13日前……ガラスの靴

 土曜日だからと言って、2年もつき合うと特に何処かへ出かけたりはしない。ましてインドア派の要はほとんど部屋から出たがらないし、一緒にいるうちに混雑が苦手なわたしも「まぁ、それでいいか」というような気がしてきていた。

 13日前。

 そういうわけで、計画表では「思い出作り」になっていたけれど、旅行の予約とかしてる素振りもなかったし、結局うちにいて、美味しいものでも食べに行くなり、うちで食べるなりするのかな、と思っていた。その場合、何を用意したら「思い出」になるのかなぁとぼんやり頭の隅で考えていた。

 なのでその日の朝も、気にせずのんびり眠っていた。

「由芽、早く起きて。由芽がずっと行きたいって言ってたテーマパーク、行くよ」

「え……? 今、混んでるから日付指定チケット買わないと入れないってよ……?」

「ほら」

 彼の手には確かに今日の日付が入ったチケットが2枚、彼の手のひらにあった。

「どうしたの、これ?」

「ずっと行きたいって言ってたじゃん? ふたり分のチケットなら、オレのバイト代からでも出せるかなぁと思って。コンビニで買えたよ」

 受け取ったチケットをまじまじと見つめる。テレビで特番を見るといつもすごく行きたくて、彼氏と行ったという話を聞いてもうらやましくて仕方がなかった。

「要、ありがとう」

「いいから、その分楽しんで?」




 人気のテーマパークだけあって、行きの電車からすでに混んでいた。

「由芽、大丈夫?」

「うん……」

 人酔いのしやすいわたしを、要が気遣ってくれる。揺れに負けないように要にしがみつく。要も慣れているので、肩を抱くようにしてわたしを人から守ってくれる。

 駅に着くと、パークに入る前に冷たいドリンクを買って少し休んだ。

「ごめんね、迷惑かけて」

「気にするなよ、いつものことじゃん」

 2年間つき合ってきた重さを、こんなときに感じる。初めて一緒に来た人ではこうはいかないだろう。

 このテーマパークには不吉な噂があって、それは「一緒に行ったカップルは絶対別れる」というものだった。友だち同士で話して、きっとアトラクション待ちの行列が長いことと、その行列を待っている間に間が持たなくなることが原因なんじゃないか、と想像した。でも、わたしたちはどうせもうすぐ別れてしまう。噂が本当になっても、何にも怖くない。思い出作りを楽しめばいい。そう思えば気が楽だ。

「行こうか?」

 要がつき合い始めの頃のようにやさしく手を繋いでくれて、うれしくなる。そんな小さなことがうれしくて、そっと握り返す。「うれしくて」……なんて、ほんと、バカだなわたし。




 入園するとまた人、人、人で、キャラクターもよく見えないままに、「ここが最後尾です」と高く掲げられた看板だけがいくつも目に入る。親切なカップルが、キャラクターをかたどった花壇の前で写真を撮ってくれる。代わりに要はふたりの写真を撮ってあげた。しあわせそうな笑顔のそのカップルは、「ありがとうございます」と言うとスマホのその画像を見ながらショップの方に消えていった。あのふたりにはこれからの未来があるんだろうなぁと、暗い気持ちになる。思えば、別れる前の思い出作りなんてナンセンスだよなぁ。なんで来ちゃったんだろう、と後悔する。


