6.胸に差した光
「武器よし、食料よし、着替えよーし! そんでもって、全員チケット持ったよルーク先輩!」
「了解、リアン! さあ皆の衆、準備は良いかな?」
「「おー!!」」
ルークさんの掛け声に、リアンさんとミーチャが元気良く応えた。
いよいよアルマティアナへと出発する日を迎えた私達は、朝一番に馬車に乗り、マルジャノという街に到着した。
アルマティアナは三日月型にくぼんだ地形の向かい側にある為、ぐるりと回って陸地を行くには時間が掛かってしまう。
なので、今回は馬車での移動はここまでとして、この先は別の交通手段を使う事になったのだ。
「もー、二人以外ノリが悪くない? これからアルマティアナに行くっていうのにテンション低いよ〜?」
「ルーク先輩の言う通りですよ! ほら、レティシアもサーナリアもテンション上げていきましょうって!」
「ウィリアムも、今日を楽しみにしてたんじゃないの?」
遠征と旅行を兼ねた遠出。
こういったイベント事で張り切るタイプだったのは、どうやら彼ら三人だけだったらしい。
リアンさんに訊ねられたウィリアムさんは、至って平然とした態度で言う。
「そうだけどな……。これ、本当に安全なんだよな?」
そう言って彼が指差したのは、十人程が乗れる大きさの船だった。
マルジャノはそれなりに大きな街なのだけれど、アルマティアナのような観光地ではない。
しかし、ここで有名な『空船』に乗る為に、人々が集まるのである。
空船とは、文字通り空を飛ぶ船。
私達は街の中心部にある空船乗り場でチケットを買い、もう間も無く空の旅に出発するのだ。
空船は、普通の船と見た目はほぼ変わらない。
操縦には風の魔法を増幅する道具が使われていて、それを使いこなす乗組員達は、風魔法の適性が必須とされている。
「事故件数は少ないから、そうそう船が落ちる事は無いと思うよ。僕は一度だけ乗った事があるのだけれど、普通の船とはまた違った楽しさがあるんだよね」
「男なら黙って乗れ。行くぞ」
心配するウィリアムさんを横目に、ケントさんとウォルグさんが空船に乗り込んでいく。
それを見たウィリアムさんは渋々といった様子で二人について行った。
「わたし達も参りましょうか、レティシアさん?」
「ええ、そうしましょうか」
中身を拡張したバッグを持ち、私とサーナリアさんも続く。
「え、待って! あたしも行くから置いていかないで〜!」
「うーん、最近の若い子ってクールな子が多いのかな」
「先輩も若いんじゃないの……?」
バタバタしながらミーチャ達も加わり、全員が乗り込んだ。
乗組員にチケットを渡し、しばらくして拡声魔法を通じて船長の声が聞こえてきた。
『アルマティアナ行き、出港します』
その言葉の後、乗組員達は魔法を発動させ、船体を風の力で緩やかに浮かせていく。
「おおー! 船が浮いてる!」
「そりゃそういう乗り物だからな」
興奮するリアンさんに、ウィリアムさんが冷静なコメントを出す。
けれど、視界が少し高い位置になっただけなのに、私も内心胸が高鳴っていた。
どんどん上空へと持ち上がる船は、街のどんな建物も見下ろす高さまで到達する。
「こんなに高い所まで上がるのですわね……」
「ああ、街の外までよく見えるね」
船のデッキから景色に目を向けていると、隣にケントさんがやって来た。
彼は眼下を眺めつつ、少し向こうではしゃいでいるミーチャやサーナリアさん達に視線を移す。
「サーナも喜んでいるようで何よりだ。こうして皆で遠出が出来るまでに回復してくれて、本当に良かったよ」
ケントがサーナリアさんに向ける優しい眼差しは、まさしく妹思いの兄の姿だった。
「あの子を誘ってくれて、ありがとう。あの一件があってから、どうもサーナに避けられているみたいでね」
彼の言う通り、サーナリアさんは私とのいざこざが解決してから、少し様子がおかしかった。
ほぼ毎日開かれるお茶会でも、ウォルグさんやリアンさん達には普通に接しているのに、彼とはあまり関わらないようにしているように感じていた。
それでも最低限の日常会話はしているようだったから、こうしてケントさんの方からその違和感を口に出されて、サーナリアさんからの態度はやはり変わってしまったのだと確信する。
しかし、私はこうも思っていた。
「それは私も薄々感じてはいましたが……それは、ケントさんも同じなのではありませんこと?」
「え?」
「あの一件より前のお二人が、どのような関係だったのかは分かりません。ですが、それでもケントさんの彼女への態度が気になったのです」
私にも、サーナリアさんのように兄が居る。
レオンハルトお兄様とケントさんが同じだとは言わないけれど、実の兄妹で極端に会話が少なく、他人の目から見ても違和感があるのは……間違い無い。
もしや、彼は自分の事には無自覚なのだろうか……?
