第1話 始まりは唐突に

 二〇一日 集合無意識空間の中。


 元は新宿のオフィス街だったのだろうが、作られた夢の空間内ではビルが複雑に入り組み迷宮のようだった。人の姿は秋月燈あきづきともりを置いて誰もいなかった。

 少女は、黒炭のような黒く艶のある髪、長さは肩ほど。肌は健康的な色合いを保ち、発展途上の体つきで胸や尻もそこまで大きくはない。どちらかというとスレンダーな体型に近いだろう。

 着こなしているのは着物と袴、そしてロングブーツと大正ロマン風のいで立ちだ。ただ少女の手には、不釣り合いな黒い刀が目立つ。


 光の残滓となって消えゆくのは、《ぬえ》と呼ばれるアヤカシ。人の心の闇を蓄積し、人とアヤカシが結びあい《物怪もっけ》と変質した存在だ。

 それらを祓い浄化する《役割》を人間が請け負っている。


(姫に怪我がなくて本当に良かった……)


 少女の戦いを内心ひやひやしながら見守っていたのは、この国の神の一柱──龍神。

 彼は冥界の王、《常世之国とこよのくに》を治める《十二の玉座》の一角 である。白銀の長髪に、装飾を凝らした白の和装。陶器の様な肌に、酸漿色ほおずきいろの瞳を持つ偉丈夫。

 

「神様、手伝ってくれてありがとうございます」


 ぺこり、と頭を下げる少女に龍神は「頭を上げなさい」と素っ気なく告げた。彼本人はもっと気の利いたねぎらいの一つでも口にしたいのだが、どうにも言葉が出てこない。ついで──


「……私は私の優先すべきことを行ったまで」


 素っ気ない言葉を返す。しかし内心では本心がだだ漏れだった。


(はあ……。愛い、いや尊い。一時とはいえ、姫の手助けができたのだから……幸せすぎる)


 龍神はもうずっと前から少女に首っ丈ぞっこんだ。燈本人以外にはその心情が筒抜けで、顔の表情の機微は薄いものの、燈に向ける熱い視線で大体の者は気づく。

 二〇〇九年のある事件で彼女が記憶を失っていなければ、今年の春に気持ちを伝えるつもりだった。十数年という長い年月と信頼を経て、言葉にする前にその機会を失ってしまう。一方的な気持ちの押し付けになると、龍神は自戒するのだが──


(くっ……夢の中とはいえ、やはりは愛い。あと少し──傍にいても……いや、現世に早く戻さねば……! 告白などとても──)


 結局、龍神は自分の気持ちを押し込め──愛おしい人の姿を眺めた。

《物怪》を倒した今、この空間は光の残滓となって消えていく。

 燈が現世に戻るためには、本人がこれは夢だと自覚すればいいだけだ。そう認識するだけで、あっという間に燈の体は透明となっていった。


「神様、今度は冥界で──」


 そう龍神に微笑んだ少女。

 記憶を取り戻す覚悟を問うて彼が燈に課した条件。

「冥界の龍神の所まで辿りつけたなら、記憶を取り戻すのにする」という約束をしたのだ。だからなんとなく彼女が口にしようとしたことを龍神は察していた。

 しかし、彼女からその言葉の先は別の音でかき消されてしまった。


 乾いた破裂音が空間内に良く響いた。


「!?」


 燈の腹部に何かが。その衝撃により、少女はのけ反り──その場に崩れ落ちる。龍神はその場から飛び出していた。


「あ……れ……?」


 龍神は倒れ落ちる前に、少女を抱きかかえた。

 ぬるりと、生暖かい感触があった。彼は慌てて少女の腹部に視線を向けると、深々とが突き刺さっている。それを見て龍神は眉をしかめた。


(銃声音があったというのに、矢? 現世でなにが──)


 龍神が矢に触れようとした瞬間、燈の傷は消えさる。それは完治したのではなく、その傷そのものをが引き受けたようだ。


「急がなければなりませんね」


 龍神はそっと少女を抱きかかえたまま、この空間を脱出する。

 本来であれば燈の魂は現世に戻るはずだった。

 しかし──


 ***


 ????年?月?日。

 ぷつりと意識が途切れた後、燈の耳に賑やかな声と聞き覚えのあるメロディーが届く。それは季節の風物詩で、耳にするだけでわくわくする──クリスマスのテーマ曲だった。


「ん……?」


 燈が目を覚ますと、ソファの上に寝転がっていた。周囲は見覚えがなく、ホテルのラウンジの一角だろうか。豪華な皮のソファの寝心地は悪くない。むしろもう一眠りしたいぐらいだ。特に枕のようなフカフカなクッションは温かく心地いい。


