2話「恥ずかしがり屋と私」
「文化祭、この学校は六月なんだよねー!」
お昼も午後の授業も終わって、心地良い春の風が吹き抜ける第二音楽室。そこでは軽音楽部のミーティングが行われていた。
三日前にあった仮入部の後、私と凛、萌佳の三人はその日の内に正式に入部届を提出した。仮入部期間は三日設けられていたので、今日この教室にいる八人の一年生が軽音楽部の新入部員ということになる。
「普通文化祭って言えば秋だよねぇ? でもこの学校は昔からそうらしくてさ。今年は三年生が二バンドと、二年生からも二バンド出るんだよねー」
部長の
私の周りには昨日の二人と夕維が座っている。この四人は偶然同じクラスであり、今日の部活は何するんだろうと、教室から話しながら一緒に来たのだ。
「そんで一年の人達ね。楽器できる組と初心者さん達の二組出来そうでさ。基礎から楽器覚えて二ヶ月でってのはちょい厳しいかもだけど、もう楽器できる人たちは文化祭どする? 丁度パートも揃ってる……」
「やりたいです!」
気がつくと喉から声が飛び出ていた。すぐ我に返った私には、部屋中の注目が集まっていた。目を丸くした部長が視界に入る。ホットケーキが焼けそうなほどの熱が顔に集まっていくのを感じながら、私は何をやってるんだと後悔する。
「にゃはは、いいじゃんいいじゃん! 実際咲耶ちゃんは自分より上手いまであるし、ヨユーでしょー」
御山さんは黒茶色の髪を揺らして愉快そうに笑う。数日前はあんなに震え、怯えていたのが嘘みたいだ。
「私もやってみたいっす!」
今にも立とうかという勢いで凛が元気に手を上げた。
「うちも、さくやちゃんとリンちゃんがその、いいなら……」
それに続いて右隣では萌佳が興奮した口調になる。
私は照れ笑いをしながら頷く。それを見た二人にも笑みが伝染した。
「たのしそーじゃん! あ、てか自己紹介やんないとだ」
自己紹介は、苦手だ。人前に立つといつも頭が真っ白になって、口の筋肉が凍りついてしまうから。入学式の後にあったクラスでの時も中々言葉が出てこなくて散々だった。
悶々とする私に構わず、行くよーと部長が大きく手を振って視線を集める。
「えーっと、二年の
二年生が部長をしているのか。今日のミーティングでの堂々とした立ち振る舞いを見て、勝手に三年だと思っていた。
「そんでそんで、パートはギターです! 一年のみんなには色々教えてけたらなって思ってまーす!」
以上! 終わり! 三年の先輩方からお願いします! とキレのある動きで次に繋げる。
この人、勢い凄いな。私だけでなく一年生全員がそう思っただろう。先輩達はもうそれに慣れてしまったのか、当たり前のように拍手を送っている。
順番は回り、一年生も数人が既に終わった。そして次に控える夕維が立ち上がる。
「一年の
桃色の小さなツインテールを垂らしてぺこりと礼をし、座り間際にこちらを見てニコニコとする。私と凛と萌佳の三人と、その他の五人。夕維とは別のバンドになりそうではあるが、彼女も楽しめているのかなと少し安心した。
「おっ、ギターなら部長である私に任せたまえよー、ほんじゃ次ね!」
その言葉を合図に夕維の左に座っていた凛が勢い良く立つ。
「一年の
いかにも体育会系といった感じの挨拶を終えて、自信に満ち溢れた顔で席に座る。
彼女とは昨日の体験入部の一件から、同じクラスだった事もあって好きなアーティストなどの話題で意気投合した。おでこが見えるくらい短い茶髪の彼女は気さくで話しやすいのだ。
「はーいナイス元気! じゃ次だねー!」
いよいよ私の順番だ。緊張なんてしていないぞと自分に言い聞かせながら椅子を引き、手を机に突き、立つ。
「
何言おうとしてたんだっけ。考える時間は沢山あったはずなのに、話し始めた瞬間に準備していたものはどこか遠く、片道切符の旅路についてしまった。
