7.支え
アレク先生にサーナリアへの対応はお任せしたけれど、ニャータの方は大丈夫なのだろうか。
彼女を追って教室を出て行った先生を見送り、私は帰り支度をしながら考える。
サーナリアがどれだけ酷い性格をしているかは知らない。でも、あの様子を見る限りニャータをこっぴどく叱るのは確実だろう。
「なぁレティシア。あの金髪美少女にイジメられてたんだったら、もっと早く俺達に相談してくれても良かったんだぜ?」
「ウィルの言う通りだよ! オレも何か言ってもらえれば力になったのに……」
そう言って私の肩に手を置くウィリアムさんと、いつの間にやらウィル呼びが定着しているリアンさん。
仲が良いのか悪いのか、この二人はこういう時だけ意見が一致するらしい。
「お気持ちはありがたく受け取っておきます。もしまた何かあった時には、お二人にご相談させて頂きますわね」
「ウィル達だけじゃなく、あたしだってやれる事は手伝いますから! せっかくこの学校で友達なれたんだもん。友達が困ってたら助けたいじゃない!」
「ミーチャさん……」
本当は、彼女も今回の件を手助けしたかったのだ。
それを知っていて、私は一人で行動した。
……そうだ。私は彼らの友人だというのに、何も相談せず自分だけで全てを解決させてしまった。
これでは昔の私に逆戻りではないか。味方が誰も居ないから、他の花乙女にも頼らず、セグに心配を掛けまいと自分の力だけで……。
「頼りにしてもらえねぇってのは、結構寂しいモンなんだぜ?」
「オレだって困った時はキミに助けてもらいたいし、みんなで協力すれば解決出来る問題なら、全力で立ち向かう! それって何か、めっちゃくちゃ青春してるって感じじゃね?」
「そうそう! こういういかにも青春真っ盛りって空気感が大事なんだよー!」
誰かに頼る事は、悪ではない。
互いに手と手を取り合い、皆で肩を並べ、一歩ずつ歩んでいく……。
それが──友達。
「青春……ですか」
私はどうして、皆が当たり前のように生きている世界を知らずにいられたのだろう。
自分の殻を破らなければ、誰とも繋がる事など出来ない。自ら外に出なければ、掴めない絆があるというのに。
サーナリアだって、私に何か思う所があったからあんなちょっかいを出してきたのかもしれない。彼女ともよく話し合って、分かり合える可能性だってあるのかもしれないのだ。
私が見ていた世界は、どれだけ窮屈で退屈なものだったのだろう。
「そうですわよね。今を全力で楽しんで、沢山勉強して、そうしたらもっと違う未来を描けるかもしれないのに……私ったら、どうしてこんな考え方しか出来ていなかったのかしら」
大嫌いで憎らしくて……それでも、目指すべき清い精神を持ったあのエリミヤとも、心を通わせられる日が来るかもしれない。
自分とセグだけが世界の中心なのだと信じて疑わなかったあの頃の私は、彼の正妃になるという心の支えが無くなった途端に、呆気なく折れてしまった。
ルディエルの学院でも、離宮でも、私にはセグ以外に頼れる人が居なかったせいだ。心を許せる親友が居れば、私はあんなにも追い詰められる事は無かったのかもしれない。
もうあの人生をそっくりそのままやり直す事は出来ないけれど、今の人生ならば、前よりも充実した生き方が出来るはずなのだ。
人生というものが広大な草原なのだとしたら、以前の私の人生は、セグという一輪の花しか咲いていない孤独な場所だった。
しかし今は、リアンさんにウィリアムさん、ミーチャといった友人が側に居る。
ケントだって、商会でお世話になった方々だって、皆私を支えてくれた大切な人達だ。
もっと広い視野で周りを見れば、お兄様やお姉様、お父様もお母様もそこに咲いていたというのに──私の目にはセグしか映っていたなかった。
世界はこんなにも鮮やかだったのに、どうして私は気付けなかったのだろう。
「……私、もっと頑張ります。私は一人きりではありませんもの。リアンさんもウィリアムさんもミーチャも……初めてこんなに親しくしてくれた、大切なお友達なのですから」
一人じゃないと思えるだけで、心がこんなにも軽くなるだなんて……!
