fretJAM! ‐ ふれっとじゃむ!

こーひーじゃむ

第一章【私と出会い、文化祭とあの音】

1話「たくさんの顔と私」



 スネアが弾け、ハイハットが踊りだす。

 暗いライブハウスを低音が支配する。


 私はすぐ横にある目を見た。安心させるような、励ますような目だ。

 汗ばむピックに力が入る。


 緊張はしていた。

 しかしそれよりも興奮、胸踊る気持ちが勝っていた。


 左手を振り下ろし、赤のギターをかき鳴らす。

 モノクロの私が、目の前が、鮮やかに色付く。


 手が勝手に動いて、体が勝手に揺れて。


 音楽に溶けて、自分が演奏してるのかも分からなくなる、この感じ。


――好きだ




――第一章 私と出会い、文化祭とあの音――





 砂袋のように重くのしかかるまぶた。その向こうに響くかすかな声。

「ねーえ! さくちゃん! お願い、生き返って!」

「わ!」

 ハイトーンの大声に反応して脱力していた私の体が大きく跳ねた。ここは……教室だ。そう、私の教室、そして私の席。

 数カ月前まで通っていた中学校の教室と比べれば机や扉は奇麗なものである。四階にあいた窓枠の中には、申し訳程度に見える桜色の木と、薄っぺらい灰色の住宅街が広がる。私の視界に広がるそれは恐らく、ごく一般的な高等学校の教室といった具合なのだろう。

「んー、あれ」

 手の甲で顔を擦りながら声のした方向に眠たい目をやる。

 小名夕維こな ゆい、入学時から仲のいいクラスメイトだ。桃色の髪はいつも二つに結って短いツインテールにし、前髪は綺麗に切りそろえられている。小柄な体型からは予想できないほどの大きな声と、そして大袈裟な仕草。一緒にいて飽きない。

「さくちゃんずっと寝てたじゃん。体験入部、一緒に行くんでしょー?」

 あーそだねーと、頬の下まで伸びた淡い青の癖毛を手ぐしで整えながら生返事を返す。

 この高校、郊外のしがない女子高校であるが、そこに入学してから早くも一週間が経つ。今のところ授業では教科書を配ったり先生が雑談をしたりと、正直言うとその内容は退屈で、ここしばらくは平坦な生活が続いていた。

 そう、今日から仮入部が始まるんだ。上機嫌な夕維を眺めながら、どこかへ飛散してしまった意識を少しずつ取り戻していく。

「そうだそうだ、行きますかー」

 ようやく慣れ始めた私の机。それに信頼を寄せて手をつき、重心を預けてゆっくりと立ち上がった。

 数ある部活の中で私の視界に入る場所はただ一つ、軽音楽部である。理由は、音楽が好きだから。たったそれだけの理由だが、それで十分なんだと思っている。

 私は机の横にかけていた真新しいリュックを勢いよく背負い、教室の出口から手を振って急かす夕維を追いかけた。



 青山咲耶あおやま さくや。私の名である。

 青っぽい髪には強めのパーマがかかっているが、それはお洒落をしている訳ではなく、天パである。適当にセットしても様になるので、別段それがコンプレックスというわけでもない。まあ、雨の日はものすごいことになってしまうのだけが面倒だ。

 身長や容姿は恐らく平均くらいだろう。外見的な特徴といえば、気だるそうな目と猫背な所くらいだろうか。中学の時には真剣に勉強している時でも、眠たいのかと友人によくからかわれた思い出がある。

 そんな私だが、声を大にして言える特技が一つある。

「ええーっと、軽音楽部の体験にようこそ! そんじゃあ早速だけど楽器経験者の人はいるかなー?」

 この教室には初めて入った。

 本校は校舎が二つに分かれており、片方は職員室やクラス教室、そして今いるこの建物には図書室や理科室などの特別教室が並んでいる。数日前にあった音楽の授業で音楽室には入ったがここではなく、確かあそこは吹奏楽部の部室だったはずだ。今はあちらでも私たち一年生を勧誘しているのだろうか。