そんな風に考えを巡らせていると、
「……船が着くまで、荷物を船室に置いてきたらどうかと言いに来たんだが」
「ウォルグ……」
「……話の邪魔をしたか」
友人とパートナーに気を回したらしいウォルグさんが、少し申し訳なさそうに言う。
「いえ、大丈夫ですわよ。ケントさん。私達も一度荷物を置いてきましょう」
「あ、ああ……そうだね」
微笑を浮かべてウォルグさんの言う通りに船室へ向かう。
ちょっと話を遮られてしまいましたけれど、ケントさんならちゃんと話せば分かって下さるはず。
それに、このままミンクレール兄妹が心に溝を抱えたままでは、もし私が彼を旦那様に選んだ時に困るかもしれませんものね!
******
僕が、サーナと同じように距離を置いている……?
レティシアと船の個室に荷物を置きに行く最中、彼女に告げられた言葉に僕は戸惑いを感じていた。
確かに僕は、サーナに対して区切りを付けた。
サーナはレティシアに無礼を働いた。
ミンクレール商会と父さん、そして従業員達を救ってくれた恩人の一人。それが彼女だ。
だから僕はサーナを甘やかさないと決めたんだ。
それがいけなかったのか……?
……分からない。
サーナは僕を避けているように感じる。それはレティシアに言った通りだ。
それと同じように、僕がサーナを避けているのだと彼女は言った。
「……ねえレティシア。さっきの話なのだけれど」
ウォルグに指定された部屋についたところで、僕は思い切って訊ねてみた。
彼女はショルダーバッグを皆の荷物も乗ったテーブルに置いて、振り返る。
「はい、何でしょうか?」
僕もバッグを置いて、彼女に言う。
「僕はサーナを避けていると……君は、そう思うんだね」
「避けているというより、無理矢理距離を置いているように感じますわ」
「それは……」
そうかも、しれない。
いや、実際そうなのだろう。
僕はサーナの兄だけれど、この二年間は手紙でのやりとりしか出来ていなかった。
アレク先生にも話した事だけれど、僕は妹にどう接するべきなのか、今でも悩む事がある。
サーナが置かれていた環境は特殊なものだった。それを克服した今のサーナは、強いと思う。
「……また同じ事をしでかさないように、厳しく接しようとしていらっしゃるのではありませんか?」
「……君の言う通りだろう。僕はサーナを甘やかさないと決めた。それが違和感のある態度に見えたのだと思う」
でも、僕の好きな女性に危害を加えたのは、紛れも無い事実だ。
サーナを大事に思う一方で、レティシアを傷付けた事への怒りが今も無いとは言い切れない。
「……醜いな、僕は」
自分の汚さに反吐がでる。
良い兄でありたい。
けれども、想い人も大切にしたい。
どちらの理想も追い求めて──その結果が、これなのか。
「妹を傷付けて、君にこんな醜い僕を見せてしまった。僕は……」
「そうでしょうか? 私はそうは思いませんわ」
「どうして……?」
レティシアは、ごく当然といった風に僕にこう言った。
「貴方は良い兄であろうとして、サーナリアさんに厳しくした。それは彼女も分かっています。ですが、お二人は一緒の時を過ごした時間があまりにも少ないせいで、お互いに過剰なまでの遠慮をしてしまっているのではありませんか?」
彼女のその言葉が、胸の中のもやに一筋の光を差した。
僕らは互いに遠慮している。
サーナは厳しく接する僕に、これ以上叱られないように遠慮して、僕になるべく関わらないようにした。
僕はこれ以上サーナを甘やかさないように──本当はもっと、元気になった妹を甘やかして、愛してあげたいのに……。
「……サーナリアさんは、ケントさんによく似て優しい子です。今日まで同じクラスメイトとして接してきて、よく分かりました。だからこそ……そっくりの兄妹だからこそ、同じように兄妹の関係にいらない気を回してしまっているように思うのです」
「レティシア……」
「私も兄を持つ妹ですから、彼女の気持ちも少しは理解しているつもりです。きっとサーナリアさんも、お兄様と楽しく過ごしたいはずですわ」
ミンクレール家の人間である前に、兄妹として向き合う時間を、僕は蔑ろにしていたのか。
サーナはずっと、家族の温もりを欲していた。それを知っていたはずなのに、僕は……!