沈黙の間、皆の視線を意識してしまって更に焦ってしまう。
「その、今すごく楽しくて、頑張るんでよろしくお願いします!」
鈍くなった頭、雑巾から最後の一滴をひねり出したような言葉を口にして挨拶を終えた。そんな私に、拍手が労いとして送られる。
体から力が抜け、私は糸の切れた人形のようにストンと椅子に着地した。
「にゃはは、咲耶ちゃん積極的なんか恥ずかしがり屋なんかわかんないねー。じゃ、次最後ね!」
間違いなく私は恥ずかしがり屋です。人前に出るのが恥ずかしい。たまに我を忘れて行動してしまうけど、結局いつも後で恥ずかしくなるんです。
またうまくいかずに落ち込む私、その横で姿勢よく萌佳が立った。
「
萌佳は私と違って落ち着いてて凄いな。同じ一年生なのに一体どこで差がついてしまったのだろう。少しは分けてほしい。
それじゃ、よろしくお願いしますーと関西っぽいイントネーションで挨拶を締める。彼女とも昨日の放課後や今日の休み時間に、お互いの趣味なんかの話をした。綺麗な黒髪のサイドテールと優しい顔からは安心させるような雰囲気がある。
「ほいほいよろしくー! んじゃ、全員……じゃないんだよね。実は一人来てなくてさー」
前に立つ部長の様子がどこかおかしい。急に怯えた表情になったというか。そうだ、初めて仮入部に来た日に見たあの顔に近づいた気がする。
「金髪のねー? ちょい派手で怖いんだけど、でも悪い子じゃないと思ったんだけどなー」
部長は小さな声になりながら口をとんがらせてみせた。
話を聞くと、お昼休みに部室で部長のバンドメンバー四人とご飯を食べていた時に、昨日の怖い人が急に入ってきて入部を申し出たというのだ。しっかり話せたのだろうか、二人が出くわした場面を想像してすこし可笑しくなる。
「ま、いいやぁ。今日は部活の基礎的な話とかするから、ちゃんと聞いてねー?」
もう少しこのミーティングは続くようだ。
早く楽器を触りたい。これも私だけでなく、一年生全員がそう思っている事だろう。
「はーい、じゃお疲れ様ー!」
今日の部活が終わり、教室の狭い出口に部員たちが一斉に吸い込まれていく。外はもう夕ぐれで、窓からはオレンジの光がゆっくりと差し込んでいた。
私はバンドメンバーとなった萌佳、凛と一緒に人の流れについていく。
「もう夕方じゃんー。あ、時間あったら駅前の喫茶店寄んないー?」
「ええねそれ、さくやちゃんは大丈夫?」
「お、なんかバンドっぽいね。もちろんいいよ、ってあれ……」
一階まで降りた所で私は立ち止まり、背中からリュックを下ろして中身を探った。三歩前で二人が足を止め、こちらに顔を向ける。
「あ、ごめん。筆箱忘れてきちゃった、先行ってて」
そうだ、色々書類を書いた時に机に出してそのままだったんだ。数分前の私はそれを忘れ、意気揚々とリュックを背負ってきてしまったというわけだ。
もー、校門のとこいるかんねー? 呆れたような声と共に二人と別れた。
冷たい灰色をしたコンクリートの廊下がずっと向こうまで続いている。先程まであんなに人で溢れていたそこは静まり返り、同じ場所とは思えないほどだ。
私は白に銀色の取っ手が付いた引き戸に手をかけ、そして静止した。教室の中からドラムのリズムが聞こえるのだ。少し聞いただけで分かる、驚く程に上手なドラムが。
小刻みに踊るハイハット、気分屋なバスドラム。そして芯のある硬いスネアの音。
恐る恐るドアを開き、隙間からゆっくりと顔を入れて中を覗く。するとピタリとその音は鳴り止んだ。
「な、な……なん……」
閑散とした、時間が静止した教室。そこで、今日のミーティングでは見かけなかった生徒が、ドラムスティックを振り上げた状態で凍りついていた。
