第8話 The fall of "Eve" - 2


「それで奴の正体は?」

『ソロモン七十二柱、序列十七。地獄の大総裁にして伯爵――その名は「ボティス」』


 それは《悪魔》の名前だった。たしかソロモンの秘術書に書かれている悪魔。《物怪もっけ》とは概念が違うのかもしれない。燈には《物怪》よりもおぞましく、そしてヨクナイモノを数百、数千と凝縮された悪意の塊に見えた。


「たしか《悪魔の中でも唯一完全な蛇の姿を取り、過去・現在・未来を知る力を持つ》ものだったはずです……。なるほど、私と武神の攻撃を紙一重で躱していたカラクリはこれでしたか」

「かかかっ。とはいえ、武神と二人がかりで倒せないとは……。龍神よ、腕でも鈍ったか?」


 棘のある言い回しに龍神の肩眉が僅かに動いた。すでににらみ合う二人の間には火花が散っている。


「……そこまで言うなら、今日こそ決着を付けましょうか?」

「ハッ、望むところぞ」


 燈が「やめーい!」と慌てて叫んだのは言うまでもない。


 ***


 大量の蛇を粗方一掃し、残りを浅間とノインに任せて燈たちは、金髪の男ジョンの傍に駆け寄る。


「つまり一筋縄ではいかないってことか」

『なぁに、正体さえ判ればこちらのものだ。どうせ大した欲望も持っておらんだろう』


 魔人という恐ろしいモノを前に金髪の男ジョン女の声の人アネットに焦燥はない。むしろそういった類のものを、よく知っているといった風に燈には見えた。


「くっ……フ、フフ、デュフフフフ! 我が名を知ったところでこの世界は我が手中にある! 戦力差も歴然、我が願いを妨げることは誰にも出来ん! まもなく来たる聖夜は、全ての恋人達アダムとイブを永遠に別つ帳となるのだ!」


 魔人の目的に燈は面食らった。


「え? ……えっと、つまりどういうことでしょう?」


 燈は自分では理解し切れず、金髪の男ジョンに尋ねた。彼は少し眉を寄せつつ──


「恐らくだが、夜が来たら全てのカップルが別れる、という意味だと思う」

「なるほど……でもなぜそんなことを?」

「さぁ……?」


 燈は眉を寄せる。何とも妙な願いだ。カップルが《別れる》だけなら、また《寄りを戻す》ことも出来るのではないか。それとも一度壊れた関係は絶対に修復しないということなのか……。


『考えるだけ無駄だ。それよりも奴の言う通り、あの魔人が怪物共と束になって仕掛けて来るのは流石に面倒だろう』


 確かに女の人の声アネットの通りだだった。燈は目の前に立ちはだかる強大な敵を見据える。魔人ボティス、八岐大蛇、橋の上にいるバジリスク──


(分断したほうがいいけど……どうしよう。闇雲に戦っても勝算は低いだろうし……。私たちが相手どれるとしたら、やっぱり《山の神》が言っていた八岐大蛇だろうか。こちらには《星を奪われた神スサノオ》の転生者がいる。なら……) 


 そう考えているところで、金髪の男ジョンが燈や、その後ろにいるジジたちへと視線を向けた。


「皆聞いてくれ、俺達はあの魔人を倒す事が出来る。だがその為には他の二体を魔人から引き離す必要がある。どうか、協力してくれないだろうか」

 

 彼の言葉に燈は周囲を見渡す。浅間とノインは姿が見えないが、未だに機関銃を手に蛇の相手をしているのだろう。龍神と式神に顔を向けると、視線がぶつかった。


「…………」


 燈は震える手を握りしめ──


「じゃあ、私たちはヤマタノオロチを引き受けましょう。《山の神様》に頼まれていたのも、あの物怪のようですし……」

「応」

「しかたありませんね」


 龍神と式神は即答する。燈の言葉を待っていたかのようだ。


「頼もしいな。助かるよ」


 金髪の男ジョンはそういうと倒すべき魔人へと向き直る。燈はこぶしを握り締めると自分に喝を入れる。


(大丈夫。自分の《役割》は、ちゃんとわかっている……!)