(ん……あと五分……)


 寝そべる燈はふと、ここがなのか思考を巡らす。寝起きだからなのか頭が上手く働かない。


「…………」


 不意に今までの出来事が走馬灯のように流れ込み、燈は慌ててその場から起き上がった。

 周囲を見渡すと趣のあるホテルのラウンジ、その奥のソファに燈は眠っていたのだ。

 淡い赤と薄緑を基調としたソファ、シャンデリアと内装は真新しい。質のいいホテルだというのは一見してすぐにわかった。特に存在感を放っているのは、至る所に飾られた絵画だ。そのどれもが《蛇》を題材にしている。


「クリストファー・ヴィルヘルム・エッカースベルグ作一八一〇年」北欧神話で有名ないたずら好きの《ロキ》が光の神バルデルを殺したことによる罰として岩に括り付けられ、鎖で体を固定。顔に毒が滴る様に毒蛇が傍に近寄っている。痛みにもがくロキを妻シギュンが傍に寄り添い、蛇の毒を杯で受け止めようとしている絵だ。


「…………」


 思わず息をのんでしまうほど蛇がリアルに描かれていた。他にも旧約聖書の「創世記」に登場する禁断の果実を採るアダムとイブの絵画や、ドラゴンに近い挿絵風のものまであった。

 見回すだけでもその数は、ラウンジだけでかなり多い。

 しかし、ホテルマンの誰もが燈を気にかけた様子はない。みな他の客に接客で忙しいそうだ。


「……って、か、神さまは!? ううん、それより現世で戦っているみんなは?」

「案ずるな。無事だ」


 思わぬところから、ダミ声が返ってきた。少女は動転しつつも声のしたフカフカのクッションに視線を落とす。

 そのクッションをよく見ると、五〇センチほどの黒い狐がソファに丸くなっていた。


「し、し、式神!?」


 黒狐──燈と契約を結んでいた式神だ。少女が記憶喪失の為、《真名》を思い出すことが出来ないでいる。艶やかな黒い毛に、尾は四本だったり五本だったりと顕現するときにその数は異なる。今日の尾は二本のようだ。


「主よ、目がさめ──」


 気だるそうに顔を上げる黒狐を、燈は勢いよくで抱き上げて前後に揺らす。


「え、結局どうなったの!? みんな無事!? しーきーがーみー!」

「ちょ、や、おまっ……ゲフ」

「式神!? ゲフっ……」


 二人そろってに痛みが走り、吐血する。

「ごほごほ」と、咳き込みながら燈と式神はお互いに呼吸を整える。少しばかり冷静さと頭に血が巡ってきた。

 口から垂れた血を拭うと、いつの間にか消えてしまった。そして嘘のように腹部の痛みが治まったのだ。


(え? 急に……どうして?)

「案ずるな。傷が少し酷かったので、あるじに感覚が共有されたにすぎん」


 燈はそれを聞くと、そっと黒狐を抱き上げて体に傷が無いか探す。しかし、黒い毛はモフモフな手触りで、怪我らしい怪我は見当たらない。


「だ、大丈夫なの?」

「傷口は塞いでおる。しばらく大人しくしていれば問題ない。それより主の方は大丈夫か? 痛覚は一時的に共有していると思うが……」


 心配そうに顔を覗き込む黒狐に、燈はそっと頭を撫でた。黒狐は式神であり燈の影に住み着いている。普段は声だけしか聞こえないのだが、こうして姿が見えるということは、ここが《異界》もしくは集合無意識の特殊な空間であることを意味していた。


「うん、私は大丈夫。……それより慌てて、ごめん」

「いや、某ももっと適切な言葉があったと反省している。……で、我が主よ。ここはどこだ?」


 沈黙。


「ふぁっと? 式神も知らないの?」

「ふむ。どうにも記憶があやふやのよう

「あれ、式神の口調がちょっと変わった? 若くなったというか……?」

「そうか? 某は元からこうだぞ」


 少女は顎に手を当て考えるが、どうにも記憶を遡ろうとすると頭の中に靄がかかったように、思い出せない。


「んーー。そっか。私も何だか頭が重くて、集合無意識で《鵺》を倒した所までは覚えているんだけど……」

「提示──現状は魂、または意識のみ強制的に集められた可能性──七三パーセント」

「ノイン!?」


 燈の起き上がったソファの向かい側に、黒の軍服姿のノインが腰をおろし新聞を読んでいた。彼は《特別災害対策会議・大和》特殊迎撃部隊所属──Artifact knightsアーティファクト・ナイツ 試作九号機──通称ノイン。政府が秘密裡に完成させた脳と脊髄以外は、全て人工物で形成された全身義体化している。それが彼だ。


