第72話 中等部訪問 1

 午後の授業も終わって放課後。いつもなら家に帰るかどこかで遊んでいくかしてるけど、今日は違う。琴音ちゃんと二人で、桜崎学園中等部を訪れていた。


「中等部か。何もかもみな懐かしい」

「旭ちゃん、現実逃避してないで、空太君を探そう」


 遠い目をしているアタシを見て、琴音ちゃんが言ってくる。

 アタシ達がここにいる理由はただ一つ、空太と腹を割って話すためだ。この前の一件以来、空太とは顔を会わせてないし、電話で話してもいない。

 あんなことがあったのだから話し難いのは当然なんだけど、お互い避けてばかりで。その事を琴音ちゃんに話したところ、空太ともじっくり話してみるべきだってことになって、ここに足を運んだと言うわけだ。


 ちなみに壮一は今日は学校の用事があるそうで、ゆっくり話せそうに無いから後回しとなってしまった。こっちは別に避けられてる訳じゃないよ。本当に用事があるんだよ。


「さて、空太君はどこにいるかなあ?」

「うーん、もしかしてもう帰っちゃったとか?だったら仕方ない、また明日にでも……」

「もう、覚悟を決めたんじゃなかったの?」


 珍しくちょっと怒ったような目をする琴音ちゃん。

 確かに覚悟を決めてきたよ。でも、でもねえ。いざその時が近づいてくると、頭の中が真っ白になってきて。

 何せ空太と最後に会ったのはキスされた時。いったいどんな顔をして会うのが正解なのだろう?壮一と話す以上にハードルが高いような気がする。


「だいたいキスなんてされてまともに話せるわけ無いよね、好きになるとか告白とか付き合うとかそういうのすっ飛ばしてのキスなんだもの。そもそも自分の恋愛なんて考えたこともなくて、こんなの乙女ゲームか漫画の中の出来事だって思ってたんだもん。そんなアタシにどうしろと。キス?恋?そんなの天ぷらにしたりお刺身にしたりするくらいしか頭に無いよ……」

「旭ちゃん、ぶつぶつ言って現実から目を背けないで」


 一人だと心細いから琴音ちゃんについてきてもらったけど、思ったよりもスパルタだった。

 けど、これでよかったのかも。こうやって激を飛ばしてくれるお陰で、逃げ出したくなる気持ちを抑えることができるから。


「空太君のいる場所に、心当たりは無いの?」

「そう言われても。いや待てよ、もしかしたらテニスコートかも。部活は引退したけど、後輩の指導をするようなことを言ってた気がする」

「じゃあ行ってみようか。場所は分かる?」


 そこは大丈夫。アタシも去年まではこの中等部にいたし、テニス部にも入っていたからね。

 二人してグラウンドの隣にあるテニスコートに向かうと、練習に汗を流す後輩達の姿が見える。そして、思った通り空太の姿もあったわけだけど。


「なんだか、話しかけ難そう」


 琴音ちゃんがそう呟き、アタシも同意する。

 見つけたのはいいのだけど、空太は数人のテニス部員に囲まれていて、指導を行っている最中だったのだ。まあそれはいいのだけど、ひとつ気になる事が。


「センパーイ、サーブを綺麗に打つ方法を教えてくださーい」

「あの、練習メニューってこれでいいか、確認をお願いします」

「先輩、高等部に行ってもテニスは続けるんですか?続けますよね。再来年は私も高等部に上がりますから、また指導してください」


 とまあ、こんな有り様。

 空太が指導している生徒というのは、揃いも揃って女子ばかり。みんな一応テニスに関する質問はしているものの、質問よりも空太と話しをする方が大事なように見える。空太、そんな不真面目な子達の質問なんて、まともに返さなくていいからね。


「そんな一度に言われても答えられないから。順番に話してよ」


 答えるんかい!

