの神器を全て揃えて戦う必要がある。そうだな、シャルヴレア」

『ええ。貴女達の杖と槍は、今もこの島の神殿の奥に眠っています』


 エルーレ達は、本来ならば七つ揃えなければならない神器の真価を知らなかった。

 それに、七つの神器を扱うに相応しい他の仲間も足りていなかったのだ。

 たった二つだけの神器では、魔族の王を滅するまでには至らない。

 故にエルーレは──前世の私は、自分の命を犠牲にして封印するしかなかった。

 けれどもそれは、問題を先延ばしにしたに過ぎない。


「シャルヴレアのななつ星……七つの神器。そして、それを扱う残り五人の勇士を集める事……。それが、私達に課せられた次なる使命なのですね」

『残された時間は、そう多くはありません……。過酷な使命であるのは百も承知です。ですが……貴女達でなくては、もうあの魔王は止められない……』


 そう言いながら、次第にシャルヴレアの姿が薄ぼんやりとしていくのが分かった。

 彼女は申し訳無さそうに、苦悩を滲ませる声音で声を絞り出す。


『レティシアを過去へ送った際、わたくしは女神の権能の大半を失ってしまいました……。ですからもう、わたくしには貴女達に何かをしてあげられるだけの力が残っていないのです……』

「それでも構わない。今度こそ俺達が失敗しなければ良いだけの話だからな」

『ふふっ……その強気な所は、今世も変わらないのですね。それならば、わたくしも多少は肩の荷が下りる思いです』


 彼女はほとんど消えかけた身体を悲しげに眺めた後、最後にまた微笑みを浮かべて言う。


『……もう、話せる時間は無くなってしまうようですね。ならば、残る五つの神器の在処をお教えしましょう』


 五つの神器も揃えれば、今回こそは魔王と対等に渡り合えるはず。

 ……そう、信じるしかない。


『二つはこのルディエル王国に。一つは獣王国ガルフェリアに。もう一つが、妖精王国リティーアに。そして最後の神器は──』


 ──彼女の言葉を聞き届けるよりも早く、女神の声は風にそよぐ木の葉の音に掻き消されて。

 その上にはもう何も見えなくなってしまった泉の水面に、ひらりと一枚の白い花弁が落ちたのだった。

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