8.けじめ
「……どう言い聞かせたものですかね。あの子と直接会話をするなんて、最近では年に数回もありませんでしたから……どこまできつく言って良いものやら、分からないんです」
職員室から戻って来たアレク先生と向かい合い、僕はティーカップを置いた。
そして揺れる赤茶色の液体に目を落としながら、小さく溜息を吐く。
「おかしいですよね。兄妹なのに、妹とどう接して良いか悩んでいるだなんて」
サーナリアは生まれつき病弱な子で、遠くの街で物心つく前から療養生活を送っていた。そこは澄んだ空気と水のある、自然豊かな土地だった。
母さんはサーナと共にその街の別荘に移り住む事になり、僕と父さんも月に一度は二人に会いに行っていた。
そんな生活が何年か続いたある日、母方の祖父が亡くなり、葬儀を執り行う為にアレーセルの街に家族全員が集まる事になったのだ。
サーナの体調を気遣いながら、何事も無く祖父の葬儀は執り行われた。久々に屋敷に戻って来たサーナは、とても嬉しそうにしていたっけ。
葬儀の翌日、昼頃には母さんとサーナはまた向こうの街に戻るのだと言っていた。長い時間を掛けて少しずつ治していく病だったから、まだまだサーナが健康体になるには治療が足りなかったのだ。
昼まで兄妹二人で沢山話して、元気になったら海へ行きたいとか、こんな事をしたいとか、サーナは瞳をキラキラさせて言っていた。
まだ難しい言葉は話せなかった年齢だったけれど、彼女なりの言葉で夢を語ってくれた。
ところが、出発間近になって母さんが実家に呼び出された。
財産分与に関する話だったと後から聞いたが、なかなか話が進みそうにないと判断した母さんは、サーナだけ先に別荘へ帰らせる事にした。
一日だけの滞在予定だったから、持ってきた薬にも限りがある。
片道だけで五日は掛かる場所だという事もあり、薬が切れてサーナに何かあったら大変だという事からそう決めたのだそうだ。
薬さえ飲んでいれば急に体調が悪化する事は少ないそうなのだけれど、環境の変化と長旅による疲労も心配だった。
母さんは話が片付いたらすぐに別荘へ行くと約束し、何人もの護衛と世話係をつけて、サーナを送り出した。
「……君の家庭の事情も分かっているつもりだ。十二年前のあの事件が、君達兄妹に深い心の傷を負わせている事も。元から彼女には頑固な面もあったのだろうが、それが君に執着する原因になったのだろうな」
「多分、そうなのだと思います。あの日、まだ幼かった僕ら兄妹は、大好きだった母を亡くしました。父さんはそのショックを押し殺すように仕事に没頭するようになり、サーナに会いに行く頻度もみるみる減って……」
代わりに僕だけでも妹に会いに行こうと、多い時は一ヶ月向こうに滞在する時もあった。
読み書きや魔法の家庭教師がつけられるようになってからは、そうもいかなくなってしまった。けれど、その分頻繁に手紙を送り合うようにしたのだ。
まだ文字が分からなかった頃のサーナには、お付きの世話係が読み聞かせ、代筆してくれていた。
そうしてサーナは僕とばかりやり取りするようになって、自分で文字が書けるようになってからは、言葉に詰まる内容を送ってくる事が増えていた。
どうして父様は、兄様みたいに会いに来てくれないの?
どうしてあまり手紙を送ってくれないの?
父様は、サーナの事が嫌いになっちゃったの?
「僕達のこの髪は、母さん譲りの金髪なんです。サーナなんて、大きくなっていくにつれて母さんそっくりになってきて……きっと、あの子を見ると思い出してしまうのでしょう。父さんは母さんをとても愛していたから……」
深い愛情で結ばれていた二人だからこそ、妻を失った父さんはその事実を認めたくなかった。現実を受け入れたくなかったのだと思う。
だから父さんはサーナと壁を作って、仕事だけに集中する事で自分を誤魔化し続けていたのだ。
そんな事をしても、母さんが殺された事実は変わらないのに。
母さんを失って、今度は父さんに見捨てられたように感じているサーナに気付いてくれなくて。
どれだけサーナに会いに行こうと訴えても、近々大事な商談があるから無理だとか、使用人も沢山居るし、僕も相手をしているのだから大丈夫だろうと返された。
「でも、この数年はちゃんと会いに行くようになったんですよ。ようやく母さんの死を飲み込めてきて、彼女が……レティシアが来てくれた事が切っ掛けになったんです」
「レティシアが?」
「セイガフに入学するまでの二年間、彼女はうちの屋敷で預かっていたというのは以前お話ししましたよね? その直前に、父さん達がガリメヤの星に誘拐されたんです」
「ああ……レオンハルトが追っている輩だな。その事件は私も耳にしている。大変だったな」
「その時にレオンハルト様とレティシアに、父さんや従業員達を救って頂きました。更に彼女は商会で見事な働きをしてくれて、うちの信用を取り戻す中心的な役割を果たしてくれました。レオンハルト様もうちをご贔屓にして下さっていますし、アルドゴール家には言葉に言い表せない程の感謝とご恩を感じています」
彼女がうちで過ごした二年間、僕はその内容をサーナに伝えていた。
「若い女の子と一緒に暮らすようになってから、父さんの表情が少し柔らかくなったんです。サーナと歳も同じだから、きっと思い出してくれたのだと思うんです。サーナはずっと親の愛に飢えていて、自分はそんな娘に対して、見て見ぬ振りをしてしまっていた事に」
レティシアという女の子とその兄が、ミンクレールの家と商会を救ってくれた事。