鼻の奥がツンとして、瞳に熱いものが込み上げて来る。
こんなに捻くれて可愛げが無い私を、友達だと思ってくれて……ありがとう。
「ちょ、ど、どうしたんだよー! 急に泣くような話だったか!?」
「乙女心ってヤツは繊細なんだよ。ほら」
今にも涙が零れ落ちそうな私を、ウィリアムさんがそっと抱き寄せた。
「落ち着くまでこうしてな。あんまり他のヤツらに見られたくねぇだろ?」
彼の腕の中にすっぽりと収められ、私はぽんぽんと頭を撫でられる。
やはりこの人は、女性の扱いが上手すぎる。優しすぎて余計に泣いてしまいそうだ。
ただ少し、大胆に曝け出されたシャツから覗く胸板が恥ずかしいのだけれど……男の人にしか出せない包容力に、私は大人しく包まれておく事にした。
しばらくして、ようやく気持ちが落ち着いた私は彼らと別れた。
夕食の時にまた顔を会わせる約束をしたのだけれど、何だかウィリアムさんに甘えてしまった事が、時間差で恥ずかしくなってきた。まともに目を合わせられるかも怪しい。
まあ、その時はその時だ。今は会わなければいけない人が居る。
学校指定の手提げ鞄を持ちながら、私は男子寮へと続く道を歩いていく。
この学校では、午後五時までは異性の寮へ立ち入る事が許されている。
ルディエル学院は完全に立ち入り禁止だったが、異性の生徒に用事がある時は不便で仕方がなかったのをよく覚えている。
ただ、例外として王子であるセグと花乙女のみは許可が出されていた。それを利用して、セグに夜這いを仕掛けようとした花乙女が居たけれど……勿論、私が阻止した。
その女は私の次に選ばれた花乙女だったはずだから、もうとっくに彼の婚約者として学院生活を送っている事だろう。ちょっぴり彼の身が心配だが、他の花乙女達も止めに入るはずだ。
そんな事を思い出しながら、私は男子寮へとやって来た。
寮は男女で東側と西側に分けて建てられており、更に学年別で建物が用意されている。
私が向かうのは三年生の男子寮。そこで入り口のポストから部屋番号を確認し、目的の部屋を目指す。
「ここが二人の部屋ですわね」
ドアの横には、ケントさんとウォルグさんの名前が刻まれたプレートが貼り付けてある。
今日用があるのはウォルグの方だ。彼に、パートナーの件で返事をしなければならないからだ。
「……ん? そこに居るのはレティシアか」
声を掛けられ目をやると、そこには何故かアレク先生が立っているではないか。
「アレク先生? どうしてこちらに……」
「ああ、サーナリアの件は済ませてきた。その後でケントに茶をご馳走になる約束をしていてな。君も一緒にどうだ?」
ケントさんとアレク先生が、午後のお茶会を……?
クールで考えが読めない方だけれど、案外フレンドリーな面を持った人なのかしら。
「ええと、私はケントさんと同室のウォルグさんにお話がありまして……」
「そうか。ウォルグなら、果樹園の方で見掛けたぞ」
「分かりました。では、そちらに行って参りますわ。教えて下さってありがとうございます」
「いや、礼には及ばん。むしろ……」
「むしろ……?」
「……いや、気にしないでくれ。サーナリアにはしっかり注意をしておいた。もう君に嫌がらせはしないはずだ。安心して学校生活を送ってくれ。それではまた」
「は、はい。失礼致します」
そう言って、先生はケントの部屋に入っていった。
何か言いかけていたようだけれど、何だか嫌な予感がしないでもない。その時こそは、リアンさん達を頼ろう。
先生に言われた通り、私は果樹園のあるエリアまで移動した。
かなり広い敷地面積を持つセイガフでは、植物の育成を研究する生徒の為に畑や果樹園が用意されている。
そこで採れる野菜や果物は、育てた生徒から安値で買い取る事も可能なのだ。
ウォルグも何か育てているのか、それともお菓子に使う果物を買いに来たのか……。
遠くの方に畑や果樹が見えて来た。
すると──
「うわっ、逃げろー!」
「どこに飛んで行くか分からないぞ!」
急にそんな叫び声が聞こえて来た。
私は、急いでそこに駆け付ける。
「何がありましたの!?」
近くまで逃げてきた女子を呼び止めると、その子は怯えた様子で向こうを指差して言う。
「ま、魔法農薬の副作用で、果樹が暴走してるんです! 向こうの方で上級生の方が対処してるんですけど、あっちこっちから果物が大砲みたいに飛んで来て……!」
「そんな事があるんですの……?」
「う、嘘だと思うなら行ってみて下さい! ……と、言いたいとこなんですけど、あの速度で飛んで来るリンゴが頭にぶつかりでもしたら大変です! あなたもすぐここを離れた方が……」
言われてみれば、果樹園の方角からおかしな魔力が動いているのを感じる。
「……防御なら問題ありませんわ。あなたは早くここを離れて、誰でも良いから先生をお呼びして下さい」
「ま、まさか……あなた一人であんな果物の戦場へ飛び込むって言うんですか!? 危ないですよ!」
「私はこの学校で、最も防御魔法に長けている生徒だといっても過言ではありませんわ。林檎だろうと大砲だろうと、何でも防いでみせますわよ!」
私はその場で頑丈な防御膜を展開する魔法を唱え、それが全身を覆ったのを確認して走り出した。
後ろであの女の子が必死に叫んでいたけれど、私はそれでも足を止めずに突き進む。
あの子は、上級生が暴走した果樹に対処していると言っていた。もしかすると、その上級生はウォルグさんの事かもしれない。
「待っていて下さい……すぐに私が、行きますからっ!」
近付くにつれて、何かが空気を切り裂く音と、鈍い衝撃音がいくつも耳に届いてくる。
何百本もの枝が暴れ狂い、実った果物達が逃げ惑う生徒目掛けて飛んで行く。
彼女の言葉は、本当だったのだ。
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