 ここは四階にあるもう一つの音楽室、第二音楽室である。教室から遠い最上階ということもあってか廊下の人通りは他の場所と比べて少ない。

 黒茶色の髪を肩に達するまで無造作に伸ばした彼女は軽音楽部の部長だそうで、明るく私たちを歓迎してくれている。

 私は彼女の問いかけに、十人程度いる新入生の塊から手を上げて答えた。

「ええーさくちゃん楽器出来るんだ! すごー!」

 私より背の低い夕維が目を輝かせながら見上げてきている。

「ま、ちょっと前からやってるからね」

 褒められるのは悪くない。そう思いながら、無意識のうちにドヤ顔を浮かばせながら返事をした。

「んじゃ経験者はとりま楽器触ってってよ! 隣の部屋案内するからさー!」

 私はいいなぁと独り言を呟く夕維を横目に、足早に先導する部長について行く。


 軽音楽部の部室であるこの第二音楽室は、よくある音楽室のように大きなグランドピアノが置かれ、木目が浮かぶライトブラウンの机が並び、四方にある真っ白な壁には規則正しく黒の穴が列をなしている。特徴的な所といえば、ピアノの横に置かれたドラムセットだろうか。

 これらの設備は授業で使われることはほとんど無く、現在ではほぼ軽音楽部が占拠しているそうだ。

 そんな教室の前方には、さらに奥へと続く重たく分厚い扉がある。その先には小さな窓がいくかある、いかにもバンドしてますよといった雰囲気の防音室。

 狭い空間には恐らく先輩たちのものだろうか、ギターが三種類とベースが二本スタンドに立て掛けられ、先程のものとはまた別のドラムセットが存在感を放っている。壁伝いにはアンプなどの機材が肩を並べて行儀良く立っており、その風貌はいかにもスタジオといった具合だ。

「んじゃ三人か。何でも使っていいからしばらく色々触ってみてよ! ちょっと経ったらまた来るねー」

 そう言い残し、部長は重たそうに体を使ってドアを閉じた。それが閉められるとこの部屋はますます圧迫感を感じる。動き回れないといったわけではないが、気を付けないと機材に体をぶつけてしまいそうな狭さだ。

「あら、青山さんやったっけ? 同じクラスやんな?」

 そんな空間に三人が取り残されている。その内の一人から、黒のふわりとしたサイドテールを傾けながら関西弁のイントネーションが投げかけられた。

「うん。ええーっと、萌佳もかさん……だったっけ」

 彼女の苗字は忘れてしまったが、名前は覚えていた。クラスであった自己紹介の時に、なんだかコーヒーみたいな名前だなと考えていたからだろう。

 すると彼女は、覚えててくれてたんやーと大人びた顔を赤らめて大袈裟に喜んだ。

「いや、別にその、可愛い名前だなと、思ってた……だけで……」

 コーヒーみたいだから覚えてたとそのまま伝えるのは失礼な気がして、なんて言えばいいのか分からなくなる。依然として嬉しいわぁと頬に両手を当ててわざとらしく恥ずかしがる彼女を見て、私の顔が太陽に焼かれたボンネットの様に熱くなっていくのを感じる。

「ねえこれ、二人でいちゃいちゃして、私何見せられてんだ」

 ただ黙るしかできなかった私にとって、その言葉は助け舟だった。

 慌てて声の主を見る。ドラム越しに、おでこが見えるほど前髪が短い茶のショートヘアから物言いたげな瞳を送られていた。

 彼女の名前は覚えている。確か、米田凛よねだ りんだ。彼女も同じクラスで、自己紹介でドラムが出来る事や軽音楽部に入る事を話していたので強く印象に残っていたのだ。

「ごめんなぁ? じゃ、うちらでちょっと合わせてみる?」

 先ほどまでのアレは何だったのかと思うほどの何ともない顔で萌佳が提案をした。本当に楽器できんのかと、それを茶化す様な返答がドラムから返る。

 初めて話した人とセッションなんて、なんだかかっこいいな。

 私は胸を踊らせながら、目の前のスタンドに立て掛けられた先輩のギターを担いだ。既にセッティングはされていたみたいで、アンプの電源を入れるだけで音が出る状態になっていた。

 少し音を出してみる。それだけでなんだか嬉しくなる。

「じゃ、やったりますか……!」

「おお、さくやちゃん乗り気ぃー」

「んじゃやろっか。私に付いてきなー!」

 この三人で話をしたのはたった今が初めてだ。それなのに何故だか一体感というか、そういったものを感じる。

 凛の自信満々な言葉は伊達ではないようで、定間隔の安心出来る力強いリズムが刻まれ始めた。

 なかなか上手だな。私は口角を緩ませながら、慣れた手つきで握ったピックを振り下ろす。



「それでさぁ、夕維ー」

 少しの間同級生と話してるようにと先輩から言われ、そこには夕維を含めて五人が椅子を輪にして座っている。今回、軽音楽部の体験入部に来たのは八人ということになる。

 私と話している、派手な見た目の彼女は中学校のクラスメイトだ。中学三年生の時にはあまり関わりがなかったので進学先も知らなかったが、同じ学校の他のクラスだと今知らされた。