「……いつ会えなくなってしまうか、分からない世界ですから。ケントさんには、後悔してほしくありません」
そう言って、レティシアは悲しげに微笑んだ。
彼女の気持ちが、僕には痛い程伝わった。
いつ会えなくなってもおかしくない。
母さんとの別れだって、あまりにも突然だったのだから。
「……ありがとうレティシア」
僕は彼女の手を取って、その白く滑らかな甲に、唇を落とす。
「君のお陰で、僕は大切なものを見落としていたと気付かされた。この遠征で、サーナとの思い出を作りたい。一生心に残るような、兄妹としての時間を大切にするよ」
「は、はいっ、その……私もそうして頂けると、彼女の友人として嬉しいですわ」
軽くリップ音を立てたそれに、レティシアは薄っすらと頬を染めた。
やはり彼女は、とても愛らしい。
そして、僕に足りないものを気付かせてくれる大恩人でもある。
僕はそんな彼女に、感謝と尊敬を抱いていて──ぶわりと燃え上がるような恋心も自覚している。
「だけど、それだけで終わらせるつもりは無いよ」
そっともう片方の手で、彼女の柔らかな頬に指先を滑らせる。
するとレティシアは、顔を熟れたトマトのように赤くさせた。
僕にドキドキしてもらえているのかな?
……そうだと良いなぁ。
レティシアはとても魅力的だから、恋敵が多くて大変そうだ。
だから、彼女の心に少しでも僕という男を刻み付けてやりたい。
「け、ケントさん……っ!?」
「僕はね、君の事も大事にしたいんだ。欲張りだと思ってくれて良い。君は僕を醜くないと言ってくれたけれど……欲深い人間であるのは、間違いなさそうだ」
驚きを隠せない彼女に、ゆっくりと顔を近付けていく。
彼女の深い紫色の瞳が揺れる。
美しい宝石を埋め込んだような、吸い込まれるような魅力を持った色。
僕が近付くと、レティシアはその分後ろに逃げていく。
けれども、全力で嫌がっている素振りには見えなかった。彼女なら僕を魔法で吹き飛ばすぐらい簡単なはずだから。
レティシアが一歩逃げれば、その都度僕が距離を詰める。
それを繰り返している内に、遂に彼女は壁際にまで追い込まれた。
彼女は耳まで真っ赤に染めて、その眼にはじわりと涙が滲んでいる。
僕を見上げるレティシアの目には、戸惑いと恥じらいと、ほんの少しの期待を秘めたような……いや、それは僕の願望が混ざっているかもしれない。
でも、まだ拒否を示されてはいなかった。
「ケント、さん……っ」
上擦ったような声にすら、心が激しく掻き乱される。
「好きだよ、レティシア……僕を受け入れてくれるかい?」
「…………っ!?」
レティシアの甘い香りが
心臓がうるさい程に音を刻む。
きゅっと固く目を瞑った彼女に、どうしようもない程の愛らしさを覚えながら、僕も静かに目を閉じた。
「おーいレティシアー! ケントせんぱーい!」
「「…………!?」」
部屋の外からリアンの声がして、僕らは大慌てで飛び退くように距離を置いた。
ついさっきまでとは別の意味で、心音が激しい。
すると、空いたままだったドアの外からリアンが顔を覗かせた。
「あ、居た居たー! あと三時間ぐらいでアルマティアナに着くらしいから、それまで自由時間だってさ。じゃ、それだけだから!」
それだけ言い残して、彼はそそくさとこの場を離れていった。
「……す、すみません! 私ちょっと用事を思い出しましたので、また後程……!」
語尾をひっくり返しながら、レティシアは早歩きで部屋を出て行ってしまった。
一人残された僕は、数秒前まで彼女が背中を預けていた壁を向いて、ぐったりともたれかかった。
「あれは……期待しても、良いんだよね……?」
あの時、リアンが来なかったとしたら──
彼女は僕のキスを、受け入れてくれたのだろうか。
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