秋月燈心の友その壱──前後の記憶があるようだが、意識は正常だと判断できる」


 精悍だがどこか作り物めいた顔に、短髪の赤毛。見た目は十代後半──もしかしたら二十代かもしれない。背丈は一七〇に届くかどうかといったところだ。やや筋肉質なのか軍服の上からでもすぐにわかった。


「ノインの体、ボロボロになってない……。ってことは、やっぱり夢? 《異界》だったら、もっとどろどろした感覚と嫌な感じがあるし……」

「五二パーセントの確率で集合無意識の空間と判断できるが、情報が足りない。それとこの新聞の日付を確認してほしい」


 そう言ってノインが燈の前に新聞を差し出した。少女は受け取ると、記事に視線を落とす。日付は二〇一日──


「は、八年後の世界!? しかもよりによってクリスマスって!? いや正確にはクリスマス・イヴだっけ……」

「単に八年後かどうかも分からんぞ」


 式神の言葉にノインも頷いた。そのただならぬ雰囲気に燈は唾をのんだ。


「どういうこと?」

「提示──外に出てみればわかる」


 小首を傾げつつ燈はホテルの外に出た。少女の目の前に飛び込んできたのは、お台場パレットタウン。その象徴ともいえる世界最大級を誇る、パレットタウン大観覧車も見える。


「は」

「あ?」

「このホテルを出るとなぜか必ずこの場所に出る。ちなみにホテル内の窓、裏口、地下駐車場、屋上からのダイブ……全てこの場所に、到着するようになっていた」

(屋上からダイブって……)


 ノインの検証に突っ込むべきか燈は唸った。そんな少女の頭に──否、周囲に白い紙が降り注ぐ。

 空を仰ぐと広告宣伝用の飛行船がちょうど燈たちの頭上を飛んでいた。恐らくドローンか何かで、この白い紙を落しているのだろう。

 二十メートルほどの飛行船が悠々と雲のように流れていく。

《Merry Christmas》とロゴの入った飛行船に、見惚れてしまい落ちてきた紙切れの存在をすっかり忘れていた。おみくじほどの紙を一つ拾う。


(……んー。この感じ、やっぱり《物怪》が作り出した集合無意識の空間? でもそれにしては妙にリアルなんだよな……)


 そう考えながらも妙に頭がぼんやりとしていることが、少女を物憂げな気分にさせていた。


「大丈夫か?」


 黒狐は燈の両肩に乗りながら尋ねる。本来なら重くて倒れてしまうのだろうが、浮遊しているのでそこに重さは感じられなかった。

 寄り添い気遣う式神に燈は小さく頷く。


「ん、大丈夫。それよりこの紙の中身を確認しないと……」


 丁寧に折りたたまれた紙を開くと、折り紙ほどの大きさになった。その紙に書かれていたこととは──


 *** *** ***


《この空間を出るための条件》

 ※カップル限定

 ・ケーキの食べ合いっこ

 ・トナカイのソリに乗る

 ・プレゼント交換

 ・サンタと死闘


 *** *** ***


「は? はあああああ?」


 思わず燈が悲鳴に似た叫び声をあげたのは、言うまでもなかった。



 ***



 二〇一八年十二月二十四日 東京・お台場パレットタウン施設入り口。

 雪が降りかねない寒空の下、燈は体をふるわせながら手紙の内容を再確認する。


「え。なに、これ……。《サンタと死闘》って怖いこと書いてあるんだけど?」

「さすが我が主。真っ先にそこに注視するとは……」


 もっと問題となる一文が書かれていることに燈は気付いていなかった。いや、問題は少女ではなく相手龍神の方だろう。


「心の友その壱。それよりも体温の低下を確認した。上着は新しく購入するとして、ひとまずはこれを羽織るがいい」


 ノインは軍服の上に羽織っていたロングコートを脱ぐと、そっと燈の肩にかけた。少女にはぶかぶかで裾もくるぶしで、下手したら地面についてしまうほど長かった。


「おー、ぶかぶか。でもぬくいー。ノインありがとう」

「礼は不要。では行動を開始するとしよう」

「おー!」

(さりげなく主を気遣いつつエスコート……。これは面白……ではなく、ふむ。中々のダークホースだな)