 そんな彼女と仲がいいグループなのだろうか、他の皆からも派手な印象を感じる。

「あははは! なにそれー!」

 私は大声で笑った。本当はそんなに楽しくはないのに。

 今までずっと、私はみんなから必要とされたくて、明るい自分を必死に演じていた。おかげで中学までは明るいグループに属していたが、その時も心の底から楽しいと思ったことはほとんど無かったかもしれない。

 そんな自分が嫌いで、高校からは自分を飾らないようにしようと、そう思っていた。今話している彼女も、私ではなく私の仮面を見ているのだろう。

 それが分かっていても無意識に中学の自分に戻ってしまい、自己嫌悪に陥る。

 やっぱりさくちゃんに着いて行った方が楽しかったんだろうな。

 私、また出来なかったこと考えて後悔してるや。

 


「にゃはは、楽器できる組めちゃセンスいいじゃーん! そのまま組んじゃいなよー」

 ちょうど一段落ついて談笑している所に、扉がゆっくりと開かれて愉快そうな部長が入ってきた。

「私も賛成っす! 青山さんも昼沢さんも上手かったし!」

「リンちゃんも上手やったよ! うちも二人が良かったらやってみたいわぁ」

「まあ、でも」

 私の呟くような声に反応して二人と部長の視線が集まった。この気持ちをなんと言葉にすればいいのか、少しの間喉から言葉が出なくなる。

「えっと、よろしく。」

 照れながらようやく発したそれに、皆は笑顔で答えてくれた。

 頑張ろう、この人たちと。今までの経験をここに全てぶつけてやるんだ。


 部室に戻ってしばらくの間、先輩や他の一年生を交えて部活などの話をしていた。

 少しして一人の先輩が不思議そうに尋ねる。

「あれ? 部長、今ドアの向こう誰か立ってなかった?」

 隣の萌佳は不思議そうに首を傾ける。

 確かに私も見た。廊下に接する曇りガラス。そこに人影が揺れていた。誰か入ってくるのかなと思っていたが、それは風に飛ばされる洗濯物のようにひらひらと流れていってしまったのだ。

「うん、誰かいたよね……って新入部員だったりしたのかな!? まってー!」

 慌てた様子でドタドタとやかましくそのドアに走る。そしてそれを壊す気なのかと思うほどの勢いで開け、大きな風船が爆発したかのような破裂音にも似た音が響く。なんとも活発的である。

「ねぇ君! さっき見てなかったかな! なんか、用事……」

 いや、なんでもないです……相手の声は聞こえないが、部長は消え入りそうな声になった。そして扉を閉め、壊れかけたオモチャの兵隊みたいな足取りで私たちの元に戻ってくる。

「わわ、どないしはったんですか」

 部長に慌てて駆け寄る。顔色は悪く小刻みに体を震わせ、酷く怯えた様子だ。

「金髪ロングの、ヤンキー……こっわ……」

 私たちは顔を見合わせた。

「ギャルの、ヤンキー……殺気が、もう、ここで死ぬのかと……」

 この学校には恐ろしい人間がいた。シマウマを狩るライオンのような眼差し、幾千の修羅場をくぐり抜けた極道のような空気。

 彼女はそう訴えるが、本当にその例えで合っているのかと問いたくなる。しかし今は、ヘビに睨まれる蛙のように怯える部長をなだめる事で精一杯だ。



 今の音楽、良かったな……

 軽音楽部が部室として利用している第二音楽室。その扉の前で、長い金髪を撫でながら彼女はしばらくこうしていた。

 どんな人が演奏したんだろ、この向こうに……

 でも、やっぱり、止めとこう。

 ため息だけをその場に置いてフラフラとした足取りで立ち去ろうとした。その時だ。

「ねぇ君! さっき見てなかったかな!」

 勢いよく開かれたドアから発せられた轟音、そして静かな廊下に響く大声。私の体が跳ね、心臓は大きく動き出した。ゆっくりと、その声の主に振り返る。

「なんか……用事……」

「何?」

 反射的に素っ気ない態度を取ってしまった。

 またやってしまった。私の欠点は重々理解している。人付き合いが絶望的に苦手なのだ。この学校に入学して一週間が経つが、未だに気の合う友人はおらず、話しかけられることもほとんど無い。

 教室から勢い良く出てきた彼女は申し訳なさそうにして、そそくさとドアの向こうへ帰っていく。それを呼び止める勇気も出ずに、扉は閉まってしまった。

「はぁ。また誤解されたのかな……」

 ため息と一緒に情けない声が漏れた。

 でも次会ったらちゃんと誤解とかないと。

 金色の長い髪を撫でながら、もう一つ大きな息を吐いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る