Page46:悪魔が集う①
「……結局ほとんど眠れなかった」
日の光が差し込む窓を眺めながらレイはそう呟く。
結局あの後マリーを部屋まで運んだ後、自分の今後に対する色々(主に不安)が気になって殆ど睡眠を取れなかったのだ。
ちなみにジャックは慣れているのか早々に眠りについた。
今はまだ早朝。
二度寝しても良いのだが、どうにもそういう気分になれなかったレイは散歩でもする事にした。
「あ、レイ君おはようございます」
部屋を出ると早々に、オリーブと鉢合う。
何故か目の下には少し隈が出来ているが。
「オリーブ……安眠は出来たのか?」
「えへへ、なんだかドキドキして眠れなくて」
「いやそうじゃなくて、こう、不審者とか」
「?」
可愛らしく首を傾げて疑問符を浮かべるオリーブ。
少なくとも昨晩は無事だったらしい。
オリーブも目が覚めていたようなので、二人で一緒に一階の食堂に降りていく。
ふとレイが出入り口付近に目をやると、そこには昨夜レイが助けた老人がいた。
「おー爺さん! 身体の方は大丈夫か?」
レイが声をかけると、老人はレイ達を一瞥しただけですぐに宿屋を出て行ってしまった。
「なんだよ、無愛想な爺さんだな」
『まぁあの様子であれば、身体の方は大丈夫であろうな』
「あはは……そうかも知れませんね」
それにしても愛想のない老人である。
レイが内心不満を漏らしていると、後ろから宿の女将がやってきた。
「あらまあ、ルドルフさんったらまた無愛想しちゃって。ごめんなさいね、あれでも可哀想なお爺さんなのよ」
女将曰く、五年前に海難事故で息子家族を亡くした天涯孤独の老人なのだとか。
五年前と言う言葉で、レイはあの老人が昨日港で騒いでいた老人だと気がついた。
人も船も喰らう幽霊船とは老人の言……さしずめ海難事故もそれに関連したものだと想像するのは容易い。
普通ならただ哀れな老人という感想しか出てこないだろう。
だがレイは老人の名前が妙に脳裏で引っかかっていた。
「(ルドルフ……どこかで聞いたことあるような……)」
古い文献だっただろうか、どこか覚えはあるのだが上手く思い出せない。
レイが頭を捻っている間に、オリーブが女将と他愛ない話をする。
案の定とでも言うべきか、昨夜の幽霊騒動については何も覚えていないらしい。
アリスが言っていた通り、記憶を消去されたのだろう。
外に出る。
まだ早朝という事もあって、街道の人気は少ない。
とはいえ流石は海に面した街とでも言うべきか、日が昇って間もないにも関わらず早速仕事の準備を始めている者や、家の前を掃除する婦人がちらほらといる。
「普通ですね」
「そうだな」
まるで何事もなかったかのように進んでいる日常のワンシーン。
気になったオリーブがすれ違った人たちに話を聞いてみたが、案の定彼らには昨夜の記憶は無かった。
「本当に誰も覚えてませんでしたね」
「まぁそもそも魔力越しじゃないと視認できないからなぁ。俺達みたいに変身していた人間か、魔獣じゃないと騒動に気づけないだろ」
だがそれにしても異様である事には変わりなかった。
あれだけの戦闘があったにも関わらず、それを記憶している者は誰も居ない。
戦闘の舞台となった広場に足を運んでみるも、抉れた地面を前に少し頭を掻いている職人が数人いる程度。
魔獣や操獣者の戦闘が珍しくない今の世の中、この程度の破損は特別な物と認識されなかったのだ。
「結局、あれって何だったんでしょう?」
「幽霊か? それとも蛇のバケモンか?」
「両方ですね」
建物の壁にもたれかかりながら、二人は昨夜の事を思い出す。
「幽霊については昨日話した通り、霧状の
「えっと、ゲーティアっていう悪い集団の人でしたっけ?」
「人かどうかかなり怪しいと思うけどな。それよりも――」
そう言うとレイは指先で胸ポケットを軽く叩いた。
「なぁスレイプニル、アイツらが使ってた魔武具、あれ何なんだ?」
「そう言えば聞いてませんでしたね」
『ふむ、そうだな……』
少し間を置いて、スレイプニルは語り始める。