「それなら、僕たちはあの鶏のデカブツを相手するのがいいかな」

「頼む。奴の吐息は触れた物を瞬時に石化する毒だ、気をつけてくれ」

「なら尚更だね。毒には耐性があるから」


 ジジが大船に乗ったつもりで任せろ、という雰囲気に金髪の男ジョンは不安──いや心配そうに声をかける。侮っているわけではなく、純粋に少年の身を案じているのだろう。


「本当に大丈夫なのか? 」


 そう不安気な金髪の男ジョンに対して、ジジの余裕な姿勢は崩れない。


「生き物である限りこちらに分があるよ。炎を恐れない生き物は人間か竜くらいだ。それに言ったでしょ。毒なら耐性がある」

「しかし……きみたちは子供だ」

「ヒヒヒ……そりゃ、こっちがガキンチョばかりだからね。でも舐めないでほしいな。見ててよ。『どちらの毒が強いか』って対決になること、請け合いさァ」


 そこでようやく金髪の男ジョンは納得したようだ。目の前にいるのがただの子供ではないことを。


「そうか。いや、侮ってすまなかった」


 燈は二人のやりとりを横目で見ながら、ジジの雰囲気が人ならざる者──式神の纏う何かにどこか似ている気がした。見た目はすごくかわいいけれど、おそらくその力は人間の燈では天と地ほどの差があるのだろう。


「それにしても」と燈は魔人がこのやりとりを、放任していることが気になった。圧倒的な力を持っているなら総攻撃したほうが戦略的には正しい。だが彼らは燈たちが蹴散らせる程度の蛇を大量に送って、様子見をしているだけだ。


「貴様達、我等を分断させる目論見だな? それぞれが相手をし、各個撃破する算段か。舐められたものだな! ならば望み通りにしてやろう! 我の相手をするのは貴様だろう? 同類よ!」


 意外なことに自分の優位さを捨てて、金髪の男ジョンとの一騎打ちを望んだのだ。


 ***


「ふむ。今ので向こうの黒星がほぼ確定したな」


 式神は淡々と勝敗の行方を見据え呟いた。


「あ。それって孫子の『げき水のはやくして石を漂わすに至るは、せいなり。鷙鳥しちょうはやくして毀折きせつに至るは、節なり。このゆえにく戦う者は、そのせいけんにしてその節は短なり』の戦い方でしょ?」

「なんで記憶は戻らんのにそういう《兵法》は思い出すのやら……。まあ、そういうことだ。『戦いに巧みな者は勢いは険しく激しさを増し、その節目を切迫させる。一気呵成に畳み掛ける方法』だな。しかし、あの般若面の女はそうしなかった。ふん、傲慢だな。戦いの何かも知らぬど素人ぞ」


 常に戦いに身を置いてきた式神だからこその痛烈な言葉だっただろう。けれど、憤慨と言うよりは呆れているようだ。

 

(相手が見下していても構わない。問題は──)

「何を悩む必要があるのですか」


 振り落ちてきた言葉に振り返ると、龍神と浅間、ノイン、そして式神が既に臨戦態勢を取っていた。


「神様」

「どうやら話は着いたようだな」


 浅間はサンタ服を脱ぎ棄て、いつもの漆黒の軍服に姿を変える。


「標的補正可能──いつでも行ける」

「ほれ、これがなければならんのだろう」


 式神は燈の影から一振りの太刀を取り出す。黒光りした鞘に、白い布が巻き付いた刀を差し出す。


「式神。ありがとう」

「姫は飛べないでしょうから竜馬に騎乗してください」


 龍神が手にしていた鈴を鳴らすと、何もなかった場所から先ほどの竜馬が姿を現す。燈は驚き目を剥いた。


「え、でもさっき私をかばって──」

「ええ。姫を庇ったため一時的に姿を消してましたが、今暫くなら貴女の力になるでしょう」


 竜馬は燈の頬にそっと寄り添う。少女も首元を軽く叩くとそのまま鞍に騎乗する。

 手綱を引くと竜馬は誇らしげに嘶く。


 ────がああああああああ!


 八岐大蛇は柘榴に似た双眸を燈たちに向け、矢の如く一斉に飛びかかる。

 全員、大地を蹴って分散した。

 浅間と龍神は軽々と宙を飛び、三つの首を刎ねる。だが、すぐに首は切断されてもすぐに結合してしまう。これでは限がない。


「チッ。やはり手ごたえがないか」

「八頭全て一度に刈り取っても駄目でしたからね。……となると」


 燈は竜馬の手綱をしっかりと握りながら、八岐大蛇に向かって駆ける。正直、巨大化した大蛇に向かっていくのは、ものすごく怖い。


(ううう……! 怖い、怖い……!)


