第82話 夢で逢えたら

 あのフェンス越しの告白から少し季節が過ぎて。アタシは今、一人真っ白な靄の中に立っていた。


 夢を見ている時、ああ、これは夢なんだって分かる事がある。

 今のアタシがまさにそれ。靄で覆われた真っ白な空間で、アタシは夢を見ている事に気がついた。

 何なのこの夢?何も無くてつまらないじゃない。だったら早く目を醒ましたい。早く言わなくちゃいけないのに、空太への返事を。

 そんな事を考えていると、アタシに近づいてくる男の人が一人。って、あれって⁉


 目の前に現れたその人を、信じられない気持ちで眺める。だって、だってこのお方は……


「……旭様」


 彼の名を呟く。そう、その人こそ、アタシが前世で愛してやまなかった旭様そのものだった。

 サラサラとした艶のある黒髪、見る者全てを虜にしてしまうような麗しき顔立ち。夢とは分かっていても、旭様と対峙していることが嬉しくて、発狂しそうになるのを必死でこらえる。すると……


「春乃宮旭、だよね」


 うわあああぁぁぁぁぁっ!あな恋と全く同じ旭様ボイスだよ!ええと、旭様が言っている『春乃宮旭』って、アタシのことだよね。旭様も『春乃宮旭』なのだからややこしい。


「は、はい。あ、旭様……旭様ですよね!ま、まさかこのような所でお会いできるだなんて、夢のようです!」


 興奮を隠せず、カミカミになりながらも何とか喋る。すると旭様は、おかしそうに笑みを浮かべる。

「夢のようって言うか、ここは君の夢の中なんだけどね」

「や、やっぱりそうなんですよね。あ、旭様。どうしてアタシの夢などというかような場所に、お越し遊ばされたのでございましょうか?」


 緊張のあまり言葉がおかしくなる。

 来ると分かっていたら、もうちょっと夢の中を掃除しておくんだった。いや、必要なのは掃除じゃなくて、おもてなしの準備か。ここ、真っ白で何も無い空間だもん。

 どちらにしろ『しまった』と思っていたら、旭様がクスリと笑う。


「ごめんね、突然お邪魔して。迷惑じゃなかった?」

「いいえ、全然そんなこと無いでございます!」

「ははっ、そう緊張しなくても大丈夫だよ」


 そうは言われても、それは無理な話だ。

 空太達と話すのはもう慣れたけど、夢の中とはいえ旭様とはこれが初顔合わせなのだ。しかも……


「旭様……申し訳ございません。アタシがおかしな転生をしてしまったばかりに、旭様の居場所を奪ってしまって」


 ずっとそれが心に引っ掛かっていた。

 生まれ変わった先はゲームの世界ではなく、それとよく似た現実なんだって理解はしている。それでもアタシが旭様のポジションに居座っていることに変わりはなくて、本物の旭様はどうなったのだろうって、時々考えていた。

 だけど、そんなアタシに旭様は微笑みかける。


「気にしなくていいよ。そこは間違いなく、君のいるべき場所なんだから。今日こうして会いに来たのは、君を見送るため」

「見送る?旭様が、アタシを?」

「そう。君は今まで、ずっとあな恋に縛られて生きてきた。本来なら君は夢描いていた世界で、自由に生きるはずだったんだ。だけど君は、俺を意識してやまなかったよね」


 そりゃあ憧れていた旭様になってしまったんだから、意識もする。だけどどうやら旭様は、それをよく思っていなかったらしい。


「俺だったらこうする、もっと上手くやれる。ずっとそんなことばかり考えていたよね。重荷になってしまっていて、本当にごめん」

「そ、そんな。顔を上げてください。あ、旭様がアタシなんかに頭を下げるなんて」


 ああ、でもこんな風に謝っている旭様って貴重だ。ゲームではこんな場面なかったからなあ。旭様は、謝っている時ですら超絶格好良いから、よーく目に焼き付けておこう……

 って、そんなバカな事を考えている場合じゃない。


「旭様、アタシは確かに、旭様の代わりを勤めようと思って頑張ってきました。だけどそれで良いって思ってます。だって旭様に近づこうとしたことも含めて、今の『アタシ』なんですから」


 確かに見方によっては、縛られているってとれるかもしれない。だけどそのお陰で、得る物も沢山あったんだ。後悔もしていなければ、失敗したとも思っていない。


「それじゃあもうひとつ。もし今から、俺が君のポジションに落ち着くっていったらどうする?」

「えっ?それってどういう事ですか?」

「本来のあな恋の構図に戻るってこと。そうすると春乃宮旭が女の子の君じゃなくて、俺になって。元々ゲームであった人間関係が展開される。安心して、君はまた別の世界に転生するだけだから」