「そこの疲れた顔をしたお姉さん、お腹空かない? ポップコーンでも食べない?」

「何味?」

「キャラメル」

「えー、無難過ぎない?」

 要は少し考えてる顔をした。

「なんだ、意外性はないのか。じゃあさ、このハニー……」

「無難じゃない?」

「好きなものを食べよう、キャラメルで」

 結局キャラメルポップコーンを買うためにワゴンに並んだ。

「すごい人だけどさ、みんな楽しそうだね?」

「うん、そこも含んで、来てみてうれしいとこなの。なんて言うか、みんなしあわせそうだから、自分もしあわせを分けてもらえるみたいな?」

「ふぅん、そうなのか。もっと話聞いて、連れて来てあげればよかったね」

「……そうだね」

 やっぱり、そこは過去形なんだ。わたしたちの未来はない。今日はここに最後に来た、「思い出作り」のために。

 要はこのテーマパークに来るのは本当に初めてだったらしく、できる限りたくさんのアトラクションに乗った。たくさん並んで、三半規管がおかしくなるくらい上下に、左右に揺さぶられてとにかく大声で笑いまくった。怖いときには大声で笑って怖くなくしてしまう……。わたしも要と別れるために、大口開けて笑っていればいいのかもしれない。実際、今日の要は深刻そうな顔はこれっぽちもしていない。


「何かに買う?」


 という言葉にドキッとする。要はただ、ここに来た記念だと考えているようだったけど、わたしにはそれは別れのでしかなかった。別れの「思い出作り」に別れの「記念品」、笑えない。

「あのさ、ネットで調べてきたんだけど、由芽、こういうのすきじゃない?」

 見に来たのは、たくさんのガラス細工のお店だった。白鳥や、カボチャの馬車、ひときわ目を引いたのは本物の「ガラスの靴」だった。

「すごい、ガラスの靴……」

「気に入った?」

 それは微妙な話だった。何故ならガラスの靴は王子様を探すためにあるわけで……。

「あの、人が本当に履けるサイズは10万なんだって。あれはちょっと無理だから、気持ち程度の大きさで勘弁」

 無理に笑顔を作る。「ありがとう」と言う。

 でも。

 わたしの王子様はいないんだよ。たとえ、サイズの合う靴をもらったとしても、もう王子様は他のお姫様としあわせに暮らしてるんだよ。

 ――割れないように丁寧に包まれたガラスの靴は、そそっかしいわたしではなく、要のカバンにしまわれた。部屋に持って帰っても、要のいない部屋の何処に飾っていいのか想像できなかった。


 お腹が空いてレストランに行くと、50分待ちだと言われる。物語をイメージして作られたそのレストランは、常に人気らしい。

「あー、レストランまで待ち時間あるなんて思わなかったなぁ」

 つい気合を入れてスカートにタイツとブーツで来てしまったわたしは、暗くなって冷え込みが辛くなってきたところだった。海沿いに作られたパークは夕方からぐんと冷える。持ってきたカイロも全く役に立たず、最強装備で来なかったことを悔やんでいた。植込みの端に座って溜息をつく。

「大丈夫だよ、『永遠』に待たされることはないからさ」

「『永遠』はないもんね……」

 要が座り込んだわたしを見る。うなだれて、わたしの隣に腰を下ろす。

「あのさー。『永遠』ってあると思ったよ。由芽といる間」

「……ありがとう」

 過去形だったけど、少しうれしかった。でも、「永遠」なんてやっぱり幻想で、現実はふたりで見た蜃気楼のようなものだったんだよ。


 目の前の人山の向こう、パレードが流れていく。チカチカした電球が何万個も使われて、キャラクターたちをかたどる。さっき買ってもらったガラスの靴を掲げられたシンデレラが、しあわせそうに微笑んでいてドキッとさせられる。……わたしだって子供のころは王子様を待っていたし、数日前までそれは要だと疑わなかった。これから先の人生を分け合うのは要しか考えられなかったし、要だって気持ちは同じだと信じていたのに。そう思っていたのに、どうしてLEDの青白い明りが目に染みるんだろう?

 いっそなじって、彼を責めるべきなんだろうか……。人に聞いたらたいていの人はそうだと答えるかもしれないし、そうしないわたしをバカだと思うかもしれない。でも、彼を責める言葉は喉の奥につかえて上手く出てこない。わたしだってどうせ捨てられるのならひどい言葉で彼をなじって、追い込んでしまいたい気になる。だけど、そうすることで本当に得をするのは誰なの? わたしはダメだ。きっと自分が傷ついてしまう。結局、臆病者なんだ。


 テーマパークのイルミネーションはどこまでも続いていくようで、それでいてひどく刹那的に瞳に映った。

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