この金髪の長い髪、派手なシルバーのネックレス、もしかして部長が怖がっていたあの人なのではないのか。切れ長な目と強気そうな顔からは確かに怖い雰囲気が感じ取れる。
私は恐る恐る教室に入り、いくつか質問を投げかけた。
「もしかして、今日の昼に入部した人……かな?」
彼女は何故か顔を真っ赤にしておどおどとしている。今は怖いというよりも、悪いことをして怒られている猫のような様子だ。
「そう……だけど。」
「今の、ジャズっぽかったよね、凄く上手だった……」
「分かるのか!?」
ドラムから身を乗り出し、目を輝かせて大声を出した。私はそれに少し驚いてしまって、目的だった自分の筆箱を手に持ったまま固まってしまう。
少しの沈黙の後、ばつが悪そうに彼女は再びドラムに腰を下ろした。そんなに詳しくないけどねと遅れて答える。
「あっちの部屋閉まってるし楽器ないや。うーん、グランドピアノかぁ」
「何?」
金髪の彼女は眉間に力を入れて様子をうかがっている。私はピアノまで歩き、軽く鍵盤を叩いてみた。
「ちょっと合わせてみない? まあ、私は下手だけどさ」
「やろう!」
私がそれを言い終わる前に、興奮した口調で食い気味に返された。それを見て、彼女もただの音楽好きなんだなとなんだか安心する。
「じゃ、やってみよっか」
顔を見合わせ、頷き、一呼吸入れる。
ゆっくりと指先を白と黒の板に振り下ろす。上手くは弾けないが鍵盤はコードなどの基礎的な事であれば分かる。自宅にあるキーボードでずっと遊んでいたからだ。
私の簡単なコードと旋律。そこに上機嫌なドラムが入り込む。
すると紅茶葉に湯を注ぐように、私の拙いピアノが一気に華やかになった。
頭を空っぽにして、ひたすらに指を動かしている。
まるで、昔から知っていた友人の様に息が合う。
やっぱり音楽っていいな。そんなことを改めて感じ、体が揺れ動く。
「はい、良い音楽でしたー。でももう教室閉めるからねー!」
セッションが終わって残響が止むと、拍手と一緒に部長の言葉が飛んできた。私と金髪の彼女は驚いた顔になる。
あれから何分経ったのだろうか。集中していて、楽しくて。音楽室に人が入ってきた事にさえ気が付かなかったのだ。
「あっ、御山さん」
「あっ、じゃないよ全く。私が先生だったら怒られてるよー? まあカギ閉め忘れてた私も怒られるんだけどねー!」
そう笑いながらカギをクルクルと指で回している。この部屋が開いてたのは閉め忘れていたからだったのかと、防音室だけに鍵がかかっていたことを思い出して納得した。
「って
部長が目を見開いて仰け反った。私は二人を交互に見る。山緑さん、ドラムを叩いていた彼女の名前だろうか、腕を後ろで組んで部長から目を逸らしている。
「あー、その、忙しくて」
それを聞いた部長は少し真顔になった後に微笑んだ。かと思うと、待ってるから次から来てよねーと言い、わざとらしく頬を膨らます。普通に話す様子を見て、本当に二人の間柄は進歩したんだと驚いた。
そして御山さんは、何かを思いついたようにポンと手をたたいた。
「彼女、
その言葉にゲホゲホと本人がむせた。すっかり部長のペースに呑まれてしまっている。
なんだか可哀そうだな、なんて思っている私の視界に、ふと掛け時計が入った。喉から慌てた声が出る。
「ってやば、すいません! 人待たせてるんだった!」
忘れていた、萌佳と凛を校門に置きっぱなしだ。どのくらいだろうか、かなり長い間待たせてしまっている。
私は教科書が詰まって重たくなったリュックを勢いよく背負った。
「お疲れ様でした御山さん! ともみんもね!」
急いで部屋から出て小走りで階段に向かう。
後ろからは愉快そうに笑う声と、恥ずかしそうに怒る声が混ざって聞こえた。
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