 歯を食いしばり、両手を震わせながら巨大な蛇の口元へと突っ込む。ノインは燈のバックアップとして援護射撃をしている。精確な射撃は八岐大蛇のみに着弾する。


 ──があああああ!


 咆哮。それだけで燈の体は震え上がる。だが、ここで引き返すわけにはいかない。涙目になりながらも、少女は手綱を握り締める。


「なに、我が主に牙が届く前に、小僧と某で道を作る故、安心してゆくがよい」


 式神は竜馬と同じ速度で足早についてきている。燈の供回りと言わんばかりに巨大な太刀を抜いた。


「ふっ!」


 式神は燈を狙う大蛇を片っ端から細切れにしていく。いくら再生能力が高かろうと、細切れにしては元に戻るのに時間がかかるようだ。

 血しぶきが雨のように降りかかる中、鉄の匂いが充満する。


「式神……!」

「なんぞ」

「手綱を握りながら刀を構えるって……その辺どうすればいいの!?」

「…………」


 燈はぶるぶると震えているが、式神は親指を立てて「頑張れ☆」と鼓舞するだけだった。


「え、ええええ!?」


 少女は今日、何度目かになる叫び声を上げた。


「そんなことより、ほれ。奴が来るぞ」


 燈めがけて八岐大蛇の一頭が襲い掛かる。巨大な口が開き、竜馬ごと飲み込んでしまうだろう。

 だが──燈はを八岐大蛇に向かって、力いっぱい投げた。


 ***


 八岐大蛇の巨大な口に投擲とうてきしたモノ。

 それは《山の神》から受け取った小瓶──中は極上の酒、八塩折酒やしおりのさけを改良して出来上がった《神酒》。

 小瓶ほどの量だが、その味は筆舌に尽くしがたいという。


 呑みこんだ八岐大蛇は全身に稲妻が走り、動きが止まった。次いで深緑色の鱗が桃色に変わり、ふらふらと船を漕ぐように頭を揺らす。


「こ、これって……」

「ああ、酔っているな。主よ、今のうちだぞ!」

「うん……!」


 燈は腰に佩刀していた刀の柄をそっと握った。《山の神》から聞きかじった情報を少女の中でまとめる。

 この《退魔の刃》が本来の力を発揮するには条件がいくつかある。


 《物怪》となった《人の心の闇》と《アヤカシの正体》を知ること。

 または《アヤカシ》にまつわる知識を得々と語り、相手に呪をかけて動きを封じたのち、言霊によって《物怪》を斬り捨てること。

 後者の場合は、《人間の心ごと》斬るため、下手をすれば死んでしまう。

 しかし今回に限っては、ヨクナイを圧縮させた象徴だけの存在なため、最初から武力による討伐のみで押し切れる。


(式神、神様、ノイン、浅間さん……行きます)


 燈は覚悟を決めて薄い唇を開いた。


 ***



 かつて《失踪特務対策室》にゼロ課という班があった。

 ランクAAA+の《物怪》専門チーム。その精鋭部隊が今宵──再結成を果たすことを、は気づいていない。


八岐大蛇ヤマタノオロチ──「八」を象徴するのは人食いの大蛇ではなく、末広がり、生産性を秘めた大いなる霊蛇。本来であれば「書記」の櫛稲田姫くしいなだひめ──稲田の神と、水神との婚礼の魏を意味していた」