『焚書松明ダークドライバー、ゲーティアの悪魔達が使う禁断の魔武具だ』
「禁断?」
『基本的な使い道はグリモリーダーと同じく人間の変身だ。だがグリモリーダーとは違い、ダークドライバーは使用者を大きく限定する』
「どういうことだ」
『ダークドライバーの力はお前達もよく理解できているだろう。だが強い力には代償が伴うもの……ダークドライバーはその強大な力と引き換えに、使用者に強力な毒を流し込む』
「強大力と引き換えに毒、か……」
まるで魔僕呪のようだと、レイは頭の中で考える。
『並大抵の者であれば数回使用すれば死に至る猛毒。だがごく稀に、その毒を克服し力に魅入られる者が現れる。その成れの果てが昨晩の異形、悪魔だ』
「という事は、あの蛇の怪物も元々は人間なんですね」
『そして元は魔獣。毒は肉体だけではなく霊体そして精神を汚染していく。力に溺れ虐殺の限りを繰り返す、人にも魔獣にも非ざる者……』
故に悪魔。
レイとオリーブはスレイプニルの話を聞いて、内心微かに震える。
『いずれにせよ我々の敵である事は確かだ。今まで闇の世界で動いていると思っていたが、まさかここまで表にでてきているとはな』
「まぁあんな悪趣味な幽霊ばら蒔いている時点で、良い奴ではなさそうだな」
「ゲーティアって、何が目的なんでしょう?」
『分からぬ。ただ一つ言えるとすれば、あの外道共を放置しても碌なことにならんという事だ』
「外道ねぇ……」
ゲーティアという存在を知って間もないレイには今一つ実感を持てない話。
だが少なくとも、あの蛇の悪魔を放置しても碌な結果にならない事だけは理解していた。
まずは目の前の幽霊船を解決するのが先決だ。
とはいえ昨晩の様子を振り返る限り、あの蛇の悪魔とは事件解決の過程で戦う事になるだろうと、レイは考えていた。
蛇の悪魔への対策と幽霊について。
レイは同時並行に思考を加速させていく。
「(しっかし、霧状のインクと幽霊……どこかの論文で聞いたことある気がするんだよなぁ……)」
レイがブツブツ呟きながら考え込んでいると、二人の前に一人の男が現れた。
「失礼、道を尋ねたいのだが」
それは、黒い剣を携えて、紋入りのマントを羽織った威風に溢れた男であった。
ぱっと見の年齢は40代くらいだろうか。
黒く長い髪を後ろで束ねているが決して清潔感を損なっているようには感じない。
ガタイの良さからは鍛え抜かれた強さを、一つ一つの所作からは気品のある性格が見えてくる。
「この街の教会はどちらかな」
「え、あ、教会?」
「ごめんなさい。私たちこの街に来て日が浅いんです」
「ふむ、それは申し訳ない事をしてしまった」
そう言うと男はレイ達に一礼して、その場を去って行った。
その後ろ姿を、レイは吸い寄せられるように注視していた。
「なんだか強そうな人でしたね」
「あぁ……それもそうなんだけどさ」
レイの視線は去り行く男と、男が携えている剣に向いている。
「スゴイなあの剣、アレ相当な業物だぞ」
『それだけではない。あの剣についていた無数の傷、あれは相当に使いこんだ証だ』
「だよなー……」
「そんなにスゴかったんですか?」
「整備士として言わせてもらうなら、あんな芸術品とさえ呼べる領域に達した剣、中の術式ならともかく外側に関しちゃセイラムでも作れる奴はいないな」
レイが腕の立つ整備士である事をよく知るオリーブは、その言葉に開いた口が塞がらなくなる。
思わずレイと同じく、男が去っていった方角に目をやる。
既に男の姿は小さくなっており、その向こう側からは幾つかの悲鳴が――
「ん? 悲鳴?」
耳を澄ましてみると、聞こえてくるのは人の悲鳴と何かが地面を走る音。
それもこちらに近づいて来ている。
「レイ君!」
「あぁ、十中八九暴走魔獣だろうな!」
レイとオリーブは駆け出して行く。
街道には逃げた人々が投げ捨てた物が散乱しており、些か走りにくい。
走った距離はほんの数十メートル。
だが地面を走る轟音は急激にこちらに近づいて来た。
「ブモォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」
影が一気に接近してくる。
それは理性を失って暴走している、大きな猪型の魔獣であった。
レイ達はグリモリーダーを取り出して、迎撃しようとするが……
「レ、レイ君! あれ!」
オリーブが指さす先、そこには先程の男がいた。
男は目の前の暴走魔獣など気にしてないかのように、街道の真ん中を堂々と歩いている。
「おいアンタ! 危ないぞ!」
レイの呼びかけに応じたのか、はたまた目の前まで来た暴走魔獣魔獣にやっと気が付いたのか。
男はやれやれといった様子で、ほんの一瞬肩で息をすると、近くに落ちていた一本の箒を持ち上げて。
――ゴゥン!!!――
正面から眉間を一突き。
大きな打撃音が一つなると同時に、暴走魔獣の絶叫が辺りに響き渡る。
「ブモォォォォォォォォォォォォォォォォ!?」
ひとしきりの叫びが終わった直後、暴走していた魔獣はその場に倒れ込んでしまった。
「まったく……通行の邪魔だ」
「スッゲー……」
「あんな大型の魔獣を、一瞬で鎮圧しちゃいました」
レイ達が呆然と見ていると、男は手に持っていた箒を投げ捨てて、その場を去り始める。
「あ、オイ待ってくれよ!」
魔獣の後ろに消える男を追いかけるレイ。
だがレイが曲がった先には、男の姿は無かった。
『見失ってしまったか』
「なんだよ、お礼くらい言わせてくれてもいーじゃんか」
「レイくーん! 縛るの手伝ってくださーい!」
気が付けば街道にちらほらと人が戻ってきている。
見失った男の事は一先ず置いておいて、レイは倒れ込んでいる魔獣をマジックワイヤーで縛り上げた。
後でフレイア達を呼んで運ぶのを手伝ってもらおう。レイがそんなことを考えていると、一人の子供が物珍しそうに倒れた魔獣に近づいて来た。
「うわー、おっきー!」
「おーい、あまり近づくんじゃ――」
レイが一言注意しようとすると、先程まで大人しかった魔獣が突然咆哮を上げ始めた。
「ブモォォォォォォォォォォ!!!」
体を震わせて吼える魔獣に、思わず観衆は身構えてしまう。
だがマジックワイヤーで縛り上げているので、派手に暴れる事はできない。
「コラッ、危ないから戻ってきなさい!」
魔獣の前で棒立ちになっていた子供は、母親に呼ばれてその元に去って行く。
「ブモォォォ……」
「ん?」
縛り上げられた魔獣の視線はその親子に向いている。
気のせいだろうか、レイにはその魔獣が親子に何かを訴えているようにも見えた。
「なぁスレイプニル、あの魔獣が何言ってるか分かるか?」
『いや、言葉らしいものを一切形成していない。あれは唯の咆哮だ』
「そっか……」
その割にはどこか悲しそうな咆哮に聞こえたレイ。
ふと、レイは足に何かがぶつかった事に気が付く。
それは先程、男が暴走魔獣を止める為に使った箒だった。
レイは興味本位でその箒を拾い上げる。
「……これ、ただの箒だな」
「そうですね、どこにでもある箒です」
『微かに魔力で強化したような痕跡はあるが、それだけだな』
木と藁で出来たごくごく普通の箒。
微かな強化を施したとはいえ、普通なら魔獣との戦闘に耐えられるようなものでは無い。幼児でもこれを使おうとは思わないだろう。
「あんな一瞬だけの強化で、箒を壊さずに……どうやって倒したんだよ」
『恐らく脳を揺らしたのだろう。大抵の生物は脳を揺らされると無力になる。あの男は箒を拾い上げてからの一瞬の間に、暴走魔獣の急所を見抜いたのだろう』
「そんで必要最低限の力で一撃……」
言うだけなら簡単。だが実行しようとすればまず不可能。
そんな破天荒な技を、あの男は自分達の目の前でやってみせたのだという事を、レイは理解するのに数秒要した。
『しかし、強化に使った魔力を残滓一つ残さずに去って行くとは……実に見事な強者だ』
「何者だよ、アイツ……」
謎多き強者を前にして、レイはそう口にするのが精一杯だった。
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