 転生するだけって言われても……

 それは今まで共に過ごして来た壮一や琴音ちゃんと、もう会えなくなるという事だ。もちろん、空太とも。

 確かにアタシは昔、自分のポジションには本来の旭様がいるべきだと思っていた。ううん、いまだってそっちの方が良いのかもって思う時がある。

 旭様と壮一は仲の良い親友同士で、御門さんもあそこまでおかしくはなってない。そもそもアタシよりも旭様がいた方が、この世界にとって大きなプラスになるだろう。


「どう?俺と交代する?」


 旭様がいなくなったことは、大きな損失だって気持ちは今も変わらない。それに誰がどう考えても、名門春乃宮家を継ぐのは、旭様の方がいいに決まってる。

 そう、そっちの方が、どう考えたって良いのだ。だから……


「……ごめんなさい旭様。それはできません」


 だからアタシは、頭を下げて謝罪する。

 勿論どっちの方が皆にとって良い世の中になるかが、分からない訳じゃない。だからこれはアタシのわがまま。旭様を差し置いてでもこの世界に残りたいと言う、少し前のアタシなら考えられなかったような、大きなわがままなのだ。


「こんなことを言って、大変申し訳なく思います。だけどアタシは、まだここにいたいんです。アタシの好きな人がいて、アタシを好きでいてくれる人がいる、この世界に」

「好きな人……ねえ。それは、空太のこと?」

「はい!」


 今ならハッキリわかる。アタシは、空太の事が好きなんだって。

 旭様の話を聞いて、真っ先に抱いたのは『嫌だ』と言う気持ちだった。壮一と会えないのも嫌、琴音ちゃんの記憶から、アタシが消えるのも嫌。そして何より強く思ったのは、空太のこと。もう一緒にはいられなくなると思った瞬間、恐怖に震えた。だからアタシは、この世界に残りたいって思ったんだ。旭様を差し置いてでも。


「空太、かあ……ちょっと意外だったよ。てっきり壮一あたりとくっつくかなって思ってたのに」

「旭様までそんな風に思ってたんですね。って、旭様。もしかしてアタシのこと、よく知ってたりします?と言うかそもそも、旭様はいったい何なのですか?」


 ただの乙女ゲームのキャラクターってことは無いだろう。人の夢枕に立って、色々事情も知ってる風だし。


「俺かい?しいて言うなら、ずっと君を見守ってきた存在。様々な魂が交錯するこの世界で、偶然俺のポジションについた女の子がどんな道を辿るのか気になって、一つ上の次元で君を見ていたんだ」

「魂が交錯?上の次元?」


 ダメだ、話がついて行けない。SFは苦手なんだよね。けど、偶然旭様に転生してしまったアタシを、旭様はずっと見てくれていたと言う事だけは分かった。難しい理屈は分からないけど、今の旭様はそういう存在に昇華されたのだろう。


「そうだ。さっき言ってた俺と交代するって話、アレは気にしなくていいから。ちょっと君の気持ちを確かめたくてね。今まで大切にしてきた信念を曲げてでも、一緒にいたい大事な人が出来たのかを、ね」


 なんだ、そうだったんだ。本気で空太にはもう会えないのかと思って怖かったけど、そこはやっぱり旭様。ここに来て引き離すなんて意地悪をするはずが無かった。


「あの、アタシが壮一じゃなくて空太を選んで、良かったんでしょうか?壮一は……旭様の親友なのに」

「良いんだよ。君は君の気持ちに素直なままで。壮一はちょっと可哀想だったけど、アイツはいつまでもそれを引きずったりはしないしね。それより余計なおせっかいだとは思うけど、気持ちがハッキリしてるなら、さっさと空太にも返事をした方が良いよ」

「それは……努力します。」

「頑張ってね。さて、俺はもう行くよ。けど、忘れないでね。『春乃宮旭』は君で、君の周りにいる人達もゲームのキャラクターじゃない。俺やあな恋に縛られること無く、自由に生きて」


 あたりに漂っていた靄が更に濃くなり、旭様の姿を徐々に隠していく。恐らくもう、夢が終わるのだろう。

 あたしはそんな消えゆく旭様に向かって、力いっぱい叫んだ。


「旭様!アタシ、あな恋が好きで、アナタに憧れて本当に良かった!だってそのおかげで、素敵な恋が出来たんだもの!だから……ありがとうございます!」

 声は、靄の中に吸い込まれていく。


 もしかしたら、それはただの夢だったのかもしれない。

 だけど、気持ちは本物。アタシはこれからも、春乃宮旭として生きていくんだ。あな恋に似ているようで違う、この世界で。

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