 燈の持つ刀に巻き付いた紋様の入った布が淡く光る。

 酒を八岐大蛇に与えたのも、《アヤカシ》の名を語り、しゅと転じさせるためだ。

 しかしそれが出来るのはだけ──

 つまりここでは秋月燈にしかできない役回りなのだ。もしほかの人間であれば、その大蛇を前に卒倒していただろう。


 燈とて怖くないわけがない。けれど、それでも立ち向かえる強さがあるから、震えながらも、怖がりながらも声を高らかに語る。


 塗り固められたではなく、。刀に巻き付いた布は、八岐大蛇に巻き付くと動きを抑え込む。

 それを逃れる術はない。

 アヤカシである以上、存在と起源は《縛り》となるからだ。


「酒は本来、神を迎えるための儀礼。祝福を奪うは次世代の水神。名は素戔嗚尊スサノオノミコト。大蛇を切り裂くは十拳剣──天羽々斬剣あめのはばきり


 突風により燈の言霊は、の影から天羽々斬剣を顕現させることに成功する。


「それは大地に眠りし聖なる力、邪悪なるものを断ち切るもの。連なる蛇の側面。霊力の象徴」


 その剣は《使用者》が限定された神代の産物。

 扱いにもそれ相当の適任者でなければならない。

 白銀に煌めく光の刃、その刃先がのこぎりのように、鋭利でやや曲湾の独特な反りがある。


「《星を奪われた神ノイン》!」


 燈の言葉に後方で援護射撃を行っていたノインは、自身の影から出てきた白銀色の剣──その柄を握った。それはずっしりと重さを感じる。


「識別確認──これより八岐大蛇標的の排除に移行する」


 ノインの手にした刀が、なんなのか本能的に察した八岐大蛇は、目の色を変えて襲い掛かる。

 八つの頭がそれぞれ大波を起こし、悲鳴とも咆哮ともとれる声を上げた。


「浅間さんと、かみさ──」燈が指示を出そうとしたが──

と呼んでやれ。アヤツのコードネームだ」


 式神の言葉に燈はやや逡巡するもすぐに、言葉を言い直す。


「え、うん。えー……、龍神と浅間さん! 二人はノインが一撃を放つまでの時間稼ぎ。その間、私は八岐大蛇の動きを出来るだけ封じます。式神は私の護衛を引き続きお願い」

「応とも」


 式神は言うまでもない、と高らかに返事をする。

 

「ああ」

「わかりました」


 浅間と龍神はその指示だけで素早く動く。

 まるで事前に打ち合わせをしていたのか、彼らは四つの首を別々に刈り取る。

 八岐大蛇は叫ぶ。攻撃を繰り返すが、二神相手はかすり傷一つ負わずに斬り伏せていく。何度でも、何度でも──。


(再生能力が厄介すぎる……。となれば……!)


 燈はもう一つの言葉を紡ぐ。これは式神やノイン達が、パレットタウン施設内で見つけてくれた情報を元に組み立てた仮説だ。


(八岐大蛇の形をしているけど、中身はたぶん《七つの罪源》が近い。《五戒》や《五悪》とも似ているけど、今日はクリスマス・イヴという要素が強いからそちらを元にした……)


 燈は両手に刀を抱きしめ、必死で八岐大蛇の動きを封じている。だが、やはりあの巨体を封じておくのは厳しい。絹の破れる音が耳に届く。


(あとちょっとなのに……)


 突如、空から真っ白な石の鳥居が八つ降り注ぎ、八岐大蛇の胴を抑え込んだ。海水が水しぶきを上げ、風圧だけで燈たちは吹き飛びそうだった。


 ───があぁあああああああああ!!


 八岐大蛇の咆哮。八つとも海面に縫い付けられたかのように、動くことが出来ないでいた。


(あの鳥居、山の形をした山王鳥居……だっけ? ってことはこの力って……)


 周囲を見渡すが、白猿の姿は見えなかった。


「今ぞ、我が主よ」

「うん!」


 燈は今すべきことに集中する。


「八岐大蛇──その中身の元となるのは、四世紀のエジプト修道士……著作修行論にある八つの想念は、のちに七つの大罪の元となる。傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、強欲、暴食、色欲。あとは…………」


 黙り込む燈に八岐大蛇の頭一つが首を伸ばし襲い掛かる。式神は大剣を構えるが、その剣先が大蛇に触れることはなかった。なぜなら──


 ──グアアアッ!


 横合いから龍神が大蛇を蹴り上げたからだ。それも本気の蹴りだったようで、八つの頭とその巨体が水面を滑る。ゆうに数十メートルほど吹き飛ばしたのだ。


「姫、隙だらけですよ」

「龍神! ありがとう」

「礼など良いですから早く仕上げてしまってください。《星を奪われた神》の準備もあと少しで整います」


「急かさないで……えっと……」こんな時にど忘れをしてしまった燈は、必死に頭を働かせる。


(悲嘆だ、悲嘆……)と式神は心内で告げるが、口には出さない。


「虚栄心、淫蕩……あ。悲嘆!」


 カチ、となにかがはまったような音が聞こえた瞬間──夜空に満月の輝きが煌めく。

 白亜色の眩い刃をノインが構える。

 それは神話の時代、八岐大蛇と素戔嗚との戦いが再現したかのようだ。しかし今の二人はどちらも本物ではなく、代役エキストラでしかない。それでもこの戦いに終止符を打つにふさわしい一撃だった。


「散れ──綺羅星の逆鱗きらぼしのげきりん


 一閃。

 轟音と共に、八岐大蛇は青白い光に包まれ形は崩れ去った。それこそ塵も残らず。

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