サーナと同い年だから、きっと学校で良い友人になれるはずだとも。
そう、伝えたのに……。
「それからは手紙もきちんと書くようになったんですよ。返信はありませんでしたが、急に父様から手紙が来て戸惑ったと僕には話してくれて……」
それでも妹は、レティシアがしてくれた事の重大さを分かってはいない。
「別荘の使用人達と主治医、そして僕と父さん。たったこれだけの狭い世界の中だけで生きてきたあの子には、あの組織の恐ろしさも……信用を失えば、どれだけ商会が傾くのかも理解出来ないのかもしれない」
僕は、固く拳を握る。
サーナの一番の心の拠り所は、僕だ。
僕がもしサーナをきつく叱っていたら、あの子はどう受け止めていたのだろう。
信じていたたった一人の兄に、裏切られたと思うだろうか。
実の妹よりも、他人の肩を持つのかと──
「あの子には、僕しか味方になってやれる人が居ない。だからこそ、僕と仲の良いレティシアが怖いのだと思うんです。父さんのように、サーナを見捨ててレティシアを取るのではないか……そう、考えているのではないかと」
「レティシアに虐めを仕掛け、寮に引きこもるように仕向けようとしたのかもしれんな。あわよくば、自主退学でも狙っていたのだろう。そうすれば君から離れていくからな」
それでも、レティシアが僕にとって恩人である事は揺らぎようのない事実だ。
このまま先生が提案したトーナメントが行われても、そもそもサーナが彼女と当たるまで勝ち進めるかも分からない。
それに、一年生であれだけの実力があるレティシアに勝てるとも考えにくい。
出来れば二人がきちんと話し合って、穏便に事を解決してくれる方が嬉しいのだけれど……。
「……不満、か」
「え……?」
「私の提案が不満だと、そう顔に書いてある」
そんなに表情に出てしまっていたのか。
ポーカーフェイスが出来るようにならないと、将来商談で不利になってしまうのに。
「私は繊細さに欠ける人間だ。思い切りぶつかり、全力を発揮して結果を出す事こそが好ましいと思う、いわば野蛮な男だ」
「そ、それは……」
「君のように円滑な人間関係を構築するのも得意ではない。だから私は魔物と戦い、その術を教える職に就いた。一人でも脅威と立ち向かえる、そんな生徒を育てようと……そう決意してここへ来た」
アレク先生は言いながら立ち上がり、僕を見下ろしてこう言った。
「私の方法に違和感があるのなら、君は君の思う通りに動けば良い。『先生』なんて生き物は、『先』に『生』まれた者の知識と経験を次世代に伝えていく為の存在に過ぎん。そこから導き出した答えが必ずしも正しいとは限らない。己が得た情報と経験、そして心の全てで道を選び取れ」
「時には間違った答えを教えているかもしれないと……そういう事なのですか?」
「そうだ。どうすればこの世の全てが上手く運ぶのか。そんな事は神にも分かるかどうか怪しいぞ。無責任な教師だと思うのなら、私の事など口先だけの醜い大人だと断じてくれて構わない。君の妹と恩人が、どうすれば歩み寄る事が出来るのか……そして、君は二人にどう接するべきなのか。正しいと思う回答を出せば良い。私は、そう思う」
そう言い残して、アレク先生は去っていった。
……僕は、アレク先生のあの提案には素直に頷けなかった。
まるで、初めから話し合いで解決する事を諦めているようで、納得しきれていなかったのだ。
確かにサーナの生い立ちは特殊なのかもしれない。そのせいで僕への思いが強過ぎて、周りにどう映っているのかも分からないのだから。
それでも僕は知っている。
サーナはちょっと頑固すぎる所があるけれど、しっかり言い聞かせれば理解してくれる頭は持っているのだ。
レティシアには……サーナに口止めされていたから、何も説明出来ていない。サーナが僕の妹だという事も、僕ら家族に何があったのかも、全てを伝えきれていない。
きっと初めからレティシアに嫌がらせするつもりで、彼女に情報が行かないようにしていたのだろう。
僕とサーナが謝りに行けば、きっと彼女は優しいから簡単に許してしまうのだろう。
僕は妹にも厳しく叱れない臆病者で、レティシアに恩を仇で返すような振る舞いをしてしまった、最低な男だ。
「……でも、しっかりけじめは着けなければならない」
今すぐサーナに会いに行こう。
そして彼女をしっかり叱って、レティシアがどれだけ大きな存在なのかを分かってもらわねば。
そうしたら、すぐにでもサーナと一緒にレティシアに謝ろう。兄として、先輩として、一人の人間として……きちんと頭を下げに行くのだ。
「僕はいつまで臆病者のお坊ちゃんで居るつもりなんだ。次期当主がこの有様でどうする」
こんな男の隣に、彼女が並んでくれるはずもないじゃないか……!
******
寮から飛び出して行くケントを物陰から見つめ、私は一人思う。
「……私はとんだ欠陥教師だな。教える立場にある者が、生徒に学ぶ事になるとは……笑い話にもならん」
こんな人間だから、私はこんな人生を歩んできたのだろう。
私の行動は、いつもいつも間違いばかりだ。
「これならあの場で、とっとと死んでいれば良かったものを」
辞職を視野に入れてみるべきだろう。
せめて、一組の生徒達が進級するまで……それまでにけじめをつけて、この学校を去った方が良い。
こんな私に、つけられるけじめがあるものならば──
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