 アタシ達が見ていることにも気づかずに、一人一人の質問に律儀に答えていってる空太。何だかまんざらでもない様子だ。

 ふーん、人を散々悩ませておいて、自分は後輩達とイチャコラですか。いいご身分ですね。


「もうしばらく様子を見た方がいいかな。って、旭ちゃん、顔が怖くなってるよ」

「気にしないで。この顔は産まれつき……ううん、前世からこんな感じだから」


 空太め、人にキスしておいてこの始末。あっちはあっちで悩んでいるだろうと思って話をしに来たけど、何だか気がそれてきた。


「琴音ちゃん、帰ろう」

「えっ、でもまだ空太君とは」

「いいから!」


 今の空太を見ていると、胸がムカムカしてくる。

 しかしいざ帰ろうとしたその時、向こうからこちらに気づいてきた。


「えっ、アサ姉?」


 こっちを見て声を上げ、そのとたん空太を囲っていた子達もこちらに目を向ける。


「誰、あの人達?」

「バカ、春乃宮先輩よ。去年までテニス部にいた、日乃崎先輩の従姉妹の」

「ええー。それって、あの春乃宮家の?」


 アタシと入れ替わりに入学した一年生はともかく、現2、3年生はアタシの事を知っている。

 素性を聞いた一年生達は慌てた様子でこっちによって来て頭を下げてくる。


「春乃宮先輩はじめまして!」

「日乃崎先輩にはいつもお世話になっています!」


 うんうん、きちんと挨拶のできる、礼儀正しい後輩達だ。ただ、ね。


「ちょっ、みんな違うから!春乃宮先輩はその隣の人だよ!」


 二年生が焦ったように声を上げる。そう、一年生達はアタシと琴音ちゃんを間違えていたのだ。頭を下げられた琴音ちゃんも、混乱気味だ。


「え、こちら……ですか?」

「すみません、大変失礼致しました」


 アタシに向き直り、気まずそうに再度頭を下げる子達。

 まあ間違える気持ちもわかるよ。アタシと空太とでは顔面偏差値が違いすぎるし。空太の従姉妹となると、可愛い琴音ちゃんの方だと思うのも無理無い話だ。


「気にしなくていいから、顔を上げて。ねえ、君達っていつも空太に指導されてるの?意地悪とかされてない?」


 あな恋での空太ならそんな風にはならないだろうけど、今世の空太だと可能性はある。何せ今まで壮一と琴音ちゃんの事を相談した時など、幾度と無く意地悪を言われているのだ。まさか後輩をイジメたりはしていないとは思うけど、一応聞いてみた。しかし。


「意地悪だなんてとんでもない。日乃崎先輩にはいつも丁寧に教えてもらっています」

「すっごく優しくて、とっても分かり安いんです」


 どうやら思った以上に心配はなさそう。空太、アタシを相手する時とは違って、後輩にはお優しいことで。アタシを相手する時とは違って!


「そうなんだ。でもね、ちょっとは気を付けた方がいいわよ。従姉妹のアタシが言うのもなんだけど、あの子可愛い顔して、裏では結構腹黒いから」

「ええーっ、まさかーっ」

「意外ー、日乃崎先輩にそんな一面があったんだー」


 実はそうなのですよ。だから簡単に気を許してはいけないよ。


「ああ見えて実は結構肉食だったりするから、気を付けてよ。可愛い子をはべらせて、いきなりキスしてくるような狼な部分も……」

「アサ姉!」


 最初は離れた所から様子を窺っていた空太だったけど、聞くに耐えられなくなったのか、顔を真っ赤にしてこっちに寄ってくる。


「何勝手に有ること無いこと……いや、無いこと無いことを言ってるの!」

「無いこと……無いことねえ?」

「うっ」


 ばっちり有ることじゃない。もっと何か言いたげな空太だったけど、冷ややかな視線を向けられ、言い返す事が出来ずに黙ってしまう。

 そして反対に、黙っていられなかったのが後輩の女子達。


「えっ、もしかして今の話本当なの?」

「ビックリ、でもそれもいい。春乃宮先輩、他に何か無いんですか?日乃崎先輩の秘密」


 皆興味津々だ。よし、ここは後輩思いの先輩として、もっと何か言ってあげよう。


「そうねえ。秘密かどうかは分からないけど、空太が小学三年生の頃……もがっ」

「もう黙って!」


 口を塞がれてしまった。


「俺に用があって来たんでしょ。話があるなら聞くから、変なことを吹き込まないでよ」

「ふぉんふぉのふぉふぉはのにー(ホントの事なのにー)」

「何言ってるのか分からない。と言うわけで俺は行かなきゃならないから、皆は確実練習に戻って!」

「「はーい」」


 テニス部の子達は元気よく返事をしてくれたけど、その目は明らかに笑っている。こんな風に空太で遊ぶのはちょっと新鮮で、何だか癖になりそうだった。

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