 式神の心中などまったく察することが出来ていない燈は呑気だった。

 《サンタと死闘》を繰り広げる前に、別の修羅場が発生するであろうフラグが今さっき立ったのだ。


(龍神、早く来ぬと手遅れになるぞ……。まあ、知らんが)


 ***


 パレットタウン施設内。

 中世ヨーロッパをモチーフとしたショッピングモールは、大人っぽい雰囲気の内装になっており、《ヴィーナスフォート》は夕焼けの天井に石畳を想わせる床と、中世にやってきたかのように錯覚しそうになる。

 パンフレットを覗いていると、燈たちは本物の馬車が横切っていくのを見送った。


「……って、本物の馬車だったけど!?」

「推測──この空間特有の性質の可能性七八パーセント。……危険値は今の所、低い」


 ノインがすでにホルスターからベレッタM92を抜いているのを見て、燈は慌ててその手を掴んだ。出来るだけ声を低くしてノインに詰め寄る。


「ちょっと! 特殊な空間内なのはわかるけど、物騒なモノは極力出さない!」

「ム……。たしかに。《心の友その壱》の提案を受理」


 幸いにもノインの銃を誰も気に留めていないのか、騒ぎ出す人はいなかった。

 気のせいか、この施設にいる人たちはみな周囲をまったく気にしていないようだ。というのも、ノインの軍服は目立つのはもちろん。燈の肩には黒い狐が浮遊しているのだから、普通に目立つ。だが、ホテルの時と同様、周囲の人が気にする様子も注目されるような視線も感じられなかった。


「はあ……。とにかくこの紙に書いてあるのを全部試してみて、それでもだめなら実力行使するって方向でいいでしょ」

「肯定──提案を承諾」

「んー。じゃあ、まずはプレゼントを交換するために買い出ししなきゃ。……ノイン、お金って持っている?」


 おずおずと無一文の燈はノインに尋ねると、無言でブラックカードを取り出す。


「おおー! 金銭面の問題は一気にクリアね。あとはプレゼント選び~」

「いやその前に、《心の友その壱》の上着を買うことを推奨する」

「え、でも施設内に入ったから大丈夫だよ? それにコートって高いし……」


 燈は未だノインのコートを着用したまま、コートの購入を拒否した。


「提案──もし外で戦闘になった場合、その服では通常の5.4秒ほど反応が遅くなることを提示する」


「うう……」と言い返す言葉を失う燈に、式神はさらに畳み掛ける。


「ならば、コートをクリスマスプレゼントにすればよかろう」


 燈はそれでも唸っている。元々金銭管理がしっかりしており、余計なものを買わないのでこういう時のプレゼントや、贈り物に抵抗が出てしまうのだった。

 しかし、この空間を出るためと腹をくくったのか、少女の双眸そうぼうが鋭くなる。


「ノイン、現世に戻ったらキッチリお金は返すので、それまで建て替えをよろしく」

「必要ない。経済的にも年齢的にも俺が出すのが正しいと本に書いてあった」


 一体何の本をアップロードしたのだろうか。燈は聞きたい気持ちを抑えて、購入を断る。


「それじゃあ、申し訳ない!」

「承認却下。心の友その壱には恩義がある。ゆえに──」

「そんなこと言ったら、私だって助けてもらった恩がある──」


 おそらく浅間や年の離れた大人であれば、不承不承しつつも燈は承諾しただろう。だが、年齢が近いノインに友人として身の丈に合わない贈り物には抵抗を覚えてしまうようだ。

 またノインも基本的に交渉がド下手なところが問題でもあった。人間相手に交渉などしてこなかったからだろう。否──ネットによるデータ量とノインのIQがあれば朝飯前なのだろうが、燈相手だとどうにも感情が先に出てしまうようだ。

 二人のどっちでもいい会話を黒狐式神はほのぼのと見ていた。


(平和だ……。世の中には真逆な男女もおるというのに……。と言うかもういっそノインが相手で良いのでは? このまま黙ってミッションクリアさせても問題ないだろう。むしろ友情的なものが深まるんじゃないか?)


 式神は未だに一歩も引かない、二人の微笑ましいやりとりを見ながら深く考えることを辞めた。


「いい加減にしろ、


 雷が落ちるような怒号に、燈とノインは反射的に背筋を伸ばす。


「こ、この声……」

「声紋確認。九三パーセントの確率で……」


 おそるおそる二人が振り返ると──

 しゃんしゃんとベルの音を鳴らしながらトナカイに乗った、ふくよかな体格のおじいさんサンタ。

 ──ではなく、神獣しんじゅうにソリを引かせている赤い服姿の浅間龍我あさまりゅうがだった。

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